みやぎ登米支部・活動日誌 NO.46

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.46
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.46
日時:2011年10月24日(月) 天気:曇り
報告者: I(育成会)
9:00~12:00 Wさん送迎、Sさん訪問
12:00~17:00 Oさん訪問、Yさん訪問、事務処理
活動した上で感じたこと<Wさん送迎>
 仮設の入り口で、一人で待っている。こちらの車がつくと、笑顔で迎えてくれる。搭乗中は、先日よりこちらからの話しかけに返答をする事、笑顔でいることが多い。前回は知らないスタッフが多く緊張されていたことも多かったのかも。
帰りはのぞみの園の情報を聞くため、こちらが職員室の中で園のスタッフと話をしていたところ、自分の事を話しているのかなと気になったのか、何度かのぞきに来られるといったことがあった。帰りも、こちらの問いかけに笑顔で答えられることもあった。
<Sさん訪問>
 2度目の訪問。お母様、ご本人のニーズや情報を聞きに行く。現在在宅で、母が毎日ずっと見ているといった状態。母のニーズとしては、本人のレスパイトで、出来れば通うところが欲しいとの事。
 ただ、衝動なのか、こだわりなのか、ストレスなのか、単に物の使い方を理解できていないのか、物を壊してしまうことがあり、以前通ってたところで、他の利用者の携帯電話を3台も壊してしまったことがあって、そのことから、少し福祉サービスに信頼をなくしているように感じた。
 そのため、もし、福祉サービスの利用をするにしても、失敗をしないように、誰かが見ていると物を壊さないらしいので、状況がつかめるまではスタッフの目が行き届くように、少しずつ福祉サービスにつなげていくことが必要と感じた。
<Oさん訪問>
 チラシをみて連絡があり訪問。ご本人は聴覚に障がいのある方。電話をくれた姪から話を聞く。訪問時ご本人は魚をさばいていて、姪の話では、以前は東京で働いていて大工の仕事をしていたとの事。
仮設に移ってからは特に何もしていないが、以前は家のはなれに住んでいて、自分で生活をしていて、手先が器用なのでいろんなものを作ったりしていたとの事。今はする事もなく家でずっといるため、何かしてくれたらと思っているとの事。
 とりあえず行くところと話をしていたが、家にもいくらか入れてくれればともはなしていて、就労支援などの必要も出てくるかもと感じた。
<Yさん訪問>時間をかえて2度訪問するが不在。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
 就労支援、他、現在機能している社会資源についての情報集め、繋がりは必要。
備考
 引き続き登米市等の社会資源のある場所のマップを作成していて、現在機能している社会資源の情報を集めて整理している。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.45

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.45
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.45
日時:2011年10月23日(日) 天気:晴れ
報告者: O(育成会)
9:00~12:00 ケース会議、検討
12:00~17:00 環境整備、社会資源のマップ作成
活動した上で感じたこと
<ケース会議、検討>
 今までのケースの確認、整理これからの支援の予定について話し合う。
 Eさん・・・JDFの支援を受けておられるが来週水曜日様子確認。家族に依頼があれば対応していく。
 Yさん・・・月水金に入浴サービスを受けておられる。土日の話をしていくと共に震災前の話を詳しく聞く。保健師や生活支援員との確認もしていく。
 Oさん・・・精神障害の疑いがあり、うつ的な様子でもあるため保健師さんにつないでいくように対応する。
 Yさん・・・聴覚障害であるが仕事につきたいという希望にこたえるために就労生活支援センター等の情報提供をしていく。
 その他、障がい者、高齢者共に送迎、移送のニーズが多く、社会資源の確認、発掘のため関係機関がすぐわかり、敏速に対応できるようにとの案がでたため社会資源のマップを作成することとなる。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.44

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.44
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.44
日時:2011年10月22日(土) 天気:雨
報告者: I(育成会)
9:00~12:00 事務処理、Sさんレスパイト
12:00~17:00 Nさん送迎、事務処理
活動した上で感じたこと
<Sさんレスパイト>
ルート・・・自宅→「平成の森」のカフェ→三滝堂方面→自宅
 自宅にお出迎えに行くと、待っていたようですぐにポータブルCDで音楽を聴きながら出てくる。体の動きは軽やかだが、目がよく見えていないようで、歩行には危険がともなう。こちらのご挨拶などの声掛けには気付かれず、そのまま無言で車に乗り込まれる。
車の中では始めは静かに音楽を聴いておられたが、少しずつテンションが上がっていき、体をゆすったり、車の窓を指ではじいて音を出すなどされている。
 「平成の森」のカフェでは冷たいジュースを飲む。ぶどうジュースを2杯飲まれ、お菓子もいくつか食べられている。その際、机のものを手探りで確認するため、スタッフが飲んでいた熱いコーヒーを触りそうなことがあり危険であったため、気をつける必要がある。
 飲んで食べてしばらくすると、自分からスタッフの手を引いて出たいとのアピールをしてくる。またそのあと、トイレに促すが、体をはって行きたくないとアピールされていて、自分がしたいこと嫌なことへの意思表示はできるようだ。三滝堂方面に行くが、ついても車から降りるのを嫌がり、結局トイレにも行かずであった。
 本日の支援の中でご本人への配慮がすぐに分かるものが必要と感じ、報告書だけでなくパーソナルがすぐに分かるものも必要と思われた。現地スタッフも必要といわれていて、現地スタッフがフェイスシート、アセスメントシート等の作成をされるお手伝いをさせていただいている。

震災から7ヶ月 被災地の救援活動はいま

ゆめ風基金機関紙NO.54より
震災から7ヶ月 被災地の救援活動はいま
                                  ゆめ風基金理事 八幡隆司
 早いもので震災から7ヶ月が過ぎました。見知らぬ土地で車のカーナビを頼りに沿岸部へいくものの、当初は沿岸部の道路が浸水や瓦礫でほとんど通れなくなっており、随分目的地に着くのに苦労した覚えがあります。今はほとんどの道が復旧し、瓦礫の撤去も進んで場所によっては以前の状態が想像つかないところもあります。
 しかし徐々に地域間の状況に格差が出始めてきています。
 津波被害の大きさ、地形の問題、行政の取り組みの違いなどによって、見た目の復興度合いにも、被災者の生活状況にも格差が広まりつつある感じがします。
 8月末時点の避難所の状況は、岩手県がピーク時に5万4千人が避難していた避難所をすべて解消したのに比べ、宮城県では仮設住宅の建設が遅れているため、いまだ3675人が避難所生活を続けています。
 福島県では最大約2500人が避難していたビッグパレットが8月31日に閉所となったものの346人の避難生活が続いているほか、県外避難をしている障がい者も含めて、劣悪な環境のまま避難所生活が続いているところが存在しています。
大船渡の仮設住宅
大船渡の仮設住宅
 一方でどこの自治体においても仮設住宅のバリアフリー化について十分な配慮がされず、障害者、高齢者を中心に仮設住宅での生活のしんどさが続いている状態です。
 先日も「障害者用の仮設と聞いて入ったのに、トイレも風呂も狭くて使えない。台所にはまともに入れない」と仮設住宅の環境の改善を訴える連絡が被災地障がい者センターいわてに届きました。
 仮設住宅の巡回体制はできつつあるものの、そこで要求される移送サービスや障害者への支援体制は何もできていないといって過言ではありません。
でしゃばらず、離れすぎず
 現在ゆめ風基金が支援できているのは岩手県・宮城県の沿岸部と福島県に限られています。それでもその範囲はあまりに広大で、現地スタッフが支援のために移動する距離は200キロ、300キロが当たり前のようになっています。少しでも移動距離を減らすために様々なところに拠点づくりを進めていますが、なかなか物件を見つけることができない地域もあり、まだ全ての計画が順調に進んでいるとはいえません。
 ただ当然のことながら東北の冬はかなり厳しく、県外のボランティアが雪道を運転して支援を続けることは避けなければと思っています。冬が来る前にどれくらい地元の人と協力関係を結び支援を続けるかが大きな課題であり、私たちのような県外ボランティアがでしゃばり過ぎないようにすることが大事だと考えています。
 しかし雪の少ない地域では私たち自身も活動を続けるなど、全てのことが地元任せにできるわけでもないので、バランスを考えた支援をしていきたいと思っています。
 岩手県の北部から説明すると、田野畑村というところについては「ハックの家」という障がい者団体に委託業務という形で障がい者支援をお願いすることにしました。
宮古市は自分たちが継続して活動できる穏やかな気候であるため、活動拠点を新たに設けることとし、場所も決まって改修工事を進めています。
 山田町大槌町では地元の福祉団体が障害者支援活動を進めているところで、連絡をとりあっています。
 釜石市にはこの間協力関係を持っているAJU自立の家という障がい者団体が支援拠点を設置予定です。
被災地障害者センター大船渡の事務所
大船渡の事務所。苦労してようやくこの物件に辿りついた。
 大船渡市では地元の人と連携して支援を進めることを決め、8月末から仮事務所で活動が始まっており、9月中には正式な事務所がオープンします。
 陸前高田については「すずらんとかたつむり」という地元の障害者団体に支援をお願いし、協力関係を進める準備をしています。
 宮城県の北部については登米市に既に拠点があり、南三陸を中心に活動を継続していますが、石巻にも新たな活動拠点を作り、地元の障害者スタッフとともに継続した支援を行っていきます。
 福島については県外避難をしたいという障害者のために、新潟で避難者を支援していることに加え、県外の人たちが連携してどう避難生活を支えるかという会議をするなど、具体的な方法を模索しているところです。
同じ過ちを繰り返さないために
 前回の新潟での2回の大地震も含め、災害時の支援活動として「障害者を探すところから始めなければならない」「避難所や仮設住宅の問題も全く改善されていない」など、過去の災害がきちんとした教訓となり、次の災害の備えになっていないことは本当に悲しいことだと思います。大災害の犠牲に学ぶ教訓が、また次の災害に役立たないのでは亡くなられた方に申し訳ないとしか言いようがありません。
 その意味では今の支援も大切ですが、今後それぞれの町の中で災害にどう向き合うかということが一番問われているのだと思います。
 ゆめ風基金としてこの5年あまり大規模災害に備えた障害者の防災・減災活動を展開してきましたが、そのことが浸透していればどれだけ今回の災害支援がスムーズに行えたかと思ってしまうのです。
 だから現地での支援活動も続けながら、ゆめ風基金として「東北で障害者が苦しんでいるのは人ごとではない、みなさんの地域でも取り組んでもらいたいことがいっぱいある」ということを訴えていきたいと思っています。
 安否確認や避難所の問題は単に災害に備えるということだけでなく、日ごろのコミュニティに関わることが大きくあります。災害が起きたときにできることは普段からのつながりでできる通常のことであって、決して災害が起きたからといって特別なことが急にできるわけではないということです。
 もちろん今の支援についてできるだけ全力で挑みたいと思っています。
 「みなさんの支援があって本当に助かった。でもまだ困っている人がたくさんいる。申し訳ないがまだまだみなさんにがんばって欲しい」という手紙をいただきました。この方は行政支援のあり方に悔しい思いをしたという思いとせっかく支援を頂いたが、その夫は既に亡くなったということも綴っていました。
 東北の思いを何とか全国に届けるため、これからもしっかり活動を続けていきたいと思います。

近畿ろうきん・「ゆめ風基金・募金プロジェクト」、700万円近くの募金

 近畿ろうきん・「ゆめ風基金・募金プロジェクト」により、700万円近くの募金を寄せていただきました。
 このプロジェクトでは、近畿ろうきんの全支店にゆめ風基金の募金箱を設置し、募金の呼びかけをしていだだきました。
 ろうきんは労働組合や生活協同組合(生協)などが会員となる非営利組織(協同組織)であり、株式会社である銀行とは組織形態が異なるとはいえ、ひとつの金融機関が大きな後ろ盾もないNPO法人のゆめ風基金の障害者救援活動に支援していただくことは、前例のない画期的なことで、並々ならぬ思いで企画された担当者の方々のご熱意と、それを受け止め、決済された近畿ろうきんに深く感謝します。
 ほんとうにたくさんの方々がその思いに応えてくださり、700万円近くの募金になりました。ほんとうにありがとうございます。
 地震発生から7ヶ月がすぎ、厳しい冬に向けて新しい拠点をつくるなど、まとまった支援金が必要になる一方、寄せていただく募金の方は少なくなる中、この募金はほんとうにありがたいです。
近畿ろうきん・「ゆめ風基金・募金プロジェクト」に応えて、
力強いご支援をいただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。

                        NPO法人ゆめ風基金 代表理事 牧口 一二
 近畿ろうきんのお力添えにより生まれた「ゆめ風基金・募金プロジェクト」、その企画に応えて、絶大なお金を募金てくださった皆々さま、ほんとうにありがとうございました。 
 私どもは阪神淡路大震災の折、障害者の仲間がさまざまな場面で後回しになってしまった教訓から、ふだんからお金を蓄えてこうと募金活動をはじめて16年のNPOです。近畿ろうきんは陰に日向に私どもの活動を支えてくださっています。そんな中から「ゆめ風基金・募金プロジェクト」は生まれました。
 今回の、みなさまからお寄せいただいた貴重なお金は間違いなく確かに私ども「ゆめ風基金」のところで有効に活用させていただきます。私どもは「ほんとうに必要としているところに、手渡すように確実に届ける」をモットーにしていることから、運営委員で話し合った結果、このお金も届け先が具体的なほうがどのように活用されているか、イメージしていただきやすいだろうと考えました。
 そこでタイミングよく計画が進んでいる、甚大な被害が出てしまった石巻市の障害者センターと陸前高田市の障害者作業所の再建費用に使わせていただこう、と話し合っています。そうすれば、ろうきんの募金プロジェクトでのお金がこのような形で具体的に使われていることが伝えられ、ご安心いただけると思いました。
 あの東北関東大災害から7か月が経過し、被災地ではあちこちで大変な状況が続いていますが、地元の人々の復元力も目を見張るものがあり、単なる復興ではなく、悲しみを土台に据えて、この機会こそすべての人々にとって快適な人間のまちづくり、新しいまちづくりをしよう、との気概もふくらみ始めています。
 どうぞ、いつまでも東北・関東の人々を見守っていただきますように。
                   

街頭募金

本日、10月22日午後1時より、大阪なんば高島屋前で街頭募金を行います。
みなさんのご参加をよしくお願いします。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.43

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.43
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.43
日時:2011年10月20日(木) 天気:晴れ
報告者: I(育成会)
9:00~12:00 ルート引継ぎ
12:00~17:00 備品購入・備品設置、事務処理
活動した上で感じたこと
<ルートの引継ぎ>
 Sさんの送迎予定であったが、作業所のバス旅行があったため、送迎不要との事になる。予定変更のため、小野寺さんよりルートの引継ぎをしていただく。
 ルート・・・事務所→Sさん宅及びのぞみ作業所→Wさん宅及びみのりの園→HUGハウス→事務所。
 初日であったため、ルートの確認をしつつ被害の状況などを見聞きする。まだまだ復興への道は遠い状況を目の当りにし、この地域でおこった事に言葉を失うばかりであった。
 仮設住宅の状況など外部から見ることしか今日は出来ていないが、話を聞く中では、十分な生活が出来る広さも無いような現状との事で、不便な環境での生活をされていることを痛感した。
 しばらく訪問できていなかったとの事で現状を見にHUGハウスへの訪問をする。今後冬に向けてとの事で、カフェの周りに風除けを付けようとガラスのドアをもらってきて付けようとされていた。今日は環境整備との事でカフェ自体は営業していなかった。
<備品購入・設置>
 昼からは、事務所に必要になっているものなどの購入及び設置等を行う。
<事務処理>
 事務処理の際に、スタッフ間にてケースの確認を行ったところ、Sさんのケースで物を壊すために母が弁償ばかりしていて、お金が持たないとの事でどこにも通うことが出来ていないとの話を聞く。そのため、JIC賠償責任保険についての情報を伝えている。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.42

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.42
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.42
日時:2011年10月19日(水) 天気:晴れ
報告者: O(育成会)
9:00~12:00 Yさん、Sさん所在確認、事務処理
12:00~17:00 Sさん訪問面談、事務処理
活動した上で感じたこと
Sさん訪問、面談
21歳女性、自閉的傾向、てんかん、精神的不安定がみられる。以前は夢の森という作業所に母が送っていたが作業所で他者の携帯を壊したり、窓を割ったりする行動みられ、作業所にはいけなくなったとの事。訪問時はえんどう豆の豆を取り除いたり、お菓子を食べながら落ち着いておられるように感じる。職員証をみて名前を呼ばれて笑顔見られる。
家庭では目をはなすと蛍光灯を割ったり、一人で外出したり窓を割ったりととにかく目がはなせないとのこと。母は作業所に行って欲しいと思っている様子であったが今の状況では難しいと感じておられる様子。
外出は好きであり、車の中では落ち着いて過ごされているとのこと。アニメ、漫画が好きであるが本は読んだ後にすべて破ってしまう。家族は目をはなせないことから用事が出来ない、休息できないことから本人、家族共にレスパイトが求められるが今後要検討していくことが必要であると感じた。
必要なサービス、社会資源は限られており、過去の破損行為からも難しいとのこと。当面の解決策としてドライブや訪問などが最適かと思われるが人員確保などの問題があげられる。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.41

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.41
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.41
日時:2011年10月18日(火) 天気:晴れ
報告者: S(育成会)
9:00~12:00 Sさん送迎・ルート引継ぎ、迫支援学校情報収集
12:00~17:00 ポスティング、事務処理
活動した上で感じたこと
Sさん送迎
8:30自宅着。終始車外を見て過ごす。運転者が曲がるところで通り過ぎそうになった時に身を乗り出して教える。「ありがとう。すごいね。」と褒めると嬉しそうにその後道案内をする。
捻挫後ということで心配していたが、シップは貼っているものの普通に歩行する。
8:50送迎完了。
帰りの送迎は家族が病院に連れて行くためにキャンセル。
Oさん
ポスティングの途中本人の連絡先を聞くために訪問。「障がい者なんていません」と拒否される。目の焦点が定まらず、うつ状態だった模様。日を改めて訪問する予定。
ポスティング
入谷地区全域及び小森地区。小森地区の仮設に引きこもっているTさんという女性が居るとの情報を得る。後日家族が居るタイミングで訪問する予定。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.40

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.40
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.40
日時:2011年10月17日(月) 天気:雨のち晴れ
報告者:
9:00~12:00 Wさん送迎、南三陸町役場情報収集
12:00~17:00 Wさん送迎、事務処理 
活動した上で感じたこと
Sさん帰阪
Wさん
8時半、自宅にお迎えに伺う。前回はお休みだったため、テンションが高い様子。やっている作業についてデニムの糸切など説明してもらう。9時みのりの園到着。
14時半みのりの園到着。施設長と今後の本人の送迎について話し合う。11月末でJDLが撤退するため送迎の回数を相談される。15:30みのりの園発。16時仮設着
南三陸町役場
保健福祉課の保健師に現在南三陸町で社会資源について聞き取りをする。
現状ではのぞみ作業所と高齢者向けの訪問介護しかない模様。
活動の中であがってきたニーズを上げることで、新たなサービスは開拓可能な模様。
尚、登米市内の仮設に住む被災者は南三陸町に住民票があっても登米市のサービスが使えるとの事だった。