20年イベントプログラムより~②

東日本大震災被災地からのメッセージ
「あの時からここまで、そしてこれから」NPO法人 多夢多夢(たむたむ)中山工房(宮城県仙台市)
「とにかく、のんびりしよう」。あの地震があって、幸い施設自体の被害は少なかったものの、いつも通りに仕事なんかできない。「のんびりすること」が、震災直後の仕事になりました。
ゆっくりのんびり、絵を描いたり、踊ったり、お昼寝をしたりして、ひと安心。ゆめ風基金からの援助があって、建物が直せて、もうひと安心。アートの力を借りて、少しずつ安心をためていった日々。
そのうちに、震災バブルが、福祉施設にも押し寄せました。
「被災地を応援したい!」と、たくさんの注文を頂いて、作って、作って…。
ふと気づいて、これでいいのかな?と。
こんなに素敵で面白いメンバーと、製品ばかり作っていてはもったいない!
だから、今の仕事は「笑顔を作ること」。
ご依頼を頂いて、イラストを描いたり、絵を展示したり、パフォーマンスも!震災を経て充実したアート活動が、仕事として花ひらいて。
一人ひとりの魅力が、輝き始めています。


助成金が、希望を与えてくれました!!
NPO法人みやぎ身体障害者サポートクラブ サポートセンターころんぶす(宮城県くりはらし) 
理事長 のざわ たきこ 
3月11日PM2:46 ゴーという地鳴り音と共に、施設の建物が突然左右に大きく揺れだし、木造の施設はギーギー、バリバリという柱の歪む音と割れるような音が鳴り響き、施設内は騒然となりました。
が、この時、2年前(平成20年6月)に発生した「岩手宮城内陸地震」(震度6強)がよみがえり、あわてるな! 大丈夫!! と、利用者さんもスタッフも意外と冷静に行動した事を今でも鮮明に覚えております。
しかし、度重なる余震で、浴槽は毎日数㎝づつ沈み、フロアの隙間もだんだん大きくなり、雨漏りも始まる等、倒壊こそ免れましたが施設は日々危険性が増し、人命を預かれる建物ではありませんでした。
その年の1年間は、必死で支援してくださる団体を探し続け「ゆめ風基金」様に出会いました。
250万円という多額の助成金が、諦めかけていた施設の再建に希望を与えてくれたのです。
お陰様で翌年には新しい施設での支援活動が再開でき、隣接する障害福祉サービス事業所と共に、若年の中途障害者、要介護者の生活支援活動を展開しております。


「震災による家族の会 再結束」         
本吉絆つながりたい 障がい児・者を抱える家族の会(宮城県気仙沼市)
当会員の中には3・11の震災で家族や親戚を亡くした方々、家や仕事を失った方々が大勢います。
ライフラインが完全に止まり、障がい児者を抱える私達の暮らしはとても辛く不自由なものでした。
障がいへの理解が得られず、避難所での居場所もなく、車中で過ごしたり、親戚宅で肩身の狭い思いをしながら暮らす日々・・・ その思いを相談する場所が欲しいと切実な気持ちで精神的にも身体的にもギリギリの生活を送る1年間でした。
その間全国からのボランティアの方々には大変お世話になりましたが、未曾有の大震災という言葉でくくられ、私達にとって本当に必要な支援は届きませんでした。
仮設住宅から被災した街並みを通り、学校や施設に通っている中で、4年が過ぎた今尚、精神面・身体面で不調を訴えている会員家族の現状があります。
これからこの問題にどう対処していくべきかが大きな課題です。
私達のこの経験が今後の有事の際に活かされる対策を講じて欲しいものです。


放課後になると元気な子供たちの声が聞こえてきます         NPO法人泉里会 ケアホームめぐみ(宮城県気仙沼市)
余震や日々の生活ストレスで疲弊していく利用者、それに対応しきれない職員。今迄営んできた生活が一変したあの日‥。そんな失意の中、数え切れないボランテア希望の連絡。経験豊かで頼りになるボランテア支援はとても心強いものでした。ケアホームの再建やキッズハウスの開設、復興にあたっては団体、企業、個人の皆様から多大な支援を頂きました。皆さまからの支援に感謝の念でいっぱいです。
ホームの余暇活動のめぐみクラブでは、カラオケ、時には全員で周辺の草取り作業に汗を流しております。以前よりも利用者さん同士の交流も深まり笑顔が多くみられるようになりました。キッズハウスでは、放課後になると元気な子供たちの声が聞こえてきます。
当たり前の日常が戻りつつあります。震災で失うものも多かったのですが、それ以上にいろいろな方々に支えてもらいました。頂いた支援を活かし、今度は地域の利用者の方々を支え共に歩んでいきたいと思います。


あらためての御礼と今後の決意  
NPO法人 ひびき (放課後等デイサービス)  岩手県一関市
東日本大震災では、地震による内外装の破損や備品の損壊、また、停電による給湯設備の破損などの被害がありました。
ただ幸いなことに、当施設を利用している子どもたちやスタッフに怪我はありませんでした。
しかしながら、ガソリン・灯油の品薄に加え給湯設備の破損によりお湯が使えない状態が長く続いたため、16日間活動休止を余儀なくされました。
活動再開後も余震が続き、早く改修工事をしたいと考えておりましたところ、ゆめ風基金さまのご支援をいただき、建物の修繕等をさせていただくことが出来ました。
本当にありがとうございました。
その後も余震が頻繁に起きておりますが、避難訓練などを定期的に行い冷静に行動しております。
平穏な日常がいかにありがたいかということを忘れずに、毎日の活動を一所懸命に継続して行くことが、ご支援いただいた皆様の恩義に報いることだと思っております。
今後とも変わらぬご支援を、どうぞよろしくお願い致します。


落成式
特定非営利活動法人 さんりく・こすもす(岩手県大船渡市)
平成27年5月、地元の木材をふんだんに使った「共生型事業所とまり」の落成式が行われました。
私の父が残してくれた農地に、ゆめ風基金さんからの支援もいただき、震災後三つのグループホームを含め、四つめの建物が完成しました。
多くの来賓を迎え職員だけが緊張する中、開会の言葉は利用者のMさん。その後皆さんお一人お一人が完成の感謝とこれからの抱負を述べ、S子ちゃんが閉会の言葉を言って式は無事終わりました。
震災で私たちは多くのものを失いました。
復興といっても元いた場所に戻ることはできません。
けれど、何があっても人はこんなにも強く優しくなれること、人の生きる力は何物にも侵されないことも知りました。
それは、障害を持つ人も誰も変わりがありません。
それぞれの持場で力を発揮して乗越えてきたことの、この日は集大成でした。
障害を持つ人が中心になり、大きく被災したこの地の復興のシンボルとして「とまり」はスタートしました。


全国の皆様のお力とすまいる全員の力で復興に頑張ろう!」
特定非営利活動法人 コスモスクラブ すまいる作業所(宮城県仙台市) 
      
2011年3月11日14時46分に東日本大震災が発生しました。
その時間、作業中だった利用者は、2分を超える長く強い揺れにパニックになりながらも、咄嗟に安全な場所へ移動、周りでバタバタと倒れていく機械に怯えながら、揺れが収まるのを待ちました。
今回の震災では、400㎏を超えるボイラーが横倒しになった他、冷蔵庫、製氷機、パッケージ機など、ほとんどの機械が転倒、使用不能となりました。
利用者の多くは動揺して、ぼう然としておりましたが、帰るときは元気になり、無事に送る事が出来ました。
人的被害が無かった事が幸いでした。
そういった絶望的な状況の中、夢風基金様をはじめ、多くのご支援を頂き、震災から1カ月で営業を再開することが出来ました。
4年が経つ現在でも、全国からのたくさんの支援は続いております。
皆様の温かいご厚意のおかげで、すまいる作業所は震災前と変わらぬ運営ができる状況まで回復いたしました。
授産製品の売り上げも震災前より1.5倍に増えて事業は順調に回復しております。
今後は地域の皆様に愛される施設を目指し、より一層の発展を目指して頑張っていきたいと思います。


「超現実の災害を乗り越えて」
特定非営利活動法人 みどり会 みどり工房若林 (宮城県仙台市)
海から700m。あの日から私達の生活は一変しました。
事業所、畑、居場所等すべて失い、明日が見えないあの日からスタート。
その状況でも利用者は、懸命に力強く歩みました。
避難所の厳しい環境の中、症状と闘いながらも、高齢者のために食事を運び、また薪わり等も行いました。
障害を抱えるとどうしても支援を受ける立場になりがちですが、震災では支える立場になりました。
この経験はとても大きい事でした。
また新たな物件を探すのが困難でした。
不動産業者の事業所への偏見が強く、その中で利用者・職員一丸で物件探しを行い、ようやく見つけた物件で活動を行っています。
震災前は農業がメイン。
津波で畑を失い作業の主を手芸に切り替えました。
利用者は以前と勝手が違い戸惑う声もありましたが、自分達の居場所があることに感謝しながら過ごしています。
課題として、現ビルの老朽化がひどく雨漏りや水の滲みがありいつまでこのビルで過ごせるのか心配です。


被災前行っていた農作物や竹炭作りなど、風評被害で出来ない
NPO法人ひまわりの家(福島県相馬市) 
平成23年3月11日、私たちは東日本大震災を経験し、それから今日まで、県内外の方々から様々なご支援をいただきながら、復興への道を歩んできた。
日一日と状況が改善されていく中で、震災の記憶もまた少しずつ薄れていくのを感じている。
被災時の状況は、放射能汚染により、2軒ある精神病院が休業となった為、実質医療崩壊となり、隣接する相馬市の患者も行き場を失い、精神疾患を患う人には環境の変化と服薬できないことが一番悪影響を与えると思った。
そういった精神疾患患者を支えるため、ひまわりの家は、閉鎖された病院のスタッフと協力し、当時ガソリンもなく自転車や徒歩などで通所している利用者全員の家に確認し安定確認や薬の在庫確認等を行った。
現在、利用者が明るく前向きに通所している。
少しずつ就労の場や内職等が増えてきているが、被災前行っていた農作物や竹炭作りなど、風評被害で出来ないのが現実である。


「震災があって今がある」
障がい児放課後支援ゆうゆうクラブ(相馬市)
震災後、障がい児の児童デイサービス等の事業所も閉鎖状態となり、行き場をなくした子供たちも大勢出ていました。
津波で家を失った事により、発達障害を抱えるお子さんが、心の安定に欠かせなかったモノを失った事によって、情緒的に落ち着かなくなって問題行動を起こしてしまったり、原発事故による避難によって不安定な状況になってしまったり。
という事も多くありました。
避難所では過ごすことができずに、被災したままの家や、車の中で過ごさなければならなかったお子さんもいました。
そんな中、私はボランティアで放課後支援を始めたのですが、ニーズは増すばかりで、ボランティア活動の限界を感じるようになった時に福島県の「被災した障がい児の相談・援助事業」で活動できるようになったことで、より多くの障がい児への支援を行う事ができるようになりました。
次年度から、津波で被災した自宅を改装し、場所を移して事業を行うとなった時に、ゆめ風基金さまから、送迎用のワゴン車と、敷地の周りにフェンスを作るための資金を提供いただき、より安全に放課後支援を行えるようになりました。
ありがとうございました。
被災地復興のための予算は、被災から年月が経つにつれ減らされていく中、まだまだ地元の力が足りていないというのが現状で、慢性的な人材不足、支援者も疲労がたまり、精神的な問題を抱える方々も増えています。
特に、福島県は原発事故によって、目に見えない放射能問題と終わりの見えない不安が心の奥深くに漫然とあり、日々ジレンマとストレスを抱えた状態となっています。
そんな中でも、私の方は今NPO法人を立ち上げて、放課後デイサービスとして自立していく方向で動いています。
今後も自分たちができることを精いっぱいやっていきたい、少しでも障がい児・者の未来が明るくなるように頑張っていきたいと思っています。
(代表  かんの ゆみこ)
③に続きます

ヒデの救援レポート 2015年8月19日№181

皆さん、ありがとうございました!
被災障害者支援ゆめ風基金設立20周年記念イベントを、8月16日、大阪市立中之島中央公会堂にて開催したところ、客席は、ほぼ満席の1200名のご参加がありました!
呼びかけ人代表の小室等さん&こむろゆいさん、サックス奏者の坂田明さん、太鼓奏者の林英哲さんの鬼気迫る、魂のこもった演奏は、参加者の心を打ち、『感動した』と評判になり、事後のアンケートでも、多くのひとが、『感動した』と記入されていました。
やっと20年の峠を超えることができました。
これも皆さんの応援があってのことです。
日本は、自然災害のカタマリ。
これからも災害と向き合い続けねばなりません。
20年の峠は、新しい30年のスタートラインです!
これからもゆめ風基金運動を支援してください!
更なる自然災害が起こらないことを願いつつ、ボクたちも、かなわないけれど、踏ん張り続ける覚悟です!
本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
hide拝


●美浜・高浜原発に反対する大阪の会機関誌「美浜の会ニュース」№135号からの転載
連絡先
TEL 06-6367-6580
FAX    6367-6581
○独自の避難者支援策を打ち出す鳥取県訪問記
『鳥取にはスタバは無いですけれども、日本一のスナバ・砂場・があります』という、平井伸治県知事の発言が話題になった鳥取県ですが、避難者受け入れの支援策が他県より充実しているため、関西から5名で実情を聞きに行ってきました。
7月10日、兵庫県西宮を朝9時に出発して、車で何と3時間弱で着きました。
鳥取、近い!
まず、エネルギーの未来を考える会「えねみら・とっとり」の山中さん、森本さん、米子市議会議員土光均さん、倉吉の松井さんと交流しました。
鳥取市は、島根原発から100キロ、県内米子や境港は30キロ圏ということで、鳥取で脱原発活動を行う上で、日頃から関西の各自治体への申し入れ等の活動を参考になさっているそうです。
今は安定ヨウ素剤の備蓄・配布を求めていく活動をされており、情報を共有しました。
避難者支援に関しては、場所を移動して、とっとり震災支援連絡協議会代表・川西さん、事務局長佐藤さんから伺いました。
川西さんが一時期東北で勤務されたご縁から、震災直後「東北県人会」として支援を始められ、その後、県にかけ合い、県から委託を受けて避難者をつなぐ役割を担う団体となりました。
避難者の声を聞き取ることを大切にし、出前講座やフォーラムなどでの啓発にも力を入れています。
また、中国5県支援ネットワーク会議を立ち上げ、避難者の方々のニーズに合ったより広い支援を目指して、前進しています。
さて、鳥取県の支援策では、被災者生活支援金支給や県営住宅棟の提供など「り災証明書」を取得していなくても福島県内からの自主避難者にも適応されます。
特に、国や福島県に歩調を合わせる他の自治体が2017年3月までとしている家賃全額免除を、この2月に独自に「2019年3月末まで」延長しました。
これは、まだ支援は必要で、避難者の方々からの1年毎の更新では不安だという声が強かったためです。
必要ならばそれ以降も続けることを検討するそうです。
気になるその財源は、「とっとり支え愛基金」と県の財政から半額ずつ。
県営住宅入居者17世帯が支援策を受けているとのことでした。
住民票は鳥取県に移すことになり、子どもの医療費は無償になりませんが、中学校卒業までは全員に医療費助成制度が有ります。
甲状腺がん検査は年に1回、医療生協関係で3000円で受けることができるそうです。
2012年3月に強いリーダーシップを取る知事が避難者の声を直後聞く機会を持ち、その声に応えた結果がこれらの支援策であり、とっとり震災支援連絡協議会の県内震災避難者支援事業への支援で、条例などで定められていないことや財源の枯渇が不安材料ではありますが、元々人権教育を大切にしている県とあって、条件つきながら教育支援:高校生への無利子の奨学金貸与、小中学生徒への通学費、学校給食費、医療費等の支援、幼稚園・保育所への保育料の軽減:もありまた避難者個々の事情に合わせだ相談の体制も整備されています。
「日本初」が好きな知事だとのことです。
事故から4年過ぎても、最近、関西での保養に応募者が増えているケースもあるとのことです。
今後も避難希望はあると予測され、交通の不便などマイナス条件もありますが、新規避難を受け入れる鳥取はさらに注目されるのではないでしょうか。
私たちは、人権を無視している「避難者への住宅支援打ち切り」の動きに反対すると同時に、鳥取の事例を広く知らせ、関西各地でも避難者の方々と一緒に、自治体に対して住宅支援延長など独自の施策を求めていきたいと思います。
そして、4年経って尚、避難者が不安を募らせる状況を生み出すばかりの法律、施策と再稼働を許してはなりません。
以上
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これまで届けた救援金
354,650,649円(2015年7月3日現在)
内・東日本大震災救援金総額
290,442,139円(2015年6月12日現在)
ただいまの基金残高
260,535,032円(2015年3月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、『われも、また、赤い「吾亦紅」』と咲くのです。
以上

ヒデの救援レポート、015年7月28日:180

★豊能障害者労働センター機関誌「積み木」№257号からの転載
(連絡先 TEL 072-724-0324、FAX 072-724-2395)
「当事者は誰だ?-熊と東北とわたしたち・・・石原礼」
・熊という生き物はああ見えて保守的な臆病者で、冒険心と言うか開拓精神に欠くところがあって、山や森の中で、それぞれ決まった時間に決まった範囲で食い物やコレクションを求めてうろうろと1日をすごしておるそうな。
そして、そこで見知らぬ人間や他の動物の足音が聞こえてくると、元来の臆病者、それ故にいったんは自分が物陰に隠れてやり過ごそうとするのだが、それでも自分は追われている、と言う不安に駆られると、開き直ってかケツをまくってか反対に威嚇的、攻撃的になったりするという。
熊さんの言うことにゃ、お嬢さん、お逃げなさい、とはいかないんだな。
そのあたりの習性、俺としては、とても他人とは思えない、実際結構シャイなヤツだったりするのでした。
また、その暮らしぶりは実に呑気なもので、寒いときはできる限り寝て過ごしていたりだとか、一つのことに集中「特に食事」するとその事柄にはまりにはまってしまい、その他周囲に対する注意、警戒心といったものがお留守になってしまうという。
鈍くさいところもあるものだ。
これまたとても他人とは思えない。
にくいアンちくしょうだったりするのでした。
しかし、そうやって木の上でドングリなどをのんびり食ってはまっていると、それを漁師が鉄砲で撃ってさ、と言った悲劇になってしまうのであった。
また、我々人類が熊の本来の本拠地である山や森を、断りもなく切り開いたりするものだから、熊としてみれば、何処までが本来の自らの行動範囲なのか定かでなくなり、うっかり人里に出てしまい、うっかり人間に遭遇し、不安に駆られ、結果、臆病ゆえに攻撃的になってしまって、またしてもそれを漁師が鉄砲でと、といった悲劇。
果たして、鈍くさいのは熊なのか、我々人類なのか。
3月11日、東日本大震災4年の時をむかえた宮城に行ってきました。
被害の大きかったゆりあげ港、志津川、いまだに続く余震と、一向に復興は進んでいない現実を目の当たりにしました。
情けないやら腹がたつやら、明らかに、トーキョーオリンピックとやらに関心も人手も取られ、放ったらかしになっているのだなと思いました。
現地で暮らす仲間たちの言う、「忘れ去られていく不安」が現実の景色として迫ります。
全国的な動きとしては、これまで活動してきた「東日本大震災障害者救援本部」も、この度、4年間の活動を持って解散、今後はそれぞれ現地での活動へ、といった運びになった訳でありますが、この様な厳しい現実、状況の中、あとは現地で、となったところで、まだ出会ったばかり、立ち上がったばかりの現地の若い障害者たちとしては、何をどうしてよいものやら、それこそ、まるで森からからはぐれた熊の様な思い、ますます、「忘れ去られていく不安」に駆られて行くのではないのでしょうか。
実際は、これからこそ、継続した支援が必要であると、ますます認識させられる訪問となりました。
ゆめ風基金としても、我々としても、現地の仲間たちと共に暗中模索しながらの活動を続けて行こうという思いを新たにしました。現実は先送りも巻き戻しも出来ない。
ましてや、そこに暮らす人々だけの問題ではないのだ。
そうやって被災地の復興が遅々として進まない一方で、今の社会を、とんでもない速度で、どんどんストロングな、きな臭い方向に進めようとする動きがあります。
果たして、彼らだか彼女らかだかの掲げる、「おもてなしの文化国家」とはいったい何なのでしょうか。
基地も原発も河口堰も公共事業も、そこに暮らす人々は、そんな危ないものはいらない、やめてくれろといって いるにも関わらずやめないのはどういう訳か。
政治家の皆さんはいつも自分たちがこの国の中心だと思い上がって、自分たちは安全なひととこに固まって、現地で暮らす人々や最先端にいる人々の知恵も意見も気持ちも反映しないし聴きもしないではないか。
そんな事でおもてなしも文化もあったものか。
政治家の皆さんも、電力会社も、その言いなりになっているマスコミもやっぱりみんな嘘つきだ。
吸血鬼だ、がりがり亡者金食い虫だ。
人の命や暮らしに差をつけるこの国は、おもてなし国家でもなければ、文化国家でもない。
土建屋談合国家なのだという事実を、被災地の現状からはっきりと思い知らされたのでした。
外国から来る皆さんも、くれぐれも騙されるなよ。
一見、呑気に、気ままに暮らしている様な熊たちも、山や森の自然の中で、他の動植物たちと一定のリズムに則って、何かを先送りする事もなく、それぞれの範囲でいま現在の役割といったものを担い、暮らしています。
一方、我々人類は、原発や基地の問題で、よく、未来の子どもたちにツケを回すな、と言ったりしますが、その言い方自体に先送りを感じてしまいます。
しっかりと、いま現在の事として向きあい、いま現在の事として立ち向かわなければ何も始まらない、変わらないのだという事を被災地で暮らす人々も、沖縄で暮らす人々も、障害を持った人々も、それぞれの範囲からずっと、我々に訴えかけているのではないのでしょうか。
それは、当事者の問題ではないという事も。
ひょっとしたら、山や森で暮らす熊たちも、同じことを我々に伝えてくれているのかもしれない。
鈍くさい人類よ、いい加減に気づけよ、と。
以上
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これまで届けた救援金
354,650,649円(2015年7月3日現在)
内・東日本大震災救援金総額
290,442,139円(2015年6月12日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)>
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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「東日本大震災救援活動の中のhideの風景」
●祭りと花火、夏本番の中、後、半月!
梅雨が明け、夏本番!
毎夜、どこかで花火大会、お祭りが行われ、日頃、学校の捕虜になっていた子ども達が、夏休みで解放されて、そのはしゃぎ声が、街中を占拠する。
とはいえ、今年の夏は、暑い。
猛暑日がスクラムを組んで、続いています。
hideは、ことのほか夏が苦手なんですよぉ。(苦笑)
その猛暑日の中、8月16日、被災障害者支援:ゆめ風基金:設立20周年イベント「希望はつながり」が半月後に迫っています。
●午後4時より、中之島中央公会堂です!ハバ、ハバですよぉ!
以上!

hide の救援レポート2015年7月13日№179

・後1ケ月~
8月16日(日) 被災障害者支援 ゆめ風基金 阪神淡路大震災からの20周年記念 「ゆめ風であいましょう」の集い
・大阪中之島中央公会堂全館借りきり
チケット:大人当日3000円、前売り 2500円
問い合わせはゆめ風基金まで
TEL06-6324-7702、FAX 06-6321-5662
午後4時開場、午後5時開演
ゆめ風基金20年記念コンサート 出演者
・ゆめ風基金呼びかけ人代表:小室等さん(ミュージシャン)
・坂田明さん(ミュージシャン、サックス奏者)
・林英哲さん(和太鼓奏者)
●コンサートの他に、3階では、
★中集会室&小集会室で:PM 12:30~阪神淡路大震災や東日本大震災にかかわった仲間との「大茶話会」
★「ゆめ風基金20年の活動記録パネル」展示=終日
★障害者団体のドキュメンタリー映像の上映会など
★中集会室で:PM3時半から「近畿ろうきん東日本大震災復興支援定期預金『サポートV』報告会&感謝の集い」も行います。
お申し込みはお早めに。
よろしくお願いします!


NPO法人 出発(たびだち)のなかまの会「機関誌 ナンバー154号」からの転載
連絡先 TEL 06-6758-6641
FAX 06-6758-6749
『南相馬市を訪問しました』
2015年2月13日、2泊3日の行程で福島県南相馬市を訪問しました。
3・11からもうすぐ4年になろうとしており、東北のことは自分の頭の中でもすみっこの方へと追いやられていました。
今回訪問させていただき、震災や原発事故からの復興はまだまだ終わっておらず、手つかずの地域も多く、いまだに困難を抱えながら暮らしておられる方々が大勢おられることに改めて衝撃を受けました。
また、大変な状況の中でも踏ん張って生活をされている方たちと会い、話を聴かせてもらい、逆に力を戴いた2泊3日でした。
初日は、大阪から仙台空港へ行き、レンタカーで福島県南相馬市へ移動し、NPO法人「さぼーとセンターぴあ」の生活介護事業所「ぴーなっつ」さんへ伺いました。
施設長のKさんより、障害者の方の震災時の状況、避難所や仮設での生活の大変さを聴かせていただきました。
また、震災後すぐに安否確認に走り回ったこと、ストレスを抱える避難生活が限界にきていた為に早くに開所したことを聴かせてもらいました。
仲間に会える喜びや当たり前に暮らすことの大切さを教えられました。
宿泊先に南相馬市の健康福祉部部長だったSさんに来ていただき、当時の状況の話をしていただきました。
個人情報である要援護者の名簿を開示されたことについて賛否はあったようですが、安否確認がいち早くされてきたことは、やはりよかったことではないかと僕は思いました。
避難計画の大切さを教えていただきました。
2泊目は、津波が押し寄せた野球場へ行きました。
多くの方が亡くなっており、ネットをよじのぼった方は生きのびたとのこと。
言葉にならない思いがこみ上げてきました。
午後は語り部のTさんに会い、地域の情報から子供の震災後の心の様子や放射線の影響のことなど多岐にわたって話していただきました。
また、福島第1原発の近くの居住制限地域は、工事の方や関係者しか入れず手つかずのままで放置されているようでありました。帰りたくても戻れない、戻ったとしても仕事がないので生活ができず、身動きができない状態にさらされていて、いかんともしがたい地元の皆さんの苦悩は計り知れないものを感じました。
最終日は、福島県の中通り方面からまわり、再び南相馬市へ入りました。
仮設住宅で生活されている方たちを急遽訪問できることになりました。
仮設の団地は避難してきた地域ごとで分かれているとのことで、当日は仮設に移って初めて餅つきをされたとのことでした。
ふらりと来た僕たちに、お餅やお酒を振る舞っていただきました。
突然の訪問にも関わらず、話をしていただき本当にありがたいことでした。
『大変さもあるけど頑張って生きているんだよ』、『目の前の人をまず大切にしてほしい』、『この状況をもっと人に伝えていってほしい』、など切実な思いを聞かせていただきました。
本当は人には言えないような苦しさや、生きていくつらさや問題もあるのでしょうが、それでも会う人はそれぞれに笑顔を見せて下さいました。
温かい、強い人たちでした。
最後に南相馬市小高病院の復興に尽力されているNさんに感謝いたします。
素晴らしい人々との出会いをつくっていただきました。
ありがとうございました。
サトシ・M
以上
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
354,650,649円(2015年7月3日現在)
内・東日本大震災救援金総額
290,442,139円(2015年6月12日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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ヒデの救援レポート 2015年6月27日№178

●5月22日に、岩手県で、脳梗塞で倒れ、岩手市内の病院に入院していた、ゆめ風基金の八幡理事は、その後、大阪に帰阪して、大阪市内の病院に転院。
リハビリ後、6月22日に退院。
1週間、自宅療養の後に6月29日より普通の勤務に戻ることとなりました。
手足に若干の後遺症があるものの、ひとまずはやれやれですね。
たくさんの方々にご心配をおかけしました。
ありがとう!スタッフ一同、ホッです!


「巨大地震はいつ来るかわからない、原発ゼロ今すぐ」を標榜する、被災障害者支援ゆめ風基金の友好団体「カタログハウス」の通販生活「2015年夏号」からの転載(202ページ)
申し込み TEL 0120-164-164
商品とアフターサービスの問い合わせ TEL 0120-701-234
世界の原子力発電は、いまどうなってるの?
・原発の新増設に道を開くエネルギー需給見通しの議論が始まった。
・長期的なエネルギー需給の見通しについて検討するため、経済産業省は:長期エネルギー需給見通し小委員会:を設置。
2030年の需給見通し作成に向けて議論し始めた。
・作成しようとしている需給見通しは「エネルギーミックス」と呼ばれ、その焦点は電力供給に占める原発の発電量の比率である。石炭、石油、天然ガス、原子力、水力、その他の再生可能エネルギーといった各供給源の組み合わせを意味する言葉で、2014年4月に閣議決定された「エネルギー基本計画」の作定過程で生まれた新語だ。
電力だけでなく熱利用や運輸の燃料などもふくめたエネルギー利用全体のミックスと、電力だけのミックスと、2通りあるものの、社会的関心はやはり電力のミックス、それも原発の比率に集中している。
マスメディアは、議論が始まってもいないうちから「経済産業省は原発を20%以上の方向でまとめようとしている」などと報じていた。
省エネで需要の分母が小さくなれば、原発の発電量が小さくても、比率としては高くなる。
とはいえ、運転開始から40年を超える原発を予定通り廃炉にすれば、どう推進したところで20%以上になりそうにない。
長期エネルギー需給見通し小委員会には、20%はおろか25%がよいと明言している委員が少なくとも3人はいるし、20%以上なら全委員13人の大半が同意しそうだ。
このままでは、実情を無視して「原発比率20%以上」と決められることも考えられる。
原発を推進する委員たちにしてみれば、現実に20%以上とならなくてもよいのだ。
15%でもよい。
ある程度の数字を正式な政策に組み込んでしまえば、その目標のために新増設が必要だと主張できる。
老朽した原発を廃炉にする替わりに、新増設を無理なく認めさせる大義名分が立つわけだ。
小委員会での議論と並行して、資源エネルギー庁は「意見箱」を設け、郵便、メール、ファックスで意見を公募し、会議の際の資料として公開している。
30年には原発はゼロだとの説得力のある意見で原発ありきの考えを変えさせたい。
●意見の送り先、締め切り随時
・宛先は全て共通資源エネルギー庁総合政策課・長期エネルギー需給見通し「エネルギーミックス」に対する意見募集担当宛て
・郵便 東京都千代田区霞ヶ関1-3-1
・ファックス 03-3501-2305
以上
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これまで届けた救援金
353,650,649円(2015年6月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
290,442,139円(2015年6月12日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景
【吾亦紅】と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び、大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、『われも、また、赤い【吾亦紅】』と咲くのです。
以上

ヒデの救援レポート 2015年5月27日 №177

●被災障害者支援ゆめ風基金の八幡隆司理事が倒れる!
5月22日、岩手県盛岡の障害者拠点を訪問していた八幡理事が 、脳梗塞を発症して、緊急搬送で盛岡市内の病院に入院しました。
いろいろな支援行動で忙しく、過労気味が原因の一因とも。
まだ、病状、手術の有無について、仔細が不明なので、約1ケ月位の治療、リハビリが必要と語られているので、様子をうかがっています。
後遺症が出ないよう願っています。
6月の最初の週には、ゆめ風基金の南さんが身の回りの物を持参し、様子を確認すべく、盛岡入りします。
また、豊能障害者労働センターの山本さんも偶然に岩手県入りの用事があり、病院を訪問する予定です。
現在の様子は、足と手の動きが不自由ですが、会話、電話には、あまり不自由はしていないようです。
被災障害者支援には、支援する側の健康状況も重要な鍵になります!
お互いに充分気を配りましょう。
(事務局注:八幡理事、退院が決まり、6月5日に帰阪し、リハビリ入院予定です。皆様、ご心配をおかけしました。
たくさんの励ましに感謝申し上げます)


●前回からの続き
●NPO法人:まいどいんあまがさき機関誌「まいど!通信」より転載
連絡先 TEL 06-6498-4183
FAX 06-4960-8711
「みやこ=関西交流上映会」岩手県宮古市
5日(金)交流上映会編・視察の後は6日の交流上映会の準備を当地でお世話になる「みやこシネマリーン」の櫛桁支配人、みやこラボの金野さんと挨拶に。
あくまでも交流なので支配人には塚口サンサン劇場と十三シアターセブンの上映情報をお渡しし、なんと金野さんとは、「友だちと歩こう」という作品を一緒に交流鑑賞会。
誰にも真似できない東北支援です。
明日の上映会は、「シネマリーン」さんが仮設住宅などで巡回上映されている機材を借り、セッティングは、金野さんにおまかせしました。
上映会が楽しみな前夜でした。
6日(土)交流上映会編:
いよいよ交流上映会当日。
動員数は未知数。
でも上映会が出来るだけでも有り難いです。
上映作品は2本、どちらの作品もお世話になっている大木ミノル監督作品。
今回も御好意に寄り、この地で無料上映が開催されるに至りました。
午前中に「恋の映画を作ろう」、午後に「時空脱獄ニンジャジライヤ完全版」です。
被災地障がい者センターみやこさんが作成した手作り感のあるチラシやポスターで皆さんに伝わり多数の方が来場してくれると良いのですが。
映画をより楽しんでもらおうと:手づくりポップコーン:の食べ放題の振る舞いも実施しました。
各上映前には、大木ミノル監督のメッセージも上映され、終了後は監督の選んだDVD争奪のじゃんけん大会もありました。
「恋の映画を作ろう」も好評で、関西の観客と違う場所で盛り上がる東北流受けでございました。
気に入ってもらえたなら、すべて良しです。
午後からの「時空脱獄ニンジャジライヤ完全版」も声も出さずに興奮状態で皆さんに鑑賞していただきました。
手叩き鑑賞も良いですね~上映後キリガクレ役で出演している本当の忍者の末裔のイサミヒイロさんと一緒に手裏剣大会もしました。
上映会の始めから終わりまで、笑顔の絶えないイベントになって大変良かったと感動いたしました。
目的達成です。
6日(土)視察編:
好評のうち終了した交流上映会の後、津波の被害の大きかった田老地区への視察もしました。
暗いのと何もないのが印象的でしたが、震災前は道路沿いは賑やかな所もあったそうです。
宮古で最大の仮設住宅にもイサミヒイロさんはニンジャ姿で突撃!
また変な交流をし、仮設住宅内の商店の方に人気でした。
ここでも何か出来たらなぁ~。
まだ午後5時だというのに商店は閉店。
人影も少なかったです。
仮設住宅の不便さや課題は何時まで続くのでしょうか?
7日(日)番外編:
4日間もあると思った岩手への訪問はあっという間でした。
関西に夜までに帰ろうとすると、宮古を朝9時台に出発しないといけません。
実は2時間程度の滞在なら始発から最終までで、関西地区の方は日帰りが出来るのですよ。
のんびり来るのもいいですが、岩手県だけではなく東北各地を訪れて欲しいと思います。
神戸もそうですが、震災を乗り越えた地区は、マイナス面もありますが、他の土地にないプラス面も持っていると思います。
笑顔あふれる生活、人生を送りたいものですね。
今回の企画に携わっていただいた方に少しでも得るものがあったのなら、自分も含め今回の企画は成功だったと思います。
一過性で終わりたくありません。
また違う形でも東北を訪れたいと思います。
個人的には「みやこシネマリーン」で映画を鑑賞出来たことは光栄でした。
帰りに盛岡市内の映画館めぐりをしたのも、次回に繋がればと。
東北を訪問したい方、「まいどいんあまがさき」を始め、NPOの諸団体を中心に、形は違えど東北支援を行っています。
何かを感じたなら、気軽にお声かけ下さい。
皆さんの交流をしてみませんか?
T橋  以上
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これまで届けた救援金
343,650,649円(2015年5月11日現在)
内・東日本大震災救援金総額
280,442,139円(2015年3月31日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景
【吾亦紅】と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び、大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、『われも、また、赤い【吾亦紅】』と咲くのです。
以上

ヒデの救援レポート 2015年5月7日№176

●NPO法人:まいどいんあまがさき機関誌「まいど!通信」より転載
連絡先 TEL 06-6498-4183
FAX 06-4960-8711
「みやこ=関西交流上映会」岩手県宮古市
10月に岩手県宮古市「NPO法人結人」(被災地障がい者センターみやこ)の代表が来られた時、ふと口にした宮古市の映画館「シネマリーン」の話。
冗談半分に「宮古市に行きます」と言ったことが2ケ月で実現したこの企画があります。
NPO法人まいどいんあまがさきは、継続して色んなメンバーが宮古市を訪問しています。
自分流で訪問するならと思い映画と言うツールに助けてもらい他の方と違う支援が出来たらと考え「みやこ=関西交流上映会」を企画しました。
現地の方にすべて考案していただき訪問するだけでは交流にならないので、両方の意見を採用するように進めました。
【4日(木)視察編】
初めての大宮以北の地に向かうのは不安もありました。
同じ日本なんですが。
支援するのに費用も時間もかかり、「遠い」事を言い訳にする人もいますが、いざ向かってみると距離感は感じませんでした。やはり現地に知人がいることは大きな存在です。
新幹線の岩手県は盛岡市、雰囲気だけは元気なパワーを感じ、当方の予想よりも穏やかな印象を受けました。
まだ目的地の入り口ですが。
宮古市に到着したのは午後7時過ぎ、東北の夜は早いと言いますが、地域的そして被災の影響で灯の箇所もありました。到着後、沿岸部や市役所を見て周りました。
また明るい時間に視察します。
【5日(金)視察編:2日目】
昨夜訪れた近くの沿岸部や魚市場、そして観光地としても有名な浄土ヶ浜などに向かいました。
テレビで報道されていた施設や、ピースアクション:等で掲示されている写真の場所などをリアルに視察、やはり見る現地は、どんな媒体よりも衝撃でした。
地震の怖さは、阪神淡路大震災で経験しているのである程度わかりますが、津波の怖さと言うのは、経験した方にしかわからないですね。
少し月日がたったとは言え傷跡は多く残っていました。
震災前の状況が伝えられないのが残念と何回も繰り返していました。
浄土ヶ浜にある、チリ大地震時の津波の碑が歴史を語っているのは、周りの美しい景色に反比例しているようで虚しさも感じてしまいました。
津波で被害を受けたレストハウスも今は観光客を笑顔で迎えてくれています。
「宮古の塩~わかめスープ」を土産に購入。
そして沿岸部を南へ下るコースを選び、津波の被害を受けた地域を視察しました。
見つめて言葉が出ない情景も多々ありました。
工事は始まってないなぁと単純に答えてしまうのは客観的すぎました。
電車の来ない津軽駅、その先の線路は続いていない。
代替バスがあっても、障がい者やお年寄りには、無理なのり口とステップの高い車高バス。
本当の足代わりなってない。
少しだけ違う海抜で命の明暗が分かれた場所。安心感も命取りになったらしい。
水の入らない風呂屋さん、いつ再開されるのでしょう?
下の階が津波が貫いた建物が多いのも東日本大震災の被害の大きさを物語っています。
次回に続く


これまで届けた救援金
343,650,649円(2015年3月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
280,442,139円(2015年3月31日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


東日本大震災救援活動の中のhideの風景
●この間のネパール大震災は、周辺国を含めて、日が経過するたびに、被害が拡大しています。
その情報に接するごとに、人びとの表情が曇ります。
被災障害者支援ゆめ風基金としても、動きだそうと相談していた矢先に、馬垣理事が、現地の障害者団体と連絡を取り、とりあえず、失われてしまった車イスを、被災障害者に届ける事業に取り組もうということになりました。
早々に、臨時理事会を開催して、行動の大筋を決める手順になっています。
また、順次ご報告リポートします。
以上

hide の救援レポート 2015年4月10日 №175

【今年の8月16日の「ゆめ風基金設立20周年記念コンサート」をよろしくお願いします!】


前回からの続き
「東北関東大震災障害者救援本部特集号:№14号」より転載
全国自立生活センター協議会
TEL 042-660-7747
FAX 042-660-7746
●阪神淡路大震災では5年で仮設住宅は解消されましたが、東北沿岸部は山を切り崩し造成してから復興住宅を建てるということで、7~8年経っても仮設住宅が解消するかどうかが見えない状態です。
中心市街地が流されたところではその後どのような復興をしていくかについて、計画は出たものの住民合意も未だできていないという状態が続いています。
私たち救援本部では地元での担い手を育てていくため、震災後1年目にあと3年は支援を続けていこうと決めました。
ただそうはいっても4年近く支援を続ける中で、緊急支援は終了したといってよいと思います。
地元拠点のほとんどは現在法律に基づく福祉サービス事業を模索し、今後まだまだ続く被災地の福祉を担うにあたって、支援金以外の収入を検討しています。
仮設住宅が復興住宅になっても不便さには変わりなく、まだ続いていく移送サービスについても、日常的にどのように運営していくのかが求められています。
また福島県については復興というにはほど遠く、未だ原発による被災が続いている状態にあります。
福祉を担う若者の流失が続き、ヘルパーなどの担い手もいない状態が続いています。
このような状況に我々が、「どこまで、どのように支援ができるのか」は定かではありませんが、少なくとも今後も被災地を見守り、いつでも支援ができる準備をしておくことが大切です。
●被災地の今後
神戸では一旦人口が減ったものの、今では震災以前よりも多くの人が住んでいます。
東北沿岸部では震災前から人口流失が続き、震災によってそれがより顕著になったといえます。
少なくとも10年、20年経ったからといって、震災前の人口に戻ることは考えられません。
今後求められるのは息の長い支援であり、例えば地元の生産物を全国の人が買い続けるような仕組みであり、震災でつながった地元と全国ネットワークの仕組みをどう生かすかということだと思います。
私たち障害者の立場から見ると、東北沿岸部は福祉の面で相当な遅れがあり、自立生活をしている障害者がほとんど見られない状況なので、そうした福祉基盤の底上げを外部からどう支援していけるかということが課題になると思っています。
救援本部としては緊急支援が終わったということで解散にはなりますが、今後もそれぞれのネットワークで東北への支援を続けていく事を確認しています。(八幡隆司)
●(東京)救援本部解散に伴いまして、この2月で支援金の受付を終了します。
4年もの長きにわたり、心からの感謝です。
街頭での募金活動、イベント会場や団体事務所に置かれた募金箱、定期的に届けてくださった方、年金の中から送ってくださった方、匿名の方、事務所まで足を運んでいただいた方、本当にありがとうございました。
「顔の見える支援」をと思ってきましたが、励ましのメッセージや季節ごとのお便り機関紙の感想など、被災者だけではなく支援金を送ってくださる方々のお顔も見えたように思いました。
3月末で会計を締めまして、決算に入ります。
決算報告は、機関紙で公開してお知らせいたします。
なお今後、被災時の障がい者救援金は、ゆめ風基金が引き継ぎます。
ゆめ風基金は阪神淡路大震災をきっかけに、緊急時に備えておこうと発足しました。
これまで、地震、噴火、豪雨、台風~さまざまな自然災害がおこり、「ゆめ風基金」からは海外を含めて被災地の障害者・児に届けています。
今回の救援活動も当初はこの基金を元にしております。
お気持ちをこちらに寄せていただけるよう、お願いいたします。
ゆめ風基金振り込み先
郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金
「逃げ遅れる人々」DVDは、これまで通り扱います。
救援本部の事務所やスタッフは、当面夏頃まで引き続きます。
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これまで届けた救援金
332,850,649円(2015年3月2日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,642,139円(2015年3月2日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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ヒデの救援レポート 2015年 3月23日 №174

認定NPO法人 ゆめ風基金「第14回定時総会&パネルディスカッション」のお知らせ!
【定時総会】
日時:3月28日(土)午後4時~6時
会場:仙台市福祉プラザ(仙台駅から1駅目、地下鉄五つ橋駅からすぐ)
午後6時半から、同会場で交流会
【パネルディスカッション】
翌29日(日)
会場:仙台シルバーセンター(仙台駅前)
午前10時~12時
・たすけっと若手障害者とゆめ風基金代表牧口一二が語る会
午後1時~5時
・パネルディスカッション「逃げ遅れる人々~その後」
パネラー
鈴木絹江さん(田村市ゆうとぴあ代表)
長谷川秀雄さん(CILいわき)
青田由幸さん(南相馬さぽートセンターぴあ)
小野和桂さん(元CILいわき
飯田基晴さん(映画「逃げ遅れる人々」の監督
自由参加です。
お近くのかたは、ぜひお越しください!


東北関東大震災障害者救援本部特集号:№14号より転載
全国自立生活センター協議会
TEL 042-660-7747
FAX 042-660-7746
4年間の活動に対するご支援ありがとうございました
緊急支援終了により、救援本部は解散へ
救援活動はいつまで必要なのか、被災地は復興したのか、被災障がい者達は今後どんな支援を望んでいるのか等など救援本部としても話し合いを重ねてきました。
そして緊急体制としてこのまま維持するのではなく、呼びかけ団体のゆめ風基金とDPI日本会議そして全国自立生活センター(JIL)の3団体が日常の中で財政面と制度面をバックアップしていくことで、解散をすることの結論にいたりました。
各地の被災地障がい者支援センターにも救援本部解散の意向を伝え、解散後のあり方を考えていただくよう1年前から準備してきました。
現在最終の詰めを行っているところです。
被災から4年目を迎えるこの3月で救援活動を終了し、その後この4年間の救援活動の総括や支援金の決算、今後に残された業務の分担など解散に当たっての課題を整理して、夏頃には解散報告会をもち終了としたいと思っています。
これまで救援本部に支援をいただいたみなさんに改めてお礼を申し上げますとともに、今後もそれぞれの立場から被災地を応援していただくことを心よりお願い申し上げます。
●救援物資とボランティア派遣を中心とした1年目の活動
思い起こせば3月11日の大地震が発生して3日後に今は亡き三澤了さんの呼びかけでこの支援は始まりました。
様々な障害者関係団体が集まり「東北関東大震災障害者救援本部(以下救援本部と略す)」が結成されました。
そして支援物資を被災地へ届ける一方、福島、宮城、岩手での支援事務所の開設、東京での原発避難者に向けた避難所作りなどを進めてきました。
全国からも多くのボランティアが駆けつけ、具体的な支援を行いましたが、やはり地元の当事者団体が頑張ってくれたことが支援を有効なものにできたのだと確信しています。
最初の1年間に2億円を超える支援金が必要だったのですが、このお金についても全国の団体が街頭募金をしたり、仲間の安否を気遣ってカンパ金を出してくれたり、障害者支援に理解を示してくれた人が大勢いたことで費用面でさほどの心配をすることなく支援を続けることができました。
とにかく最初の1年間は東京の事務局、大阪の事務局を中心として、様々なメンバーが大忙しでした。
●地元の人を担い手とした2年目からの活動
やがて宮城、岩手に関しては沿岸部に拠点を移し、支援についても地元の人たちへとバトンタッチしていきました。
被災地の仮設住宅は不便なところに建っていることが多く、移送サービスがどこの地域でも重要になりました。
また仮設住宅に車イスを使用している人が入れないことが多く、後付けでスロープを付けてもらったり、砂利道で車イスを押すことも困難だったので、アスファルト舗装をしてもらったりと何かと建物が建ってからの修復が多くありました。
またなんといっても寒い地域での仮設住宅だったので、後付けで風除け室ができ入り口から直接風が入らないようになったり、断熱材を強化したりと、対策はしたようですが、冬になると水道管が次々に破裂したりすることもありました。
ただ冬に暖房をすると湿気が室内にこもるのと部屋の中の結露がひどく、室内にカビが発生する状態で、長引く仮設暮らしには相当無理があります。
以下、次回に続く
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これまで届けた救援金
332,850,649円(2015年3月2日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,642,139円(2015年3月2日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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ヒデの救援レポート 2015年3月5日№173

・当面の日程のお知らせ!
【東北関東大震災 救援本部役員会 in東京】
3月18日
【被災障害者支援 認定NPO法人ゆめ風基金定期総会in仙台市】
3月28日は総会、29日はシンポジウム
【ゆめ風基金の日・設立20周年記念コンサート】
8月16日(日)
大阪中之島中央公会堂全館借り切って実施します!


被災地NGO協働センター・機関誌「じゃりみち・被災地支援情報」第103号より転載
神戸市兵庫区中道通り2-1-10
TEL 078-574-0701
FAX 078-574-0702
阪神・淡路大震災20年の課題・レジリエンスを引き出すボランティアの可能性
ここ数年前から、減災の領域では「レジリエンス」という言葉をよく耳にする。
作家・大江健三郎さんの訳では、「恢復力」となる。
これは「災害などで被災を受けたものが、苦楽を共にしながら、時には支援者と多様な関係を築き、少しずつ回復する」と私は理解する。
さて今年も災害が日本列島を襲った。
その中で「平成26年8月豪雨災害」での、災害救援ボランティアのあり方について、広島と丹波、そして阪神・淡路大震災を比較し検証してみたい。
阪神・淡路大震災では、兵庫県に1つ、神戸市に1つしかボランティアセンターがなく、また初めての大規模災害となったので、そもそも大量に押し寄せるボランティアをコーデネイトする機能がなかった。
そのため初心者ボランティアあるいは未組織ボランティアが全体の7割を占めるという状況になったが、各々が被災地に入り、被災地内で自然発生的に生まれた自発的なボランティアグループが避難所となった学校に駆けつけた。
そして、被災者と共に救援物資の配布や炊き出しの手伝いなど、自分で考え、行動し、大きな混乱もなく、直後の活動を終えた。
発災2日後に立ち上がった救援NGOは、「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」と、地元をつなげたのは『被災地外からのボランティアの窓口は地元が責任を持ちますよ!』という意味合いを込めていた。
こうした自発的な市民力がその後の復興に大きな影響を与えたと言える。
一方、今回の広島土砂災害においては、避難指示・勧告がなかなか解除されなかったという事情もあり、一時大量のボランティアを受けとめられなかった。
被災地の被災者や市民、企業などと自発的に駆けつけたボランティアとが上手く連携し、土砂除去や清掃、炊き出しなどの活動を展開した。
その一部を紹介すると、自らも被災した飲食店が現場での急造ボランティアセンターとして場所を提供し、また地元の企業は移動かまどで鍋料理を振る舞い、地元の大学生や地元のグループが避難所で勉強を教え、地元のNPOは絵本の読み聞かせをするなど、実にさまざまな活動を展開した。
東日本の各地から『支援のお返しボランティア』も光っていた。
阪神・淡路大震災時と違うのはフェイスブックやツイッターというSNSのツールが活躍し、『移動ボランティアセンター』さながらの役割をしたのが注目された。
説明すると、『○○で土砂撤去の作業があります。手伝ってくれませんか?』とスマートフォンで叫ぶと、それを見た広島市民が集まってくるということだ。
こうしたボランティア活動からの学びは、自発的に集まったボランティアが各々で考え、協力しながら、しかも丁寧に被災者からの要望を聞き、『身の丈にあった』活動を展開したことだと言えるだろう。
つまり、これからの災害後のボランティアは、可能な限りまず地元のボランティアを集め、地元の文化や被災者を尊重し、被災者と共に活動を展開するということだ。
この応急対応から復旧・復興へのレジリエンスをバネに市民力が復興に生かせるかがこれからの課題だ。
被災地外のボランティアは、地元のレジリエンスを高めるために後方支援に徹することだ。
さて、広島に比して兵庫県丹波市は、ボランティアを集めるのに苦労した。
お隣の京都府福知山の被害と広島の大規模災害に報道が集中したこともあって、なかなかボランティアが集まらなかった。
最終的には人口の少ない丹波に15000人を超えるボランティアが集まった。
でも、ここで注目すべき2つの動きを見逃してはならない。
広島ほどの多様性はないが、1つは地元の人たちが、自発的にボランティアの受け入れをしたこと。
もう1つは、地域内助けあいとして、阪神・淡路大震災後築いて来た兵庫県内における助けあいのしくみが充実してきたこと(ボラバス派遣、ボラセンサポートなど)。
具体的には、兵庫県社会福祉協議会は県内各地の社協からのべ400人を丹波ボランティアセンターに派遣した。
さらに県内各地からボラバスを繰り出した。
その1団体は、丹波まで片道2時間半もかかる兵庫県たつの市社会福祉協議会だ。
地元御津地区で発足した『たつの女性が担う地域防災塾』の協力を得て、ボランティア・バスを2回派遣した。
このことから、阪神・淡路大震災後に培われたレジリエントなネットワーク力を活かし、まず県内ボランティアを県内社協がNPOと連携して集め現場に派遣し、被災地外のボランティアが後方支援をしやすい体制を築くことを提言したい。
こうしたレジリエンスをバネにした水平的なつながりを重層化することが、阪神・淡路大震災20年を検証することになり、確実に次世代につなげることになるのではないかと思う。
(村井雅清)
以上
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これまで届けた救援金
332,750,649円(2014年12月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,542,139円(2014年12月31日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)>
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景
『吾亦紅』と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、『われも、また、赤い「吾亦紅」と咲く』のです。
以上