ヒデの救援レポート、2012年2月13日

ヒデの救援レポート、012年2月13日:58
●でも、春は、必ず、人びとの暮らしの庭に訪れるのです!
○記念したくもない、3・11東日本大震災の日まで1年に、1ヶ月の時間を切りました。もう一年なのか、まだ一年なのかの感慨を、みなさんがお持ちになっているだろうことを、hideは、静かに、拝察しております。
 時は人間の都合で切り刻むことができません。ずっと流れ続けるばかりです。その証拠に、hideの小さな家のネコが言葉を理解すれば激怒するでしょう、ネコの額ほどの小さな庭に植えてある桃の木の枝の小さな蕾が三寒四温をくぐり抜けて、ちょっとずつ大きくなっています。
 やはり、時は巡るのです。現在も時の流れにさらされ、橋の下を流れる水の想いでからくもこの一年に何が出来たのかと、うろんと振り返ると、言葉にならない気持ちにとらわれます。様々な被災地の状況情報を勘案しても、 あまりにhideたちの非力が目立ちます。努力だけでは成せないことがあるとは、千も承知しています!
起こったことの巨大さ、結果としての、深く広い悲しみ。原発事故の行方を告げない放射能の計算不能な時間の長さに立ち尽くしてしまいますが、でも、春は必ずやってくる。人間も自然の一部なのだから、時間の流れに従い、倦まずたゆまず生き、被災地の人びとと心を通わせ、ひととして被災した人たちが担っている荷物を分け持つしか方法はありません。そのために、hideは、残った時間を使い切る想いでいます。
 みなさんは、どうでしょうか?ひととしての問いは自分から発しますが、それはまた、自分に返ってくるのです!迫り来る一年を前に、まだか、もうかを問い続けます。これからの一年間、ひたすらにお金をいただき、ひたすらに被災地支援に使わせていただきます。
 被災3県の沿岸部には、10ヶ所の被災障害者支援の拠点が地元の人たちの努力でできました。その拠点運用のために車、家賃、人件費などに、毎月1000万円の費用が必要になっています。
 被災障害者救援本部は、この先、三年間の計画的支援方針を決めました。ゆめ風基金もhideも、うんとこしょと踏ん張ります。たとえ、それが空元気であったとしてもです。hideたちは、ひとの気持ちを裏切らないと約束したのですから。どうか、これからの長い道のりを共にしていただきますよう、改めてお願いします!春の巡りを信じ、一年目を目前にして!
hide拝
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、2月7日までに、210337493円です。これまでに支援した団体、個人への金額は12月31日現在、東北へ123599050円、台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円、フィリピン大洪水、10000000円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
●hideの畏友のおひとり、京都・花園大学、特任教授、八木晃介さんの私的メディア試行社通信の303号の記事ハレンチなこの国からの抜粋。
●連絡先・TEL&FAX・075-221-2675
●3・11を経験したあとに、野田政権が誕生したこと、本当にこの国の不幸であると思います。本質的に無能であって、かててくわえて、やることなすこと、すべて極端にさもしく、かつ、あさましい。むろん、それを追認している国会も同罪です。
 たとえば、原子力協定。政府がヨルダン、ベトナム、ロシア、韓国とむすんだ協定が国会で承認され、このことによってこの国は原発の輸出が可能になったというのだから、驚きをこえて呆れはてます。さらにインド、南ア、トルコとも協定の締結交渉をすすめているらしい。原発の受注競争でこの国の独占資本が不利にならぬことをめざしたものでしょうが、まさに死の商人を地でゆく暴挙であります。
 そもそも、非核3原則にてらしていえば、原発そのものがこれに違反しているのです。核兵器と原発が完璧に同根のものであることを忘れてはならない。原発が絶対に安全でありえないことを証明したのが3・11であったにもかかわらず、野田は国会でヌケヌケと輸出は・国際的な安全の向上に資すると説明していました。
 事故の原因も収束の方法もわからず、最終的にどれほどの人的・物的被害になるのかもわからぬ原発を平然と他国に輸出しようという心根が理解できない。三菱や日立などの死の商人のご機嫌ばかりをうかがい、被害を受けるだけの自国他国の民衆への眼差しをもたない、そのような野田に代表される政治屋どもをその場においておくことは、倫理的にも道徳的にも決して許されることではないとおもいます。
 私たちは何というはずかしい政府をもっているのか。大手マスコミも同罪です。原発問題に関してはこの間、比較的まともな報道を続けてきた毎日にしてからが、拙速にすぎはしないかと見出しされた社説12月10日付を掲載するのが関の山でした。一応は国内で脱原発依存を進める一方で、海外に危険や不安を輸出することがあってはならないと政府のダブル・スタンダードに釘を刺す議論を提起していましたが、しかし、見出しからもわかるように、社説の主張は拙速でなければ、あたかも原発輸出をしてもよいかのようなものでした。他の新聞やテレビの主張はおしてしるべしです。
後略以上
●東京、新宿にある健康アメニティたのし誌編集部からのお便り
●TEL03-3269-9985
●始めてお便りします。Tと申します。昨年TBSラジオから流れている、永六輔さんの呼びかけに応えました。ゆめ風基金の考え方、行い方に共鳴して支援者となりました。4月から毎月僅かですが、僕の会健康アメニティたのしで集めたお金を送金させて頂いてます。同封しましたたのしにその都度報告しております。今月も近日中に送金させて頂きます。できましたら郵便振込票を少し多めに送って頂けますでしょうか。よろしくお願い申し上げます。突然のお願い、無礼お許し下さい。T
●JDF宮城北部センター管轄地域気仙沼市・南三陸町・登米市支援活動の統計表2011年5月から11月26日
●5月・物資支援、8○送迎通院など、4○勉強支援、1○相談支援、1○安否確認、6
●6月・○物資支援、2○引っ越し支援、1○送迎、9○放課後支援、3○勉強支援、8○相談支援、1○掃除支援、1
●7月・物資支援、2○送迎、19○放課後支援、5○安否確認16○
●8月・○物資支援、4○引っ越し支援、1○送迎、24○放課後支援、3○安否確認、10○余暇支援、3
●9月・○引っ越し支援、4○送迎、21○放課後支援、19
●10月・○物資支援、2○送迎、15○放課後支援、2○相談支援、1
●11月・○引っ越し支援、1○送迎、3○放課後支援、1○相談支援、1○安否確認、1○余暇支援、1
●合計・○物資、18○引っ越し、7○送迎、95○放課後、33○勉強、9○相談、4○安否確
認、33○掃除、1○余暇、4以上
●びっくりしたなぁ!でも、うれしいハプニングでしたね!
 以前にお知らせしましたが、ゆめ風基金呼びかけ人のお一人であった、パントマイム、ひとり語り芸人のマルセ太郎さんの没後11年を偲ぶ会2012・文忌(もんき)が、1月29日、神戸新聞、松方ホールで開催され、ゆめ風基金呼びかけ人権代表の永六輔さん、呼びかけ人代表の小室等さん、オオタスセリさんなどが出演されました。
 ゆめ風基金からも、牧口代表を始め、スタッフが6名参加しました。永さんは、みなさんご存知のように、昨年秋に転ばれ、大腿骨骨折のケガを負われました。それ以後、手術、リハビリ生活、車イス生活を余儀なくされています。それ以来、hideたちが見る永さんの姿は、車イスの上にありました。昨年暮れのゆめ風基金東京イベント・カタログハウスにも参加が危ぶまれていましたが、車イスでの登場をされました。
 実のところ、hideたちはそのような状態で神戸までおいでになれるのかと、心配をしていました。出迎えには、ゆめ風事務局員の南さんが、お母さんの通院の時に使っている、座席がクルリと回る車で新幹線新神戸駅まで行きましたが、やはり、息子さんの押す車イス姿で到着されました。
 ところがです、ご自分の出番では車イス姿でしたが、スセリさん、小室さんのステージが始まると、舞台の袖から歩いてトコトコと登場されたのです。これには場内がざわめいて、感嘆の声が上がりました。hideたちスタッフはハラハラドキドキものでしたが、思いっ切りびっくりしました!でも、とても嬉しい気持ちになれました。イベントの終了間際、これから病院に帰らねばならないからと、息子さんの押す車イスに乗って、また、南さんの車に乗り、新神戸駅に向かわれましたが、次は大阪でボクのコンサートをやろうとの言葉を残されました。ホント、びっくりしたなぁ、もう!(びっくり)ものの、歩き姿でしたね~!
以上

【いま、人々の暮らし、その本来のあり方を見つめ直す時かもしれません。】

KSKP No.56 2012年2月6日発行 【ゆめごよみ風だより】より
【いま、人々の暮らし、その本来のあり方を見つめ直す時かもしれません。】
                                    代表理事 牧口 一二
新しい年の始まりです。どのような思いで新たな年を迎えられたでしょうか。とくに被災地のみなさんの思いは、被害を受けられた状況によっても異なるでしょうし、それまで体験されなかった壮絶な情景を目の当たりにされた人々の思いは、いかばかりかと想ってはみるものの、とても想い至るものではないと知るのみです。
 昨年は3月に東北関東大地震大津波そして福島原発大事故、その被害状況があまりにも大きく広範囲だったため、9月はじめに起きた和歌山・奈良あたりを襲った12号など複数の台風での被害はあまり報道されませんでしたが、橋が流されて開通までに3か月を要する陸の孤島が出現するなど、けっこう大規模な傷跡を残しました。
 そしてまた、福島の原発大事故はだんだん東京電力や政府の失態が明らかになり、空気のように住み慣れた故郷と隣人たちから離れ離れにされたまま2度と帰れない人々が、そして家族ができてしまうところに来ています。そのうえ仕事まで奪われて、こんな破壊が、人災が許されていいはずがありません。私たちはいままでの暮らしぶりを変える時ではないでしょうか。「節電、節電」と騒いでいますが、もともと夜はロウソクのほのかな明かりで1日の営みを静かに思い返す時ではなかったでしょうか。ネオン煌めき、高層ビルの窓からの灯が明々と道を照らす現代では考えにくいことでしょうが、せめて本来の意味を思い起こしたいと考えます。
いま、昨年の出来事を少し離れた大阪の地から感じているボクは、正確な表現は忘れましたが宮澤賢治の「みんなが幸せにならなければ1人の幸せはありえない」という言葉がしみじみと胸に迫ってきます。
 また、両手両足がほとんど動かないのでベッド式車いすに寝た状態で(通りかかった人々に声をかけ手足を借りながら)1人でどこへでも旅した畏友Uクンがつねに言っていた「地球上の全ての人々が両手両足を繋いで作った大きな網が地球をおおっている……それが人間の姿だ」という言葉がよみがえります。その彼は40歳を待たずに星になりました。 現代を生きるボクたちは、もっとゆっくり生きてもいいのではないか、もっと自分自身が歩んでいる道程をじっくり見つめ吟味しながら生きなければならないのではないか、と考えます。偉そうに言うのではありません。むずかしく考えているわけでもありません。昨年に大変な体験をしてしまった、させてもらった今という時、この世に生を受けてから今の自分までをじっくり見つめてみる時ではないか、と思うのです。
 いまの世は、解らないことが多すぎないでしょうか。たとえば、ボクが60の頃からおずおずと始めたパソコン、まるで生き物のようにボクに逆らいます。なぜ逆らうのか、何が気に入らないのか、それでもボクの日常にどんどん入り込んできて、ボクを困らせます。だけど機嫌のいい時もあって、その時はとても便利で、とても賢く、もっぱらワープロ代わりに使っているのですが、たまに地図を検索したり、百科事典として活用します。といってもインターネットのことはほとんど知らないボクのこと、日常生活の中には入ってなくて、思えば昨年、いくつかの独裁政権を倒したのはインターネットで繋がった民衆の結束とのことでした。パソコンってすごいなぁ、時代はどんどん変わっていくんだなぁ、と驚きましたが、どこかピンときませんでした。何事も速くなって、そのスピードに戸惑っているボクです。
これからも、多くの人々から寄せていただいた「ゆめ風基金」を活用してもらえる被災地の障害者と障害者支援団体を探し続けます(2億円をそっくり活用してもらおう、と宣言してから10か月が経った現在、12号台風への支援も含めて1億2千万円強の段階です)。
 なお現在、被災3県に設けた救援センター9箇所と避難センター2箇所、計11拠点の日常の支援活動費が毎月1千万円を超えています。これは被災障害者の切実なニーズに応えての結果なのですが、これからも長く支援を続けていくために、被災地の人たち(障害者たちを軸に)と相談しつつ、復旧ではない復興の、それにとどまらない復活の、そして古きよきものを大切にしての新生まちづくりが実現するまでの支援の在り方を考えていこうと語り合っているところです。
 どうか、長い支援を続けていきたいと願っている「ゆめ風基金」に、これからも力づよいお力添えをいただきますように。そして、これからの支援金の届け先についても見守り、見届けていただきますよう、心からよろしくお願いいたします。 (2012年1月)

ヒデの救援レポート、012年・2月6日

ヒデの救援レポート、012年・2月6日:57
2つのお知らせ
●ゆめ風基金被災障害者支援報告会&シンポジウム
○東北=関西被災障害者救援をふりかえる&これから
○被災障害者の生の声といま。私たちはどのように受けとめるのか。そしてこれからを。
●2月25日(土)午後1時半から5時
○夕方から交流会があります。定員60名・参加費500円
●いざというときにわかってもらいにくいこと。
自分をマジョリティと思っていない人集まれ!被災時に様々な制約がある人たちが、いろいろな場面で苦しい体験をされました。~日常・生活・支援・つながり~を語り合います!●2月24日(金)午後6時半から9時
○定員35人・参加費500円
●会場は、いずれも、浄土宗応典院、シアトリカル&本堂ホール
○大阪市天王寺区寺町1-1-21
○地下鉄堺筋線、日本橋駅
○近鉄線、日本橋駅○下車、3番出口より、東へ徒歩7分
●2つとも、問い合わせは、
○日常生活支援ネットワークTEL&FAX、06-4396-9189
○ゆめ風基金、TEL・06-6324-770
●これからの活動についてと題した、被災地障害者センターみやぎ代表・及川智さんの文章です。
●これから宮城県で何をしていくのか、ということを話していきたいと思います。・・
◎提言活動と当事者による地域活動
 まず、提言活動としては、センターで支援ケースからわかる課題。もう一つは、県内の障害者関連NPOやそのユーザーなどに対してのアンケート調査です。この二つから読み取れる課題をもとに、要望書や意見書にまとめ、宮城県・市町村に示していきたいと考えています。
 1月17日には、宮城県内の障害者団体、支援者、親などで作っているネットワークみやぎアピール大行動実行委員会で、仙台市長と面談することになっています。その時に事例を含めて直接現状を訴えて提言したいと考えています。追って宮城県知事とも面談をします。
 次に、ニーズを掘り起こして支援をつなぐ、作っていくということですが、これは、センターみやぎを立ち上げてからずっとやってきたことですが、東北、宮城県は、関西と比べ、障害者がヘルパーや送迎サービスを利用して街を歩く、という事が一部をのぞき、あまり無いのが現状です。地域サービスが乏しい為であって、そうしたニーズは多くの障害者が持っているはずです。そうしたニーズを掘り起こしていく活動です。これはイベントをきっかけにして当事者とつながっていきたいと思っています。
 昨年の12月23日には、市内中心部の大通りでサンタの格好をしてパレードをする企画を立てました。その様なイベントを活用していきたいと思います。個人的にはクリスマスイブに街中に出るのは有り得なかったのですが、みんなと出るようになって楽しくって仕方ありません。
 今お話したように、2つの方向性を持って活動を進めています。そして、当事者同士がつながっていく取り組みとして、是非皆様に紹介したい活動があります。それは、被災地障害者センター石巻でおこなわれている活動です。この活動は、まさに障害者による地域活動です。これは当然、全県的に広げなければならないものですが、自立生活センターたすけっとが16年間活動していて、ほとんど浸透していない。そして、現在は仙台市部の活動が停滞気味でもあります。石巻での活動に刺激を受けつつ、活動を続けたいと思います。以上
●被災地障害者センターみやぎの石巻支部の文集No.1が発行されました。
◎障害を乗り越え、自分のことは自分で決められる地域社会を目指して
○3・11東日本大震災からの復興へ向けて集まった、石巻の仲間たちの手記を綴りました!
○目次…1・阿部俊介…2・石森祐介…3・箕田朗子…4・NPO法人障碍児と共に歩む会小林厚子…5・東松島市チュウリップの会八木信大…6・なないろの会八木祐子…7・伊勢知邦子、里加…8・新田綾女、理恵…9・川口倹司、清美…10・浅野敬志、雅子…11・資料
●申し込み、問い合わせ、被災地障害者センターみやぎ・石巻支部TEL&FAX・0225-25-5388
●編集後記
被災地障害者センターみやぎ・石巻支部は、2011年10月1日に開所しました。当日は、冊子に寄稿された方々以外にも、大勢の障害当事者や関係者の方々が集まり、石巻地域の福祉を元に戻す復旧ではなく、新しい街作りや地域としての復興をどうしていくのか、という白熱した議論を展開されていた記憶があります。
ボランティアとして現在まで約半年間関わってきましたが、当初は日常生活もままならず、やり場の無い怒りや諦めなど複雑な感情を持たれた方が多くおられました。ましてや、自分の将来のビジョンや地域の復興など考える余地など遠い先の話。
 しかし、人間はそのような複雑な感情を抱えつつも、自分の将来を、地域の復興を真剣に思考し、前に歩み出す存在だと、私の眼前で見せてくれました。障害を抱えていても、この地域で自立的な生活を送りたい。その思いをどうやって実現していくのか?
 石巻支部では、そのような考えを持たれた方々が集まり、少しずつではありますが、日々、一歩一歩前へ歩みを進めております。・・身体障害で一人暮らしをしたい方、知的障害で施設ではなく地域の中で生活をしたい方、重度重複障害で医療的ケアの充実を望んでいる方、そして何よりも今回の大震災を契機に、地域の繋がりを深め、地域福祉の充実を図ることが、大震災が起きても、地域の絆が人命を救うという教訓を、全国に伝えられたらとの思いで、みんなと一緒に実現に向けた活動をしております。
○追伸
 石巻支部設立にご協力頂いた、ゆめ風基金被災地障害者センターみやぎ仙台たすけっとの皆さま方に感謝。東松島・石巻・女川地域の住民の皆様にも感謝。そして、実際に活動をしていただいた全国のボランティアの皆様にも感謝いたします。
以上
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、1月25日までに、209206167円です。これまでに支援した団体、個人への金額は12月31日までに、123599050円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 hideの40年来の畏友で、長く部落解放運動に関わり、その後、おふぃす敏デザイン、コピーライター、その他何でもありの企画個人事務所・いしはらびん&ヒロ子(大阪府豊中市、●TEL&FAX・06-6332-4980・携帯090-1714-5190)を開設して活躍中の石原敏さんが発行している、ハガキ通信ごちゃまぜカメレオンつうしん第21号からの抜粋!
 まだ10か月しかたっていないのに、脱原発世界会議NGOをベタ記事でしか報道しないメディアって何?風化・を言うにもかかわらず、自らが・風化・しています。
 無主物なる言葉をはじめて知りました。ゴルフ倶楽部が、東電に汚染の除去を求めた仮処分の裁判で、飛び散った放射能は他人の土地にくっついたのだから、東電のものではない。無主物ただよう霧や海の魚のようにだれのものでもないというのが妥当と答弁し、東京地裁はこれを認め、訴えを退けたという。
補償を視野にいれていることはあきらかで、まさに、東電イコール国、一体です。40年が脱原発に向かうのでしょうか?よしんば実現したとしても10万年~後は?懺悔の値打ちもない方々が多すぎます。
 玄界灘の海底で、元こう蒙古襲来文永・弘安の役の時のものとみられる船が発見され、歴史的大発見とのことです。でも、それはあくまで船のことであって、フビライに征服され、漕ぎ手とされた民のことではありません。鎌倉幕府の尖兵として、対峙させられたのも民です。
 何次まであるのかわからない、原発の下請け労働者に重なります。農をすて過疎としカネ・カネ・カネで原発を造り、制御も最終処理もできないことにはフタをし、中間でごまかし海に捨て、想定外の厚顔無恥。東電、関電、九電…の傲慢さ、情報を隠し続ける国…。民にとって不条理は永遠?
後略
●ゆめ風事務所に届いたお便りから!
○この度は、ゆめのたね融資の推薦をいただき、また、たくさんの資料も送っていただき、ありがとうございました。これからは、様々な活躍に参加させていただければ、うれしいです。まずは、秋の新設に向け、1つずつ、準備を進めていこうと思います。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。大阪市・あゆみ工房、H
●去る1月20日に開催された、「3月11日、揺れてもパンをこね続けたコッペの話」・講演●講師・障害のある人15名、障害のないひと7名が共に働く、仙台市内のパン屋さん代表の飯嶋茂さん
●主催団体・障害者とともにを考える企画グループちまちま工房
◎TEL072-735-7901FAX072-725-0244
○近日中に、手作り豆腐店開店のために、修行中。大阪府箕面市●代表の永田千砂さんのごあいさつを、ひとつの被災障害者救援の形として、ご紹介します。
○本日はお忙しい中、ちまちま工房主催第3回講演会「仙台の共に働く・3月11日、揺れてもパンをこね続けたコッペの話」にご来場いただきありがとうございます。宮城県仙台で活動されているコッペの飯嶋茂さんの20年にわたる取り組みより、障害をもっている人と共に働く現場のこと、3月11日の地震から10ケ月がたった中で感じてこられた、また、現状についてお話しをいただきます。・・中略・・コッペは自立支援法制度下で就労継続支援B型事業所として活動されており、障害をもっているスタッフ3名方と雇用関係を持っているなど、共に働く実践に多くを学びたいと思います。
 箕面で、障害のあるひととないひとが、すすめてきた共に働き、経営を担う30年の歴史を重ねつつ、今後の在り方や展望につなげて参りたいと思います。
●コッペの連絡先・宮城県仙台市宮城野区松岡町17-1◎TEL&FAX・022-299-1279
以上!

ヒデの救援レポート、1月30日

ヒデの救援レポート、1月30日:56
●被災地障害者センターいわて・宮古事務所ができました!
 私たち被災地障害者センターいわては、東北関東大震災被災障害者救援本部及び阪神淡路大震災を教訓に生まれたNPO法人ゆめ風基金の全面的なバックアップを受け、県内幾つかの障害者団体により構成されている団体です。
 これまで岩手県沿岸部を中心に被災障害者支援を続けてきましたが、よりきめ細やかな支援を行えるようにとこの度宮古市の商店街に事務所を構えることとなりました。今後この事務所を拠点として近隣の支援や交流活動などを行い、被災地の復興に向け少しでも力になれたらと考えています。・・地元の方との連携を図るとともにみなさまのご協力も頂きながら進めていきたいとおもいますので、よろしくお願いします。
●活動・相談内容
○送迎をしてほしい…通院などの送迎を車でしてほしいなど
○悩み相談…いろいろと話しを聞いてほしいなど
○交流活動…事務所を利用した茶話会や研修会などを予定しています。
○その他どんなことでも構いません。お気軽にご相談ください。
●スタッフ募集被災地障害者センターいわてでは宮古事務所で活動して下さるスタッフを募集しています。車での送迎サービスや様々な支援活動を行うための専従職員、有償・無償ボランティアなどです。くわしくは盛岡事務所までお尋ねください。
●宮古事務所宮古駅前、かんの書店の道路を挟んで向かい側
◎宮古市末広町6の8 
◎TEL0193-77-3636
●被災地障害者センターいわて・盛岡事務所
◎岩手県盛岡市本宮1-3-20・光立ビル1F
◎TEL&FAX・019-635-6226
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、1月25日までに、209206167円です。これまでに支援した団体、個人への支援総額は、12月31日までに、123599050円になります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
新聞全国紙ではなかなか報道されない原発事故に関する記事。
福島県地元新聞からの記事の抜粋!
●棄民政策やめて
◎内部被ばく無視の国際基準
○郡山市、福島市とルギヌイ地区の土壌汚染度の比較図
○チェルノブイリ周辺の地図
○福島の原発周辺の放射性セシウム137の土壌汚染マップつき
●矢ケ崎氏は、国際放射線防護委員会が定める一般人の年間被ばく線量の限度、1ミリシーベルトにも危惧を強めている。同地区の管理強化ゾーンは被ばく線量が1・59~0・83ミリシーベルト。つまり、国際放射線防護委員会の基準前後で多くの病気が発症していることから、内部被ばくを無視しており、基準自体が疑問だ。
 その背景について核戦略原子力利用を推進してきた米国の存在があると続ける。原発を運営する側の立場を優先させ、人の健康を後回しにしている。日本の科学者も米に追随して、放射線の健康被害を隠ぺいする工作に加わってきたチェルノブイリ事故でも、同様だ。
 数々の健康被害が報告されながら、被害を極めて少なく見せようという動きがまだ主流を占めている。矢ケ碕氏が典型的な例とするのは、国際原子力機関の依頼を受けた国際諮問委員会の報告だ。その中では、住民は放射線が原因とみられる障害を受けていない。悪いのは放射能を怖がる精神的ストレスだと述べられていた。
 国際放射線防護委員会が100ミリシーベルト以下では健康被害へのデータがないとの立場を取っていることや、国が国際放射線防護委員会の勧告に従い、年間被ばく量の限度を20ミリシーベルトにしょうとしたことについて、到底許し難い。放射能の犠牲者を意図的に隠しながら、今も生み出していると切り捨てた。
 こうした怒りはどこから来るのか。長野県松本市の出身で、物理学を学ぶために広島大大学院に進学。被爆者と接して平和への思いを深め、原爆の健康被害を認めようとしない国の姿勢に疑問を持った。琉球大の教授だった2004年から、原爆症認定集団訴訟を支援。内部被ばくについて二度証言に立ち、一審、二審の19回の判決全てでの勝訴につながった。
●学校疎開の訴訟を支援
 矢ケ碕氏は今、新たな訴訟に力を貸す。6月に郡山市の児童・生徒と親たちが、同市に学校ごと疎開する措置を求める仮処分を福島地裁郡山支部に申請。その親たちから要望を受け、9月上旬に冒頭の内容をまとめ、意見書として提出した。同支部は意見書を受けて審尋内容の見直しを表明し、結審は先に延ばされた。
矢ケ碕氏はお母さん方は、血のにじむような思いで暮らしている。その努力で日本の子どもたちが守られているということを忘れてはいけないと訴える。
 収穫の秋を迎えた。ウクライナでは汚染食品への警戒を怠った人も少なくない。国は暫定基準値を超えた食品の出荷を禁じているが規制値以下ならただちに健康に影響はないという姿勢だ。政府が生産者と消費者を分断させているようなもの。今の方針では被ばくし続けるとして、矢ケ碕氏は提言をする。汚染された土地の産物は売ってはいけない、食べてもいけない。
 汚染食品は政府が買い上げ、生産者の生活を保障すること。また、田畑が汚染されたため農業を離れざるを得ない生産者には被災地以外の休耕田、耕作放棄地を一時的に貸すなどの仕組みもあっていいのではないか。
 今後、予測される健康被害を前に、検診制度の充実と医療的な保障制度づくりも急務と言う。国はチェルノブイリ事故や原爆訴訟がなんであったかを受け止め、学んで改めてほしい。このままでは棄民政策といわれても仕方がない。
●デスクメモ原発事故後の対応は憲法違反。なぜ問わないと君は怒る。
 福島県民の年間被ばく限度値は当初20ミリシーベルト、自主避難者への冷淡、食品暫定規制値の高さ、情報隠し・・主権在民は一体どこ?主権は国民にあると日本国憲法は前文で宣言するが主権在官か在政、在電の国さが耳に残る・呂・
●これも少し先のことですが、お知らせです。ゆめ風基金の呼びかけ人のおひとりで、視覚障害者の落語家、笑福亭伯鶴さんは、阪急電車三国駅ホームから電車に引きずられ転落。長い療養生活をしておられましたが、この度、やっと復活されました。それを祝福するイベントです。
●どや!伯鶴の会
◎012年6月10日(日)
○午後1時30分より
○前売り2500円・当日3000円
◎会場・クレオ大阪西・大阪市此花区西九条6-1-20
◎TEL・06-6460-7800
・JR環状線・阪神なんば線、西九条駅から徒歩3分
●落語・笑福亭瓶太○漫談・趙博○落語・桂文福○落語・露の進治○落語・笑福亭伯鶴○三味線・はやしや香穂
●主催どや!伯鶴の会実行委員会&伯鶴復活プロジェクト
問い合わせTEL・072-724-2341・さとう
●被災地3県での救援活動は、沿岸部に次々と障害者拠点が作られ、どんどんと広がっています。それにつれ、支援金の額が大きくなり、いずれ、ゆめ風基金の財力を超えてしまいます。活動の継続のために、そうならないように、努力はしますが、各拠点が行っている活動を継続発展させるためにも、少しずつでも現在の活動を事業化して、自己財源化する事が浮上するでしょう。ゆめ風基金にお金が無尽蔵にない以上、知恵を絞らねばなりません。 そのために参考になるであろう連続講座が開催されていますので、お知らせします!
●社会的雇用の国モデル事業化へ向け、様々な視点から働くことを検証する
●第2回◎法律の視点から~障害者雇用と法律、障害者が労働者として働くために
◎講師・竹下義樹さん・弁護士・障害者制度改革推進会議就労合同作業チーム委員
●2012年2月24日(金)午後6時30分より
●第3回・◎社会福祉の視点から~
◎国際障害者年81年以降の、障害者と労働を取り巻く動き
◎講師・佐藤久夫さん・日本社会事業大学・社会福祉学部教授・障害者制度改革推進会議総合福祉部会部会長
●3月9日(金)午後6時30分より
●主催箕面市・運営、問い合わせ、財団法人箕面市障害者事業団
◎TEL・072-723-1210
◎FAX・072-724-3383
●なお、会場は、いずれも◎箕面市立障害者福祉センターささゆり園
箕面市西小路3-9-9阪急電車牧落駅から、東へ1キロ。
以上

ヒデの救援レポート、2012年1月23日

ヒデの救援レポート、012年1月23日:55
●初の世界ボランティア白書大阪日日新聞12月31日の記事より
◎海外や震災での日本人も
◎国連の世界ボランティア白書で紹介された海外シニアボランティアの円子正良さん
◎東日本大震災の被災地支援をするゆめ風基金の障害者メンバー
●ボランティア国際年の10年を記念して、国連ボランティア計画UNVが初の報告書となる世界ボランティア白書を発表した。日本人の活動にも触れながら、ボランティアと幸福の関係や、すべての人を排除せずに包み込む社会包摂の理念など、活動の未来像も提示している。
 白書は英文で約120ページ。21世紀のボランティアリズムの章では、国際協力機構JICAのシニア海外ボランティアとして、ザンビアの職業訓練校でテレビやラジオの修理法を教えた青森県のカーステレオ店経営、円子正良(64才)さんが取り上げられた。
円子さんは、人に教える経験はなかったが仕事は仕事から教わると考え2008年、妻と赴任。電力が安定しない現地で、学生らとソーラーパネルを使った電灯などを開発した。
人の幸福のために何かをしたいと思ったときに、初めて知識や技術は伝わるという円子さんの言葉が紹介されている。
 社会包摂の力としてのボランティア活動の章では、東日本大震災で被災した障害者をメンバーの障害者が救援した、大阪のNPO法人ゆめ風基金に触れた。避難所では障害者特有のニーズに応じた支援が受けにくいため、自宅にとどまった障害者を、障害者のボランティアが訪ね、丁寧にニーズを聞き取り、親身になって生活を支えたという。以上
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、1月18日までに、208051719円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、12月26日までに、118839050円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
被災地障害者センターみやぎ・石巻支部からのよびかけ!
全文ルビふり~障害を乗り越え、自分のことは自分で決められる地域社会を目指して~
◎私達は、以下のニーズに応じていきます!
○将来的に一人暮らしをしてみたい。地域のグループホームで生活をしてみたい。
○自由にお買い物や遊びに出かけたい。
○悩み事を聞いて欲しい。
○電車やバスをバリアフリー化して欲しい。
○やりたいことや趣味が活動できる場所が欲しい・・・など。
●さまざま、障害者やご家族の方の、相談をしております。
○私たちと共に活動してくれる宮城の仲間を探しています!
障害のある方もない方も、一緒にサポートをしたい
興味がある方は、是非下記の番号までご連絡下さい。
●連絡先・被災地障害者センターみやぎ・石巻支部
○宮城県石巻市蛇田字なかぞね37
○受けつけ時間・(月)~(土)朝10時から5時
●電話FAX0225-25-5388
●大震災、自閉っ子、こ家族のサバイバルが出版されました。
◎高橋みかわ編著
◎本体1600円、160ページ。
この本の売り上げの一部は、被災地支援にされます。
◎大地震・・大津波・・ライフラインが止まった・・そのとき、なにが起きたのか、人々は、どうしたのか・・宮城で被災した自閉っこママたちが、あの日、家族に起きたことを、家族はどうやって生きのびたかを、リアルに綴る伝えたい、残したい、次につなげたいの願いをこめて!
◎ライフラインのとまった街で
○我が家の3・11-あのときなにがあったか・高橋みかわ
◎ブログとメールでつながりあった
○みかわ屋通信の1ケ月
◎津波に襲われた街で○家は浸水したけど、家族で一緒に暮らせるなら・浅野雅子
○震災は障害を軽く超えた!って感じ・及川惠美
◎地域の避難所で・三浦由香里
○中学校で娘の頑張りと、みなさんの理解で
○支援学校で、息子に寄り添い続けて・あるお母さんに聞く
○学校を避難所としてひらいた先生たち・学校の先生方に聞く
●出版社は、ぶどう社・TEL03-5283-7544FAX03-3295-5211
以上
●東日本大震災時にも多くの問題点が指摘された、学校教育における、障害児のその後のあり方に、一石を投じるであろう集まりのお知らせ!
●とよなか発~子ども・いのち第10回インクルーシブ教育を考えるシンポジウム
・入場無料
●2月4日(土)午後1時30分から4時30分
●豊中市立大池小学校体育館
○豊中市本町1の7の12・阪急宝塚線豊中駅下車、東100m
●全体講演・どうなる?どうする!インクルーシブ教育~分ける教育から、ともに学ぶ教育へ~
○講師・尾上浩ニさん・東日本大震災被災障害者救援本部事務局長
○その後、パネルディスカッション
●主催・豊中市教職員組合・毎日新聞社
●インクルーシブ教育とは・障害のあるなしで学ぶ場を分けるのではなく、すべての子どもが普通学級で学び、その子の必要に応じた支援を行う教育
●問い合わせ・豊中市教職員組合・TEL06-6863-1600FAX06-6863-2721
●全国水平社創立90周年記念・第26回・人権啓発研究集会が熊本市で開かれます。
●2月2日(木)~3日(金)
●熊本市総合体育館
TEL096-385-1010
●参加費・5500円・参加、資料、税込み
●2日の全体会では、ゆめ風基金呼びかけ人のお一人である、鎌田實(医師・作家)さんが、「私たちがめざす社会とは~誰もが安心して暮らせる社会をめざして~」と題して、講演されます。
●3日の第3分科会では、「震災・学校支援チームの活動~阪神・淡路大震災の教訓を生かす~」と題して、泉雄一郎震災・学校支援チーム運営委員会副委員長さんが講演されます。●申し込み・部落解放・人権研究所
FAX06-6581-854024
●被災地3県の障害者センターと協力している「いそひよ応援団」からの呼びかけ!
◎大きなお世話・小さなお節介
被災障害者、病弱者、高齢者、外国人、乳幼児、シルバー世代へ!
○新しい街を創り暮らしてゆくためには、私たち自身が真剣に考え自らの責任で行動しなくてはなりません。ただ、そのための助走する力が不足しているので、個別の支援が必要となります。困っていること不安なことをお聞かせください。支援してくれる全世界の方と連携しサポートします。
●おもちゃの図書館いそひよの活動は、多くの方々からご支援を頂き、昨年15周年を迎えました。これまでの御礼の気持ちを込めて、仲間のネットワークを駆使し、被災された障害のある方やご家族はもちろん、これからもこの街に住みたいと願う多くの方々から要望を伺い、いろいろな支援ボランティア団体・個人と連携しながら不自由な生活を改善させ次のステップに繋げたいと思います。
ゴールは仮設住宅ではない。マイホームだ!
○障害者支援ボランティア団体と連携し、被災地の障害者の困ったを解決します。
○街の復興情報や支援の情報をお伝えします。
○おもちゃ図書館いそひよ活動を通じ、障害者も共に暮らせる新しい街づくりを目指します。○離れ離れになってしまった方々の繋がりをサポートします。
●おもちゃの図書館ネットワーク・ゴーディネーター、前南三陸町シルバー人材センター事務局長●鈴木清美
●TEL090-9429-5070
 少し先のことですが、ゆめ風基金の有力な加盟団体である豊能障害者労働センター(hideは、もう退任しましたが、30年近く運営委員会代表を務めていました。)が結成30周年を迎え、「ひとり一人の息づかいを大切に、ともに生きる」を合い言葉に、記念イベントを開催します!
●2012年4月に豊能障害者労働センターは設立30周年を迎えます。それを記念して、箕面市でトーク&ライブイベントを開催します。ゆめ風基金の呼びかけ人のおひとり、東北の方言詩人である伊奈かっぺいさんと、ジャズの名曲を津軽弁で歌うジャズシンガー伊藤君子さんをお招きし、トークとライブのひとときをみなさまと共に過ごせたらと思っています。
◎伊奈かっぺいさん
1947年青森県弘前市生まれ
日常生活に題材をとったペーソスのある独特の笑いの世界を創り上げ、自作の詩を朗読。自作の歌のステージでの活動を続け、全国的に幅広いフアンを獲得されています。
◎伊藤君子さん
香川県小豆島生まれ
日本の本格派ジャズグループとの共演で、国内外で、その歌唱力は高く評価されています。
●2012年6月24日(日)
○午後1時30分~4時
●大阪府箕面市・箕面市立メイプルホール
阪急電車・箕面駅から徒歩5分
●前売り2800円、当日3300円
小中学生・前売り1400円、当日1600円
●申し込み・お問い合わせ
◎豊能障害者労働センター
●TEL072-724-0324
●FAX072-724-2395
●いつも豊能障害者労働センターの活動を応援いただき、ありがとうございます!
 1982年障害者2人をふくむ6人で、活動をはじめてから30年、たくさんの市民のみなさんに応援いただき、今ではリサイクルショップや大衆食堂、福祉ショップなど7つのお店を運営し、障害者のアートTシャツやカレンダーなどの通信販売と点字翻訳などの事業で得たお金を、障害者37人をふくむ60人で分け合って活動を続けています。
 東日本大震災発生後、被災障害者支援活動を通じて、わたしたちはいままでまったく出会わなかった東北の障害者と肉声で語り合い、彼女たち、彼たちを通して東北の文化の深さと豊かさに心打たれました。その出会いを、みなさんと共有しあいましょう。
 ぜひ、おいでくださいませ!!
 以上。

ヒデの救援レポート、2012年1月16日

ヒデの救援レポート、2012年1月16日:54
 艱難辛苦を予感させる2012年に入って、年賀状を出さなかったhideにも、年賀状が数多く届きました。その中の印刷文字を除いた手書きのメッセージを、順不同でご紹介します!
♂暮れのイベント、お疲れさまでした。今年もよろしくお願いします。小室等・東京
♂震災にあった障害者のために、ご尽力下さい。千葉県・藤木
♂本年もよろしくお願いします。東京・稲見
♂妻の実家に入居です。いわゆるマスオさんですわ。我妻車イス当事者・札幌
♂本年もよろしくお願いいたします。潟山・大阪府
♀ごぶさたしています。お元気にしておられますの。どうぞご自愛下さい。伊達エリザベス・大阪府
♂漢書では、辰は、環境を整え発展させる意味が込められています。教育委員会一丸となって、箕面の教育を充実・発展させていきますので、どうか宜しくお願いいたします。森田教育長・兵庫県
♂お元気ですか。昨年7月にクリーンセンターに異動して、障害者の職場創りに知恵をしぼってます。高橋・兵庫県
♀お元気ですか?今年も河野さんにとって、すばらしい年でありますよう、心より願っています。山崎・大阪府
♀ご無沙汰致しております。昨年は、大震災という哀しいできごとがあり、まだまだ心配が続いています。いつも会報等でがんばって下さっていることを知り、頭が下がります。私はほんの小さな小さな力にしかなれず、申し訳ない限りです。市川・大阪府
♂お久しぶりです。お元気ですか?我が子、えるは、9か月になり、保育所でヤンチャしてます。野村・大阪府
♀きょ年、バレエの発表会に出ました。学校も1日も休んでいません。今年もがんばります。高橋障害児・大阪府
♀お元気でご活躍のことと思います。市民酒場・えんだいやが無くなり、お顔を見られる機会がなく淋しい限りです。くっく・であいはなんとなく続いています。小野・大阪府
♀一度我が家へも足を運んで下さい。永田・大阪府
♂気ままな日々を楽しんでいます。中島・神戸市
♀お健やかにいらっしゃいましょうか?今年もご活躍をお祈り申し上げます。あべ・大阪府
今年もがんばります。地域活動支援センター・びっくり屋・兵庫県
♀お元気ですか!!皆様にお逢いしたいです。横山・香川県
♂桜井で自立生活がんばってます。今年もどうぞよろしく。山上当事者大阪府
♀えんだいやでお会いする機会がなくなり、寂しいです。三宅当事者・大阪府
♂今年は大阪が面白くなりそうですね。山本・大阪府
♀今年11月で完全にリタイアします。やりたいことは一杯ありますが、何を生活の核にするか模索中です。吉井・大阪府
♂最近冬が苦痛です。年かな…。11才の犬の花は冬大好きです。溝田・長野県
♂ご健勝のこと、祈念しています。加藤・大阪市
♂おかげさまで、充実した日々を過ごせています。岡・兵庫県
♂昨年4月から西宮の障害者雇用支援で、清掃の仕事をしています。玉井・兵庫県
♂皆様のご健康とご多幸をお祈りします。本年もよろしくお願いします。日永田・兵庫県
♀昨年の最終運営委員会の参加ありがとうございました。2年先どうなるのか?いや、どうするかですね。市役所座り込みなんかになったら、よろしくお願いします。お身体、ご自愛下さい。北川・大阪府
♀お変わりございませんか?12月に京田辺の川端先生宅で居酒屋・川端オープン。いつも先生は、N研の話しや、大障連、河野のオッチャン、牧さんの話しを繰り返し、繰り返し、楽しかったと話されます。ぜひ!ご来店下さい。お元気でいらっしゃって下さい。橋口・奈良県
♂四苦八苦しています。林・京都市
♀お元気ですか?今年が良い年となりますように!横井・大阪市
以上
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、1月8日までに、206526721円です。これまでに支援した団体、個人への金額は12月26日現在、118839050円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
 広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
ゆめ風ネット・淡路島からの台風12号の淡路島関係団体からの被害状況の意見書
ぶったぁ福祉会
 養鶏場の道路および溝が崖崩れのため、修理に1ケ月ほどかかりました。土嚢やセメントを購入し、作業が得意なメンバーとともに修復しました。修理のための購入費用は数万円でしたが、人手がかなりかかりました。100000円の支援金を希望します。
おのころの家
 焼き菓子の作業所は、道路より低いので浸水と雨漏りがありました。雨漏りは、持ち主に連絡し3日後に修復、浸水は、ご自分らで後片付けをしました。ぶったぁと同じく、淡路島内の障害者関係では数少ないNPO法人。50000円の支援金をお願いします。
Yさん51歳、竹の子作業所を利用されているメンバーさん、知的障害者自宅が床上浸水、10月末に修理。30000円の見舞金をお願いします。
Tさん54歳、精神障害者、さくらんぼの里からの情報高齢の母と二人暮らし。自宅が床上浸水。家具類は水没したが、無事。親戚を頼って避難していました。30000円の見舞金をお願いします。
Sさん63歳、身体障害者、一人暮らし洲本の障害者福祉サービス事業所、南あわじ市社会福祉協議会を通して把握。床上浸水。本人は何とか2日間ショートステイを利用できたが、ヘルパーや家の片付けなども含め、人手不足の状況にありました。30000円の見舞金をお願いします。
 これらの災害には、すでに救援金を届けました。以上
災害と障害者・Y・U
 私は被災地障害者センターみやぎ・石巻支部で当事者スタッフとして活動しています。
 この被災地障害者センターみやぎ・石巻支部は、石巻市の蛇田に、ゆめ風基金を中心に全国のいろいろな福祉団体からの援助もあり、昨年10月から事務所を開いております。
まだ開設して2、3か月と日が浅く、私達も右も左もよくわからないまま活動していますが、今後に向けて少しでも障害者福祉に関する制度や知識を身につけて、私達の活動に役立てていきたいです。
 また、私達の事務所は現在私を含め、3人の障害当事者が中心になり、他は県内外からのボランティアスタッフのサポートによって運営していますが、いずれは、宮城県内に在住の方の中から障害の有無を問わず、私達の活動に参加したいという仲間と職員を増やしていければと考えております。
 さて、私がなぜこの被災地障害者センターでの活動に参加したかというと、やはり昨年の東日本大震災が大きな転機でした。私の家は、宮城県石巻市の隣りの東松島市にあり、航空自衛隊の基地のそばに住んでいました。あの地震と津波が押し寄せた当日、私は、家にいた母と祖母と共に家の2階に避難し、その後市役所に2日ほど滞在してから、市内の叔父の家に約2か月間避難しました。
 その避難生活の中で、私達当事者は、やはり健常な方以上に生活が不便になりました。特に自分のように身体障害を持っていたり呼吸器が必要な人にとって、この震災後数ヶ月は非常に困難だったはずです。私も震災後1か月半くらいは、停電のおかげで電化製品が使えず、親しい人と連絡が取れませんでした。普段利用している交通機関が震災で使えなくなり、遠隔地への移動が難しくなったこと等、色々と生活の中で困難な面が出てきました。それは2012年を迎えた今になっても、お世辞にも改善されてはいません。
 そのような中で、私も何度か地元から離れようと考えていました。そして昨年の8月の初頭に、しばらく会っていなかった地元の当事者の方と再会しました。彼は先の震災で実家が跡形もなくなり、今は仮設扱いの復興住宅に住んでいるとのことでした。
 そこで、彼がゆめ風基金やCIlを中心に全国の色々な福祉団体の皆様と連携して障害を持った方に物資を届ける等の被災地支援を行っていること、近いうちに石巻市に新しく事務所を立ち上げることなどを話し合って、それが、私の今の活動につながっているのです。
 後略
●お知らせ!
がんばらないけどあきらめない~命を支えるということ~
◎講師・鎌田實諏訪中央病院名誉院長
◎日時・2月12日(日)午後1時30分~3時
◎場所・洲本市文化体育館・文化ホールしばえもん座
◎前売り券・千円・当日13百円
◎申し込み・洲本市社会福祉協議会TEL0799-26-0022
◎主催・淡路島のノーマライゼーションを実現する会
●お知らせ!
元気が一番!東日本大震災復興支援イベント
満月の夕、風の市
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットライブ
◎2月8日(水)午後6時より
◎神戸市立地域人材支援センター(旧二葉小学校)
◎前売り券25百円・当日3千円
◎主催・実行委員会・障害者生活支援センター遊び雲
◎申し込み・ゆめ風基金TEL06-6324-7702 
以上

ヒデの救援レポート、012年・1月10日

ヒデの救援レポート、012年・1月10日:53
2011年・春先の豪雪被災、新燃岳の噴火、東日本大震災被災、原発事故の無限被災、2度の台風被災、海外での地震、洪水などにより、最悪の世界史的記憶にとどまる2011年が去り、不安と希望ない交ぜの、2012年が始まりました。
 またまたの非日常の日常の被災地支援の開始です!hideメール通信のハジマリでもあります!本年もありがとうです!hide拝
 昨年の12月20日のメディアは新聞各紙とも、17日に国内視察途中の列車の中で心筋梗塞で死去した朝鮮民主主義人民共和国の最高権力者、総書記、キム・ジョンイル氏のことを、1面トップで報じていた。
世襲政治、独裁政治の権化のように語られてきた人物のあっけない死去に、hideの心が何がしか揺れた。もう、随分と昔のことになるが、日本障害者市民解放運動の先駆者で、関東身体障害者定期刊行物協会の代表、翻訳家だった、故二日市安さんが舌鋒鋭く、世襲政治は国家を腐らせ、差別を加速させると論じられていたことを思い出した。
 東日本大震災被災過程にある今、原発事故のことも重なる。奇しくも、でもないか。キム氏は69歳での死去。hideもまた、69歳。hideたちが生まれた1942年には世界で初めて原子力発電が開発され、以後、核爆弾、核開発の連続図を世界的に描き出し、今の大震災による福島原発事故につながっている。
 キム氏は、その核開発の一方の人物としてあった。キム氏の死去によって権力の動向や国際政治の枠組みがどのように動くのかは、hideの知力では計りようがないけれど、隣国の核のバランスのありようには無関心ではいられない。キム氏の後継者がどうあれ、戦後の核時代の巨大な1ページが静かにめくられたことは間違いない。その真っ只中に東日本大震災救援活動もあることを忘れてはいけないと、hideは愚考するのであります。
読売福祉文化賞を、ゆめ風基金として受賞しました。
主催・読売新聞社・読売光と愛の事業団
後援・厚労省・日本福祉文化学会
2011年12月6日、読売新聞記事より
 21世紀にふさわしい福祉活動に取り組む個人や団体を顕彰する読売福祉文化賞2011年の受賞者が決まった。一般部門は、オリジナルの建材づくりで障害者の自立を後押しする千葉県流山市の橋田隆明さんのほか2団体、高齢者福祉部門では、お年寄りの健康を守るため地産地消の食堂を運営する青森市の活き粋あさむしなど3団体が選ばれた。
 副賞活動支援金として各100万円が贈られる。東日本大震災を受け、絆の大切さが見直される中、地道な活動で地域に笑顔を広げている受賞者を紹介する。
 受賞式が12月5日、東京の読売新聞本社で行われ、橘高事務局長が参加し入賞の記念楯と副賞100万円を受け取りました。ゆめ風基金が組織として受賞したのは初めてのことです。帰り道、骨折で入院中の永六輔さん・権代表をお見舞いに行き、受賞のことを報告すると、涙を流して喜ばれましたとのことです。
 被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、12月22日までに、203275257円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、12月26日までに、118839050円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
JDF被災地障害者支援センターふくしま第1次避難所訪問調査報告・からの抜粋
始めに
 2011年3月11日、観測史上最大の地震・津波の大災害をうけ、福島県さらに日本では経験したこともない原発事故による深刻な放射能問題が加わり、未曽有の危機的状況をむかえました。4月6日、全国の支援のもと、福島県の障害関係団体が集まり、福島県内の被災した障害者・関係者への支援を目的にJDF被災地障害者支援センターふくしまを設立しました。
 このセンターの最初の活動として、この大災害による被害状況やニーズをきちんとひろい上げていく事を目的に第1次避難所訪問調査活動を展開しました。200か所近くの避難所訪問調査を全国のJDFの応援ももらいながら、2週間の短期間で行いました。しかし、私たちが考えた以上に避難所で生活している障害者が少ない状況にありました。
 一方で、1か月経過した避難所での障害者の生活実態やニーズがいろんな内容でうかびあがりました。命に直接かかわる問題や様々な方の精神的な問題など様々な問題が浮かび上がってきています。また、すでに避難所は第2次避難所として、旅館・ホテルに移り住まわれ、避難所の継続的使用の問題や集団生活の問題など3次、4次の避難所を移らざるをえない人、避難所では生活が難しく、やむなく民間アパートを借りた人など新たな生活に移りつつも生活上の問題が見えづらくなりつつもあります。
 今回、第1次避難所訪問調査活動の内容をまとめ、今手をうつべきこと、時間の経過とともに手をうつべきこと、これから考えていくべきことなどを検討するにあたって、何らかの示唆を提供することを目的にこの報告書を作成しました。ただ、これは実態やニーズ把握の入り口であって、まだまだ多くの障害者の生活上の困難さやニーズは顕在化していない。様々な形で実態を明らかにニーズを拾い出していくことを私たちの取り組みの柱とします。
福島県第1次避難所調査の目的
 福島県内の第1次避難所を直接訪問し、障害者の避難状況、そこでの生活状況をつかみ、実態を明らかにする。 さらに障害者・家族のニーズをつかみ、緊急かつ専門性がいるものは、支援センターにつなぎ、物資支援などセンターで対応できるものは、対応する。生活実態・ニーズを整理する中で市町村・県・国で対応すべき問題は、要望活動につなげていく。
調査範囲
第1次避難地域の学校・公民館などの公共施設調査期間・4月5日~18日
調査方法
1チーム2、3人で各避難所をまわり、責任者・行政関係者・障害当事者・家族などから直接話しを聞く。調査した内容・避難所に障害者がいるか。どういう状況の生活状況か。そこで困っていること、ニーズ 後略
参考資料事務連絡・宮城県保健福祉部地域福祉総務課長宛て
厚生労働省社会・援護局総務課・災害救助・救援対策室長補佐避難所の生活環境の整備及び応急仮設住宅の設置等による避難所の早期解消について
留意事項
 東北地方太平洋沖地震においては、多数の者が避難して継続的に救助を必要としているところであり、1日も早く被災者の方々の生活環境を整えることが重要である。特に高齢者や障害者等の災害時援護者については十分な配慮が必要である。このため、避難所の生活環境の整備及び応急仮設住宅の設置等による避難所の早期解消について下記のことに留意の上、十分な配慮をお願いしたい。
1・避難所の設置期間の長期化が見込まれる場合は、次の設備や備品等を整備し、被災者に対するプライバシーの確保、暑さ対策、入浴及び洗濯の機会確保等、生活環境の改善対策を講じること。
 畳・マット・カーペット等の整備
 間仕切り用パーティションの設置
 冷暖房機器の設置
 仮設洗濯場(洗濯機・乾燥機を含む)・簡易シャワー・仮設風呂場等の設置
 高齢者、障害者等の災害時要援護者が使いやすい洋式の仮設トイレの設置
 等、必要に応じて行うこと。
2・炊き出しその他による食品の給与を実施する場合には、長期化に対応してメニューの多様化、適温食の提供、栄養バランスの確保、高齢者や病弱者に対する配慮等を必要に応じて行うこと。以上
ゆめ風基金運動にも多大なご助力をいただいた、ひとり話芸の達人、マルセ太郎さんを偲ぶ没後11年、マルセ太郎を偲ぶ会
2012・文忌・もんき
ゆめ風基金呼びかけ人・権代表の永六輔さん、呼びかけ人代表の小室等さん、呼びかけ人のオオタスセリさんと、雑誌「上方芸能」の木津川計さんが出演します。
主催・神戸芝居カー二バル実行委員会
協力・NPO法人ゆめ風基金
お問い合わせ・TEL090-1914-4907中島
FAX0797-77-4657
参加費・一般前売り2500円・当日3000円
会場・神戸新聞松方ホール
マルセ太郎ゆかりの人々による・・・
日時、012年1月29日(日)、12時開場。
ご参加を呼びかけます!以上!

ヒデの救援レポート、12月26日

ヒデの救援レポート、12月26日:52
 今回のhideのメール通信で、2011年における送信を終わります!非日常の日常のお休みです。おめでとうや年賀状の無いhideにとって、年が開ければ、当然のごとく、被災地支援の非日常の日常にまた入ります!
他の動植物には無い、新年を暖かく、お迎えください!hide拝
障害のある方・介助が必要な方お電話ください。
被災地復興障がい者センターおおふなと(通称・センター1・2・3、ワン・ツゥ・スリー)
大船渡市大船渡町字笹崎13-8 電話0192-27-6203
 NPO法人ゆめ風基金の協力を得て、すべて無料で行います。(ゆめ風基金は阪神大震災を契機に生まれた、被災地障害者支援のための基金です。)
 送迎・通院、通学、お買い物、お墓参り、観光、理美容などの送り迎え介助、介護・外出のお手伝い、見守りなどその他・ご相談に応じたお手伝い。すべてのことはできないけれど、できる事だけをする今を受けとめ、遠い道のり、ゆっくり進んでいきましょう。みんなして、がんばっぺし!
 東日本大震災被災地障害者センター3県では、被災の激しい沿岸部に行くには遠くなる、内陸部のセンターではなく、沿岸部に救援拠点を次々と設置して、被災現地での活動を広げています。ただ、これからの東北は、雪の季節に入り、がぜん、人手が足りなくなり、そこで、改めて、救援ボランティアを募集することになっています!
 条件は、少なくとも、一週間以上、現地にいることが出来る人。
 自動車の運転が出来る人。
 ゆめ風基金(電話06-6324-7702)を通しての派遣であることの3点です。
 被災障害者支援の志しのある方たちのご連絡をお待ちしております!
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、12月14日までに、200025849円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、12月9日までに、117342372円になります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
hideの畏友のおひとり、京都花園大学の特任教授、八木晃介さんの私的メディア試行社通信302号からの抜粋
TEL/FAX075-221-2672
原発事故とことば
 私が勤務している花園大学の正門付近にも、3・11以降、(がんばろう日本!)という標語がかかげられています。ひとことでいえば、気色がわるい、非常に。
 そもそもがんばろう日本!のメッセージが誰から発信され、誰を受信者として想定しているのかがわからない。花大の正門にあるからといって花大という学校法人のオリジナル・コピーでないことはあきらかであり、現に街のいたるところに似たようなポスターが貼りつけられています。
 3・11後、相当長期にわたってテレビのエィシイ広告で、それこそミミタコ状態になるまでこのフレーズがもちいられていたので、断言はできませんが、たぶん出所は電通ではないか。仮に電通が出所だとしても、電通がサービス精神を発揮してボランタリーにこのキャッチ・コピーを創作することはありえず、エィシイジャパン(旧公共広告機構)自身がスポンサーであったことはあきらかです。そして、エィシイに参加する有力企業の一つが東電など電力会社でした。
 さて、このコピーは、察するところ、がんばれ、日本という意味なのかもしれませんが、それでは命令口調になるので、英語でいうレット・アス雰囲気に変調させているというところでしょうか。また、仮にこのように理解したとして、この標語の主語は何なのか。これも察するところウィ・セイというところにおちつくのでしょうか。まさか、ウィ・ヒアとかゼイ・ヒアではあるまい。
 しかし、これらは結局のところ全部同じ意味に収斂するのであって、要するに、主語不在の無責任標語である以外になりたたぬ構文です。がんばろう日本にせよがんばれ日本にせよ、その場合にがんばらねばならない日本とは、何か。抽象名詞たる日本ががんばることはありえないのですから、国名なのか、国民なのかどちらかでしょうが、国名もがんばりようがないので、結局、国民ということにならざるをえず、そうなると在日日本人以外の人々はがんばる必要がない、というか、がんばってはいけない、ということにもなります。
 主語不在の無責任標語になるのは、いわば論理的必然であって、その理由は、取り返しつかぬ原発事故をおこした東電自身がエィシイ広告の有力スポンサーであるからです。エィシイが有力スポンサーの東電の顔をたてながら、なんらかの有意味的なメッセージを発信しょうとした時に、これも論理必然的に徹底的に、無意味ながんばろう日本のキャッチ・コピーにならざるをえなかったのです。私にはあのがんばろう日本の甲高いシイエムが、がんばれ東電にきこえたのですが、以上のようにかんがえると、必ずしも私の神経過敏だったともいえないのではないか。
 原発被害者をふくむ地震・津波被害者にも、このキャッチ・コピーがとどいた時、被害者の一人ひとりがどのようにそれを聞き取られたのであろうかと気づかわないではいられません。がんばれ東電とは聞き取らなかったかもしれぬが、少なくとも原発被害者にたいして加害者・東電の姿を見えなくする効果ないし機能を発揮したのではないでしょうか。
 がんばろう日本は、結局、大震災を契機にして、肝心要の問題を封印しながら、この国の人びとのある種の統合をはかる一定の戦略用語だったというほかありません。後略
南三陸から・2011,3・11~2011,9,11,佐藤信一写真集が発行されました。
発売・株式会社、日本文芸社
電話03ー3294-8931
本体1500円プラス税
 この写真集の売り上げ1冊につき、300円が宮城県南三陸町へ義援金として寄付されます。これまでも、いろんな写真集が発行されましたが、ほとんどが、東日本大震災後、被災中の撮影ですが、この写真集は、撮影者が、大震災以前の街を撮影しており、大震災の前と後の対比が出来るように構成されています。
 あの日以来、多くの人たちが南三陸を訪れて、心を繋いでくれています。本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
 私は町の小さな写真屋の二代目。皆さんに支えられて今日まで頑張ってこれました。先日、私の撮影した昔の町並みの写真を見ていた方が泣いていた。ガレキの中から探し出した一枚の写真を私に見せ、これでまた生きて行けるよと大切に胸にしまった人もいた。
 ホント写真の力ってすごいなと感じた。私の店も家もすべて流されたけど、この町に生かされた写真屋ができる事。それはやはり写真で恩返しする事、そう強く感じています。写真はありのまま写す。時に辛い場面も写し出す。だから喜びも悲しみも心を込めてシャッターを切ろう。そう心に決めました。かけがえのないふるさとと人々の心の強さあたたかさを伝える為に、今を写せば未来へ繋がる。写真の力を信じて頑張ろう
                                    南三陸 佐藤信一
 hideが日頃から、人権活動を共にしている団体に、NPO法人・暮らしづくりネットワーク北芝という団体があります。住まいする箕面市にある、被差別部落の部落解放同盟北芝支部の関連団体です。今年の市民人権フォーラムを準備する中で、いろいろ話し合っていると、ネット北芝の若い人たちが、東日本大震災被災地に、交代で、救援ボランティアに入っているとのことでした。
 ネット北芝が所属しているのは東北関東大震災・共同支援ネットワークだそうで、宮城県仙台市に支援拠点があるそうです。若い人たちは、避難所、仮設住宅などを訪ね回って、各種の調査活動をしているとのことです。
仙台市青葉区千代田町1-13・ひなたぼっこ内
TEL022-301-8820 FAX022-301-8821 東北福祉大学の前
 活動内容は、介護職・看護職派遣介護施設や在宅介護サービス事業所、避難所や高齢者住宅などへの訪問、地域サロンの実施など生活支援スタッフ、本部での調理、配食、見守り、洗濯、掃除、介護など
事務局スタッフ、共同支援ネットの仙台本部事務局、石巻市事務局でのニーズとボランティアの調整、事務、電話応対など。
 ネット北芝の人たちと、何とかして、つながりが持てればいいねと、話し合いました。被災地障害者センターでは、石巻市などで、医療的ケア研修会実施などが、検討課題に上がっていて、お互いに救援ボランティア不足の現在、何らかのつながりができればいいのにと。ゆめ風基金事務局長の橘高さんが、被災地障害者センターみやぎの石巻市支部と連絡を取るように、働きかけることになりました。縁は異なもので、どこでつながっているのか、分かったものではありませんね。以上

ヒデの救援レポート、12月19日

ヒデの救援レポート、12月19日:51
読売新聞12月6日朝刊記事より
被災地の障害者支えるNPO法人ゆめ風基金(大阪市)
 3月の東日本大震災が発生した直後から被災地にスタッフを派遣した。生活に困っている障害者から情報収集をしたうえで、岩手、宮城、福島3県に支援拠点被災地障害者センターを開設した。ここではボランティアが常駐し、救援物資の輸送、介助ほか、県外に避難する費用や全半壊したグループホーム、作業所の再建援助などさまざまなニーズにこたえている。
 ゆめ風基金は阪神大震災が起きた1995年、行政の支援が行き届かない被災障害者を手助けしようと代表理事の牧口一二さん(74)らが設立。タレントの永六輔さんら著名人の協力も得て約3億円を集め、東日本大震災のほか新潟県中越沖地震やトルコ西部地震など国内外の被災地に計1億5600万円10月末現在の義援金を贈った。行政などに参考にしてもらおうと、災害前に備えておくべきこと、避難・支援方法などを冊子にまとめ、障害者の立場から提言したこともある。
 牧口代表理事は災害が起きた時、障害者は置き去りにされ、孤立してしまう。行政は支援のスピードが遅くなりがちだが、NPOは素早い判断のもと、支援が必要な被災者に重点的に資金などを投入できる。普段からのつながりを生かし、息の長い支援をしていきたいと話している。以上
被災地3県の被災地障害者センターでは、沿岸部に救援拠点を、次々と設置し、医療的ケア研修などが検討されて、活動が広がっています。それに連れ、人手が不足しています。そこで、改めて、救援ボランティアを募集します。条件は、最低1週間以上、被災地にいることが出来る人、自動車を運転出来る人、ゆめ風基金を通すこと。
電話06-6324-7702。
これから、現地は、雪の季節に入り、ますます人手が足りなくなります。志しのある方のご連絡をお待ちしております!
ゆめ風基金事務所に届いたFAX
 ゆめ風基金事務局様(元気なチャリティーができました!)はじめてFAXいたします。私は、ゆめ風基金の賛助会員?になっていると思います。Tと申します。栃木県佐野市(有限)萬屋・風の庵)例年、小室等さんにコンサートに来ていただいていることからゆめ風のことを知り、わずかですが送金させていただいています。
 今年も当ギャラリーにて震災義援金を御協力いただいた方の義援金を送らせていただきました。KとOとして・・
その後、7名の作家さんと震災チャリティーを計画し、先日、11月26-27日、大盛況に終わることができました。当ギャラリー(風の庵)がまとめ役となって、109907円を送金させていただきます。つきましては、以下7名の作家さんの住所等を記しますのでゆめ風だより等、1回だけでけっこうですので、送っていただければ幸いです。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、12月14日までに、200025849円です。これまでに支援した団体、個人への金額は12月9日までに、117342372円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
被災地障害者センターみやぎのしおり第3期9月1日版・その3
これまでの活動第1期・物質提供、センターみやぎ設立、避難所回りを体当たりで・・
 被災者が避難所や自宅で避難生活を送っていた第1期の活動は、物資提供が中心でした。3月中にたすけっとが独自で行った救援物資の配布数は仙台市内を中心に100件を超えました。
 3月31日付けで被災地障害者センターみやぎが設立され、ひとり、2人と県外からボランティアさんが到着、4月第2週目位からは、常時10名程の県外ボランティアの方々が活動に参加するようになりました。
たすけっとのメンバーと専従者スタッフとゆめ風基金の八幡さんが事務局体制を整える中、県外ボランティアは被災地へ車を走らせ、避難所や、通りすがりの人に声をかけて知り合いに障害者がいないかどうかを尋ねたり、とにかく体当たりで障害者を探しました。
 障害を持っている方に出逢えばお話しを聞き、困っていることを尋ね、必要な物資を提供したり入浴介助などを行いました。余震が続く中、車が届き、携帯電話が増え、ホワイトボードが届き、固定電話が設置され、時折、予想外の救援物資が届くといったカオスの中、とにかく困っている障害者を探し出しては助けることに全力を注いで活動しました。
第2期・チーム活動、拠点の設立、あすと長町でのコンサート・・
 5月の中旬くらいから、徐々に仮設への入居がはじまりました。これに伴って、被災地の空気は一変しました。困っていることを尋ねても、とりあえず困っていることはありませんという返事が返ってくることが増え、ボランティア団体に対して警戒の眼差しが向けられるようになってきました。
 緊急的な支援の要請も少なくなり、仮設住宅を回っても障害者に出逢うことが少ない中、粘り強く仮設を回り、見守り体制を把握することや、地域の社会資源を把握することに活動の主軸が移りました。このような状況下にあって、設立以降1日も休まず稼働してきた被災地障害者センターみやぎも、被災地のペースに合わせるべく、6月の中旬から日曜日のボランティア活動を休止することにしました。
 2期には、活動をより円滑に進めるため、6月の2週目からチーム形式を導入しました。北に2チームAチーム・南三陸町、気仙沼市、Bチーム・石巻市など・中央に1チームCチーム・仙台市、多賀城市、七ケ浜町、塩釜市南に1チームdチーム・名取市、岩沼市を配置して、チームごとに詳細を引き継ぎ、入れ替わるボランティア間で情報伝達ができるようなしくみを作りました。
 この時期、一ヶ月以上の長期ボランティアの方が増え、チームの主軸を担ってくれるようになり、スタッフがお膳立てをするのではなく、ボランティアとスタッフが共に活動を作るような形態が整えられていきました。これら、北、中央、南といった地域別のチームの他に、一定期間、福祉避難所を集中的に調査するチームや聴覚障害者を集中的に調査するチームを作って調査活動もしてきました。
 第2期には、日々の調査活動や個別対応の他に、いくつかの大きな動きがありました。まず、山元町で被災した住民互助福祉団体ささえ愛山元が中心になって、県南支部が発足し、6月1日付で活動が開始しました。
 6月4日はとっておきの音楽祭の前夜祭としてゆめ風コンサートが開催され、ボランティアとスタッフはその準備に携わりました。
 7月2日付で、南三陸町で被災された方を中心とした登米支部がスタートしました。
 8月23日にはCILたすけっとに最も近い仮設住宅であるあすと長町で、永六輔さんと小室等さんのコンサートを開きました。
 そして現在、チーム形式導入当初は3つの地域に分けていましたが、仙台市近郊では仮設への入居も一段落し調査活動もほぼ一区切りしたことや北に拠点が出来たこと等から、現在は、北は石巻市に絞った活動となり、南地域名取市と岩沼市は中央エリアに合体させて2つの地域区分北と中央で活動しています。
 被災地の状況には地域差があるものの、第1期の救援活動と第2期の調査活動は終焉を迎えている状況です。今後の活動は、それぞれの地域において、長期的障害者支援の具体化にむけて、仕組みづくりやしかけづくりが主軸となっていくことになります。後略以上。
 hideの最悪というか、世界史的にも、想像を超えてしまった、2011年が去って行きます。と、その前に、ひととしての、自然災害への反撃の2つのものがたり。大阪北部のゆめ風ネットの中心的団体、豊能障害者労働センターから、三度目の被災障害者支援金、70万円が届けられました。息の長い救援バザーの売り上げと、会場に設置された、募金箱を集約されたものです。小銭の混じった、ずっしりと重い、紙袋入りでした。感謝!
 以前にも紹介した、hideの畏友のおひとり、大阪吹田市にある、千里寺住職、武田達城さんが、過日行われた、箕面市民人権フォーラムの講師料の中から、3万円を救援金として、届けていただきました。これもまた感謝です。今年が最悪の年であることは、人それぞれに、想いの違いはあっても、同感できる事柄ではありますまいか。
 hideにとっての最悪のとどめは、12月初旬に届きました。
 1970年の始め頃に設立した、障害者問題資料センター・りぼん社の初代ふたり代表、ひとりは、hide。もうひとりの堺史男が、12月の始めに急逝したとの訃報がそれに当たる。届けてくれたのは、同じく、設立メンバーのひとりで、現在は、長野県白馬村で、ペンションを営む、Mだった。
 堺は、神戸大学医学部に在籍する間、りぼん社代表を務め、卒業後は、高知、札幌の病院で研修医をし、その後、大阪市福島区で、麻酔科と眼科医を開業していた。りぼん社の代表を引いてからは、ずいぶん疎遠になっていたが、時折、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」に広告を出してくれてもいた。体に悪いからと、タバコも止めてしまい、体調には、ずいぶん気を使っていたのになぁと、ガッカリ、気持ちが沈む。
 まだ、60代半ばなのになぁと。知らせによれば、糖尿病を患っていたらしい。hideが腰痛に悩まされていた時、ペインクリニック医として、金の無いhideに無料で治療もしてくれた。
 関西での障害者市民解放運動の勃興時代を、貧乏所帯をやりくりして歩き続けた相棒だった。hideたちは、本当に、本当に、貧しかった。だけど、自由な自在と、楽しい空気に溢れた時代でもあった。そんな時代の空気を共に呼吸した奴が、また、ひとり、hideを置き去りにして、伝説の門をくぐって、逝ってしまった。ただ、ただ、寂しい。涙が零れ落ちる。本当に最悪の、悲しみが溢れる年だ。宗教は、持たないが、合掌する。以上。

ヒデの救援レポート、12月12日

ヒデの救援レポート、12月12日:50
 11月21日、牧口代表が、読売新聞の取材を受けるために、ゆめ風事務所にいたところ、連絡があり、以前からの知り合いである、部落解放同盟の山中さん、大賀さんのお二人が、自転車に乗っておいでになりました。
 そして、過日行われた市民文化祭で集められた被災障害者支援救援金50万円を、ノーマライゼーションクラブの代表、事務局長として手渡されました。解放運動で名高いお二人の自転車に乗られている姿が、素敵でした。感謝です。
 名古屋市のNさんは、牧口代表の東京での講演会に駆けつけ、ゆめ風基金の救援募金を最後まで完遂され、過日行われた障害児を普通学級へ全国連絡会;の大阪集会にも参加されて、集められた救援金を届けていただきました。普段からの合力に、感謝、感謝です。
映画「普通に生きるー自立をめざしてー」のご紹介!
 静岡県富士市にある生活介護事業所「でら~と」は、どんなに重い障害を持っていても、本人もその家族も普通に生きていける社会をめざすという理念のもとに親たちの努力で、ゼロから立ち上げた重症心身障害者・児のための通所施設である。
 ここには医療的ケアを必要とする利用者も多く、生活支援員の他に看護師も常勤し、毎日、それぞれの障害や個性に合わせたプログラムで日中活動を支援している。利用者は、多くの人や地域との関わりの中で社会性を身につけ、誰からも介護が受けられるように成長してゆく。
 そして親たちも法制度の改革の波に揉まれつつも行政に働きかけ、自分たちのニーズにあった制度や施設づくりを行い続けてきた。いずれは、親も子もそれぞれの人生を明るく送れる地域社会づくりを目指して、福祉の受け手から担い手となる発想が親たちの新しい未来を切り拓いてきた。
 映画は、2つ目の施設建設計画が持ち上がった頃からの5年間を追う。東日本大震災被災障害者救援・支援活動を続ける中で、ヒデたちが出合った、常日頃からの地域でのつながりの大切さの想いと重なる部分のある映画ではないのか?地域の絆のひとつの形、モデルかも知れない。
2012年1月7日より東京・ポレポレ東中野
問い合わせ先TEL03-6913-5591
東京都中野区東中野4-4-1-B1
2012年1月21日より横浜・横浜ニューテアトル
横浜市中区伊勢佐木町2の8-1
2012年1月28日より大阪・シネ・ヌーヴォ
大阪市西区九条1-20-24
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、12月5日までに、197364152円です。これまでに支援した団体、個人への金額は10月31日現在、112342372円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
被災地障害者センターみやぎのしおり第3期9月1日版その2
 CILたすけっと・被災地障害者センターみやぎは、ゆめ風基金の全面的なバックアップを受けて発足しました。
 ゆめ風基金は、阪神淡路大震災を教訓に、必要な時に必要な物、人、お金を届ける;をモットーとして、災害時にとかく置き去りにされがちな障害者に対し独自に支援できるしくみを作り、日頃から備えをすることを目的に作られた団体です。
 2001年にNPO法人格を取得し、これまでに数多くの被災地で、障害者の救援・支援を行ってきています。ゆめ風基金の活動資金は、全国の賛同者からの寄付で成り立っています。現在も、被災した障害者のために使ってほしいと、東日本大震災の被災地の障害者支援のために、たくさんの寄付が届けられています。ゆめ風基金は、いざ!という時の基金の有効な活用窓口として「ゆめ風ネット」を全国に確立してきました。
 ゆめ風ネットの参加団体には、災害時に、思想、信条、宗教などの違いを超えて、最も困難に遭遇している障害者・個人を最優先にできる考え方で、被災地の被災状況の把握をし、救援活動を展開することが期待されています。
 CILたすけっとは、設立当初から、「ゆめ風ネットみやぎ」としてゆめ風運動に参加していました。そして、日頃から、CILたすけっとの活動の基本である、障害者が地域の人たちと混じり合い当たり前に地域生活を送れる街づくりをしていくことが、災害時に障害者が置き去りにされない環境をつくることや、それが誰にとっても安心な街づくりにつながること、つまり防災につながることを意識して活動してきていました。
 このような背景があって、この度、CILたすけっとが被災地障害者センターみやぎの事務局を担うことになったのです。
被災地障害者センターみやぎは、アピール大行動で活動を共にしてきた県内の14の団体で構成されています。
CILたすけっと
きょうされん宮城支部
NPO法人麦の会コッペ
NPO法人ワーカーズコープ・ピアサポートセンターそら
NPO法人 みんなの輪 わはわ宮城野
宮城精神しょうがい者団体連絡会議
NPO法人 ぐる~ぷゆう
NPO法人 アフタースクール・ぱるけ
BNETCLUB
宮城県社会保障推進協議会
ゆにふりみやぎ
共育を考える会
NPO法人 フルハウス フリースペースソレイユ
NPO法人 ドリーム・ゲート
被災地障害者センターみやぎの復興支援とは
 被災地障害者センターみやぎは、被災した障害者を対象に、顔が見える関係とつながりを大切にしながら活動しています。私たちは、障害を持った者が、地域の中で、助け合いの輪につながり、これまでよりも元気に生き生きと地域生活を送れることを目指して活動しています。私たちの目標は、被災地を震災前の状態に戻す復旧ではなく、災害を経て、今後、より災害に強い街-人と人がつながり、障害者が当たり前に安心して地域で暮らせる街-を作っていく復興です
 災害に強い街づくりをするには、地元中心の活動であることが不可欠です。そのため、一ボランティア団体である私たちが、独断でニーズを見極め被災地に乗り込むのではなく、地元の人の中から障害者支援活動をしたいという人を探し、地元の人を中心にした拠点を作ってきました。
 hideの住まいする大阪府箕面市の民間団体・人権啓発推進協議会;の事務局長を、hideは、務めおりまする。市内で最大の構成団体、個人構成員を擁する団体でもあります。啓発課題ごとに課題研究部会があり、その中に女性問題研究部会があります。
 11月の下旬に、仙台市で女性差別を論議する女性シェルター,シンポジウムが開催されました。女性問題に関心を持つ人たちが1000名以上参加する大きな集会です。先に記した女性部会の会員も数名参加されました。
 その中のお一人、Nさんのお話しです。1日目は全体会で、記念シンポジウム。2日目は分科会に分かれましたが、全体テーマは東日本大震災支援です。障害者の分科会もありましたが、会場が狭くて入れませんでした。3日目は、他の部会員の方たちは地元の方の案内で被災沿岸部の見学に行かれましたが、私は箕面市内の障害者作業所のスタッフなもので、ひとりで被災地障害者センターみやぎの事務所に向かいました。
 事務所では、たった1日しか時間がないのでロクなお手伝いは出来ないからと、パソコンのデータ入力をさせていただきました。入力作業をしながら、1日でもやれることがあると分かりましたし、合間、合間に、いろんな人とお話しが出来て、直接の会話の大切さを痛感しました。
 びっくりしたのは、人権に関する認識の違いでしたね。関西では部落差別のことや解放運動のことが当然のこととして語られるのに、東北ではほとんど意識されていない様子でした。少し知っておられる方でも、昔学校の教科書で見たことがあるとのことでした。ある人は、東北にも被差別部落はあるけれど地域全体で隠されていると、小声で話されました。文化の違いを肌で知りましたね。
 夕方、仙台空港で見学に行った人たちと落ち合い、飛行機に搭乗して帰路に着きましたが、上空から東北の沿岸部が見えて、いろいろな違いはあっても、被災地の人びとと私たちは絆でつながっていることを実感しました。とても、大切な元気をもらった1日になりましたねぇ。談 以上。
ゆめ風基金に届いたFAXお知らせです。
大阪府柏原市障害者自立支援協議会主催
障害のある人もない人も、共に暮らせる街づくりのために~みんなの防災講座
12月17日(土)午前10時より、午後2時
会場・健康福祉センターオアシス
災害が起きた時、障害者や、こども、お年よりといった弱い立場の人たちを守る為には、地域住民の力は欠かすことができません。今回は、防災を通して市民の皆さんに障害の特性や支援方法を知っていただき、災害時だけではなく日常生活でも誰もが暮らしやすい街づくりを推進することを目的に「みんなの防災講座」を開催します。
講演・障害のある人と防災・NPO法人ぴーす理事長、小田多佳子さん、中学生による、リサイクル・食べ物・演奏・演劇などもあります。
問合わせ・ビアセンターかしわら
電話971-2039 FAX971-6801 以上