ヒデの救援レポート、012年・7月9日78
訃報です!1970年代から友人組織・グループゴリラ、阪神淡路大震災では被災地障害者センターこうべを中心に大活躍され、今日に至っておられた、大賀重太郎さん享年62歳が、喉に食べ物を詰まらせて、7月8日20時22分に逝去されました!
通夜、7月9日、午後6時より
告別式、7月10日、午前11時より
会場、兵庫県姫路市野里854-1・花北大和会館
TEL079-281-5969・FAX079-288-7223
喪主、大賀順子さん
hide合掌!
サンショは小粒でも、ピリリと辛いニュース!
神戸大学学生震災救援隊神戸市灘区
被災地での足湯ボランティア活動の実施と継承・普及の記録より
○当初、足湯ボランティア活動の実施は、能登半島と佐用町で予定していたが、東日本大震災発災を受けて変更。東北やその後和歌山でも行い、地元の高校生や社会福祉協議会職員などと実施することで、各々の地域に根差した新たな担い手を増やすことができた。○メッセーG・東日本大震災を契機に足湯ボランティア活動は、比較的よく知られるようになってきた。
今後も被災地での活動も重要なのですが、一方で神戸での日常的な地に足の着いた展開も目指していきたいと考えています。
しみん基金・神戸ニュース第27号より抜粋
○連絡・特定非営利活動法人・しみん基金こうべ
○TEL078-230-9774 FAX078-230-9786
被災者が主役になるために
○しみん基金常務理事、T・Nさん
○自然災害は、被災社会に避けがたく民主化を迫るというのは、阪神淡路大震災の復興でNGO・NPOの先頭に立ち2年目に亡くなった草地賢一氏のことばです。教会の牧師でもありましたが、以前から海外の災害支援に関わっていました。
彼は、分野別のNGO連絡会仮設支援、多文化共生などを組織し、行政とNGOの連携をスムーズに行うためにGONGO(ゴンゴ GO+NGO)という場を創りました。そこは、異文化の出会う場でもありましたが、未曽有の事態に対応していくためには充分な話し合いしかありません。熟議の民主主義が自然に生まれていました。
その成果は12月に開催された市民とNGOの国際防災フォーラムに結集し神戸宣言が採択されました。翌年の第2回のフォーラムには、私のいた神戸復興塾もまちづくり分科会に参加しています。これらの中心を流れていたのは、被災者主体の復興はどうあるべきか、ということでした。このときの議論がその後有志で取り組んだ市民がつくる復興計画や震災後10年~市民社会をつくるの出版にもつながりました。
今振り返ってみると、こうした市民の動きは実態の検証からスタートせざるを得ないこともあり、残念ながら現実の復興の進行にはなかなか追いつけなかったのも事実です。今回の東日本の震災は、過疎化が進行している地域に日本全体の人口減少が追い討ちをかける中での災害です。地方の暮らしそのものの存続が危機に直面していることを考えると、神戸のようにインフラの復興だけで後は自力でというわけにはいきません。
主体となるべき市民はというと、行政は、これまでと同じように、既存の地域組織に説明を行い意見のとりまとめを要請します。高度成長期に形作られたお任せ型の地方政治の在り方、地域の在り方、特に地域運営に関するこれまでの合意形成の在り方は、今回のように10年、20年後の地域の将来像を考えるのに適しているとは言えません。
高齢化した男性中心のリーダー達も困惑しています。もっと未来を担う若者や女性を前面に出して議論すべきではないかと思います。地域の協議の場がそのようなものにならない限り、被災者主体の復興はできません。
一つは神戸のまちづくり協議会のような新しい協議体をつくるやり方です。もう一つは、組織の中に未来部会・若者会や女性部会を作り、そこが企画や提案のとりまとめを行い、リーダー達が最終承認を行うというやり方です。市町の行政と議会の関係に似ています。若者や女性がキャスティングボードを握る方法として、いくつかの地域でも実行されています。
次々とやってくる大きな自然災害は、多くの命や暮らしを破壊します。しかし、その復興を新たな再生のチャンスとすることも残されたもの達の責任ではないでしょうか。復興のプロセスでなされた多くの議論が、将来の地域に大きな足跡を刻むことが出来るよう願っています。
ただいまの基金額は、288046817円・012年2月29日現在被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、5月13日までに、230876514円です。
これまでに支援した団体、個人への金額。5月2日までに、129999050円です。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感Gた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
NHK明日へ東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」
作詞・岩井俊二・作曲、編曲・菅野よう子
○定価、税込み、CD・DVD組、1500円
パソコンオンチのhideではありますが、検索されれば、簡単に手に入れることが出来るハズです。無責任やなぁ!売り上げの一部は、被災地支援の義援金にされます。時折、テレビで流れている歌だから、耳にされた方もおられると思いますが、NHKが花は咲くプロGェクトを立ち上げて、世に送り出した歌です。
hideは、あまりNHKが好きくありませんが、この歌は、なかなかのものだと評価しています。地震や津波、原発事故の言葉は、一切出てきませんが、自分たちは、未来の子どもたちに、何を残せたのかを問い、その可能性を、自然に咲く花に託すような曲です。
まぁ、音楽オンチのhideの聞き方ですから、あんまりアテにはなりませんが。hideなりに、綺麗なメロディが歌詞が胸に来ました。歌っているのは、東北出身の芸能人や歌手の人たち、個人、グループ36人、組です。ただし、野村克也さんだけは、楽天球団関係で、兵庫県香住出身みたい。
○制作・著作NHK出版
○発売元・フライングドック
○まぁ、騙されたと思って、一度、お聞きくださいませねー!
6月13日に、ゆめ風基金理事会が開かれ、いつもの調子で、牧口代表の議長の下、ああでもない、こうでもないと、議論百出の中の一部をお届けします。
○被災地報告、全体としては、体制が整いつつある。岩手・みちのくトライの取り組み。宮城・石巻市拠点で、新人ふたり採用。仙台・活動報告冊子準備中。
○東京・救援本部にて、被災地センター会計監査中。近々に、ゆめ風基金から救援本部に救援金、3年分4千5百万円×3を送金の予定。
○大阪・被災地障害者救援本部大阪の共同統一街頭カンパ活動!
○毎月の第2土曜日、午後1時より5時。大阪、難波、高島屋前にて。
○7月14日○8月11日です。ご参加を!
○近畿ろうきんサポートV第1回助成1100万円
○6月20日に授与式、牧口代表が参加。
○申請中のJR西日本の助成金50万円決定!
○以前から、懸案であった、ゆめ風事務所障害者職員の雇用について、事務所も移転して、広くなったので、具体的に動き始めることになりました。現在、名前の上がっている候補者が、お二人おられます。7月初旬には、面接の運びとなります。
○ゆめのタネ融資1件
○岩手県住田町の障害者作業所支援が1件。現在、確認作業中。などなど。
大阪府吹田市のぷくぷくの会機関紙まねき猫通信119ひきめからの抜粋
○連絡・TEL06-6317-5598○FAX06-6317-0936
トリの眼・ムシの眼・ニャンコの眼
○全文ルビふりつき
○沖縄が本土復帰して40年。総理大臣当時佐藤栄作は、米軍基地を核抜き本土並みにすると公約したのに現状の有様。日米安保があるから沖縄に米軍基地が集中しているのではなく、基地を永久使用するために日米安保が存在し続けている。
○2年前、民主党政権は違憲訴訟団と障害者自立支援法廃止と新法制定するとの基本合意を交わして、和解。
厚生労働大臣当時長妻昭は障がい者の尊厳を傷つけたと謝罪したが、国会で審議中の障害者総合支援法案は合意も謝罪も無視。諸悪の根源である応益負担原則は新法でも変わらない…尊厳は傷ついたままだ。
○橋下徹は子供が笑う大阪全校庭の芝生化など、きこえの良い教育政策を公約して大阪府知事になったのに、首長が教育に政治介入できる条例や日の丸・君が代を職務命令で強制する条例を作っただけ。大阪市長になってからも、同様の繰り返しを演じている。今後は司令官は二人いらないと大阪府と市を統合して大阪都にすると言う。
○京大原子炉実験所の小出裕章さんは騙されたあなたにも責任がある・幻冬舎・と論説する。これは政治の嘘を容認し民主主義の滅亡を賛美するのは有権者という名の大衆だと読み替えるべし。パギ
(このパギさんは、ゆめ風基金の呼びかけ人のおひとりである、ひとり芝居&音楽の趙博さんのペンネームです。)
以上!
ヒデの救援レポート、02年7月2日
ヒデの救援レポート、02年7月2日:77
社会福祉法人・ノーマライゼーション協会
○連絡TEL06-6328-2941 FAX06-6328-2961
・機関誌N協ニュースNo.127からの抜粋。
第5回いのくら福祉講座記事から
○東日本大震災・復興支援1年を振り返る・東北の出来事は大阪の出来事、関西の出来事・ゆめ風基金被災地障害者センターに連帯し学んだこと
○講師・小西寿一さん・N協地域福祉推進企画室室長
(この人は、ゆめ風基金救援ボランティアとして、宮城県仙台市、石巻市に、長期に渡って、10回以上入っています。)
巻頭記事
・はじめに、今一度、東北の出来事を振り返るとして、東日本大震災の地震・津波の被害等関するDVD他3・11東日本大震災の激震と大津波の記録等を上映。被災障害者支援ゆめ風基金、被災地障がい者センターみやぎや石巻支部に連帯して昨年4月からの1年間の支援活動を写真スライドや資料を見ながら、振り返りました。
被災地障がい者センターみやぎにおいては、
○第1期2011年3月11日~5月末頃体当たり、調査と個別支援、
○第2期011年5月末~8月末頃戦略を練る第3期への準備としての地域調査と関係づくりを通じて、避難所、仮設住宅等における被災障害者の有無や状況・課題・ニーズの把握当事者・家族面談等、個々の具体支援対応・フォローアップ必要物資搬送、介護支援、相談支援、手続き支援、関係機関との連絡・調整、コミュニティー課題支援をはじめとした必要な支援対応などが図られてきたことや、NPO法人ささえあい山元が中心となり県南支部が発足、南三陸での活動支援団体等を中心に登米市の拠点県北支部がスタートしたこと。
○第3期011年8月末頃~012年2月末頃、障がい者の主体的活動の仕掛けづくりにおいて、県外ボランティアから地域住民へのバトルタッチ、県南、県北支部での活動強化、現地雇用、検証報告書作成に向けた個人への聞き取りが進められたこと、石巻における長期ボランティアによりつながった、障害当事者が立ち上がり活動をはじめ、障害児の親や地域、関係者とのつながりができてきたこと、そして10月より被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部がスタートし、障害当事者と地域住民、支援者等の出会いや交流、つながりの場を大切にしながら進められてきたこと。
○第4期012年2月末頃~以降まちづくり災害に強い街づくり、災害時に障害者のニーズが置き去りにされない街づくりに向けて、息の長い活動を進めていくにおいて、支部・地域を拠点として継続的な取り組みが進められていることなど、現地でのエピソードを交えながら報告されました。
そして、今後の取り組みとして、
○東日本大震災復興・復活支援、ゆめ風基金、被災地障がい者センターみやぎへの息長い支援活動を通じて、災害に強い街づくり、災害時に障害者のニーズが置き去りにされない街づくりの提言・実践を進めることが重要であること、
○現地に行っていない障害当事者や地域関係者の現地視察・交流、被災地障害当事者の大阪への招聘など、つながりを継続する取り組みを進めること、
○南海地震東海、東南海地震連動含む等を現実的に想定した防災対策への反映・具体化を図ること。各施設・事業所防災マニュアル整備、計画実施を提起し、防災マニュアルと具体実践の提言が行われました。
6月11日に起きたhideの身辺の出来事!
○その1・以前にもリポートした、豊能障害者労働センターのI君のこと。
11日の夜行バスで、3度目の被災地宮城県に向けて出発した。今回は、仙台の被災地障がい者センターを経由しないで、直接、石巻市のセンター支部拠点に行くとのこと。前回と同じく、1週間の支援活動予定。同行は、これまた前回同様に、ダウン症のぽんちゃんこと、本沢君の同行ふたり。前回の時には、ぽんちゃんの存在感で、珍しがられたが、今回は、普通の支援ボランティアとみられたいとI君。だって、同じ職場の仲間なんだからと。
やはり、被災地に向かう前は、緊張と興奮があるのか、普段よりも多弁になっている。傑作なのは、I君の悩み事。被災地センターでは、支援ボランティアの宿泊施設を撤収しているために、拠点事務所に宿泊することになるだろうから、洗濯機とシャワーは、あるんやろか?荷物になるから、替え衣類は、ぎょうさん持って行けないし、多分、暑いやろうしなぁと。hideは、ただ、ただ、ふたりの凸凹コンビの踏ん張りを期待するばかりです。
○その2・同じ日の夕刻、大阪、吹田市のぷくぷく福祉会のUさん(このひとは、ゆめ風基金の理事)が事務所においでになった。
用件は、吹田市の事務所の前に、捨て猫5匹があり、4匹は、なんとか知り合いにもらってもらったが、残り1匹の雄の子猫の引き取り手がない。河野さん、ぜひとももらってやってくださいとのことで、我が輩はネコである、名前はまだない君を連れて来たのだ。
hideの脳の中では、津波に流され、命を失った多くペットたちのことがあったから、これも何かの縁と引き取ることにした。したことはしたのだけれど、連れて帰ると、先住の18年生きている老ネコのデュエルが、フーッと警戒、威嚇をするし、名前なし君は、そんなのカンケーないと、部屋中を走り回って、相当なやんちゃぶりを発揮して、ハチャメチャ。子猫用のエサは用意しなければならないし、余計なお仕事が増えただけ。なんとか、老ネコと子猫の共生を計らねばと、頭が痛い。そんな1日になってしまった。
周りの人たちに聞くと、作業所などの前に捨て猫があるのはよくあることらしい。障害者関連施設だから、優しい人たちがなんとかしてくれるだろうとの善意だよりなのだそうな。hideたちは、優しくないよ。それは、誤解だぁ!
ただいまの基金額288046817円・012年2月29日現在被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた東日本大震災への救援金、金額は、5月13日までに、230876514円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、5月2日までに、東北関連で、129999050円になります。○台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
市民活動総合情報誌ウォロ012年6月号、バラボラ・ニュースより抜粋
問い合わせ、社会福祉法人・大阪ボランティア協会・出版部
編集委員野本和香奈さん
TEL06-6465-8395・FAX06-6465-8393
復興支援新潟で暮らす福島県の避難女性が手づくり
人生の輝き願い絆リング販売
○東日本大震災で福島県から避難した人のうち、新潟県では現在も、全都道府県で3番目に多い約7000人が避難生活を送っている。震災から1年以上が経過し、避難者は支援を受けるだけでなく、自ら主体的に活動する場面も増えてきている。
避難者数が県内で2番目に多い柏崎市では、避難者同士がグループをつくり、お茶を飲みながらの情報交換や中越沖地震被災地域への視察、被災地域である旧川口町との交流などを行っている。
その中でも新しい動きが、避難してきた女性たちを中心に始まった手づくりアクセサリー絆リングを制作、販売する活動だ。リングは直径約4センチ。ラインストーンと呼ばれる宝石様にカットしたガラス素材がちりばめられている。
きっかけは中越沖地震07年7月16日から4年目にあたる昨年の同日、柏崎市で開かれた復興祈念事業だった。事業の一環として、新潟市民が復興を祈念する絆リングを販売。これを手にした福島県からの避難者の一人があの地震で心がふさがっていたけれど、このリングを見てきれいと思えた。絆リングの輝きのように、これからの人生を輝かせたいという思いを抱き、制作が始まった。
その後、この避難者が中心となり結・遊・倶楽部を結成。メンバーは、避難者や柏崎市の住民など約10名の女性で構成され、毎週1回避難者が集まる交流拠点共に育ち合い愛サロンむげんで制作し、地域の飲食店などで販売している。定価は2000円。売り上げの一部が作り手へ還元され、避難者同士の交流費用に充てられる。
以上
ヒデの救援レポート、012年6月25日
ヒデの救援レポート、012年6月25日:76
以前にもリポートした、5月11日の大阪府大東市主催、ゆめ風基金協賛の憲法週間イベント紙ふうせんライブと牧口代表のトークについて、大東市長からの礼状が郵便ではなく、担当課長がわざわざ持参して届けてくれました。
もちろん、市長が書いたものではなく、秘書課あたりで作成したものであろうことは自明のことですが、持参するというのがなかなかの律儀さではありますまいか。
牧口一二様 大東市長・東坂浩一公印
憲法週間記念のつどいについてお礼
初夏の侯、牧口様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、先日は憲法週間記念のつどいにご出演いただき、ありがとうございました。
おかげさまで、879人の参加があり、大盛況のうちに無事終了することができました。阪神・淡路大震災や東北・関東大震災・大津波・原発事故で、避難所等のバリアフリーが不十分であったことや障害者への支援が後回しになってしまう現状のお話など、障害者が直面している問題がよく分かり、改めて同じ人として私たち一人ひとりにできることは何かを考える良い機会となりました。
参加者のアンケートには、「障害をもった当事者としての立場からの話はよくわかりました」、「障害者の方が生きやすい社会は障害のない人も生きやすい社会であるとつくづく思いました」、「人間は障害の有る無しに関わらず、1人では生きていけない。助け合うつながりというのが大切だと思いました」、などの感想がありました。アンケートで回答のあったものの一部を同封いたしますので、ご査収ください。
最後になりましたが牧口様、特定非営利活動法人ゆめ風基金関係者の皆様の今後益々のご活躍を祈念いたします。
略儀ながら、書面にて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
みんなの笑顔がこぼれる社会とは、アンケート集約
○私も、精神障害者ですが、人に頼って良いんだと思うと心が楽になりました。紙ふうせん大好きです。次回も来たいです。
○普段自分が気づかないような話が聞けた。第二部はハーモニーがとても良かった。
○障害者は特に人権を尊重されなければならないにもかかわらず、差別等で肩身の狭い思いをしている。私は、何ができるだろうか。
○障害者から見た視点が語られて、そうした考えや、やり方が有るのかと思った。
○違う視点で、障害者問題を考えさせられました。コンサートは懐かしい曲ばかりで良かったです。竹田の子守歌の意味を知り歌の深さを改めて知りました。
○障害をもっている人の話、めったに聞けない本音が聞けた。
○日常生活の行動に対し反省した。
○障害のある人も元気で明るく、また支える人のあたたかさ、暗さがなく、楽しい元気な催しでした。来て良かった。
○障害をもった人たちの自立を超えた心に感心した。これまで、気の毒だと思うのみだった自分が恥ずかしく思えた。コンサート等々応援されていることにも再認識を持った。
○障害者の人達の見方を変え、自立できる様に協力すべきだと教わった。
○障害をもった当事者としての立場からの話はよくわかりました。障害者の方が生きやすい社会は障害のない人も生きやすい社会であるとつくづく思いました。
○障害者自身の方のお話で今まで思っていなかったことを聞けて良かった。コンサートは素晴らしい歌声で感動しました。
○できないことは助けてもらえばいい、助けてもらったら助ければいい。人間関係がうまく行くと思う。牧口さんの言葉が心に残りました。
○牧口さんのお話はとても身近な言葉で、分かりやすく普段あまり接することのない障害者のかたの日常がまだまだ大変なのだと感じました。でも心に残ったのは、人間は障害の有る無しに関わらず、1人では生きていけない。助け合うつながりというのが大切だと思いました。
○障害と人権のこと、とてもわかりやすく素晴らしいコンサートであたたかい気持ちになりました。
○今日は良いお話が聞けて良かったです。障害者の自立人間みんなそういう考えで暮らせる社会づくりが大切ですね。どうすればいいのだろう。まずはみんなで考えることが大事ですね。できることを探します。今日コンサートを聞きに来てお話を聞けたおかげです。ありがとうございました。
○トークでは、障害者のお気持ちがより多くわかり、1人の人間として共に歩んで行きたいと思いました。紙ふうせんのコンサートは初めてでしたがハーモニーがとっても素敵でした。
○人権についてあらためて考えさせられました平和な日々を過ごすには、他者への思いやりの大切さを感じます。
○牧口さんのお話、重度障害者の方こそ真の自立をしているという話に胸打たれました。紙ふうせん唄声がいいですね。初めて聞きました。ファンになりました。
○勇気を出して本当のことを話して下さったから。
○人を思う心があったコンサートでした。
○牧口さんの今までのご苦労を少しだけでも感じることができました。唄に感動し泪が出ました。又、リズムにのって楽しかったです。
○牧口一二さんより人が助け合うことは豊かになれることを教えられました。
○話し方が良かった。神戸に親が居たので震災の時のことを思い出した。
○障害者から見た世の中を聞けたこと。
○私も福祉センターでボランティアをしています。人々が手をつないで頑張って行きたいと思います。
○世の中から、笑顔がこぼれる世の中になってほしいと末永く思っています。
○応援歌とっても良い歌です。テレビ等でも歌ってもらって全国民が覚えられる様にして下さい。
○障害者の心、親子さんの心、1人の人間として見てほしい。みんな助け合いながら生活しているということを忘れてはいけない。
○小学生の頃から授業で自分がそう言われたら、そうされたら、と相手を思って行動に移せるそう言う心を育てて欲しい。大人も言葉使いに気をつける笑顔ある大東市を作って欲しい。
○障害者の人達の人権理解を深めたいと思いますが、手を差し伸べる勇気もなく、気分を害されたらどうしょうとか自分勝手な思いをしていました。無の気持ちでお話しょうと思いました。
○障害認定を受けることができない程度のハンディの者は収入も得られず、生きることが難しい。そういう者のことに心を寄せて欲しい。
○支え合って生きていける社会の実現へ運動を。格差を解消する為みんなで力を合わせよう。
○人権は大事ですね。ついつい忘れがちです。良い話を聞かせてもらいました。コンサートも良かった。
○日々感謝の気持ちでみんなの笑顔がこぼれる社会を目指して行きたい。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた基金総額、288046817円(012年2月29日現在)。
東日本大震災救援金額は、5月13日までに、230876514円です。
これまでに支援した団体、個人への金額。東北関連、5月2日までに、129999050円です
その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
社会福祉法人ネット・久米川共同作業所
○連絡TEL、042-396-5649 FAX042-396-5731
○機関誌・久米川共同作業所だより・第36号からの抜粋
…震災から一年…日本人…職員A・Mさん
○東日本大震災から一年が過ぎました。信じられませんが、本当なんですね。月日がたつのは早いです。今回の事で、全世界から注目された日本。自分は、同じ日本に住んでいますが、何もできていません。海外の人達が日本人は冷静でおちついているとコメントしていましたが、当日の私は、とても落ち着いている…とは言えない状態でした。避難訓練もやっていたけど、やっぱりできませんでした。現地の人達は、どれ程の恐怖だったのか…。考えただけで、鳥肌が立つくらいです。今回の事をきっかけに、私も日本人として、冷静で落ち着いた行動ができるようになりたいです。それと、今回の事を、絶対忘れない。そして、あきらめない。今、日本が一つになる時だと思います。まずは、自分が独りから一つになれるようね……がんばります。
hideからの余計な一言。純情な心の吐露ですねぇ…。でも、被災したのは、日本人だけじゃありません。そして、日本人と定義する根拠は、なんでしょうね?以上。
ヒデの救援レポート、012年6月18日
ヒデの救援レポート、012年6月18日:75
神坂さんの任官拒否を考える市民の会ハガキ通信から、講演会のお知らせ!!
連絡先、TEL・06-6366-5253
FAX・06-6366-5255
参加費500円
内から見た裁判所、外から見た裁判所、原発訴訟に関わって
講演・井戸謙一さん弁護士、元裁判官
7月1日(日)午後1時30分より
エルおおさか
(大阪地下鉄、京阪、天満橋駅下車すぐ)
今回講演いただくのは、昨年3月に起きた福島第1原発の事故をまるで予測したかのように6年前、北陸電力志賀原発訴訟において、差し止めを認める住民側勝訴の判決を言い渡した井戸謙一さんです。
井戸さんは、昨年から弁護士として活動し、福島県で放射能の危険から子どもたちを守ろうと住民が起こしたふくしま集団疎開裁判の弁護団として活動されています。井戸さんはこの間、原発訴訟にかかわって裁判所官の現状追認、国策追認の姿勢をきびしく指摘してこられました。
今回原発訴訟を裁判所の内からと外から関わってきたことを踏まえて、ご自身が感じてこられた裁判所の内と外を存分に語っていただき、市民の会として改めて、裁判所、最高裁の本丸に迫る足がかりとしたいと思います。
多くのご参加をお待ちしています。
これまでの救援活動費総額は、178,547,749円(2012年6月7日現在)。これまでに支援した団体、個人への金額は東北へ130,209,050円(2012年6月7日現在)、台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円、フィリピン大洪水10000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043 ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のhideの風景
NPO法人、ちくほう共学舎虫の家機関誌虫の家だより98号から
連絡先、TEL・FAX、09496-2-6003
最近の出来事と思うこと・M・O
東北大震災が起きて直ぐ、私に出来ることは何かと考え、とりあえず義援金を送ることにしました。その後も何か出来ることはないかと考えていたところ、津波で流され汚れた写真を水で洗い、綺麗にして被災地に送り届けるボランティアのことをニュースで知りました。しかし、すでに募集定員が一杯で断念しました。
それからしばらくして、虫の家の会員でもあるMさんから、あるボランティアの依頼があり、これなら私にも出来るかもしれないと、快く了承しました。
その内容は、原発事故により、放射能の影響を不安視する家族の飯塚市への移住サポートです。サポートと言っても、定住場所を決定するまでの4日間、私の家の空き部屋を活用してもらうだけですが。
ふとしたきっかけで、母親の話を聞く機会があり、不安・困惑・家族間の問題、様々な悩みがあることを知りました。福島原発から遠く離れた地に住む私には計り知れない、切羽詰まった状況が感じ取れました。
特に子どもの将来についての切実な悩みを聞かされ、私自身、違った角度から、原発問題をあらためて考えさせられました。なお、余談になりますが、他人と生活するということは戸惑いや驚くことも多々ありますが、いろんな意味で大変貴重な経験をさせていただきました。
ところでみなさんは、震災当初「絆」という言葉をあきれるほど聞かれたと思います。その絆という言葉を嘘っぽくしたのが、瓦礫処理問題だと思います。京都の大文字焼きで、岩手県陸前高田の津波で倒れた松を使おうとしたら、放射能汚染を心配する一部の地元民から反対があり、使用を中止。千葉の成田山護摩焚きで、同じ岩手県陸前高田の松を使おうとしたら、やはり、一部の市民から抗議の電話があり、使用を中止。その他にも瓦礫受け入れを表明した自治体に、脅迫電話や、抗議メールが届いたというニュースは後を絶ちません。そんな中、東京都の石原知事は、反対のメールや反対意見に対し、だまれと一喝、受け入れを貫きました。
この問題は、日本人特有の本音と建て前文化が、放射能という目に見えないものの恐怖に対し、悪しき形で吐き出したような気がします。ニュースなどのインタビューでは「やはり、瓦礫は各自治体で受け入れた方が良いと思います」と言い。しかし、実際に自分の地域に、瓦礫処理問題が持ち上がると、目くじら立てて反対する。
先日、北九州議会が瓦礫を受け入れるよう市に求める決議案を全会一致で可決しました。その議会決議のニュース映像に、傍聴席で過激に抗議する市民の映像が映し出されていましたが……。福岡県内の各自治体でも瓦礫受け入れを検討しているようですが、あなたの住む市町村が、瓦礫受け入れを表明したら、あなたならどうしますか。
救援連絡センター第8回定期総会・記念講演
「福島を切り捨ててはならない」からの抜粋。
講師・山田真さん(小児科医師・障害児を普通学校へ全国連絡会・役員)
放射能を感じることが重要
今この会場の線量は0・06マイクロシーベルト。放射能はその存在を忘れてしまいがちだが、私たちのまわりにはいっぱいある。忘れてしまうと国や東電の責任を免罪してしまう。私は線量をいつも計るようにしている。
私の持っている測定器は10万円ほどの機械。高価だから個人で持つのは大変かもしれないが、グループで持って測って放射能を実感したほうがいい。
放射能について国はいいかげんな計測しかしていない。東京都は新宿で測っている値を発表しているが、このところ0・05マイクロシーベルトくらいになっている。しかし江東区は0・15~20マイクロシーベルトくらいある。
国民は正確な情報を知らされていないので、嘘になれてしまっている。福島はあきらめたという状態になっている。国・県・専門家、誰も信用できないから要求もしない。自分たちだけで守っているので限界があるが、国や県に要求するとろくなものが返ってこない。
このごろ福島に行くとそれでいいのかと思い、切ない気持ちになる。
福島の子どもたちの現状
福島の現状は、被害を訴えているにもかかわらず、見捨てられようとしていることが明らかになってきた、ということだ。私は、昨年6月にはじめて福島に行き、その後10回くらい行った。福島の子どもたちの健康相談会をやっているが、実際には子どもたちのからだに大きな変化は今のところ起きていない。だが今起きていないというのが実は怖いことで、10年、20年たって起きても何の補償も出ない可能性がある。広島よりもひどい状態が起きるのではないか。相談会でも親御さんはそれを心配している。
多いときには10人くらいの医者が集まって相談会を担当するが、1人1時間くらいひたすら聞く。そして、私たち医者ができることは多くない。大丈夫だと言うわけにもいかないし、こんなふうに危険だとも言えない。一緒に続けて闘おう、子ども達をきちっと見続けようとしか言えない。
最初のころは避難しようかどうかという相談が主だった。そして、避難できる人たちは福島を離れた。自主避難する人を非難する人がいるが、それはおかしい。避難する人たちは基本的に正しい。ところでぼくの自宅へ昨日までモンゴルの人たち5人ほど来客があった。モンゴルの人達が日本に観光でやってくるのは危険かと聞かれて私は答えることができなかった。どうしても返事しろ、東京は安全かと聞かれたら、小さい子はこないほうがいいとしか言えない。
集団訴訟を起こし、福島を切り捨てない。これから何をするかだが、非常に大きな問題が沢山あって、とにかく早い内に集団訴訟を起こすことが必要だと思う。今は10何人の訴訟が行われているが、もっと大きな訴訟にする。東京など被災地だと思っている人達を集めて大きな訴訟にしていかないと、風化し新聞社も関心を失っている状態になっていく。
とくに今年になってから、避難という言葉もあまり使われなくなり、かわりに保養をすすめようということになってきた。これまで、子どもたちを一週間、10日と疎開させるということをやっていたが、その程度のことでは間に合わない。子どもたちの体の中からセシウムを出すために、北海道と福島の学校が提携し、一年生が北海道の学校に通って1ケ月したら帰ってきて、その後2年生が行くとか、長期の月単位の保養をしていこうという話になっている。それは、国が何もしない、補償の見通しもない。生活を立て直してくれるという方向性も見えないなかで、悲しい選択だと思う。
私たちは、沖縄を切り捨て、広島を切り捨て、長崎を切り捨ててきた。そして何もなかったかのように復興してきた。福島についても、福島を切り捨てた上で、復興しようという姿勢が国に見えている。その中で切り捨てられまいとして、福島があがいているというのが今の状態だと思う。福島の問題は福島だけの問題ではない。私たちは、沖縄、広島、長崎、第五福竜丸を切り捨ててきたという歴史を今こそ断ち切らなくてはならない。
ヒデの救援レポート、2012年6月11日
ヒデの救援レポート、2012年6月11日:74
大阪府枚方市の枚方ふれあいフェスティバル実行委員会&社会福祉法人、枚方市社会福祉協議会からの呼びかけ
東日本大震災被災地支援義援金ご協力のお願い
東日本の広範囲な地域へ未曽有の被害をもたらした大震災から、早や1年3カ月の歳月が流れました。仮設住宅から抜け出せないで苦しんでいる被災者、遠隔地への避難を余儀なくされ、帰還の目途すら立っていない被災者、復興には程遠い痛苦の現実が、いまなお横たわっています。とりわけ、支援の手が遅れがちであった障害者たちの現状はいかばかりかと思いやられます。
障害者と健常者が、共に生き、共に学び合う中から、誰もが生活しやすい地域づくりを願い取り組んできた私たちは、どれだけ歳月が経とうとも、被災障害者の状況から目をそむけず風化させないで、どんな支援が可能なのか、共に考え行動していきます。さまざまな団体・個人が知恵と力を集め、それぞれの形で支援の手を差し伸べてきました。現地へ子ども劇団として訪れ、交流し、芝居を通じてメッセージを発信してきた団体もあります。
障害のある仲間も多く参加してきました。引き続き、こうした支援を息長く継続させていきます。
本日、障害者と健常者の交流の場~第33回枚方ふれあいフェスティバルへご来場の皆様、ここ大阪・枚方から被災地の障害者を応援するための義援金ご協力を心からお願い申し上げます。なお、集まった義援金はNPO法人ゆめ風基金へ預けさせていただきます。
NPO法人ゆめ風基金とは?
阪神淡路大震災を機に自然災害の被災障害者を支援しつづけている団体です。全国の障害者運動と、永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の方々が呼びかけ人として参加しています。連絡先TEL06-6324-7702FAX06-6321-5662
仙台自立生活センター・たすけっと機関誌・ステップ43号より
○連絡先、TEL022-248-6054
○FAX022-248-6016
及川代表あいさつ(及川さんは、被災地障がい者センター・みやぎの代表でもあります。)
あの日から1年になろうとしています。車いす上で感じたあの時間は決して忘れることはありません。そしてあの時から再び暮らしを取り戻す、新たに築いていく日々が動き出しています。
昨年4月より被災地障がい者センター・みやぎの事務局をたすけっと事務所において活動してきました。東北関東大震災障害者救援本部、NPO法人ゆめ風基金をはじめ、全国各地からの全面的バックアップのもと、活動してまいりました。心から厚く感謝申し上げます。
1年が経とうとしている今、新たな活動への基盤づくりを進めています。永い時間をかけ、試行錯誤しながら活動してまいりたいと思います。
被災障がい者の支援と自立生活センターの支援とはどう違うのですか?まだまだ騒然雑然としていた5月末、京都JCILの方々がいらしてくれたときに投げかけられた質問です。
僕は大きな気づきをもらいました。もともとやっていた自立支援活動と新たな災害救援活動。そのどちらも障がい者が地域で安心して暮らせる社会を目指す、というところでは同じだということを気付かせてもらったのです。
2012年は復興元年と言われます。昨年も全国の皆様の強力な支援をいただいてまいりましたが、宮城県内にも多くの仲間ともつながることが出来ました。今年は、これまでにできた様々なつながりを基にしながら、さらに広げ強固にしていきたいと思います。
そして、もともと、行っていた、自立生活プログラムや交流活動、相談支援に重点を絞り、メンバー一丸となって、地道に確実に進めていきたいと思っています。一昨年から始めているサロン活動も、今年に入って少しずつ参加される人数が増えています。そうしたことを一つ一つ大事にしながら、今年も活動していきたいと思っております。
被災障害者支援・ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、288046817円(2012年2月29日現在)
東日本大震災救援金としてこれまでに支援した団体、個人への金額は、130,209,050円(2012年6月7日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
新聞記事より
○骨抜きにされた自立支援法見直し
○日本社会事業大学教授、佐藤久夫(64)
政府が3月に国会に提出した障害者総合支援法案が審議中だ。私は政府の障がい者制度改革推進会議のもとに設置された作業部会の部会長を務め、約一年半、18回の会合で法案への提言をまとめた。障害者と家族、事業者、自治体など立場を超えて合意したものだ。
その内容は、支援対象をすべての障害者とする。支援の必要度合いを示すとされる障害程度区分を廃止し、本人のニーズにあったサービスにする。利用者負担は原則無償とする、など60項目に及ぶ。障害者を保護する対象ではなく権利の主体であるとし、地域で他の人と平等に生活するための必要な支援を示している。
しかし、法案にほぼ盛り込まれたのは共生社会の実現を目指すという法の目的と理念だけ。障害の範囲に難病が加わったものの、支援を受けられない谷間は残る21項目が不十分ながら取り上げられ、それ以外は全く触れられていない。小宮山厚生労働相は提言実現への第1歩だと言うが、どういう方向に行こうとしているのか、法案からは見えない。
2006年施行の障害者自立支援法は、サービス利用に応じて利用者にも負担してもらうという考えだったが、実情は収入がほとんどない障害者が多く、悲鳴が上がった。マスコミも含めて反対意見が相次ぎ、違憲訴訟も全国で起きた。
民主党は09年の総選挙で現行法を廃止し新法を制定するとマニフェストに掲げた。新政権は新法を作ると約束して裁判をやめさせた。障害者に寄り添う姿勢は政権交代の大きな原動力になったのではないか。
我々が最大限の努力をして提言をまとめても、こういう法案しか出てこないことに徒労感を覚える。民主党はねじれ国会を理由に国会で否決されるような法案を出すわけにはいかないと言うが、本当にそうか。野党の賛成が見込めないなら国民の目の前で議論して、どちらが障害者が求めているものなのか、はっきりさせれば良いではないか。
先月、和歌山市に対し、筋萎縮性測索硬化症の男性76に1日21時間の介護を義務づける判決が出た。男性は人工呼吸器をつけながら必死に生きている。74歳の妻は歩行も不自由だが、睡眠以外の時間は介護に充ててきた。我々は、このように裁判に訴えなくても必要な支援がなされ、障害者も家族も安心して暮らせるようにとの願いで、提言を作った。
障害者は社会に参加して貢献し、胸を張って生きたいと考えている。そのために必要な支援は何か。自らのプライバシーをさらして法廷や社会に訴えてきている。理解が広がり、社会と障害者の距離が変わってほしいと願っている。障害者も含めてみんなが参加し支え合う共生社会こそが、大震災から再生する日本社会ではないか。
NPO法人・ちくほう共学舎虫の家機関誌虫の家だより98号より
○連絡先TEL&FAX09496-2-6003
沖縄と福島~その相似する構図・大場康司さん(大場さんは、ゆめ風ネット福岡の世話人でもあります。)
民主主義社会は世論を尊重することが基本です。日米両政府とも沖縄県民の切実な声を尊重しないのですか。
今年、沖縄が本土復帰40周年を迎えた。国土の0、6%しかない沖縄に全国の74%の米軍専用基地が集中する現実の中、世界一危険だと言われる普天間飛行場の返還問題も、辺野古への移設をもくろむ政府と拒否する地元という構図で進展が見られない。
そんな中、5月15日に行われた復帰40周年式典で、戦後初の沖縄選出衆院議員で元沖縄開発庁長官の上原康助氏は野田総理、ルース駐日大使の目の前で式典にふさわしくないものになるかもしれないと一言添えて始まったあいさつの中で、こう発言した。
2年前、イベント時に普段は入れない辺野古にあるキャンプシュワブ米軍海兵隊基地の中に入ったことがある。敷地内にはショッピングセンター、映画館、ボウリング場、プールなど、ありとあらゆる施設が整備されているのを見て驚いた。これらを整備するために、多くの思いやり予算が使われているだろう。ジュゴンが住む美しい海に、さらに基地を作ろうとするのかと考えさせられたことを思い出す。
危険なものは押しつけ、利益は中央が享受する構図が沖縄と福島は似ていると、東日本大震災後、指摘されるようになってきたという。国策を進めるため補助金を投じた結果、地域経済が国依存型になってしまう点も似ている。
違うのは銃剣を突き付けられて土地を収奪されたかどうかだという。大きな原発事故起きた福島に新たな原発を造ることは不可能だろうが、沖縄では、いろいろな事件・事故が起きても基地が減るどころか、7月に日米両政府は普天間飛行場に問題の多い米軍新型輸送機MV22オスプレイを配備することを決めている。復帰後40年たっても変わらない基地被害に抗議する集会も沖縄県内各地で開かれたという。
沖縄をいつまで捨て石にするつもりなのだろうか。これからも、沖縄問題に関心を持ち続けていたいと思う。
以上!
ヒデの救援レポート、2012年6月4日
ヒデの救援レポート、2012年6月4日:73
尊厳死法に関する、大急ぎの学習会のお知らせ
hideたちは、東日本大震災被災障害者支援に必死のパッチ。ひとの命にかなわぬまでものつながりを求めていること。震災で亡くなった人たちに想いをいたしていることをよそ目に、国会ではコソコソと優生思想のカタマリ、尊厳死法案が、議連の手によって上程されそうになっています!
命の序列化、終末期の医療打ち切りを医師が判断でき、その結果には免罪されるという、酷い法案です。人工呼吸器外しも、対象に入ってます。
バクバクの会では、緊急に、尊厳死問題を知ろう!勉強会を呼びかけています! 参加費無料です。ぜひ、おいでください!
6月30日(土)午後2時から4時
みのお市民活動センター
尊厳死ってどういうこと。終末期ってどういうこと。尊厳死を法制化するって、どういう意味があるの?
講師、八木晃介さん・京都花園大学・社会学教授
交通、北大阪急行千里中央駅からバスが便利です。
問い合わせ・TEL072-724-2007
人工呼吸器をつけた子の親の会事務局
野崎参りは、屋形船で参ろうの歌で有名な野崎観音で、5月の連休の間、ゆめ風基金のパネル展示を行いました。「その時、障害者に、何が起きたのか」がテーマです!
それぞれがゆめ風基金呼びかけ人である、3日には河内音頭の河内家菊水丸さんが、4日には落語家の桂文福さんが来場してくださり、観音様を祀ってある慈眼寺境内は、ゆめ風基金代表の牧口との軽妙なトークと相まって、人びとで溢れ返りました!!
その野崎観音がある大阪府大東市からの依頼があって、5月11日に人権週間の催しのひとつとして、主催・大東市、協賛・ゆめ風基金でトークとコンサートのイベントが行われました。
テーマは、野崎観音の時と同じです。ゆめ風基金パネルも展示して、被災地の障害者団体の物品も販売しました。コンサートはゆめ風基金呼びかけ人のひと組・紙ふうせんの平山&後藤ご夫妻です。イベントそのものは、2時間で、前半の1時間はゆめ風基金代表の牧口からの被災障害者支援の呼びかけ。後半は牧口を加えた紙ふうせんのライブです。
市主催なので、参加費は無料。そのせいもあってか、1000人を超える参加者が集まりました。今時、1000人を超える集まりは、珍しいでしょう。それも、人権課題がテーマの集まりに。
ライブの中で、後藤さんが阪神淡路大震災での記憶を淡々と語られていたのが、強く印象に残りました。それは、大震災の時に平山&後藤さんのご両親が被災され、家屋全壊となって、仕方なく大阪府吹田市で3家族全員で、1年間共同生活をされた経験があり、その中から、今までのような考え方では駄目だ。ひととしてのつながりの生き方、暮らし方を創り出さねばと考えたそうです。
今回の東日本大震災においても、素早く、被災地を訪ねられたそうです。それにしても、お二人のハーモニーは、素敵で素晴らしかった!
hide個人としては、「冬がくる前に」が胸に来ました。音楽オンチのhideには、珍しいことです。(笑)
ところで、1000人の老若男女が参加とレポートしたいところなんですが、残念ながら、会場には若い人たちの姿はほとんど見かけられませんでした。人権という文字は、若い人たちには、重苦しいのかなぁ?老若男女ではなく、中年以上の高齢者の女性の方々が主流でありました。ニッポンの人権はどうなるんでしょうね!老爺心ながら、グチをこぼしたくなりました。hideの杞憂であればいいのですが!!
市主催だから、仕方がないのですが、市長あいさつがあり、これも、木で鼻をくくったような紋切り型。あ~あとため息モン。そんなこんなで、ゆめ風事務所のスタッフは休みの神様に見放されて、愛おしい連休はバイバーイと去って行ってしまいました!
大東市とゆめ風基金を結びつけたのは、長年、大東市役所で人権施策畑を勤め上げ、最近定年退職をされたNさん。このNさんとhideの付き合いは古く、Nさんが高校生の頃から続いて来ました。別名をイラチのNと陰口を叩かれながら、人権一筋を通してきた人物です。イベント当日も、あれこれとイラチの口出しをしては、若い市役所の職員の苦笑と迷惑顔をプレゼントされていましたが、筋目はキチンと通っていました!
hideは、そんな、イラチのNさんが大好きなんだから、困ったことです!時間は、友情と義理を育てますね。(笑)
ただいまの基金額288046817円(2012年2月29日現在)
これまでに支援した団体、個人への金額、支援総額は、5月2日までに東北関連で、129999050円になります。台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
ずっと、つなぐ○上映会&シンポジウム
○今、被災地で起きていること。今、被災地から伝えたいこと。震災半年後の被災地の人々を記録したドキュメンタリー
東北再興の記録3.11と、気仙沼で実際に起こったエピソードをもとにつくられたアニメーション気球に乗ったオーケストラの西日本初の上映会です。
併せて、被災地で活動を続ける神戸のNPOやボランティア団体から、東日本大震災から1年が過ぎた被災地の今を聞きます。
6月23日○開場、午前11時30分~午後4時○参加費1000円
会場:兵庫県立美術館ミュージアム、阪神岩屋駅・JR灘駅から、徒歩10分
○TEL、078-262-0901
問い合わせ・NPO法人市民基金・こうべ
○TEL、078-230-9774FAX、078-230-9786
震災を風化させない、こうべは忘れない、ずっと
○多くの人々のいのちやくらしを一瞬にして奪い去った東日本大震災発災から1年が過ぎました。津波被害の大きかった沿岸部の町では瓦礫処理さえもままならず、また放射能汚染の影響下にあるふくしまの状況はさらに深刻で、復興という言葉がむなしく響くばかりです。被災者に対する支援のニーズも幅広い分野に広がっており、引き続き多様な人々の協力が欠かせません。
一方、被災地以外の多くの人々にとっても、この震災は自分自身の生き方や価値観の問い直しを迫られた出来事ではなかったでしょうか。しみん基金・こうべでは、東日本震災被害者支援ボランティア活動基金・愛称ずっとつなぐ基金・を創設して、助成事業を通じた継続的な支援を行っていくとともに、被災地の内外や支援団体間のネットワークづくりのバックアップをしていきます。
このイベントでは、被災地から遠く離れていて風化しがちな意識を映像を通じて振りかえり、想いを共有する場をつくることで多くの人々の想いを重ね合わせ、その収益金を同じ震災を経験したこうべ発のボランティア団体に託することで、被災者への支援につなげていくことを目指しています。
友遠方より来る、また楽しからずや!
○5月21日、新しく引っ越したゆめ風事務所に一番乗りの、遠方よりのひとが訪れてくれました。hideとは、長年の付き合いのある、熊本県からの珍客です!
○社会福祉法人くまもと障害者労働センター(熊本市長嶺南1の5の40○TEL&FAX096-382-0861)代表の倉田哲也さんが、そのひとです!
ご本人は脳性マヒ者で、計り知れないくらいに誠実で、その上、頭にどがつくくらいに気のいい人物でもあります。熊本が生んだ障害者問題の映画「典子は、今」を超えるんだと、大阪、吹田市のぷくぷくの会制作のドキュメンタリーもっこす元気な愛の主人公でもありますから、映像を見られた方もおられるかも知れません。今回の来阪は、その映画をもとに、大阪北部の能勢町の学校からの、講演依頼に応えるためのものだそうです。
そのついでに、ゆめ風事務所に立ち寄った由。(笑)いつもそうですが、倉田さんは、移動は単独です。自分に合うように改造した自動車を運転して移動します。驚異的な冒険者でもあります。hideにも経験がありますが、学校の講演料なんて多寡がしれています。それも驚くくらいにです。(笑)それなのに、倉田さんは、九州高速道、フェリーを使い、車中泊を繰り返し、目的を達成すれば、帰りは、中国道、九州道を走って帰るとのこと。呆れるくらいにタフですね!!
以上
ヒデの救援レポート、2012年5月28日
ヒデの救援レポート、2012年5月28日:72
障害者問題を考える兵庫県連絡会議障問連ニュース5月号からの抜粋
連絡先・TEL078-842-3299・FAX078-842-3354
生活支援研究会気付け
岩手・被災地報告 山下博靖さん(被災地障がい者センター・いわて)
岩手の沿岸部を移動するのに国道45号は欠かせない。海沿いの町々を南北に貫いているからだ。車窓からは、三陸特有の細く入り組んだリアス式海岸がつづく。鋭く切り立ち平地がなく、夏は手付かずの緑が濃い。
穏やかな海だけを見ていると、あの日はまるで嘘のように思える。しかしこの海で、あの日およそ2万の人が助けも求められずに亡くなった。陸地は地盤沈下し、海はすぐそばに迫っている。防波堤もなくなり、台風シーズンは恐ろしい。がれきという名の被災者の財産は撤去されたが、家の基礎が残るのみで、そこに新たな町が復活できるとは思えない。
3月11日。被災地は震災から2年目に入った。岩手に入ったのが去年5月。盛岡の被災地障がい者センターいわての専従として沿岸部を行き来してきた。
避難所、仮設を回り被災した障害者を探す。出会えた方のニーズに応える。衣服や食料、医療器具やストーブなどの物資提供、通院・買い物などの同行、見守り、食事などの身体介助、相談事、行政との交渉など。1日2~3班作り、地理も分からない県外ボランティアがナビを頼りに沿岸部に車を走らせた。
これまで支援に伺ったのはざっと180名、ボランティアには全国から157名の方に来ていただいた。2012年3月27日現在。また当事者派遣プロジェクトと言って県外多くは関西の当事者も岩手に入りいっしょに活動してきた。
夏から秋に岩手では大船渡と釜石にセンターの支部ができた。年明け宮古にもセンターができ、ぼくは今そこを拠点にしている。こっちに来て思うのは障害者の置かれた環境の厳しさだ。各圏域に一つはある巨大社会福祉法人以外は社会資源があまりに乏しい。大阪や神戸など都市部との違いは言うに及ばず、岩手の内陸との差もある。家族が見るという考えも根強い。ヘルパー派遣事業所は宮古市内では2つしかない。従って在宅か施設のどちらかという状況だ。そんな状況を良く思わない人は、この地域をあきらめ見切りを付けるか、変えたい思いをうっ積させている。
この4月から被災地障がい者センターみやこは以下のことに取り組む。
1.被災した障害者支援・震災から1年しかたっておらず、被災した障害者支援は欠かせない。仮設などのチラシのポスティングを継続、この圏域で新たなニーズを掘り起こす。掘り起こしたニーズに応え、入浴や見守り、外出などのヘルパー的な活動と移送サービスを行う。また毎月第2土曜日に交流会を開いており、季節のイベントと併せ今後も継続する。
2.被災地支援地元の福祉力アップ・社会参加や余暇支援、自立に向けた取り組みなど、震災前から不足するサービスを、地元を補完する形で取り組む。また今後もこの地域に必要とされる事業を、これまで支援に伺ったりしてきた方々の意見も踏まえ検討し、将来の法人化と事業化を目指す。また当事者派遣プロジェクトが継続されるので、当事者の目線からこの地域の福祉を見ていただきいっしょに活動する。夏に沿岸部の当事者のエンバワメントを図る大きな企画を当事者派遣プロジェクトと協力して行う。また宮古圏域以外の沿岸部でこれまで出会ってきた方々への支援とフォローも継続する。
被災地の障害者支援は震災以前からあった問題に移行しつつある。つまり、大津波があろうとなかろうとここにあった問題だ。地域で生活し続ける選択肢が不足し、自立は今の岩手沿岸部では相当に困難だ。だけど悔しい思いをされている人がこの地域にいる以上、少しでも僕たちも変えるお手伝いをしていきたい。みやこのセンターがその選択肢のひとつになれればと願う。震災以前に戻すだけでは意味はないのだ。
山下さんは、長年神戸でヘルパーとして、活動され、東日本大震災直後から岩手で支援活動を続けられています。以上
ただいまの基金額は288,046,817円(2012年2月29日現在)です。これまでに支援した団体、個人への金額。東北関連、5月2日までに、129999050円です。その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
大阪府吹田市のぷくぷくの会機関紙まねき猫通信118ひきめからの抜粋
連絡先・TEL、06-6317-5598 FAX、06-6317-0936
●当事者リレーエッセイ
大震災から1年…
○轟広志さん
○全編ルビ付き
うすら寒い春・アノ日から1年たった。今はもう季節も春爛漫といいたいところだが、僕の住む地域だけなのか?妙にうすら寒いなかで桜を見ている。
気候も変だ。政治も変だ。原発も変だし、市長も変だ。あなたに云われたくないという声が聞こえる(笑)。そんな 僕だってお金は欲しいと思う。大金がいい。減らない額ではなく増えるぐらいの額がいい。でも、そのために人様や動物、魚たちや植物が死のうが滅ぼうがどうでもいいとは思わない。
アノ日から1年たち、少しだけ原発事故のこともわかってきた。でもその事実はまさに高濃度の放射性物質のごとく何重にもくるまれ、あぁそうだったのかと思うにはほど遠い。お国の経済なのか電気会社の経済なのか何だかよくわからない。経済のことを考えて、あえて原発という意見を聞く。それならせめてアメリカの真似ぐらいはしてほしい。
福島に配備された原発は、アメリカで開発され俗にマークⅡと呼ばれる初期型であるがゆえに、アメリカ本土でも最も地震被害が少ない地域のみに配備されている。
さらに緊急事態の電源確保のために、個別に2台の発電機を付属させているが、福島第一ではその非常用発電機2台を地下に並べて設置していた。地震直後の津波で2台もろとも水没し、緊急用の電源は失われた。NHKが取材した元アメリカ原発技術者は、それらの資料を見たあとにつぶやいた。これは人為ミスだ。
どうする東電?どうやったら償える?いまは償う気もないように見えますが未だに解けない疑問・福島の避難地域の家畜や動物はなぜ全殺処分だった?近隣に迷惑をかけるから?それとも被曝していて危険だから?高濃度の放射線を人が浴びていても言えない?まして殺しはできんからね~。
なんて、やや病的妄想みたいなことを書きましたが、なぜこうなり、これだけの被害を確認し、さらにこんな被害も想定している。よってこういう対応と救済を行って行きます、と明確には誰もいわない。もう丸1年以上たっているのに!小さな島国の日本が大きな犠牲を払ってまで何故、原子力の脅威を未だに世界に知らしめなければならない?
それから橋下市長。選挙圧勝の余韻だと思いますが、JR大阪駅裏の再開発であそこはホールだけがある森にしたいの発言はうかれ過ぎです。歴史ある大阪フェスを潰しておいて。
東京医療的ケア研修会
正しい知識を学びましょう!
社会福祉士及び介護福祉士の法改定に基づく研修と被災地支援事業
○日時・2012年6月16日、(土)午後1時30分~4時30分
○6月17日、(日)午前9時30分~11時45分
会場・ホテル・グランドヒル市ヶ谷
内容・16日・新法制度下のかく痰吸引等医療的ケアの実態報告・かく痰吸引等ヘルパー研修事業紹介・さくら会モデル
17日・法制度の概要と質疑応答、厚労省・高木専門官当事者、専門職による課題整理と提言
先日起こった茨城県の竜巻災害!予測の難しい自然災害ですが、局地的に大きな被害を出しました。その中で、hideも事務局員としてひっそりと名を連ねる、バクバクの会・人工呼吸器を使う子の親の会の会員、ひと家族が被災されました。幸いにも、家屋の被害は軽微で、竜巻の後に起きた停電にも、人工呼吸器を止めることなくクリアーされ、翌日には病院に避難入院されたそうです。バクバクの会では会員に呼びかけ、支援カンパに取り組むことが役員会で決められました。本当に、日本列島は、自然災害列島ですね。なにが起きるか分かりません!
以上。
ヒデの救援レポート、2012年・5月21日
ヒデの救援レポート、2012年5月21:71
日本全国で、全ての原発が停止した5月6日。関電が今夏の電力不足を喧伝し、原発再稼動の恫喝に奔走する日の読売新聞に、計画停電を導入する事柄に課題を見つけ、医療的ケアを人工呼吸器など必要とする障害者市民の声が掲載されました。医療的ケア連絡協議会代表の折田涼さんが写真入りで、計画停電への異議意見を発表しました。
読売新聞5月6日社会面
全原発停止停電おびえる命
人工呼吸器電源確保に苦心
国内の全原発が発電を停止した5日、西日本の各地では、消費者から不安の声が上がる一方で、この機に電力問題を考えようという動きもみられた。病気を抱え、電気を使う機器を装着して在宅療養する患者にとって、停電への危機感は強い。人工呼吸器をつけた子どもの親でつくる全国組織バクバクの会の折田みどり事務局長(50)によると、呼吸器の内蔵バッテリーは長くて10時間、たんの吸引器は内蔵バッテリーがあっても20分~40分しかもたないという。長男の涼さん(23)は脊髄性筋萎縮症で、24時間人工呼吸器を使いながら大阪府池田市の自宅で暮らす。停電時に備えて外部バッテリーを用意しているが、折田さんの問いかけに対し、涼さんはまばたきで経験したことがないので不安と明かした。
停電が長期に及ぶと、自家発電機のある近くの小学校に避難して電源を確保しなければならない。折田さんは計画停電をするなら、正確な情報がほしい。関西電力や自治体は、人工呼吸器の使用者がどこにいるのかを把握し、必要な人にバッテリーを貸し出すなどの仕組みも作ってと訴えた。
産経、読売、毎日の各紙に掲載されましたが、その中の5月3日の朝日新聞大阪版から。被災障害者支援野崎観音で催し きょう・あす菊水丸さんら
阪神大震災以降、被災地の障害者の支援を続けているNPO法人ゆめ風基金・事務局・大阪市・が3、4の両日大東市野崎2丁目の慈眼寺野崎観音で、東日本大震災の被災地への支援イベントを開く。開催中ののざきまいり8日までに合わせた。
ゆめ風基金の活動を支援する芸能人が参加する。3日午後3時から、河内家菊水丸さんが河内音頭を披露。4日午後1時からは、桂文福さんと腹話術師の千田やすしさんが登場する。
また、境内にある野崎観音会館では5日までの午前10時~午後4時に、救援活動のパネル展3、11東日本大震災・そのとき障害者に何が起きたか!も開かれている。無料だが、会場に募金箱を設け、支援を呼びかける。
問い合わせはゆめ風基金06-6324-7702
同じ朝日新聞に掲載された囲み記事 室井佑月さん
放射線量国は隠した
作家の室井佑月さん(42)は法制化の動きに大きな問題を感じている。やっぱり国は、都合の悪い情報を出さない。福島第一原発の事故を経て、そんな思いを強くしたからだ。
東日本大震災当時、両親が福島と宮城の県境に住んでいた。震災疲れで寝込んだ母当時(78)は死ぬ前に孫の顔が見たい。政府は直ちに健康に影響はないと繰り返すが、長男(11)を連れていくのは不安だった。福島入りした雑誌記者から風向きによって放射線量を測るガイガーカウンターがピーピー鳴ると聞かされていた。
結局、不安なまま母の元へ。この経験から、線量計を1台16万円で手に入れた後の昨年7月、同じように悩む母親らを助けたいと、友人と放射能測り隊を結成した。インターネットで希望を募り、昨秋まで関東や東北の学校、公園で放射線量を測った。
放射性物質の拡散を予測するシステムSPイイ DIの情報は、原発事故後10日以上も国民に伏せられていた。国は混乱を招くと言うけど、高線量の方に逃げちゃった人もいる。避難に使える情報を、隠してたんだよ。
名古屋、社会福祉法人自立の家の提言の中から
地域住民との協働と支援の舞台づくりねらい
地域防災力、被災時の受援力を高めることを目標に、災害時要援護者自身が参加し、当事者の立場で検証する仕組みをつくる。住民相互が連携した地域防災力の強化。避難所での暮らしにくさや避難生活における困難は障害者特有の問題ではなく、誰にでも起こりうる共通のことであるが、日頃の人間関係が希薄な中では排他的になる傾向がある。
また、地域住民や地域の事業所の中には、保健、福祉、医療、建設、エネルギー燃料などの専門性を有する人材や専門業者もいることから、これらを発掘し、いざという時に連携できる仕組みを作ることが重要である。
そのために、地域の防災力、被災時の受援力を高めるためのさまざまな地域防災プログラムを通して、要援護者支援に関する人材の育成と協働を行うこと。
要援護者の疑似体験だけではなく、要援護者自身が参加し、弱さの情報発信を通して地域全体の課題として共有する。ワークショップを通して、地域住民主導による要援護者マップの作成や要援護者搬送訓練を実施すること。
また、避難行動期の救護、避難支援という短期支援だけでなく、避難生活期における長期支援の視点を取り入れる。要援護者と避難支援者民生委員等、地域の民間企業、福祉サービス事業所合同による避難訓練、避難所開設宿泊訓練を実施すること。
避難訓練では、より多くの住民が参加できるような工夫と、安否確認全戸声かけ訓練を取り入れることや、災害時の危険箇所や資源となる箇所を確認できるような取り組みディIJ、タウンウォッチングを取り入れること、
また、避難生活の混乱を学ぶための体験会、間仕切りセットの組み立て体験、避難生活を支えるグッズの紹介など避難支援プログラムの訓練を実施すること。避難生活プログラムでは、本番さながらに住民の自主管理、自主運営ができるよう構造化しない体験学習を取り入れること。地域の避難訓練へ高齢者、障害者、乳幼児も参加し、避難できるかどうかの点検を身体で覚える形で実施する。地域住民に広く参加を呼びかけるとともに、災害時要援護者となりうる人、日常的な支援は必要ではなくとも停電等環境が変わると要援護状態になる人への要援護者リストづくりも同時に行う。
日常的に福祉サービスを利用していない人は、災害時には自分が要援護者になるという自分の問題への引き寄せと周囲の人にそうした存在がいることに気づいてもらう必要がある。
例えば、地域の避難訓練カリキュラム災害時に起こること、要援護とは、当該地域の避難所、救援物資、ハザードマップの確認、実際の避難訓練、振り返り…困ったことと今後に向けて各自ができる事前の用意地域住民と福祉サービス事業所との連携協定障害当事者団体や福祉施設・事業所など、要援護者やその支援に当たる人が共に参加することを通して、日常の地域の結びつき・支援関係の強化につなげる。以上
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は5月13日までに、230876514円です。
これまでに支援した団体、個人への金額は5月2日現在、東北へ、129999050円。台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円。フィリピン大洪水、10000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のhideの風景
ゆめ風基金に届いたハガキから
以前に支援金を届けた、被災地の団体の方からです。
ゆめ風基金様お元気にご活動の事と思っております。お久しぶりです。かみくり荘川向です。皆様方のおかげで、ベランダが使えて、嬉しくなって筆を取りました。私が集めていた記念切手を送ります。役立てて下さい。ベランダに立つたびに、ゆめ風基金さんの事がいつも心に浮かびます。本当にありがとうございました。お体を大切にして下さい。川向和枝
hideが長年、代表をさせていただいた、大阪府箕面市の豊能障害者労働センター機関誌積み木232号巻頭文より
この4月、設立30周年を迎え、振り返ると労働センターを支えてくださった数え切れない程多くの人の顔が走馬灯のように流れます。昨年はじめた畑事業は、石ころだらけの土を耕すことから出発し、風雨に耐え、暑さ寒さをのりこえて丸々太った丸大根、シャキシャキの水菜などが立派に育ち実りました。
現在、豊能障害者労働センターは、助成金が減額される中、大所帯を抱え、風雨に耐えている状態です。苦しいと言いながら被災地障害者支援を無理してしなくても、とご心配の声もありますが、苦しい時こそ内にこもるのではなく私たちから発信し、つながっていく行動が必要だと考えています。
これまで幾度となく危機を乗り越えてこられたのは、物心両面においてたくさんの方々が私たちを支えてくださったからこそです。非常に厳しい財政状況ですが、これまで応援してくださった方々に感謝を忘れず、事業を通じて継続的な被災障害者支援を私たちにできる形で続けていきたいと考えています。
失われたいのちの尊さを胸に刻みつつ、私たちもここから発信し、活動を続けていきます。どうぞよろしくお願いいたします。
豊能障害者労働センター
TEL072-724-0324
FAX072-724-2395
被災障害者支援グッズ・夢に風にガッツくんTシャツ、希望のガッツくんトートバッグ売り上げの10パーセントは、ゆめ風基金に届けられます。
ヒデの救援レポート、2012年・5月14日
ヒデの救援レポート、012年・5月14日:70
5月18日、ゆめ風基金機関誌発送作業を担っていただいている、発送ボランティアの皆さんと、軽く、発送作業終了後に、新事務所御披露目の懇親会を行います。
続いて、5月23日午後6時から、東日本大震災被災障害者救援本部大阪の会合がゆめ風新事務所で開催され、その後、午後8時から新事務所御披露目のささやかなパーティーを行います。どなたでも参加自由です。ぜひ、おいでください!参加費、おひとり1000円です!!
京都・花園大学・人権教育研究センター報第21号からの抜粋
連絡、TEL・075-811-5181、FAX・075-811-9664
原発事故を思いながら…I、K・センター委嘱研究員
僕には子供が二人いる。うちの子と同年代の子供たちが近所にいる。気心が知れてきたのか、和気あいあいとケンカもしながら仲良くしている。
新聞を開くとそこにある記事はあまりにも暗い。目をそむけたくなるような事件事故がある。これからの時代を健気に生きていくであろう子供達にとって、希望を感じる出来事があまりにも少ないように思う。
福島県での原発事故に注目している。福島県に住む人々の気持ちを想像する。特に子を持つ親の気持ちを。僕は、住み慣れた街を出ていかないといけない状況は耐えがたいことに感じ、現在も危機や苦難や危険が隣り合わせで継続する状況のなか、同じ日本という場所で、「原子力発電がないと日本の経済が電力不足で停滞する、経済の停滞により国際競争力がなくなる。そうすると失業者にあふれ、日本の国民全体に影響する」などの声が聞こえてくることに、違和感をおぼえる。
親としてなら、子を危険にさらしたくないと思うのが妥当の線と考える。原子力発電を肯定的にとらえる人々の中にも子を持つ親はいると考えるのが自然と思う。子はいなくとも孫・姪・甥、近所の子供など身近に感じられる機会はあるだろう。原発を肯定する人々は、身近にいる将来を背負う若い人たちのことを考えて原発が必要と考えているのか、安全に暮らすこと以上に必要なことがあるのかどうかなど思いめぐる。
妥当の線がみえなくなる。自然災害の延長で福島県で起きた原発事故に対して内省が働かないそんな感覚マヒの状態が自然となってしまっているのか?人が暮らしていく妥当の線はもうなくなってしまったのか?僕は、将来を託す子供たちに何ができるのか、遅まきながら考え始めている。
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、4月14日までに、227969836円です。これまでに支援した団体、個人への金額は5月2日までに、129999050円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
社会福祉法人AJU自立の家発行、被災地の障害者支援及び地域福祉底上げ事業報告書
42ページの被災地状況が詳しく掲載された報告書です。
編集は、災害時要援護者支援プロジェクトです。
連絡先・TEL052-841-9888、FAX052-841-3788
はじめに、からの抜粋
災害弱者に対する支援策について、国は「災害時要援護者避難支援ガイドライン・05年3月」をまとめ、これに基づき市町村は要援護者名簿の整備と避難支援プランの策定を進めてきた。
東日本大震災ではこれが全くといってよいほど機能しなかった実態が明らかになった。名簿については誰を載せるかという役所の課題の一方で、誰となら安心して逃げられるかという地域住民としての関係性、当事者側にも問われている。
個人情報保護法への過剰反応から、名簿開示に躊躇する自治体が多い中、発災時どういう基準でどういう手続きで開示すべきかも課題だ。その点、市民の生命と安全を守るため災害時における安否確認と支援ニーズの把握については行政の責任、実施にあたっては、障害団体や事業所と連携し速やかに行動する態勢が必要とするとした南相馬市の姿勢は鮮明だった。
概して被災地の自治体では、国や県に伺いを立てないと動けない姿勢が目立ち、阪神淡路大震災の時に比べ、現場の判断力や気概が低下しているとの指摘もあった。自立の家は、発災2日目から被災地支援活動を開始した。私たちもそうであるが、被災地の障害者支援にあたった団体は避難所を訪ねても障害者がほとんどいないと言い、不思議に思った。
避難所のリーダーも地元自治体の職員も障害者、要援護者の所在や安否を把握していなかった。安否確認と支援ニーズに関しては、無事を確認するだけでは完結しない。いわんや個別の支援ニーズは災害のプロセスの中で、また関わる人によっても変化する。支援者の感性に依存。避難支援ガイドラインは避難行動期を中心に描かれてきたが、避難生活期や復興期を含む長期的支援の視点が必要だ。災害ボランティアの出遅れと瓦礫撤去に終始し、個別のニーズに応えられない社会福祉協議会の実態も問題だ。
皮肉なことに、避難所への避難をあきらめざるを得なかった人こそもっとも支援を必要とした。福祉避難所は現在の設置基準では機能せず、入所と入院を勧めるだけの通過施設としての位置づけである。指定避難所への福祉コーナーの設置も議論されているが、大規模災害では一般の人ですら収容しきれないのが実態だ。先進例としては中越沖地震の際の福祉避難所の開設があるが、介護保険モデルの機能的支援のため、適応できなかった障害者がいたことも忘れてはならない。
被災した自治体の行政機能が損なわれたとしても、地元自治体のイニシャテイブがないと外部からの支援は困難だ。これまでの先進例の教訓からも、県がもっと前面に出て、被災自治体のバックアップに入る仕組みを考えないとダメだ。避難所というハコモノ施設に対する指定ではなく、避難生活支援センター、被災障害者支援センターなど、地域全体の避難生活を支援する拠点に対する指定に切り替えるべきではないか。
障害者をみたことのない人に、その支援は無理である。東日本大震災ではいくつかの団体が連携しながら独自に障害者支援を展開した。そうした実績のある団体に委託するなど、現場に権限と財源を与え、全国的広域的支援につなげるべきではないか。
1年が経過した今も、被災障害者の実態の把握がまともにされていない異常実態が続いている。対策の見直しを考える上でも、まずは被災障害者の実態調査が必要である。特に避難状況、避難生活状況、仮設住宅入居から復興に至るプロセスの把握をする必要がある。被災した市町村の大多数はそれがつかめていない。国が責任を持って実際に努めることが求められる。
その上での防災計画と災害弱者対策の見直しが待たれる。ガイドラインの見直しや今後の防災計画に、当事者参加と災害弱者の視点が盛り込まれるかが注目される。
平成24年3月
012年事業の概要
災害時要援護者支援への提言
全国的広域的連携センターかまいしにおける支援活動報告
災害時要援護者の避難支援検討委員会報告
災害時要援護者支援セミナー報告まとめ、以上
被災地障がい者センターいわてのブログより
久しぶりに釜石へ。昨日、被災地障がい者センターかまいし(名古屋自立の家)に、マグロウヒルカンパニーさんから寄贈していただいたラップトップパソコン2台を届けてきました。何かとおつきあいのあるセンターなので、顔見せもかねて、先月からセンターいわての活動に参加してくれている障害当事者の遠藤君も一緒に。このところセンターいわての活動は宮古を中心に動いているので、久々の釜石行きです。
早速、センター長の小山さんに届けたパソコンを確認していただいたところ、これはしっかりしたものだ、ありがとうございます!と、喜んで下さいました。センターかまいしは昨年秋のオープン以来、着実に地域の方々とのつながりを築いてきているようで、私たちがおじゃましている間にも、センターのお手伝いに来ている聴覚障害の方、入浴支援を利用しに来ている方など、地元の方々が入れかわり立ち代わりいらしてました。センターいわての活動でもお世話になった釜石の相談支援員さんもお見えになって、久しぶりにご挨拶ができてよかったです。
ホワイトボードの予定を見ても、なかなか多忙な様子。中には、センターいわてで関わってきて、センターかまいしに支援を引き継いだ方々のお名前もあって、きっちり支援が引き継がれてよかったなぁという想いと、今は自分たちが関わっていない一抹のさみしさと・・・ちょっぴり複雑な気持ちになったりも。勝手なものですね。
お昼時だったので、ちゃっかりカレーをごちそうしていただいてから(ごちそうさまでした!)、センターかまいしをあとにした私たちは、電動車椅子ユーザーの遠藤君に仮設のバリアフリー度をチェックしてもらうため、釜石平田総合運動公園の仮設と遠野の穀町の仮設に向かいました。後略
以上!
ヒデの救援レポート、2012年5月7日
ヒデの救援レポート、2012年5月7日:69
バス事故、山岳遭難、竜巻の記憶を残して、hideが1日しか休めなかった連休が去りました。またまた非日常の日常が始まります。
東日本大震災被災障害者救援本部
仮称いわてトライについて
目的
復興へ向けた要望活動・障害者を含めたまちづくりへのアピール活動。トライを通して当事者や支援者を集め、今後のいわての当事者活動の活性化につなげていく。
テーマ
復興にむけて、障害者が住めるまちづくり。ここに障害者がいますよ、復興は障害者も住める町を創っていこう、ということをテーマとし、取り組みを行う。
活動
行政への要望活動・沿道の市町村を訪問し要望を行う。・復興計画は、障害者も含めたまちづくりにすること。・介助制度を整えることなど。・避難所、仮設住宅、復興住宅など障害者が使えるものに。アクセスの要望活動・県北バス、低床バスの導入。・三陸鉄道、バリアフリー化を。・JR東日本、バリアフリー化を。バリアフリーチェック・沿岸部のお店などを訪問し、バリアフリーチェック。市民を巻き込んだイベント・沿道のポイント、ポイントで市民を巻き込んだイベントを企画する。・宮古、釜石、大船渡、陸前高田など。
期間
7/29(日)~8/11金曜日・7/29に宮古市田老地区スーパー堤防をスタート。
8/9に陸前高田市一本松付近でゴール
8/10盛岡にいき、岩手県庁、県北バス、三陸鉄道、JR東日本を訪問し、要望書提出。コースと宿泊・宮古市ー陸前高田市、約100キロ・被災した沿岸部を歩く。
宿泊は、野宿、避難所、各地の拠点釜石などに泊まる。・流れに応じて自由で楽しくできるように、野宿も1/3くらいは取り入れてみる。
マスコミ
できるだけ多くの人にアピールできるように、積極的にマスコミに取材してもらう。また、活動資金としての寄付も呼びかける。新聞、テレビ全社へ取材依頼。ドキュメンタリーなどを撮ってもらえるように依頼してみる。
実行委員会メンバー
被災地センターいわて、みやこのメンバー、CILもりおか。
当事者として核になる人が必要。CILもりおかが事務局を担当する。今川さんも実行委員をやりたいとのこと。岩手の当事者や健常者など実行委員を新たに新聞で募集する。会議・本部は盛岡とする。沿岸部の宮古などでも関わってくれる人を集め連携していく。週1回程度、盛岡で実行委員会を開き、企画話し合い、準備を進めていく。沿岸部の被災地センター釜石などとも連携をとり、一緒に運営していく。
地元実行委員会で運営する意義
救援本部や関西との関係
いわてトライは、基本的に地元実行委員会で企画と運営を行う。救援本部や関西は側面的サポートのみとする。地元が主体となって運営することにより、
1、新しいメンバーを集め、
2、実践を通じて運営力を身につけ、
3、トライ後の岩手の当事者運動につなげていく。
救援本部や関西のメンバーは、あくまでも上記についてアドバイスするというスタンス。地域を変えていくことはそこに住む人にしかできない。他地域のメンバーがやってしまうと、実践する機会が奪われ、トライ後は何も残らなくなってしまう。
いわては岩手のメンバーで変えるという主体性がこのイベントの成功の鍵。
運営費
マスコミを通じて寄付を呼びかける。
宿泊は野宿や、無料で泊まれる場所にして、経費はできるだけ押さえる。
今後の進め方
企画書作成・タイムスケジュール案作る。→佐藤作成。・4/30日に再度会議を開く。障害当事者で核になる人が必要。誰ができるか考えてきてもらい、話し合う。そこで最終的に実施するかどうか決める。→4/10に川畑さんから連絡があり、CILもりおかが実行委員会を担う方向で検討しているとのこと。以上
これまでのトライについて日本でのアクセス運動
1986年~95年まで日本で開催。
大阪から東京まで野宿しながら歩き、沿道の駅によりバリアフリー化を要望。
マスコミ取材を積極的に受けて、アクセスの問題を社会にアピールする。
これ以降も、東北や福岡~東京などでも開催。
日韓トライ・2001年7月~8月。
釜山から北京まで20日くらいかけて歩き、沿道の駅や、2002日韓ワールドカップのスタジアムを訪問しバリアフリーチェックをした。
アクセスのアピール・日本メンバーと韓国メンバーで運営
Asiaトライ
メインストリーム、夢宙センター、ばあとなぁの3団体で支援しているアジア6カ国・パキスタン、ネパール、カンボジア、台湾、韓国、モンゴルのメンバーが集まり、2年に一度、アジアの国でトライを開催。
テーマは自立やまちづくりなどその国の状況に合わせて決める。
2007年Asiaトライin韓国
2009年Asiaトライin台湾
2011年Asiaトライinモンゴル
うちなートライ
沖縄での条例づくりの運動で、トライを開催。離島等を巡り条例づくりのためのイベントなどを開催。
トライの活動・当事者と健常者が一緒に運動する。
沿道を歩き、野宿をするというスタイル。若者の旅。・主催は実行委員会。費用は自分たちで集める。Tシャツ販売、企業からの協賛金など。社会にアピールすることも活動の柱として、できるだけマスコミも活用。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、4月14日までに、227969836円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、5月2日までに、東北関連で、129999050円になります。
台風12号関連、2942828円。
フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
ゆめ風基金の理事のおひとりの馬垣さんが関わっている、大阪府吹田市のぷくぷくの会の機関紙・まねき猫通信117号の記事。
新聞の作り方88、石塚直人さんからの引用。
連絡先・吹田市南高浜町1番17-2号
TEL・06-6317-5598-FAX・06-6317-0936
各社総力戦の3・11朝刊・大きく二つ分かれた社説・全文ルビ付き
あの日から1年が過ぎた3月11日の朝刊紙面。各紙はそれぞれ、この1年を振り返り次代を見据える大量の記事を載せた。戦後ならぬ災後の言葉も生んだ歴史的な大災害を再点検する特集記事は、各社の総力戦の趣を呈し、被災地の苦難に寄り添おうとの姿勢がうかがえた。
ただ、社説は大きく2つに分かれた。脱原発を明確にしたものとそうでないものと。京都新聞は、経済優先の・あの日・以前に、なし崩し的に原発を戻すようなことは許されないと書き、原発再稼働に前のめり気味の野田政権を批判した。原発によって、エネルギー浪費型の社会になっていなかったかとも問いかけた。
東京新聞の「私たちは変わったか」は、雪の福島で印象深い二人に会ったと説き起こし、彼らの口を借りて地域の願いに冷淡な国の現状を照らし出した後、被災地の人々は変わったけれど、そうでない人々は変わらないという事態を恐れます。原発に頼らない国を創る。核なき世界を目指す…とした。深い内省に裏付けられた、格調高い文章だ。
被災者の肉声に耳を傾け、原発に依存してきた自分たちを問い直す謙虚さが、この日の社説には欠かせまい。政府や住民に高みから注文をつける、例えば読売社説の感覚に違和感を持つ所以である。ドイツの脱原発を決定的にしたのは、福島の事故のような危険を後世に引き継ぐことは倫理的に許されないとの判断だったとされるが、同社などが原発再稼働を説く記事には、経済の視点こそあれ、倫理のそれは見当たらない。
福島県田村市にあるNPO法人ケアステーションゆうとぴあから、素敵な機関誌あくせすが発行されています。原発事故、放射能情報、被災障害者情報が満載された、内容のある冊子です。その98号の編集後記から
東日本大震災から1年が過ぎました。福島県では地震、津波、放射能汚染に加え政治、行政不信が生じた。この間の時間感覚にもマヒを感じます。この時間の経過と共に、地域に留まった人にも、地域から避難した人にも疲弊と想定外のことが生じています。復興コミュニティー絆など、これまで人、家族と地域に必要なキーワードが今では、分断を意味する隠語に。
先日沖縄を訪ねました。地元野菜等を当所に送っていただいた方々へのあいさつとお礼を込めて。基地を押し付け られた沖縄と原発を押し付けられた福島に共通するのは被害者と連帯感。
NPO法人ケアステーションゆうとぴあ
福島県田村市船引町字山ノ内129-8
TEL&FAX・0247-82-5508 以上