現地のボランティア活動に参加して

 先週一週間、被災地障がい者センターみやぎでボランティアをさせていただきました、藤本です。
ようやく慣れてきたころに帰る日になってしまい、帰りの新幹線の中で、何もできなかったという思いと、向こうにたくさんの人を残して帰ってきてしまったという罪悪感でいっぱいになりました。 
 現地では市役所や町役場に足を運ぶたびに、地元との対応の違いに戸惑いました。また、仮設住宅やご自宅を訪問した際に、障がいのある方のご家族の、「自分たちでこの子を見なければならない。他の人たちには迷惑を掛けられない。」という思いが垣間見え、どうすればいいのか悩んだこともありました。ボランティア最終日の前日に、八幡さんが、出すぎず離れずの距離感が大切だということ、一度引くことでサービスを広げることができるということ、社会資源・地域全体を見ることが大切だということをおっしゃっていました。
 県外の人がずっと残っているということは、復興にはほど遠いということであり、地元の人たちに返して行けるようにお手伝いすることが、私たちにできる一番の支援なのかもしれません。
 「被災地の人たちの強い心が復興のための大きな力になると思う。」
私が以前教えていた日本語学校の学生が、そう言いました。私も、その通りだと思います。
 京都に戻って来ると、被災地に行く前と何も変わらない日常が待っていました。ここで生活していると、地震の記憶が薄れていってしまうような気がします。でも、今、被災地で一生懸命頑張っている人たちの存在は、どんなときでも絶対に忘れてはいけません。今後、またいつ起こるか分からない地震に備え、今できることに取り組んでいきたいと思います。
一週間、ありがとうございました。
■□■□■□■□■□■□■□■□
おおつ働き暮らし応援センター”はっち” 
 おおつ障害者生活・就業支援センター
支援ワーカー 藤本 久美子

アメリカから届いた心

アメリカから届いた心
 先日、豊能障害者労働センターが開いた被災障害者救援バザーでゆめ風基金のことを知り、一人の女性が救援金を持ってきてくださいました。
 お話をうかがうと、その救援金はアメリカの支援学校からのものでした。
 息子さんが障害をお持ちで23年前にアメリカに行かれ、9年間アメリカに在住されていて、息子さんはその間カトリック教会系の支援学校に行かれていたそうです。そして14年前に日本に帰ってこられ、箕面市に住んでおられるということでした。息子さんは現在箕面市の老人保健施設で働いておられるそうです。
 今回の震災で、息子さんが学んだ学校や当時の友人たちから「大丈夫?」と心配するメールがたくさん来たそうです。
 自分たちのことをおぼえていてくれたことのうれしさやなつかしさから、ご一家が久しぶりにアメリカに行き、息子さんが学んだ学校に行くと、写真のような大きな募金箱が置かれていたのでした。
 今回の震災で世界中が日本のことを心配し、支援の輪が広がっていることはテレビ、新聞などの報道で知っていましたが、まさか自分たちのことを紹介しながらこの学校で募金活動をしていたことと、そしてなによりも自分たちのことを隣人として友人として覚えていてくれて、思いを馳せてくれていたことに涙がでるほどうれしかったそうです。
 そして日本に帰国し、このお金をどこに届けたらいいのかと思っていたところに箕面の豊能障害者労働センターのバザーでゆめ風基金のことを知り、アメリカの友人たちの思いに応えるのはここしかないと思われたそうです。
 
 わたしたちはこのお話を聞いて、グローバルな経済や巨大なインターネットによるのではなく世界のいたるところで、時には銃声がひびく地であっても、時には乾ききった大地で飢えに耐える地であっても、この世界の大地に生きるひとりひとりのこどもたちやおとなたちの小さな声と小さな手がつみかさなり、つながっていくことによって、世界がつながっていることを強く感じました。
 わたしたちの活動もまた被災地へとつながりながら、世界の大地と海と空へとつながる心を大切にする活動であることを、あらためて自覚しました。
 たしかに、この地球はこの大地はこの海は、今回のような理不尽な暴力でわたしたちを痛めつけ、たくさんの命をうばい、たくさんの幸せをふみにじりました。
 けれども、わたしたちがこの地球で生きていかなければならないとしたら、この地球の無数の小さないのちがつながり、助け合い、共に生きることでしか幸せに近づけないこともまた、たしかなことではないかと思うのです。
 そのことを教えてくださったみなさんに、心から感謝します。
 学校がよびかけたメッセージを日本語に訳してもらいましたので、いっしょに掲載します。
                                                                   細谷常彦
日本へ義援金を送ろう!
以前、本校に在籍していた北出谷浩多は、現在は家族と共に日本に住んでいます。
北出谷ファミリーは、地震・津波が襲った地域から離れた地域に住んでいるので無事でしたが、非常に多くの人達が被災し、今でも膨大な援助を必要としています。
5月末に浩多が両親と共に訪米し、本校を訪問します。
5月いっぱい本校で義援金を集め、浩多を通して、緊急な援助を必要としている人達の為に寄付することに決定しました。
学校の事務室に大きな広口ビンが置いてあるので、1セント玉(5セント玉、10セント玉、25セント玉でもOK)を子供たちに渡して下さい。
たとえ1セント玉でも、沢山集まれば、まとまった金額になります。
子供たちが持参した義援金を広口ビンに一度にざっと入れられるように、コインを封筒、ビニール袋、又は容器に入れて渡して下さい。
勿論、期間中に何度でも寄付して下さって結構です。
ご協力、よろしくお願いします。
フェリシアン特別支援学校 スタッフ一同
アメリカから届いた心

青梅で行ったチャリティー展&ライブが、終了し、本日送金しました。

青梅で行ったチャリティー展&ライブが、終了し、本日送金しました。
総額で498,150円になりました。展示、ライブともに好評のうちに終わることが出
来、ホッとしました。少しでもお役にたてば嬉しいです。
本当に皆さんのおかげで予想以上に支援することが出来ました。
ありがとうございました。
個展のご案内などございましたらお送り下さい。
また、お近くにお越しの際はお寄り下さい。
井上様から~

とっておきの音楽祭

とっておきの音楽祭・仙台が6月4日、5日に開催されました。
 6月4日は前夜祭「神戸~仙台ゆめ風コンサート」が市内のホールで行われ、ゆめ風呼びかけ人のさとう宗幸さん、加納浩美さんのほか、穴澤雄介さん、鼓楽衆「翔」さんが出演、会場には「絆」の旗が飾られていました。会場に元実行委員メンバーで自宅も家族も亡くしたという方が「じっとしておれなくて来てしまったの」と立ち寄られたのですが、お話を伺ううちに音楽祭は10年のうちに参加した人々の「ふるさと」になっているのかもしれないと感じました。
 5日の「とっておきの音楽祭」は市内30カ所に路上ライブステージが設けられ、およそ298団体と500人のボランティアが参加してスタート。参加者の半数が障害者で、どの会場にもアクセスしやすく、随所に配慮の行き届いた手作りのストリート音楽祭で、今年が11回目の開催。朝から、公園や商店街、車道の緑地帯でプロもアマチュアもひとしく30分づつの演奏がくり広げられ、仙台のまちが巨大な音楽ホールになったようでした。
 3月11日の大災害で実行委員や参加者のほとんどが被災し、家族、友、家、仕事、ふるさとを失った人も少なくない中で開催が危ぶまれましたが、参加者や市民の声に押されて実現にこぎつけました。市役所前の市民広場をはじめ、会場はたくさんの人出で、大勢の市民が本当に心待ちにしていたことがわかりました。
ゆめ風基金呼びかけ人の小室等さん、小室ゆいさん、李政美さん、加納浩美さんも参加されましたが、聴衆の表情はうっとりと本当に嬉しそうで、改めてライブの力を感じました。
 フィナーレ会場の野外ステージに小室等さんとゆいさんが登場する夕刻には、会場は黒山の人だかり。「誰かが風の中で」の終盤「さ~今、銀河の向こうに飛んでいけ!宇宙に・・」の歌声が仙台の空高く広がりました。
 みやぎ、いわての被災地障がい者センターから障害者、ボランティアが大勢参加し、会場に相談窓口を設けて障害者の相談に対応しました。
 夜は「たすけっと」で交流会が開かれ、小室等さんゆいさんも参加、被災地障害者センターいわての今川さん、センターみやぎの及川さん、井上さん、杉山さん、ボランティアなど総勢20数人で意見交換しました。小室さん来訪に一同大感激でした。
さとう宗幸さん
地元仙台在住のさとう宗幸さんはゆめ風基金の呼びかけ人でもあります。「青葉城恋歌」などのヒット曲の他、仙台にゆかりの歌を熱唱しました。
加納浩美さん
神戸市在住の加納浩美さんはゆめ風基金の設立の時から応援してくれているミュージシャンで、オリジナル曲の他、ゆめ風基金応援歌「伝えてください」を歌いました。
小室等さん・小室ゆいさんストリート
被災地の市民の顔、顔、顔。熱気あふれるストリートでの小室等さん・小室ゆいさん。すぐそばのひとに語りかけるように歌うお二人のやさしくも熱い歌が流れます。
李政美さん
李政美さんもゆめ風基金の呼びかけ人のひとりです。ゆたかな声量と透き通る歌声、その包容力のある歌は聴く人を勇気づけてくれます。
小室等さん・小室ゆいさんストリート
音楽祭のフィナーレで小室さんは「サーカスの歌」、「誰かが風の中で」を熱唱しました。
打ち上げ たすけっとにて
小室等さん、小室ゆいさんは被災地障がい者センターみやぎの事務所であるCILたすけっとに来てくださいました。仙台の仲間、ゆめ風基金の事務局スタッフといっしょに記念写真を撮りました。

復興支援 特別シンポジウム

=復興支援 特別シンポジウム=
        共生型の社会を探る
     ~被災地の未来と、支え合う地域づくりを共に考える~
 グローバリズムの暴風雨が吹きすさび格差と貧困がますます拡大する社会にあって、生きにくさを抱える人たちを包摂する「切らない・分けない地域」を創っていくために、多くの制度・施策を動員していくことが必要となっています。
とりわけ、未曽有の被害をもたらした今回の東日本大震災によって、私たちの社会が長年紡いできたセーフティネット網が容赦なく寸断されるなか、痛む人々の暮らしを支え地域の復興をめざす取組みの中から、被災地と、そしてこの社会の未来の希望を見出していく営みが待ったなしで求められています。
 震災から3ケ月を経過し、多くのNPOによって被災地支援の活動が関西からも多彩に取り組まれ、さまざまな経験が市民の手に蓄積されてきています。こうした新たな経験とセーフティネット網をつなぐため、これまでの市民の活動をつなぎ合わせながら、具体的な地域づくりに活かしていくことが求められています。
 今回、復興支援のための特別シンポジウムとして、元「派遣村」村長であり、現在は、内閣府・震災ボランティア連携室の室長として被災地復興や地域再生の取組みの中心に立つ湯浅誠さんをお招きし、最前線の現状・課題・展望などをお話しいただきます。
 さらに、この間、関西でさまざまな経験を積み重ねてきた皆さんと、これまでの蓄積を私たちの未来にどう活かしていくのか、共に探っていきたいと考えています。 多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
<日にち>   2011年7月2日(土) 13時半~17時 (※13時開場)
<開 場>   大阪市立浪速区民センター 
          ※最寄駅:地下鉄千日前線「桜川駅」
           (7番出口からなにわ筋を南へ約300メートル西側)
          ※地図等:http://www.osakacommunity.jp/naniwa/index.html
<資料代>   1,000円
<タイムテーブル>
●13:30~13:45  開会あいさつ
●13:45~14:45  基調講演  湯浅 誠 さん
(内閣府参与 社会的包摂推進室長/震災ボランティア連携室長、元「派遣村」村長)
●14:45~15:00  休憩
●15:00~16:45  パネルディスカッション 「被災地の未来と、支え合う地域づくりを考える」
 パネラー   湯浅誠 さん                                    
勝部 麗子 さん(CSW。豊中市社協 地域福祉課長)
        齋藤 縣三 さん(NPO法人共同連 事務局長)
        有井 安仁 さん(わかやまNPOセンター 副理事長)
コーディネータ  法橋 聡(近畿ろうきん地域共生推進室 室長)
●16:45~17:00  閉会
<主 催>   NPO法人 共生型経済推進フォーラム
<協 力>   近畿ろうきん地域共生推進室 (予定)
<申し込み>  メールにて、氏名・所属(職業)・連絡先(電話番号他)を沿えてお申し込みください。
          e-mail : kiranaiwakenai@yahoo.co.jp
          ※お申し込みいただいた個人情報は、本シンポジウムの運営についてのみ使用します。

街頭募金にご参加、ご協力をよろしくお願いします。

 今週の土曜日、街頭募金を行います。
 震災から3ヶ月を過ぎ、テレビなどの報道も少しずつ変化してきていますが、震災直後も現在も、障害者の情報はとても少ないことも事実としてあります。被災障害者の支援活動に参加された方々のお話を聞くと、まだまだ初期の救援活動が必要な他、これからの復興に入る過程で、たとえば仮説住宅がバリアフリーになっていないなど障害を持つがゆえにより困難になってしまう現実があります。
 息の長い支援と共に、共に生きる社会をつくりだすことが求められていると思います。
 関西からは遠く離れた地域のように思われますが、わたしたちみんなの問題として小さなことを積み重ね、被災地の障害者の心に届く活動を続けて行きたいと思います。
 そんなわたしたちの思いを形にかえる大切なひとつの方法として、街頭募金があります。
 どうかみなさん、今週の土曜日の街頭募金活動にご参加いただきますよう、よろしくお願いします。
6月11日(土)午後1時~午後5時 大阪なんば高島屋前

ヒデの救援レポート5月23日

おわび
河野秀忠氏の「ヒデの救援レポート」をしばらくブログに掲載できませんでした。もうしわけありませんでした。ある読者のご厚意により、過去のレポートを送っていただきました。古い情報ですが貴重な記録ですので掲載します。
==ヒデの救援レポート5月23日18=================
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、5月14日までに、133263061円。5月16日までに、134610457円。5月17日までに、135371157円。5月18日までに、142978015円。5月15月19日までに、144275799円です。
5月14日に行われた、被災障害者救援本部おおさかの統一共同カンパ活動には、11団体、60名が参加。集まった金額は、122853円でした。これまでに支援した団体、個人への金額。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ボクが住まいする街は、5月14日に開催された、被災障害者救援大バザーの行われた、大阪北部の箕面市です。山々の緑に囲まれた、静かな住宅の街です。バクバクの会全国事務所もあります。その街にある、人権課題を担う市民組織で、市内のあらゆる住民団体が参加されている、箕面市人権啓発推進協議会という組織があります。ボクが恥ずかしながら、事務局長を努めています。その人権協が28日に定期総会を迎えるのですが、その場で提案される、議案活動の基本的考え方の方向の冒頭部分の抜粋を紹介します。
ガンバレ日本!ガンバレ東北!の居丈高な論調に異を唱えながら。
 2011年3月11日、突然、東日本が大震災に見舞われました。マグネチュド9、0という、観測史上最大の地震であり、その後の大津波の襲来によって、東北、関東地方は、壊滅的な被害を被りました。また津波被害を受けた福島県の原子力発電所6基が壊れ、高い放射能汚染が広がりました。被災地の広範性、被災者の数の多さ、死者、行方不明者が2万人を超えるのではないかと予想される現実の只中に、わたしたちは生きています。
人権の基礎である命が失われたのです。国内外の人びとの被災者支援、救援の輪が広がってはいますが、まだまだ混乱に満ちています。箕面市も被災地であった、16年前にわたしたちが経験した阪神淡路大震災と比較しても、被害のケタが違います。
 あの時には、日本全国、世界から多くの支援を受けました。それをわたしたちは忘れてはいません。今度は、わたしたちが踏ん張る番でしょう。被害の大きさ、放射能汚染の解消、ひとと街の復興には、10年単位の国家的再生計画が求められます。全ての箕面市民も感じているであろう、まさしく国難的状況なのです。本協議会も、全力を上げて救援活動に取り組んでいます。しかしながら、その支援活動は、1回や2回の単発なものであってはなりません。息の長い長期に渡る支援活動でなければなりません。本協議会を構成する個人、団体が力を合わせ、あらゆる市民とつながりながら、人権再生の想いの元、本年度を東日本大震災支援の最初の年と位置づけ、長年に渡る誠実な支援活動を開始し、続けます。
 過日、ゆめ風基金事務所に、43歳になる頑丈そうに見え、ひとの良さそうな人物が、知人に紹介されたからと訪れてきました。そして、ボランティアの経験は無いけれど、身内に精神障害者がいるので、長期にひとの役に立ちたいから、被災地の救援活動団体を紹介して欲しいとのことでした。
これはまぁ、ラッキーと思ったのですが、話しを聞く内に、首をひねってしまいましたね。元は土木作業員をしていたが、手にケガを負って、重労働が出来なくなり、会社をクビになって、現在、失業中。生活保護を申請したけれど、若い頃に、ヤンチャをしていたことを理由に断わられた。現在、大津のアパートで暮らしているが、家賃を払えなくなっている。
 現地に行くのなら、短期はダメ。長期ボランティアを希望する。そのために、今のアパートを引き払うつもりでいる。このボランティアの話しがないと、ホームレスになるしかない。うんぬん。こちらから、行くにしても、交通費がいるし、食事費用も必要ですと話すと、解ったような、解らないような、ヘンな表情を見せたけれど、とにかく、現地の救援活動をしたいので、現地組織と連絡を取って欲しいと、連絡電話番号を書き置き、お帰りになったけれど、その電話がブリペイドカード用なんだなぁ。
 さて、どうしたもんかなぁと、事務所メンバーは、ハテナ印色に染まっております。結局、その翌日に、ボクから電話をかけ、丁寧に、申し出をおことわりしましたが、やっぱり、ハテナでしたね。
 ゆめ風基金事務所の前の道路沿いにある並木の根元に、一本の小さな薔薇の木があります。ご近所の方が植えられたのでしょう。その薔薇の木に、5輪の真っ赤な薔薇の花が咲きました。少し小さめですが、とても綺麗で可憐に、初夏の風に吹かれて、揺れています。
その光景が、被災地のガレキの中で咲いている、名も分からない小さな花の映像に重なって、自然は、猛威もふるうけれども、優しさも届けてくれますねと。
東日本大震災障害者新潟支援センターからの報告からの抜粋です。
 ここまでに至った経過として、3月にゆめ風基金の八幡理事が私たちの事務所に立ち寄ってくださったことが大きなきっかけです。ホテルに避難中の田村市の皆さんとお会いし、その思いを受けとめたいとできることを話し合ってきました。
 一連の支援を通じて感じたことは、今回避難されてきた方達は原発事故による放射能汚染の影響を心配している方が多く、新潟で暮らしたいというよりも地元に戻りたいという当然の願いを持っていらっしゃることから、日々揺れ動く心の葛藤は大きいものがありました。少し落ち着いて田村市に戻られましたが、放射能の影響による不安は続いています。最悪の場合、北陸ルートを通り避難しなければならず、新潟で暮らすというよりもさらに西に避難を余儀なくする可能性もあります。私たち新潟市に住む者もひと事ではありません。
今回は避難施設とマンパワーが大きな課題でした。新潟市内の支援体制として現在の避難所は大型体育館4ケ所中心で、保健師や行政が24時間体制で常駐しておりましたが、介護が必要な方のための環境が不備でした。福祉避難所は老人福祉センター1ケ所のみだったことも、今後の課題だと考えております。
 尚、4月には、福祉避難所には、1世帯のみ避難されている新潟市に避難されてはどうかということを提示しましたが、1ケ所にまとまって避難できる提案を今回できず、自立生活センター新発田が管理してきた一軒家がその条件に合って、その一軒家に4月から移ったのです。
 新発田市内で確保した一軒家は、広くて障害を持った方、ヘルパーなど10人くらいは過ごせると思います。入浴設備やトイレの設備が不便なため、この度ゆめ風基金の支援を受け、南相馬市、田村市の方達のために浴室の改修費用を助成していただきました。避難されてくる場合、住民の確保はもちろんですが、人材の確保も必要でした。避難されてきた方達がヘルパー資格を持っているとは限りません。私たちの団体は昨年重度訪問介護事業の研修実績がありました。本年度も、重度訪問介護事業の研修を何度かして、20時間の研修で重度の障害を持った人を支援できる人材育成の試みをしていきます。
 以上のことを課題として、5月には仙台市のたすけっと、郡山市の救援センターを訪問し、北陸から福島への支援の拠点として、また、避難する際の新潟の役割を話し合っていきたいと思います。ゆめ風基金のご支援を受け、さらに、長期的かつ継続的な支援ができるよう新潟で取り組みます。
ポテトファームの佐野さんからのレポートからの抜粋です。
 放射線検知器の脅威の数値。一分間でガイガー管に飛び込むベータ放射線の個数の通常数値を25カウントとします。滋賀県の平均数値です。南相馬市に入ると100カウントを超え、時折、アラームが鳴りました。アラームは、99にセットしてあります。県道62号線山道にさしかかり、高の倉ダム付近では、計測ごとに、約100カウントずつ増えるという、信じられない現象が起き、一時1000カウントを突破。道として迷ったことに加え、生きて帰れるのかと心細くなりました。
ようやく二本松にたどり着き、100カウント台に数値が下がると、ほっとしました。先日、二本松インター付近で、150カウント台を表示されたとき、恐ろしい思いをしたのに、1000カウントに遭遇すると、100や200カウントでも安心するという、人の心理は複雑です。今回、標高が高く、特定の地域に高濃度の放射線が存在する、いわゆるホットスポットの存在を実感しました。うううううひとりじゃないよ!
信じあい、助けあいながらふくしま支援センターニュースつながりナンバー2被災地障害者支援センターふくしま発行よりの抜粋
 震災から1ケ月以上過ぎましたが、福島県は原子力発電所の事故のこともあり、不安の中生活しております。住民のみなさんは、肉体的な疲れと共に精神的なストレスも徐々に溜まってきています。私たち被災地障害者支援センターふくしまは、現在、福島県内の避難所の障害者の困っていることを聞いて行政や相談支援員に回す段階にきています。今後は、避難所にも入れずに、他のつながりがほとんどない在宅の障害者支援と労力と時間のかかる活動もしていきます。先日、NHKや新聞で支援できるが紹介され、相談の電話も増えてきています。今後も支援の輪をもっと広げて、障害者のみなさんの支援に全力で取り組んでいきたいと思います。
調査累計。障害者支援事業所39ケ所、避難所152ケ所、個別相談対応108件、電話相談22件、4/14まで。避難所からの声自治体では避難所にいるすべての障害者の状況、人数について把握がむずかしく、当支援センターも避難所の障害者の状況とニーズ、困りごとを調査してきました。調査して上がってきた問題点。食事の栄養が偏っている。プライバシーが守られていない。介護用品、薬が足りない。避難所から学校に通うための交通手段がない。入浴ができていない。聴覚、視覚障害者には、情報が入りにくい。トイレが使いづらい。などがありました。ポテトファームの佐野さんが、滋賀県から野菜ジュースとトイレットペーパーの差し入れを持って、支援センターに来て下さいました。全国のみなさんに支えられていることを、改めてスタッフ一同が実感しました。また佐野さんは、当支援センター内の放射線量を測定してくれました郡山市の放射線量が思ったよりも高いと心配されていました。以上!

ジャズボーカリスト Solaris Eiko(ソラリスエイコ)様からの手紙

日本ダウン症協会よりそちらを知りました。
ジャズボーカルをしておりますSolaris Eiko(ソラリスエイコ)と申します。
http://eikojazz.com/
5月末日に鳥取米子市へツアーへ行きました。
CDリリースライブや、重度障碍をお持ちの方がいらっしゃる療育センターでのコンサートもしてきました。
私は茨城県に住んでおります。
震災のときも茨城におりました。。。
お陰さまで家族はみな無事で家も大丈夫でしたが、
家の中は大変でした。
ライフラインも止まり、すごいショックでしばらくは。。。
今回のツアーでは、鳥取の皆さんがたくさんとサポートしてくださいました。
ツアーで頂いた募金とCDの収益全てを、そちらを通じて東日本大震災で被災された障碍をお持ちの方々に役 立てていただけたらと思っております。
http://ameblo.jp/eikojazz/archive-201105.html
私の息子はダウン症で生まれました。
昨年発売した私の初めてのアルバムは、
ジャズがお好きな方はもちろんですが、障碍、病気、介護などご本人、ご家族の方にも聞いていただけた ら。。。頑張りすぎた時に聞いていただいて、少しでも元気になるようなアルバムにしたいと思い作りました。
そしてボーナストラックには息子が作詞した「とびら」という曲も収録しました。
このCDの収益の一部は知的障碍を持ち音楽を楽しんでいる方のために役に立てたらと思い作ったアルバムで す。
「とびら」は息子が生死をさまよったあとに、紙にメモみたいに書いたものが「ふれあい囲碁」を推進している日本棋士院の安田泰敏九段の目にとまり、米子在住の全盲のシンガーソングライターの方に繋がって生まれた歌です。
一万年かかってお母さんとお父さんを見つけてこの素晴らしい世の中に生まれてきたという詩です。
息子は今はペースメーカーを入れて暮らしております。
「とびら」の詩はHPのチャリティー&ボランティアのページから読めます。
http://eikojazz.com/charity_volunteer.html
この“Life is Beautiful – とびら-”というCDのリリースライブで米子へ行きました。
地元の皆さんがサポートしてくださり、今回のお金が集まり ました。
今回のメンバーも紹介させてください。
ピアノ:川島茂  ベース:Jeff Curry  ドラムス:金井塚秀洋
郵便局から
募金 14832円
CDの収益 35500円 
計 50332円を振込ませていただきますので皆さんの思いをゆめ風基金さんと通じて被災された障碍をお 持ちの方々のお役に立てていただけたらと思っています。
参考までに、
7月2日に東京で行われますダウン症の方の芸術祭「The Gift」には息子がトランペットで出演します。そしてこの「とびら」は女優の戸田恵子さんが歌ってくださることになっています。
http://eikojazz.com/shop.html (とびらの試聴ができます)
The Gift
http://sera-group.sakura.ne.jp/toybox2/gift/index.html
障碍を持っている子どもの家族として、ゆめ風基金さんのような団体には感謝しております。これからも応援 しております。
また、
私で役に立つことがありましたらご連絡いただけたらと思います。
私のアルバムを贈らせていただきます。
ブレイクタイムなどに皆さまで聞いていただけたら嬉しいです♪
大変なおり
お身体ご自愛ください。。。
Solaris Eiko

「映画で共に生きる社会を」~被災地を取材した記録から

今週の末12日となりました
「映画で共に生きる社会を」~被災地を取材した記録から
 映像作家 今村彩子上映会&シンポジウム」
主催者のちまちま工房からの再度のご案内です。
こんにちは。ちまちま工房の永田千砂です。
いつもありがとうございます。
今週の末12日となりました
「映画で共に生きる社会を」~被災地を取材した記録から
 映像作家 今村彩子上映会&シンポジウム」
参加者募集の再度のご案内です。
今のところFAXでのお申込みが本当に少ない状態です。
ご参加当日券も発行いたしますが
下記へ加筆頂きお申し込みもできます。
どうぞみなさんご参加ください。
よろしくお願します。
***********************************
ちまちま工房 プロデュース vol2
6月12日日曜日のちまちま工房の企画
「映画で共に生きる社会を」~被災地を取材した記録から
 映像作家 今村彩子上映会&シンポジウム」
***********************************
●日にち 6月12日(日)
●時間 13:00~16:00
●場所:箕面文化・交流センター 8階 大会議室
●プログラム
第1部 下記映画同時上映(合わせて約50分)
聴覚障害をもち、社会起業家である映像作家の今村彩子さんが
被災地の取材された中から出来上がってきた
●被災地の記録「架け橋」その1
(多分、箕面が初めて上映されると思います。)
●「架け橋」その2
合計50分ほど
第2部 シンポジウム
「今私たちができることは~東日本大震災を取材・救援の報告から」
シンポジスト
今村彩子さん(STADIO AYA 代表)
古井正代さん(脳性まひ者の健康と生活を考える会 代表)
コーディネーター 永田千砂(ちまちま工房 永田千砂)
最後の50分ほど参加いただいた方々と一緒に意見交換や
議論を深めます。
**************************
お申し込み先 megane@chima-chima.com
お問い合わせ ちまちま工房 TEL072-735-7901 FAX072-724-0244

ヒデの救援レポート6月6日

==ヒデの救援レポート6月6日:22===================
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、5月30日までに、150947733円。5月31日までに、151464586円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 以前にお知らせしたように、5月31日、6月1日に、ゆめ風基金代表理事の牧口さんと、凸凹コンビで、2ケ月ぶりに、東京に出張りました。ふたりで、老々介護旅だねと。(笑)
 泊まりのホテルにチェックインするやいなや、ホテル内の中華レストランで、ふたりだけの、ささやかな宴会で、1日目はオシマイ。
 2日目は、牧口さんとボクの共通の友人で、大阪放送局にいたころには、障害者番組のきらっといきるを担当していた、NHKプロデューサーのひとと、お茶をして、NHKから放送している番組を、NHK間近のホテルの部屋で、エエオヤジがふたりして観ていると、不思議な感覚になるなぁとか、他愛もない話をして、じゃあ、またねと、12時きっかりに、介護タクシーに乗り込み、被災障害者救援本部東京の会議が行われる、戸山サンライズに向かいました。途中の窓外の風景には、平日にもかかわらず、街にひとが溢れていました。3月に来たときには、多くの人たちがマスクをしていたのですが、今回は、マスク姿をあまり見かけませんでした。人口が多いなぁと話し合いつつ、震災の怯えは、落ち着いてきたのかなと、思ったものです。それにしても 、狭い土地に建築物がビッシリ立て込んでいるけれど、緑が多く、初夏の風情が匂っていました。
 会議には、大阪救援本部の細井さん、被災現地からは、ゆめ風基金八幡理事も参加していて、中西本部代表、尾上事務局長の元、現地報告、諸般の報告と提案が、淡々ではない、ワイワイと議論されました。この報告は、別途、ぼちぼちとお届けします。凸凹コンビは、新幹線の時間があるので、午後3時半には、退席しなければならないので、それまでに、ゆめ風基金の方針と救援本部の方針に食い違いが生じないように、救援活動、資金提供、情報の確かさを調整する議論がされました。3時半には、休憩に入る前に、確認がされ、凸凹コンビは、またまた介護タクシーに乗り込み、品川駅に向かい、東京にバイバイしました。新幹線の窓外には、濃い曇り空が広がり、静岡を過ぎる頃から、雨に変わり、新大阪に着くと、じゃじゃ降りです。こうして、凸凹コンビの激烈な2日間がオシマイになりましたです。
 次の日からは、当たり前の救援活動、ゆめ風基金活動ですね。6月の被災障害者救援本部おおさかの統一共同カンパ活動は、6月11日、25日の両日。難波高島屋前で、午後1時からです。たくさんの団体、個人の皆さんのご参加を要請いたします。