みちのくTRY現地報告2
くわしくは被災地障がい者センターいわてのブログをごらんください。
8月23日 4日目
山田町の豊間根 島田鉱泉に泊まり45号まで車で移動後、みんながそろったところで出発しました。
牛小屋を発見!!
写真撮影会です。牛もびっくりしてこちらを見ていました。
この日は元々参加予定だった山田町在住の佐々木るみさんが、急遽家庭の事情で参加できなくなり、家の近くで応援に駆けつけてくれました。
山田町の被災地域を歩き終わり、歩道をテクテク進むと突然階段出現!!
来た道を戻ります。
その後歩道がなくなったり現れたり・・・
歩道が現れてもボコッと邪魔なものがあるため、歩道を歩くことができなくて、しばらく車道を歩きました。
4日目のゴール!!山田の道の駅
この後宿へ移動!!
8月23日 5日目
山田町コミュニティーセンターを出発
役場のとなりということもあり出発してすぐに山田町に要望書を提出。
この時も佐々木るみさんが参加してくれて、町長さんに要望書を渡しました。
前日のゴール(山田の道の駅)まで移動して再スタートしたました。
この日の宿は、大槌波板促進センター
震災後避難所になっていたところでした。
sakie
8月24日 6日目
大槌町波板促進センターからスタート!!
キレイな青空です。
でも歩くのには暑くてしんどいですね。
トンネル越えがある日です。
市長さんに要望書を受け取っていただきました。
釜石駅で交渉中・・・日が暮れてしました。
お腹がすいて宿に戻りお弁当をパクパク・・・
食後少々ピリピリ会議が行われました。
みんな協力して頑張ろう。
8月25日 7日目
釜石地域活動支援センターを出発
釜石にはセンターかまいしがあり、そこを通じての参加者もいました。
盛岡で活動しているときからつながりのある方もご兄妹で参加いただいたり、釜石の駅からは家族で参加されたりしました。
お昼休憩・・・釜石平田の仮設の中にあるサポートセンターで休憩してお昼ご飯を食べました。
ご飯のあとはアンダーパスのライブです。
振り付けもあったりしてみんなで踊って楽しみましたヽ(・∀・)ノ
内緒の話・・・
お茶の用意で、サポートセンターに残っていた私はサインをいただきました(^-^)。
夜は大船渡の吉浜拠点センター
何日か前にいただいた滝沢西瓜でスイカ割り大会!!
吉浜荘在住の方も参加されました。
8月26日 8日目
吉浜拠点センターで美味しい朝食をいただいて出発です。
峠越えがはじまりました。
お昼休憩は消防署を借りて一休み・・・
お弁当をいただきました。
坂を下り被災地域に入り『三陸町中央公民館』で休憩
そして地震・津波を想定した避難訓練
『三陸町中央公民館』から高台にある『南区公民館』でした。
みんな緊張感たっぷりで行動されていました。
避難までにかかった時間は11分くらいでした。
この日の宿は、この南区公民館です。
ここでは、センターおおふなとの千葉さんがバーベキューを用意してくださっていて、美味しいホタテやイカやお肉をいただくことが出来ました。
8月27日 9日目
大船渡市南区公民館から大船渡支所へ車で移動して出発!!
峠越えの前で休憩
大きな峠越えや狭いトンネルを抜けるので大忙し・・・
みんなで協力して峠越え
ごめんなさい。自分が歩くので精一杯でお手伝い出来なかったので、声を出してみんなを応援していました。
トンネルを抜けて一休み
その先下り坂でUピンカーブ!!
坂が終わるころお昼休憩になりました。
お昼は結婚式場のお部屋をお借りすることができて、汗だくのみんなで中華丼をいただきました。
漬物も付いていておいしかったです。
午後は坂道はなくホームセンターで一度休憩してゴール
ゴール!!
8月28日 10日目
もっとこまめに更新したかったのですが、歩いているとできませんでした。ごめんなさい
(支援のため宮古に帰ってきたので書いています。)
大船渡市福祉の里センターを出発しました。
どうやら忘れ物があったようで、先ほどセンターに連絡がありました(^_^;)
8月29日 11日目
私宮古の支援で事務所にいたため報告ができません。ごめんなさい。
北海道から事務所に届きましたトウモロコシを湯がいて杉田さんとトモヨさんが届けてくれましたので、皆さんきっと美味しくいただきました。
ありがとうございます。
みんな頑張っています。
明日はいよいよ陸前高田に入りますよ。
ゴールは近い!頑張ろー
ご協力していただきました皆様ありがとうございます。
ヒデの救援レポート、2012年8月27日
ヒデの救援レポート、2012年8月27日:84
河北新報7月18日版の記事より
被災者の心に癒やし 仙台・精神障害者らのピア・サポート
電話相談・集い開催・障害の有無超え悩み共感
仙台市内の精神障害者らが東日本大震災後、被災者の悩みを聞く電話相談を行ったり、語り合う集いを開いたりしている。精神に障害がある当事者同士によるピア・サポートは震災前から行われていたが、うつや不眠などの経験を基に、障害の有無を超えた新たな支えあいを目指している。
震災後、自分たちも何か被災地の役に立つことをしようと、仲間と電話相談を始めた宮城精神しょうがい者団体連絡会議宮精連議長の山本潔さん(53)は、昨年6月に始めた電話相談心のピア・サポートへの思いを語る。
宮精連は、NPO法人ゆめ風基金(大阪市)の支援を受け、仙台市の精神障害者らでつくる自助グループ心のネットワークみやぎ・佐川美紀会長などと共同で同市太白区のアパートに事務所を設けた。
福祉施設などで電話相談をしているスタッフから研修を受け、10人弱で相談を受け始めた。月~土曜の午前10時~午後4時、2~3人が電話の対応に当たっている。昨年夏までは宮城県沿岸部の被災者からの電話が多く、その後は精神障害者からが多くなった。
これまでにかかってきた電話は約800件。じっくりと話を聞き、共感する傾聴を基本姿勢としており、話し手は自分の価値観を否定されることなく、思いを打ち明けることができる。
眠れないので、飲めない酒を飲んでる。被災者からのそんな相談には、お酒は眠りを浅くしてしまいますよなどとアドバイスもする。うつへの対応を尋ねられたときは、自分の場合はと断った上で体験を話す。事業は来年5月ぐらいまでを予定している。山本さんは電話をかけてくる方は、精神的なつながりを求めている。共感することが、寄り添うことになると話す。
心のピア・ポートでスタッフをしている吉村心語さん(62)は昨年8月、仙台心のケア研究会を結成し、10月に仙台ピアカウンセリングの集いを始めた。専門家は入らず、参加者が順番に自分の病気や悩みを話す。話したくない人は、人の話を聞くだけでもいい。震災などで不安を抱えている人たちにも参加を呼び掛けている。
集いは、仙台市青葉区の市福祉プラザで月1回のペースで開き、3回に1回は一般市民も参加できるオープン形式を取っている。オープン形式も含め、これまでに10回開催され、計105人が参加した。吉村さんは集まることで、同じように悩んでいる人の話を聞くことができる。障害のあるなしにかかわらず、聞いて、話すことが癒やしになると語る。
仙台市内ではこのほか、震災前から複数の団体が定期的に集うピア・サポートに取り組んでおり、心のピアサポートや、NPO法人仙台市精神保健福祉団体連絡協議会・仙精連などが紹介している。
連絡先は心のピアサポートが022-308-6067、仙台ピアカウンセリングの集いは080-3328-7186、仙精連は022-214-2858
以上
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた基金残高、012年5月31日現在300439625円。東日本大震災救援金額は、7月30日までに、175209050円です。
これまでに支援した団体、個人への金額は012年7月30日現在223547749円です。その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
東北被災地の生活再建を応援しましょう!Tシャツ・下着・シーツ・扇風機・鍋・食器・タオル・洗剤・家具・車いす・介護用品など!新品または、新品同様のものをお寄せください!お願いいたします!
●すばる福祉会、東北大震災救援市民会議電話、0798-53-0122
住所・兵庫県西宮市上大市5-1-8 すばる福祉会
あなたも現地の活動に参加できます。
すばる福祉会は月末に被災地にバスを走らせています。金曜日夕発・日曜日帰着・参加費15000円
被災地では、まだまだ支援活動が必要です。すばる福祉会は、被災者を直接支援する活動を展開していきます。活動範囲は、福島県・宮城県・岩手県です。
すばる福祉会の救援活動・仮設住宅での交流活動・被災地のみなさんの元気と希望を支えたいとの思いから、仮設住宅で茶話会をしてまわります。宮城県南三陸町では、毎月末の日曜日にイベントを開催しています。・中略・
すばる福祉会は、毎回出店し、なじみのみなさんとの友好を温めながら、タコ焼きの販売と盛り上げに一役買っています。生活物資を届けます。商店もスーパーもすべて破壊されているので買い物は何十キロも離れた街まで行かねばなりません。高齢者は特に困っています。
私たちは、仮設住宅を回って生活物資を届けてまいります。被災者のみなさんは、すべてが流されちゃったからね。欲しい物がたくさんあるよと。必要な物を手に入れることが難しい人たちに、物資を届けます。被災者のみなさんは、すばる福祉会の到着を待ち望んでいます。・後略・
相楽西部障害者福祉連絡協議会機関誌相楽その7巻頭文
連絡TEL0774-93-3277、FAX0774-93-3271
●震災から1年、被災地の現状は…
未曾有の災害をもたらした東日本大震災から1年余り、先日被災地に行く機会をいただき、宮城県と福島県の今を見てきた。財力のある商業施設や企業は、経済産業の停滞による情勢の悪化を最小限にとどめるため復興を急ぎ、被災地のために尽力されている。また規模が小さくても復興へ向け踏み出されたというニュースを耳にすると、その計り知れないたゆまぬ努力に逆に勇気をもらえる。
しかし、実際に復興が進み、また進めることができるのはごく限られた部分で、被害の規模・地理的・資金的な問題で、援助・支援の手が行くことが少ない地域もたくさんあることが今回現地を見てわかった。
原発事故により住んでいた地域を追い出された人々は、もしかするともう戻れないかもしれないという絶望にも近い状況で避難生活を送られている。早く故郷に帰りたいという思いから、もともと住んでいた地域に少しでも近い環境を求め、用意された仮設住宅ではなく、海が見え潮の香りのするいわき市などで生活をされる方も多いと聞く。
望郷の思いが人々を突き動かす。でもそこには放射能という大きな壁が立ちはだかっていることにやるせなさを感じる。物理的な支援に加え、不自由な生活を強いられている方々への精神的サポート体制を早急に整備して行くことが必要であると強く思う。
現在相楽では被災地の授産製品の購入・販売を継続して行っている。復興にはこれから気の遠くなるほど時間がかかる。できることから応援していく必要があることを今回再認識し、現地の要望に応じた支援を今後も引き続き行っていきたい。K・M
以上。
8月11日の街頭募金、ありがとうございました。
福島の鈴木絹江さんより2 (メール転載)
絹江です。
ベトナムへの件は、2名からの返事がありました。一人は今年4月まで、JICAの研修で数年間支援に行っていた人なので、人脈を使って広めてくれると思います。
これとは別な人にも近いうちに合うので、ベトナムへの研修生に伝えてもらいます。
昨年のアジア太平洋障害者リーダー研修時に私の話に耳を傾けてくれた研修生たちは、とても意識が高く脱原発の件もよく理解し、絶対自分たちの国に立地することにはしないと話してくれていました。
今年の研修生たちにも、話をしたいと思います。
私は、偏向しているかも知れませんが、障害を持つ人への講演に呼ばれて話をすることが多いのですが、その時には福島原発告訴団の話や福島の現実を話しています。そして、いろんな形で協力や支援をいただいています。
毎週金曜日のデモにも参加している障害を持つ人たちがいます。
今度10月頃には、座り込みをしたいと話している仲間もいます。
その時は私も行きたいと思います。座り込みはできませんが、同行参加はできるかと思います。
しかし、私たちはみなさんとの間に、解決しなければならない問題があります。
それは、この原発事故によりあからさまになった障害者差別の問題です。
障害児が生まれるから、福島から離れた、離れたいとの言葉をいくつか聞きます。
「障害児が生まれたら嫌だから・・・」は母親たちの本音ではあるかと思います。
また、放射能がどの様な結果を私たちに見せつけるのか、分からないというのもほんとだと思います。
現在の社会のありようは、障害を持つ人にとって不便極りありません。
なぜならこの社会は20才の成人男性をモデル(ミスターアベレージと言いますが)にして高度成長時代に作られた社会であるからです。
障害を持つ人以外にも、住みにくいこと極りないと被害を受けているのが、子供にも、妊婦にも、高齢者にも。
ほんの一部の人間に合わせて作られた社会の中で、誰が苦労をするかといえば、立場が弱い障害を持つ人や高齢者、子供、妊婦。
こうして、羅列してみると、原発の被害を最も受ける人たちと同義語になっていませんか?
この人たちが貧しかったら直のこと被害者です。
また、障害を持つことが全て不幸であるということは、ステレオタイプに侵されていないか?と立ち止まって考えていただきたいと思っています。
たとえば山田真ドクター(福島の子供たちの支援をしてくれている先生)のお子さんは障害を持っていて、その家庭の中でどの様にその娘さんを愛し、自分たち家族が考えを改めることが出来たかなどを著書で、または講演で聞いたことはありませんか?
ロシナンテ社が昨年から原発事故特集の中に、山田先生の発言が書かれています。とてもわかりやすい言葉で書かれています。ぜひ皆さんには読んでいただきたいですね。
放射能により被曝し、作為的に遺伝子を傷つけられることには強く反対であると同時に、しかしどの様な時代にも必ず障害を持つ人が社会には存在することもまた事実です。
その存在を否定することは、今、障害を持ち生きている人の生命を脅かし、それを生んだ母親を強く傷つけること、考え方・価値観・優生思想であることを受け止める必要があります。
そして、その事をどう自分の中で受け止めていくのか、どのように消化していくのか、考えてほしいと願っています。
そのために、私は仲間と共にどの様にこの偏見の壁をのり越えて、脱原発の人たちと連帯するか模索しています。
「福島県人とは結婚しない」「福島県人は汚染されている」「福島県人は来るな!」との発言は、無知と無理解と偏見が差別的であることは、私たち福島県人はよく知っています。
しかし、それを発言する人は、その無知や無理解・偏見が差別につながっているとは、思って発言していないのですよね。
マスコミの思惑に染められて、それが事実だと思ってしまっているのですよね。
自分の頭で、自分の目で、自分の耳で、自分の体験で判断することを置き去りにしてきた人たちは、いとも簡単に固定化されたステレオタイプの言葉を信じ、自分の力で真実に近づこうとはしない。
しかし、まずは障害を持つ人の差別も、福島県人への差別も付き合ってみなければ、話してみなければ、理解しようと歩み寄らなければ、わからないことがたくさんありますよね。正しい情報は、自分の時間とお金をかけないと手に入らないということですね。
この原発事故が起きたから差別が出てきたのではなく、以前から人々のなかにあった優生思想に裏打ちされた差別意識が顕著になっただけの話です。ここは違わないでほしい出発点であると思っています。
メールでは、なかなか上手く伝えられませんが、子の幸せを願う両親の思いと障害を持つ人がこの世に誕生することは、決して相反する形で存在するのではなく、どのような環境や肉体を持とうが、自分らしく、大切に尊厳をもって生きることのできる社会を作っていくことが今を生きている大人の責務だと思っています。
原発事故がある前からこの考えには変わりはありません。
社会を変えることに責任をもつことが、この世に存在する役割だと私は考えています。
原発事故により、深く傷つき、巨大な相手に無力感にのさいなまれましたが、ゆっくりでもいいから、後戻りしない一歩を歩きたいと思っています。
とても長くなりました。すみません。皆さん時間のあるときに読んでください。絹江
福島の鈴木絹江さんより1
こんにちは。
福島県田村市に住んでいる鈴木絹江です。
福島県の原発は下降どころか、今も出続けているのに総理大臣は、終息宣言を出しました。
これらに反対して毎週金曜日には官邸前で10万人単位でデモが行われています。
今、ベトナムに原発を輸出しようとしています。
どうか皆さんにベトナムに知り合いがおりましたら、下記のメールとブログを添付してください。
一人でも多くのベトナムの方に見てもらってください。
今福島の人たちは、命をかけて必死に原発を止めようと動いています。
メールでは、たくさんの福島の思いを伝えられないのが残念ですが、福島の原発事故が何も終わっていないのに、ベトナムに原発を輸出しようとしている日本政府の頭の中がわかりません。
しかし、とにかく、原発をとめなければ、災害に弱い障害を持つ人の命は脅かされ続けます。
原発をとめても電気が足りなくなることはないことは皆さんは知っていますよね。
ベトナムの人海外の知り合いがおりましたら、このメールを転送してください。絹江
みなさま
是非、ベトナムにお知り合いの方いらっしゃいましたら、下記、本田さんからご紹介のサイト、お知らせください!!
本田さん、有難うございました! (佐早)
………
子どもたちを放射能から守る世界ネットワークの本田です。
以下のブログで福島や原発にまつわるニュースを毎日アップしています。
http://www.save-children-from-radiation.org/
このサイトをベトナムの方に見てもらうことも一つの手ではないかと思います。
ベトナムへの原発輸出
きょうは終戦記念日。
韓国、北朝鮮、台湾の方々から見れば日本の支配が終わった日。国民にとってもやっと苦しい戦争から解放された日。
でも、戦争を押し進めた人たちにとっては認めたくない日。
天皇陛下の玉音放送を阻止しようとした一派がいたそうです。もし実行されていたら…。
ところで本日の民報新聞三面に小さく
「原発事故賠償制度整備協力で合意 経産相、ベトナムと」という記事が載っていました。
原発を輸出するなど、倫理的に許されないと思います。
是非、再生可能エネルギー発電設備の輸出に変えるべきだと思います。
ベトナムの需要が変われば問題は解決すると考えます。
なんとかベトナムの方々に伝える方法はな いでしょうか?
ベトナムの方々の「平和」のために。
佐早
「みちのくTRY」が始まりました。
岩手県宮古から陸前高田の一本松まで、共生社会の実現を訴え12日かけて沿岸部150kmを歩く総勢40人の障害者デモ「みちのくTRY」が19日、始まりました。
連日最高35度の暑さにもめげず、市役所や交通機関、市民にバリアフリー社会の実現を訴えています。
被災地障がい者センターいわてのブログより転載です。
<第1報 8月19日(日)> byスタッフ咲枝
1日目
宮古市田老の堤防の上です。地元のお寺の和尚さんにお経をあげていただきました。
取材はNGとの事なので、お寺の名前もふせておきます。
和尚さんをお寺に送り届けると、ちょっと待ってろ!と言うので、待っているとみんなへのプレゼントを持って戻ってきました。和尚さんが手にしていたのは沢山のお守りでした。
急いでみんなの元へ戻ると人数分あるかわからないけど、とお守りをいただきました。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
ここから、陸前高田まで歩くことを話した時はバカだ!と言われましたが、とても応援してくださっています。
そして、ここからみんなの長旅は始まりました(^O^)。
<第2報 8月20日(月)>
2日目
国民休暇村からスタート!!
スタートは木陰の中だったので、歩きやすかったのですが国道45号に出ると日陰はなく、体力と水分がドンドンうばわれていきます・・・。
お盆過ぎたのに暑いじゃないかヽ(`Д´)ノ
道中アイスやきゅうりの漬物を下さったお店の方ありがとうございました。
アイスをいただいて生き返りました。
夕方には市役所と三陸鉄道に要望書を提出!!
市長さんも三鉄の社長さんも快よく受け取っていただきました。
市長さんは、徐々に対応していただけるようです。
三鉄さんは、津波の被害があった駅に関しては、新たに作る時にバリアフリー化出来るそうです。そして計画もたてられているそうです。古い駅に関しては、後回しになるので、対応がいつになるかわからないそうです。
2日目のゴール
宮古市の社会福祉協議会です。
駐車場で夜ご飯、社協さんでたこ焼きをいただきました。
そしてこの日は『まつあかし』の日ということもあり花火大会!!
花火の火を消す水の用意もしていだいてありました。ありがとうございます。
m(__)m
(残念ながら写真はありません(T_T))
<第3報 8月21日 (火)>
何とか2日が終わり、今日は宮古の社会福祉協議会にみなさんお泊まりです。
お風呂も借りることが出来たので、お風呂でさっぱりです。
夜は駐車場で、花火もやらせていただきまして、楽しかったです。
今日は道中お店の方がアイスをくださったり、漬け物をくださったり、して元気をいただいて歩きました。
宮古市長さんに要望書を渡しました。
バリアフリーを考えてくれるらしいです。
三鉄の方にも要望書渡しました。津波被害があったところは、作るときにバリアフリーに作ることができるけど、今あるところは難しいようです。
被災地障がい者センターいわてのブログ
みちのくTRYの現地報告をしています。
ヒデの救援レポート、012年8月20日
ヒデの救援レポート、012年8月20日:83
前回のメールでは、8月を7月と間違っていました。すんまへん!hide拝
●宮古から陸前高田まで、被災地岩手の沿岸部を障害のあるひと、ないひとが150キロを、野宿も交えて、8月19日から31日まで、練り歩く、バリアフリーチェック、当事者参加の街づくりを訴えかけるイベントがいよいよ決行されました!
問い合わせは、実行委員会・TEL019-636-0134
沿岸部事務局TEL0193-77-3636
6月29日版、毎日新聞地方版
復興街づくり、バリアフリーを
障害者が沿岸部150キロを歩く。
8月19日からみちのくTRY 協力者募集
震災からの復興で、障害者にとっても住みやすい街づくりを目指し当事者たちが沿岸部約150キロを12日間かけて歩くみちのくtry実行委員会主催が8月19日から始まる。実行委員会は一緒に歩を進める協力者を募集している。
TRYは1986年に始まり鉄道のバリアフリー化などを求め、車いすで各地を旅する野宿イベント。全国各地で開催されてきたが、今回は東日本大震災の津波で大きな被害を受けた地域をルートに選んだ。
宮古市田老を19日に出発し、主に国道45号線沿いを歩きながら、30日に陸前高田市の奇跡の一本松のゴールを目指す。津波で浸水した場所を移動したり、道路の起伏が激しいところもある。
震災後の街づくりにバリアフリーを取り入れるよう訴えながら歩き、途中、鉄道やバス会社、市町村役場に要望書を提出。復興計画の中に、障害者の視点を求めていく。障害を持つ当事者や介助者の参加は、県内外から約30人を見込む。
車いすを使う人だけでなく、さまざまな障害を持つ人が参加する予定で、実際に歩く人たちの介助、トイレ・入浴介助などのほか、車での送迎や食事の準備など、当事者と同じ程度の協力者を必要としている。
協力者の食事や送迎などは、委員会側が負担。夜は当事者とともに公民館などに宿泊する予定だが、寝袋などを持参する必要がある。県内から参加する協力者については全日程でなく、1日単位での参加も募集している。また、資金が思うように集まらないため賛同者の募金も随時受け付けている。
脊髄損傷のため車いす生活を送る今川幸子・実行委員長(32・大船渡市)は震災で一から街を造り直すこの機会にバリアフリーを進めてほしい。今回の活動が障害者も健常者も暮らしやすい街に変わる契機になればと活動の意義を語る。
岩手日報7月9日版の記事にもなりました。
障害者が被災地で徒歩の旅、8月に宮古~陸前高田
内容は、毎日新聞の記事とほぼ同じものなので、割愛します。
そのイベントを盛り上げるために、応援Tシャツが作られました。デザインは、ゆめ風基金権代表の永六輔さんです。それに対して、岩手実行委員会の方々から、色紙の寄せ書きが届いています!順不同でご紹介します。永六輔さんには、すでにお届けしました!
●みちのくtry・ありがとうございました!永六輔様Tシャツのデザインありがとうございました。このデザインのTシャツを着てイベントを成功させたいと思います!
実行委員長、今川幸子
●このデザインのTシャツを着て、みちのくに新しい風が吹き込むように、頑張って歩きたいと思います。ありがとうございました。岩手、宮古・黒柳奈緒美
●永さんデザインのTシャツ着て、元気もらって歩きます。ありがとうございました。八幡隆司
●Tシャツ着てがんばります!盛岡・河口
●ありがとう!いつも元気が出る、上を向いて歩こう、歌っています。岩手、山田町大沢・佐々木るみ
●すてきなデザインありがとうございます。このTシャツと一緒に、岩手のまちを楽しく歩いていきたいです。小山望
●デザインありがとうございます。イベントがせいこうするように、がんばります!藤田良
●ありがとうございます!頑張ります!奥寺
デザインありがとうございました!Tシャツ着てみちのくtry頑張ります!伊東明美永さん
●Tシャツ着て、レッツtry!セレブ杉山
●永さんデザインのTシャツ着させていただきます!ありがとうございました!川畑
●この企画が岩手の未来につながる新しい一歩となることを祈ります!山下博靖
●ステキなデザインありがとうございます!バケンデザインありがとうございます!tryという企画は、障害者の地域生活を実現させる一歩になる企画です!みんな一緒のTシャツを着て、この社会を変えます!オー!田村恵美
●Tシャツのデザイン、ありがとうございます!皆でおそろいのTシャツを着て、社会を変える一歩を踏み出します!河野彩佳
●ありがとうございます!子どもの頃、母と一緒にTBSラジオをきいていました。私たちのセンターでも、何度も上を向いて歩こうを歌いました。永さんの文字を身につけて歩くんだと思うと不思議な気がします。デザインも、ゆめ風も、ありがとうございます!一歩一歩あるきます!広瀬由紀子
●ステキなデザインありがとうございます!目立つカラーだし、精一杯頑張ります!めっちゃ汗かいてきます!大深聖
●デザインありがとうございます!岩手県田老から陸前高田まで、Tシャツを着て頑張ります!千葉県船橋市、西澤咲枝・以上
Tシャツは、一枚1000円で、ゆめ風事務所でも扱っています。
TEL06-6324-7702・FAX06-6321-5662
東北関東大震災被災障害者救援本部特集号・巻頭文章
連絡先・TEL042-631-6620
FAX042-660-7746
~復旧でなく、復興へ、そして新生へ~
障害者救援活動を継続していきます!
東北関東大震災障害者救援本部を立ち上げてから、2年目を迎えます。しかし、復興はまだまだこれからです。息の長い支援をしていかなければなりません。そして、被災地の方たちが元気にその先の一歩を歩み出していくことができるような救援活動が、求められています。そのために、障害者救援本部は、今後について中期的な見通しをたてて支援を継続していきます。
●基本的な支援活動です。
1・障害者のニーズを掘り起こし、社会サービスにつなげていきます。個別訪問・仮設住宅訪問・ポスター掲示・チラシ入れなど
2・相談活動は被災者とつながる手だてです。必要に応じて行政制度活用の援助やネットワークによる支援につなげます。被災者の聞き取り・話し込み・電話対応など
3・移送サービスは、需要が高いです。被災により家族の支援や、公共の交通手段の破壊が要因です。また移動支援サービスに関する研修なども必要になっています。通院・買い物・通学・通所など
4・障害当事者の活動づくりから、継続した地域生活支援の構築につなげていきます。当事者派遣事業・自立生活に向けての研修・交流会・仲間作りのイベントなど
5・街づくりを障害者の視点から提言していきます。バリアチェックや復興への参画など6・被災経験を生かして、防災・救援活動のあり方や復興に向けた政策提言をしていきます。
被災者支援の検証・アンケートや調査活動などこれらの活動は、被災地センターが中心になりますが、担い手となるスタッフは現地採用を優先しその育成や相談体制づくりも大切です。また地域の障害者関係団体との連携も欠かせません。そしてこれらの活動が事業化への準備となっていくようになればと願っています。課題は山積しています。さらに、一連の活動を支える資金を確保するバックアップにも力を入れなければなりません。復興までの道のりは遠いようですが、その一歩を踏み出すしかありません。新生を願って共に力を合わせましょう。以上
被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、223547749円(012年7月30日現在)。
東日本関連救援金、金額は、175209050円です。(012年7月30日現在)
残高!300439625円(012年5月31日現在)です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のhideの風景
夏バテhideのバタンキュ~ものがたり
8月4日から6日、仙台でのバクバクの会定期総会。
7日、ゆめ風基金理事会で、はらひれほろ。完全夏バテでバタンキュ~!!
8日から12日まで寝込む。
13日から15日まで、ゆめ風事務所盆休み。
16日、箕面市人権フォーラム実行委員会
18日、箕面市の障害者ネットワークの唐池子ども縁日祭り
20日、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集会議
21日から23日まで、亡くなった保子さんの墓参りで、熊本県天草へ!
9月には、福島県行きです。
hideの疲れ貯金は、複利計算で、貯まるばかりです!
2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第八組
2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第八組
2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート
(2012年7月30日~8月4日 鍛冶克哉・中来田護)
私たちは7月30日~8月4日まで盛岡、宮古の周辺で活動してきました。
主な活動内容としては、「みちのくTRY」開催間近ということもあり、「おためしTRY」と題してコースの最終確認、開会式や閉会式のイベントの内容を詰めていきました。
7月30日(月)
・「みちのくTRY会議」 場所:CIL盛岡
出席:黒柳、河口、広瀬(被災地障害者センター宮古)、川畑、今川(CIL盛岡)、
鍛冶、中来田(メインストリーム協会)
この日の会議では、TRY開催間近ということで、メンバーの確認をおこないました。その他に翌日おこなう「おためしTRY」(宮古崎鍬ヶ崎→宮古駅)のコースの確認を入念におこないました。また会議の中ではTRY中に通るトンネルを実際に鍛冶が電動車イスで通ってみることも決まりました。会議終了後、宮古に移動しました。
おためしTRYの様子①
7月31日(火)
・「おためしTRY」 場所:宮古崎鍬ヶ崎→宮古駅
この日は実際にTRY2日目のコースを歩きました。参加したメンバーは、私鍛冶、中来田、黒柳、川口、広瀬、川畑の計6名(障害当事者2名、健常者4名)。朝8時半にスタート地点にあたる宮古市の国民休暇村を出発し、多めに休憩を取りながら17時に宮古駅を目指しました。当日は35℃を超す猛暑で、暑さに体力を奪われながら十数キロの道のりを歩きました。実際に歩いてみての感想としては、距離的には問題はないように感じました。この日の参加者は6名でしたが、当日は30名を超す大人数での実施となるので列が乱れないように一体感を持って歩くことが重要になってくるということを感じたと同時に、全日程を歩くメンバーの中から数名リーダーを立てる必要性を感じました。
おためしTRYの様子② 大槌町
8月1日(水)
・リーダー選定 ・開会式・閉会式の内容決め ・トンネル歩き
この日は先にも触れたように、リーダーの選定から始めました。やはりリーダーは障害当事者がいいだろうということで、メインストリーム協会及び夢宙センターから数名、沖縄の自立生活センターイルカから1名、宮城の障害当事者1名の方を本人の了解のもとに選定しました。
開会式・閉会式の内容決めでは、地元の障害当事者の方に挨拶や発言をしてもらいたいと感じ、要請することに決まりました。この他に開会式では地元のお坊さんに鎮魂の意味を込めてお経をあげてもらったり、TRYの安全を祈願してもらうとのことです。
トンネルを歩いてみた感想としては、歩道が非常に狭く、電動車イスだと脱輪する危険性を感じました。従ってTRY当日においては電動車イスであっても健常者に押してもらうということが決まりました。
おためしTRYの様子③ トンネルの中も歩きます
8月2日(木)
・コースの下見 ・宮古看護大学訪問
この日も部分的なコースの下見をおこないました。大槌町のトンネルを歩きました。大槌町は震災で多くの犠牲者が出て一年半経った現在も震災の傷跡が生々しく残っています。瓦礫にまみれたお墓などを目にすると改めて胸がしめつけられる思いがしました。その後、宮古看護学校を訪問しました。この宮古看護学校は6月に続き2度目の訪問で、今回は、TRY本番に2名参加してくれるということもあり、そのお礼を兼ねて再度訪問しました。
TRYだけではなく今後も宮古のセンターと繋がっていって欲しいものです。
8月3日(金)
・CIL盛岡訪問 ・盛岡市内におけるコースの下見
この日はCIL盛岡訪問のため電車で盛岡市内に移動しました。CIL盛岡を訪問した理由としては、先にも触れたように開会式において現地の方に挨拶をお願いしたいということもあり、CIL盛岡代表でもある川畑さんに会いに行きました。川畑さんは前向きに検討して頂けるということで期待したいと思います。その後、川畑さんと中来田と私鍛冶3人でTRYのコースである県庁前まで歩きました。
おためしTRY④ TRY中はこのように幟を立てて歩きます
8月4日(土)
盛岡から花巻空港に向けて帰路に着きました。
おためしTRYの様子⑤ トイレのバリアフリーチェック
今回の訪問を終えて
私たちは昨年から当事者派遣プロジェクトを通じて、岩手県で活動してきました。今回おこなわれる「みちのくTRY」を通して一人でも多くの障害当事者の人が「街に出て行くことがいいものだ」ということを実感してもらえるようなイベントになればと願っています。今回私たち二人はTRYに参加できませんが、私たちの想いは「みちのくTRY」に参加する全メンバーに託してイベントの安全と成功を祈っています。今後も微力ながら何らかの形で岩手県の障害者福祉の発展に貢献できればと考えています。
鍛冶克哉・中来田護
ジョバンニの冒険・みちのくTRYを応援してください。
永六輔さんデザインの、みちのくTRY支援メッセージTシャツ
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのしあわせのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
いよいよ明日、8月19日から31日まで、「みちのくTRY」という催しが開かれます。
「TRY」とは、1986年に始まったバス、鉄道のバリアフリー化を訴える車イスでの野宿旅イベントです。今まで大阪-東京、旭川-札幌、仙台-盛岡、高松-松山、鹿児島-福岡、福岡-東京間など全国を車イスで歩いた歴史があります。またTRYは海を越えてアジア諸国へと発展しました。
今年は「みちのくTRY」として、東日本大震災の犠牲になられた人々への追悼とともに、これからの町の復興に障害者が参加し、障害のあるひともないひとも共に生きる社会の実現を求めて開催されます。各地域の行政に町のバリアフリー化や防災計画、福祉サービスへの提言、各地域の市民との交流を図りながら、岩手県の障害者を中心に全国の障害者が被災地を歩きます。
8月19日に宮古を出発し、30日に陸前高田市の「奇跡の一本松」まで歩く150kmの沿岸部は、ほんとうにたくさんの命が失われました。震災後1年半を過ぎた今、いまだに復興の入り口から前に進めない地域とすでに復興へと進み始めた地域、若い人が仮設住宅を出て行き、高齢者が取り残されていくなど、地域的にも個人的にも震災以前に隠されていた問題が震災によって引き起こされた困難をより深刻なものにしています。
各調査や新聞報道によると、今回の震災による障害者の死は人口比率から観て健全者の倍になっています。これは障害者の安否確認や救援体制が後回しになりやすいことが大きな理由ですが、根本的な問題として、日常的に障害を持つ市民が地域で暮らし、生きていることが具体的に認知されにくく、地域のコミュニティーに障害者が参加することが難しいという現実があります。
さらに東北地方には昔からすばらしいコミュニティーが各地域に存在していたにもかかわらず、そのコミュニティーがかえって障害者の自立生活を支える公的なサービスを要求することを阻んできた事情もあると思います。
今回の東北の障害者の行動は、障害を持つ市民が福祉サービスを必要とする市民として、すべての市民のための福祉を作り出す担い手であることにとどまらず、いろいろな個性や事情を持った市民が共に暮らしていける町のあり方を共に考え、復興のプロセスに参加する、未来への冒険です。
彼女たち彼たちの冒険は、第二次世界大戦後67年を経て、戦争で犠牲になった無数のいのち、それ以前も以後も理不尽に命を奪われてしまった無数のたましい、そして今回の震災による無数の無念と、行き先をなくしたまま立ち尽くす無数の、ほんとうに無数の夢に見守られた冒険でもあります。
宮沢賢治の「銀河鉄鉄道の夜」で、死者だけしか乗ることができない「銀河鉄道」に乗ることができたのは、カムパネルラに対するジョバンニの友情の深さから来る、一途でせつない少年の思いがあったからでしょう。
1896年、岩手に生まれた宮沢賢治は、誕生当時の大地震と度重なる冷害でたくさんの人たちが食べ物に事欠く悲惨で過酷な現実を見つめて来ました。
みんなが幸せになるために、何が必要なのか、自分に何ができるのか…。彼の一生はその問いに対する答えを求めつづける一生でした。冷害や干ばつに対応できる品種の改良や農作物の多様化、肥料の改良などの農業指導をはじめとしたいくつかの実験や冒険は、彼が病弱であったこともあって、残念ながら満足できる成果が得られなかったこともまた事実です。
自然の暴力を制御できない絶望の中にあって、それでもひとは夢を見たり希望を育てたりできるのかと問う宮沢賢治は、その問いの行方を現実の世界だけではなく虚構の世界に求めました。
宮沢賢治がジョバンニに語らせた「ほんとうのさいわいは一体何だろう」という問いは、その答えを幾通りにも用意しては捨て去る彼の自問自答そのものだったにちがいありません。そして、結局のところその答えを託されたのは他ならぬ、生きているジョバンニ、生き残っているわたしたちなのだと思います。
東日本大震災から1年半を経て障害者たちがひたすら歩く「みちのくTRY」は、「ほんとうのしあわせ」がまだ暗闇の中にあることを知っている死者たちが託したせつない夢をむだにせず、「共に生きる社会」をつくる「ジョバンニたちの冒険」にほかなりません。
願わくばその冒険が、共に生きる勇気をたがやすすべてのひとの冒険となりますように…。
ゆめ風基金事務局・みちのくTRY支援Tシャツ担当 細谷常彦
みちのくTRY支援メッセージTシャツの販売にご協力をお願いします。
みちのくTRY支援メッセージTシャツ専用ページからご注文できます。
みちのくTRYについてのくわしい情報はみちのくTRYブログをごらんください。
2012年6月29日 毎日新聞
2012年7月6日 岩手日報
8月12日(日)から8月15日(水)まで夏季休暇です。
いつもゆめ風基金を応援していただきまして、ありがとうございます。
申しわけありませんが、8月12日(日)から8月15日(水)まで、夏季休暇とさせていただきます。
その間、お電話いただいた場合は携帯電話に転送されます。
なお、8月16日(木)より、平常どおり午前10時より午後6時まで事務所を開いています。
暑い日がつづきます。みなさま、熱中症などにご注意いただき、お元気でお過ごしください。