街頭カンパ中止

みなさま
いつもありがとうございます。
雨天のため 明日7月9日(土)の被災障害者支援街頭募金は中止になりました。
次回は、9月10日(土)午後1時~ に難波高島屋前で開催します。
よろしくお願いします。
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被災障害者支援NPO法人ゆめ風基金 事務局
〒533-0033大阪市東淀川区東中島1-13-43-106
TEL 06-6324-7702 FAX 06-6321-5662
http://yumekaze.in.coocan.jp/
yumekaze@nifty.com

【熊本地震】永村夏美さんのボランティア活動報告7/3

7/3
この日の個別支援一軒目は精神障害をお持ちの独居の男性の支援。
一軒家の屋根の破損により雨漏りがしておりブルーシートをかけてもらったがそのシートが剥がれて再び雨漏りがしているとのことで状況を確認しに行く。
ご家族がおられる時は立派な日本庭園であったと思われる庭がジャングルのように生い茂っていた。
チャイムを鳴らすと中からガタっと物音がしたが出てこられない。
電話をしても受けられないのでブルーシートが剥がれている部分を確認してこの日は引き上げる。
センターから何度か連絡しているがなかなか電話を取られない方ということだった。
すだれが下りてカーテンが全て閉まっている暗い屋内で体調が優れず、じっと耐えておられるのかもしれない。
センターが支援依頼元である相談支援事業所に連絡してヘルパー訪問日に合わせてボランティア派遣調整することになった。
2件目は身体障害の女性Kさんの引越しの支援。ご
家族は震災以前になくなっており広い一軒家に独居されていた。
自宅が被災、熊本市営住宅のみなし仮設へ引越すことになり、車2台で荷物を運び積み下ろすお手伝いをさせて頂く。
この日は当事者UさんとYさんも一緒に手伝ってくれた。
センター熊本のスタッフ田口さんがトイレに手すりを設置したりウォシュレットのトイレを設置したりする間、YさんUさんが汗だくで車2台分の荷物を階段で3階まで上げてくれ本当に助かった。
Kさんが帰り際に「このセンターはいつまであるとですか?」と尋ねられた。
「ずっとあるならいいけど、8月とか10月とかでセンターがなくなってしまうなら困るね」と不安そうに話される。
今日の引越しのような支援は行政からは行われないので、ボランティアが来てくれなくなったらどうしたらいいのかと心配されているのだ。
引越し先は古い市営住宅でエレベーターはなく、足が不自由なKさんが階段を上り下りするのは大変。
1階に下りて忘れ物を思い出しても取りに行かれない、そんな生活があっていいのか。
センターに帰って報告すると東局長(局長というのがなんだか東さんにピッタリで気に入ってます)が「役所の人間にお前が片足で3階まで上ってみろって話だ!」と激怒。
後日センターからご本人の了解を得て役所に1階の部屋を提供するよう交渉することになった。
Kさんは被災前はそば打ちの講師などもされていた。
そば打ち台も引越し先に持って行きたかったがスペースがないので諦めた。
Kさんがそばを打てる日はいつ来るのか…。
何かのイベントの際はそば打ち講師をして下さるとのことで、繋がり続ければきっと実現できるのではと思った。
夜は益城の復興屋台村へ行く。
ほぼ満席で売り切れの屋台もあった。
夕食は熊本名物の揚げ豚足と焼きそばに生ビール!
一緒に行ったのは「名古屋わっぱの会」のIさん。
彼女とも東北支援以来の再会であった。
先月もわっぱの会のMさんに再会したばかり。
「いつも同じ人が来るんですね?」と笑い合った。
今週はボランティアが少ない。
昨日のミーティングの時点でボランティアは3名だった。
個別支援依頼があってもマンパワーがないと対応できない。
明日はJDFから3名来てくれることになり何とか動けることになった。
4万枚のSOSチラシが配布された後センターがどこまで対応できるか…。
今回も実質動けたのは2日間だけだったが、なんとかしてまた来たいと思う。

【熊本地震】募金活動~山梨学院大学の皆さん

ゆめ風基金の事務所にその電話がかかってきたのは、一ヶ月ほど前でした。
『熊本地震で被災されたかたに何かしたくて・・・ゆめ風基金の募金箱とか、借りられますか?』と。
若い声のその男性と、メールも含めて数回やり取りして、募金箱をお送りして・・・
先日、報告メールが届きました。
『先週の水曜日に甲府駅南口、山交百貨店前で募金活動をしました。
集まった金額は29483円でした。
明日も引き続き行います。
画像は先週に行われた際の写真です。』


山梨学院大学のみなさん、暑い中、お疲れさまでした!!
皆さんの気持ち、募金と一緒に、熊本にきっと届けます!!

【熊本地震】永村夏美さんのボランティア活動報告7/2

今日はくまもと労働センター「おれんじ村」の青空カフェでダンス交流。
当事者、スタッフの方から被災後のお話も聞かせて頂く。
当事者Tさんの被災後のお話はおれんじ村のブログに愛称「ベッカム」さんのお名前でレポートがあります。
(http://d.hatena.ne.jp/with1985/201606)
ちなみになぜベッカムさんかというと顔が二枚目でベッカム似だったそう(過去形?笑)。
今でもイケメン!
地震の後近所の人が助けに来てくれた話、怖くて近くの駐車場に避難した際にそこに避難してきた近所の人が裸足の足を見て靴下をくれたりはんてんをくれたりしたという話を聞いて、「普段からご近所付き合いされてたんですね!」と私が感動すると「いいえ、初めて話した人たちです」とのこと。
ふぅ~ん、熊本の人優しいんですねと言うと「人による」と。
私は近所付き合いがほぼ皆無の独居で重度の身体障害の方の泊まり支援に長年入っていて、地震が来て誰も助けてくれなかったらどうしようと常々思っていたが、ベッカムさんの話を聞くとなんとかなるかぁ~と思えた。
しかしやはり被災地センターくまもとやくまもと労働センターがある地域は日赤病院や身障者センター、昔からある当事者グループなどの存在もあり、ご近所の人がわりに障害者に慣れているという背景もあるとのことだった。
やはり普段から目に映っている存在であることがいざという時に助けてもらえることにつながると思った。
今回くまもと労働センターと交流するきっかけになったのは、箕面に住むNさんが労働センターとお付き合いがあり「日々のストレスを少しの時間でも忘れられるレクリエーションのようなことが求められている」と聞いたことだった。
それならダンスしに行きます!と労働センタースタッフのMさんにコンタクトを取って実現した。
毎日の生活が被災直後より落ち着いているものの日常に戻り切っていないことによるストレスが当事者にも支援者にも蓄積されている。
スタッフMさんも地震の後からGW連休前までは避難所化したおれんじ村に泊まって避難者の支援をしていた。
車椅子ユーザーが3名泊まっており夜勤者は自分1名。
もし地震が来たらどうやって3人を避難させようかと思うと眠れなかった。
ドアは開けっぱなしにしたが泥棒がいるなどの話もあり不安だった。
夜間眠れないので日中パートさんなどが支援に来てくれる間に1時間ほどの仮眠をとる生活を続けた。
避難生活中はみんなでご飯を食べたりしてキャンプのように楽しんでいて疲れは感じなかった。
ところが避難所状態も終わった5月末に体調を崩した。
今思うとハイだったし疲れも溜まっていたと思うがその時は気づかなかった。
非常時の支援者の誰もが経験しうる状況だと思った。
スタッフのMYさんは被災地センターのうらの自室訓練のためのホームにご家族で避難されている。
益城のご自宅は全壊。
2DKの家屋にMYさん、旦那さん、幼い娘ふたりの4名、当事者の方2名の4世帯が共同で避難生活をしている。
益城の仮設住宅に当選し7月から8月に入居予定であるが共同避難生活によるストレスは大人も子供も溜まっている。
お子さんは地震後1か月後におねしょをしたり「地震!」とパニックになって目覚めたりすることが続いた。
小学校で行われているカウンセリングで診てもらうと、3か月くらい様子を見てそれでも状況が改善されなければ考えましょうということだったが今は落ち着いてきている。
避難先の熊本市内から子供たちの通う益城の小学校までの毎日の送迎も大変。
何より子供の心の傷があとになって何かの形で現れないかと心配され、目には涙を浮かべられた。
「あんな小さな体でたくさんのことを抱えて…」とのお話に心が痛む。
「今度もし違うところで震災があったら絶対助けに行こうって旦那と話しているんです。今回こんなに全国の皆さんに助けてもらって。」と被災しているにも関わらず、もう他の誰かの役に立つことを考えておられた。
こういう日本人の助け合い精神は他の外国のどこにも負けないに違いない!と誇りに思う。
今求められていること、おれんじ村の復興に向け必要なことは何ですかと尋ねた。
震災以前はカフェが2つ、クッキー工場、学校などへの販売チームと活動場所が4つあったが現在はすべての人たちが青空カフェ兼工場に集まっており、大人数によるストレスがある。
仕事が減ったことによる収益減少で働く人たちへの給料を半分くらいしか払えていない。
「今はみんな復興応援で商品を買ってくれても、いずれ忘れられていって商品が売れなくなる。販路を広げて継続的に販売していかなくては給料を払っていかれない。」とスタッフMさんは話した。
おれんじ村の商品を買うこと!
これがダイレクトにおれんじ村の人たちを支える。
大阪にも熊本の救援を訴えに来られた当事者の倉田さんについて、「倉田さんはおれんじ村をほったらかしで全国を飛び回っている。ほったらかされてもいい、全国に支援の輪を作ってこれるのは倉田さんだけだから。」と話された。
ベリーダンス交流は楽しかった。
みんなで汗をかいて踊った。
きっとまた来ますと約束し、クッキーを大人買いしておれんじ村の青空カフェをあとにした。
大人買いしたクッキーを自分のフェイスブックで「みんな買ってー!」と呼びかけるとすぐに10数個の予約が入った。
SNSの威力。

【熊本地震】永村夏美さんのボランティア活動報告

「被災地センターくまもと」でのボランティア活動報告 (永村夏美 大阪「たびだちの仲間の会」登録ヘルパー)
7/1
夕方センターに到着。
ミーティングに参加する。
参加者は男性ボラ3名女性ボラ3名、事務局長の東さん、スタッフ岡崎さん、スタッフ田口さん、当事者Uさん。
本日の報告としては、軽度の聴覚障害で独居の男性の自宅の雨漏り修繕、50代統合失調症の男性の母親が息子さんを連れてセンターを訪問されたので相談支援センターにつなぐ、当事者Yさんの通院同行などであった。
東さんからボランティアに現状の説明などもあった。
東さんからのお話・・・
熊本市の手帳保持者は4万人。
そのうちサービス利用者は7千人。
3万3千人はサービスを受けていない。
震災が起きると身近な避難所に避難するが、その避難所が障害などの事由により使えない人は支援のネットワークからこぼれ落ちていく。
避難所には人、モノ、情報が集まりそこから復興へのプログラムに乗っていくが避難所にいられない人はそのプログラムに乗ることができず「目に映らない存在」になってしまう。
センターくまもととしてはそういう人たちを見つけて支援する。
また福祉サービスに繋がる前の段階の作業の支援をする。
例えば被災後に相談支援に繋がりサービスが利用できるようになったと言うがその人が暮らす家が被災してぐちゃぐちゃという場合、その片づけを支援する仕組みはない。
そのように行政サービスではカバーできないところを支援するのが被災地センターの目的(※わたしは以前からセンターくまもとの仕事を考える時「スキマ産業」という言葉が思い浮かぶ。産業といっても儲けているわけではないですが)。
熊本市の手帳保持者4万人のうち行政が行った安否確認は9千人。
身体3級以下、知的B2以下、精神1,2級以下の”軽度”の障害者は安否確認リストから削除された。
安否確認した9千人のうち半分しか会えていない。
東さんの指示で7月の第1週目か2週目にはセンターくまもとのSOSチラシを手帳保持者4万人すべてに点訳付きで送ることになった。
行政のお知らせと共に、他ボランティア団体の案内や行政の福祉窓口案内などと共に郵送する。
4万人のうち1パーセントでも400人なのでセンターに多数のSOS電話がかかる可能性がある。
4万枚のチラシが配布された後にセンターくまもとに沢山の個別ニーズが上がってくる可能性が大きいです。継続的なボランティア派遣が求められると思います。
続く

【熊本地震】被災地報告~八幡理事

復興に村の財政が追いつかない
昨日(6/29)、西原村へいってきました。
ゆめ風基金に被災地救援金の申請があった「たんぽぽハウス」さんの件で・・・。
「たんぽぽハウス」が建っている「村有地」の斜面が崩れかけていて、村としても、予算化ができないものかと代表の上野さんと一緒に事情を聞いてきました。
東日本の時は復興は100%国と県が予算を出していたのですが、熊本地震では1割もしくは2割を村が負担しなければならないとのことです。
今でも国の補助金を利用して復興を進めているけれど、すでに村の予算は年間予算の3倍に膨らんでおり、
年度末には5倍程度まで膨らむと見込んでいます。
国の補助金を利用するといっても、その1割、もしくは2割が村の負担として重くのしかかるというのです。
村では限度いっぱいまで起債(村の借金)を行ったがそれでも確保できたのは10億円。
通常の村予算が40億円であり、このままでは通常の福祉予算も確保できない。
なにより9月以降の予算目処がたたないといってました。
もともと赤字予算のため、どこも合併をしてくれなかったという西原村。
やっと黒字に転じた矢先のこの大地震が、村財政に重くのしかかっています。
東日本大震災発生後、そういうことを避けるために「東日本大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律」ができて、市町村負担がなかったのですが、熊本地震でも同じような法律が必要だと強く感じています。
八幡隆司

振込用紙から~皆様のコメントご紹介

2016年5月9日~5月16日:振込用紙のコメント
◆大変な状況だと思います。がんばってください。(山形県西林山郡)
◆熊本のことに心を痛めています。(東京都中野区)
◆93歳のわが身。熊本地震で被災された方を思うと・・・ご支援を(東京都練馬区)
◆熊本には行けませんが、支援金を送ります。(群馬県前橋市)
◆すぐに動く組織はすごい。(東京都渋谷区)
◆熊本・大分の被災障害者の方々が、少しでも早く日常 を取り戻せますように。(長野県松本市)
◆熊本の本震の時、72歳の身内が、たんすの下敷きになりながらも、元気な声が聞けました。安心しました。報告で早くの行動を知り、感謝して います。(兵庫県明石市)
◆信頼できるお預け先があることに感謝します。(東京都板橋市)
◆避難先が確保できますようお祈りいたします。(東京都八丈島)
◆いのちを祈る音楽・イベントに参加します。(東京都葛飾区)
◆負けるな。熊本!クマモンもね。(東京都昭島市)
◆あちこちで震災の寄付を募っていますね。寄付の先が はっきりしているゆめ風基金だとすっきり寄付できます。(大阪市阿倍野区)
◆ちゃんと届いていることが分かるのでありがたいで す。よろしくお願いします。(東京都足立区)
◆共に生きていくために使ってください。ゆめ風が力に なることを信じてます。(群馬県前橋市)
◆いつも必要なところに適格にかつ敏速に行動してくだ さってありがとう。(奈良県大和郡山市)
◆どのような支援がされているのか、一般の新聞からは 聞こえてきません。この通信でやっとわかりました。(愛知県春日井市)
◆息子が自閉症です。発達障害の支援の難しさ、切実に 思い、胸が痛みます。(大阪市東淀川区)
◆食事と排泄・気持ちよく過ごせる日が早くきますように。(東京都世田谷区)
◆被災された障害を持たれた方とその御家族が一日も早く通常の生活に戻れるようお祈り申し上げます。(静岡県掛川市)
◆20年もの活動に頭が下がります。日本全体の災害支援活動ご苦労様です。(岩手県北上市)
◆八代市の知人の無事を確認。感謝の気持ちを込めて。(山梨市)
◆毎日のニュースに心が痛みます。一日でも早い復興を 心から祈念しております。(埼玉県上尾市)
◆「重い障害を持つ人はホテルに」の発案に賛成です。(岩手県盛岡市)
◆90歳を超え、介護を受ける身となりました。熊本震災に心痛みます。ご活躍を祈りつつ・・・(愛知県新城市)
◆NPO静岡県作業所連合会が基金を募りました。お役立てください。(静岡県磐田市)
◆熊本への義援金・家族3人分です。支援の中から外れ る障害者が出ませんよう、祈っています。(香川県仲多度郡)
◆心よりおの見舞いいたします。穏やかな日が戻ります よう。(栃木県鹿沼市)
◆ビールを一本減らして、カンパに廻します。(愛知県名古屋市)
◆一日も早い復旧をお祈りしております。(東京都東大和市)
◆ご苦労の多い毎日だと思いますが、気を強くお持ちに なって、がんばってください。(埼玉県川口市)
◆熊本・大分の方々に使っていただけたらと思います。 よろしくお願いします。(三重県津市)
◆妻はALSで人工呼吸器。自宅療養で17年過ぎました。5年前の停電では、多くの人に助けていただきました。現在孫にも恵まれ、 家族8人で暮らしています。本当にみなさの温かい心に支えられています。(山形県神山市)
◆本当に基金を作っていただいてよかったです。災害続 きに少しでも希望を届けていただけるので心強く思います。(滋賀県甲賀郡)
◆私は4級の障害があります。災害に遭ったら、大変だなと思います。もっと公的社会的によくなってほしいです。(兵庫県神戸市)
◆ゆめ風コンサート感動しました。(埼玉県春日部市)
◆障害を持つ子どもの親として、みなさんどうされてい るか心配です。何もできませんがかわりに託します。(徳島市)
◆熊本産のものを買って応援しています。(神奈川県足柄市)
◆福祉避難所が本来の役割をはたしてほしいと思いま す。(北海道旭川市)
◆エールシフォンケーキの受け上げの一部を寄付いたし ます。(大分県国東市)
◆「ピープルファーストジャパン」よりご紹介いただき ました。(宮城県仙台市)
◆私の家も被災しました。でも、どうか障害がある方に 私のできないことをして差し上げてください。(熊本県宇城市)
◆福島の放射能は何も解決してませんが、今は熊本へ。 こんな時にもゆめ風基金です。(石川県金沢市)
◆熊本を気にかけながら、自分の暮らしを丁寧にしよう と思います。(北海道紋別市)
◆ゆめ風の行動力。いつも速くてあたたかくて胸に響き ます。(東京都台東区)
◆ふたつのグループの熊本大分地震チャリティーコン サートから。(兵庫県川西市)
◆詩文の住んでいる場所がいつ災害にあうかわかりませ ん。みんなで助け合うことが大事です。(さいたま市)
◆生きることは厳しいことです。ともに生き抜きましょ う。(奈良市)
◆癌の見守り期間10年が過ぎました。ありがたい祝いの気持ちを込めて送金します。(東京都小金井市)
◆大切な方にきちんと渡してくれるゆめ風基金。細く長 く絆はしっかりつながっています。の(東京都日野市)
◆震災で困難な状況にある人に少しでもお役に立てれば 幸いです。(大阪府豊中市)
◆地震国に原発は危険だと、あらためて思いました。(大阪市)
◆信頼できる基金です。私の思いを載せて・・。東日本 も忘れずに。(東京都足立区)
◆やはり、しっかり届いた相手が浮かぶ。この会にささ やかな気持ちを届けたくて、通信を心待ちにしていました。手渡ししてくれる団体を応援します。(大阪市)
◆現地報告書・熟読しました。なかなか大変ですが、支 援よろしく。お役に立ててください。(兵庫県南あわじ市)
◆困っている方にどんどん使ってほしいです。また、送金致します。(埼玉県富士見市)
◆我が家も南海トラフトの地域です。他人事とは思えません。(和歌山県)
◆自分を信じ、仲間を信じ、がんばりましょう。(広島県福山市)
◆秋田からの風が熊本に届きますよう。(秋田県大館市)
◆障害のある方と、その御家族が肩身の狭い思いをしな くていいように願います。(大阪市大東区)
◆頑張らず、焦らず日々お過ごしください。応援しています。(埼玉県北本市)
◆「熊本大分地震救護街頭基金」で集まった支援金を送ります。(広島市)
◆臨時号とブログで熊本の状況や活動報告を拝読しました。敏速で細やかな対応をなさっていることにとても感動しました。(兵庫県加古川市)
◆阪神・淡路、東北、熊本と改めて地震列島に住んでい ると感じます。心ばかりですが、被災された方たちに・・・。(千葉県船橋市)
◆現地の苦しみを少しでも軽くできれば・・・(大阪市)
◆この度の熊本の災害、なんのお手伝いもできませんが、何かの足しにしてくださいませ。(東京都武蔵野市)
◆31年前、牧口さんに尾道に来てもらいました。またお呼 びしたいです。(東広島市)
◆熊本のご不便な状態が改善されることを祈ります。(東京都町田市)
◆一年前の春・熊本大分を旅しました。心が痛みます。お役に立てればと思い・・・。永さんのご健康をお祈り申し上げています。(千葉県浦安市)
◆介護の仕事で体、ボロボロでボランティアができませんが、他人事と思えず、気持ちを届けます。(東京都世田谷区)
◆温かいものを食べて、お元気でいられますよう祈っています。(北海道旭川市)
◆実弟が障害者になり、他人ごととは思えません。障害を抱える人にお使いください。(岐阜県郡上市)
皆様が心からゆめ風にいろんな思いを託されていることを日々実感しております。
「熊本」が笑顔になれるその日まで!

【熊本地震】大阪からのボランティア報告~夢宙センター

熊本支援3日目
大庭の報告です!
午前中は統合失調症の女性のお宅にお邪魔しました!
今日の作業内容は家の周りの草むしりをしてほしいとゆう事で行ってきました!
今日は大雨で草むしり最中に冠水してしまい作業は途中で中止になりました!
道路は雨の影響で足首まで浸かるぐらいに水が溢れ熊本南部では避難勧告がだされました!

午後からは急遽入った依頼で統合失調症の方のお宅にお邪魔しました!
母、娘さん2人暮らしで話を伺うと震災の影響でガスが使えなくなり一ヶ月お風呂に入れなかったり台所の雨漏りがひどく雨の日は床が水浸しになります!

お二人ともすごい疲弊してまして気分も落ち込んでいましたのでとりあえず役所に一緒に行き罹災証明をとる手続きをすると少しは表情が明るくなりました!
雨漏りやお風呂の修理、その他生活のケアなどとても心配なのでセンターの方に話を持ち帰り今後対応してくれるみたいです!
熊本支援 最終日
大庭の報告です!
今日は、糖尿病を患っていらっしゃる男性の、物件探しに同行しました!
避難所まで迎えに行き、不動産会社の方と待ち合わせ場所まで行きましたが、見あたらず、会社に連絡をしても電話が繋がらない状態なので諦め別の不動産会社に向かいました!
道中お話を伺うと避難所では防犯面が整っておらず貴重品などは寝てる間に取られたりする人もいるみたいで暴力沙汰の事件もあると仰っていました!
ご病気の不安と役所からの早く住む場所を探して下さいという連日の催促、生活保護なのでなかなか自分の希望にあった物件が見つからず本人もどうしていいのかわからない様子でした!
その後別の不動産会社に着き対応をして頂くとすごく丁寧にお話を聞いて下さり本人さんの希望と一致する物件を見つけて下さり本日夕方から物件を見に行くそうです!
本人さんも一安心され新しい家で一から気分を入れ替えて頑張ります!
本当にありがとうございます!
とても素敵な笑顔で仰って下さりました!
今日の業務では参考写真をとる場所がなく写真がないので申し訳ないです!

【熊本地震】大阪からのボランティア報告~自立生活夢宙センター

夢宙センター熊本支援2日目
大庭の報告です!
今日は精神障害をお持ちの男性の方のお姉さんの依頼で家の片付けをしてきました!
家の状態は、被災してから手をつけていない状態で、特にお風呂場、外壁の損壊が激しく、家も全体的に5センチほど傾いていました!
傾きのせいで玄関のドアが開かない状態で、縁側からお邪魔する形になりました!
作業内容は、瓦礫の撤去、衣類の整理、外壁の片付けなどをしました!
その後、2グループに分かれてゴミ処理場にゴミを棄てに行きました!
作業員さんに話を伺うと、この2ヶ月で13年分ほどのゴミなどが運ばれてきたみたいです!
以下、写真です!


【熊本地震】大阪からのボランティア報告~泉大津氏・NPO法人リアライズ

遅くなりましたが、リアライズの本並からの報告を流します。
6月9日(木)1日目
(午後)益城町現状把握
今日はお昼過ぎに熊本空港へ着き、被災地障害者センターくまもとへいきました。
事務局長である東さんから、被災地障害者センターの設立の経緯などを聞き、新しいSOS依頼がなければ、支援は明日からとの事だったので一番被害の大きかった益城町へ現状把握しに行きました。
益城町は被災地障害者センターがある熊本市と隣同士なのですが、被害の差が大きすぎて驚きました。
写真などでは拝見していたのですが、やはり実際目にしてみると言葉が出ず、自然災害の恐ろしさを感じました。
被害にあった住宅には、応急危険度判定の張り紙が張ってあり、赤色が多く目立ちました。
益城町を探索するため地図をもらおうと益城町役場を訪れたのですが、役場は職員以外立ち入り禁止となっており窓口業務は隣の公民館とプレハブ仮庁舎にて行われていました。
職員の方と話をしていると現在も使用されている避難所のことや、トレーラーハウス(移動式住宅、事務所、店舗)の存在を教えてくれました。
その後トレーラーハウスのあるグランメッセ熊本へ向かい、現状を把握しに向かいました。
震災後避難所になっていたグランメッセ熊本ですが、耐久性の問題やガラスが割れていることなどから閉鎖せざるおえなくなり、その周辺には車中泊やテント泊をする方がいました。
グランメッセ熊本前には県の職員が無料で物資を提供したり、無料のよかとこカフェや、キッズスペースなどがあり、小学生が遊んでいる姿が見られとても微笑ましかったです。
トレーラーハウスは周辺に13台あり、実際に住み始めているのは2台だけとのことでした。
大きさもそれぞれ違い、部屋だけのものもあれば、トイレやお風呂のみのトレーラーハウスもありました。
優先としては、集団生活から離した方が良い方(妊婦、精神障害者、感染症にかかっているかた)が入居されるみたいです。
しかし、階段がありバリアフルなため身体障害者は難しいとのことでした。
6月10日(金)2日目
(午前)
身体障がい者福祉センター現状把握
地域生活支援センター「アントニオ」へSOSビラ配り
益城町中央公民館へSOSビラ配り
(午後)
女性依頼者Aさん入浴介助・家事支援・相談支援①
☆身体障がい者福祉センター
現在避難している方は15名と減ってきているようで、大部屋は閉鎖されていっています。
6月末で避難所としては、閉鎖されるようで避難している方の仮設住宅や引っ越し先が早く決まれば良いなと思いました。
しかし、現状としてはなかなかバリアフリーな住宅がなくまだまだ時間がかかりそうだとの事です。
車イスの女性と世間話をしていたところ家が全壊し、引っ越そうと思っているとのことだったのでSOSのビラを紹介すると、とても助かる!と喜んでくださり、センター内には至る所にSOSのビラを配置してくださっていたが個人には届いていない方もいて、そのような方が実際にはもっとたくさんいるのではないかと思いました。
★地域生活支援センター「アントニオ」
避難所にいる障害者の方や、困ったことがある障害者の方への受けきれない支援があればこちらへ連絡がほしい。と伝えSOSチラシを受け取ってもらいました。
☆益城町中央公民館福祉課
ビラ配りがすでに行われており、窓口の横に置いてくれているのを確認し、今まで行った活動内容の事例書はまだ配布していなかったので担当の方にお渡しし、今後障害のある方や親族の方にSOSのビラの紹介などをしてくださる際事例と共に説明してくれるようお願いしました。
午後からは女性依頼者の入浴介助と洗濯物などの家事支援を行いました。避難所のお風呂も入る時には予約をしないといけないため、夜間はなかなか予約がとりにくいとのことです。
ヘルパーも足りていないため毎日のお風呂は困難。
避難所によっては、大部屋でたくさんの方が共同生活されており間仕切りがないことに驚きました。
あっても90cmくらいのもので、ほぼ意味がない。
プライバシーが守られておらず、仕方ない。で片付けてはいけないと思いました。
6月11日(土)3日目
女性依頼者Bさんの新居引っ越し①
前の住居から新居への荷物運びと新居の部屋掃除、部屋の採寸、電気会社との料金支払い手続きを行いました。
前の住居は被害にあったため、中の様子を判定してもらい今後住めるかどうかを見てもらうとの事でした。
しかし、今後新居が3階のためこちらに住み続けることになったとしても階段の上り下りがしんどいため出来ることなら1階か2階に住みたいとのことでしたが、見つかりにくいようです。
現物支給についても、まだ罹災証明書が出せていない状態なので難しいみたい。とのことでした。約1ヶ月もかかるのかと驚きました(・・;)
*罹災証明書
天災により被害を受け、その被害の程度を証明する書類。
センターで支援させていただいている中で依頼者から不要なものなどが出た際は今後、このように必要としている依頼者の方へ届けることもしていく動きです★
6月12日(日)4日目
女性依頼者Bさんの新居引っ越し②
本日は、大牟田市社会福祉協議会・ボランティア連絡協議会7名の方と一緒に支援です!
昨日と同じく新居引っ越しのお手伝い☆
今回は前の住居の荷物をまとめるお手伝いと新居への運び出しです。
依頼者の住居は、震災で屋根に被害があり、現在ブルーシートで覆われている状況です。ブルーシートで覆う前は雨漏りがひどく、畳や布団がダメになったそうです。
ブロック塀もかなり曲がっており、地震の恐ろしさを思い知りました。
着々と引っ越し作業も進み、早く避難所から新居へ移れたら良いなと思っています。
雨漏りでしき布団がダメになったようなので、センターにある赤十字の折りたたみマットを貸し出す予定です!
6月13日(月)5日目
女性依頼者Cさん住宅片付け
初回となる女性依頼者の住居片付けへむかいました!
現在避難所で過ごしており、住居が片付き次第住み始めるとのことでした。(避難所は6月末で閉鎖。)
しかし、実際に家に伺うとゴミや物が多くあきらかに震災の影響ではないであろう状態でした。
そのためセンターでは、ある程度生活できる状態にまでは片付けてそのあとは地域のヘルパーに移行する方針です。
このような例は精神障害者に多く見られるようですが・・・
片付けのお手伝いをしたい気持ちはやまやまですが、区切りをつけないと本当に被災によって支援を求めている方に対応できないのです(^^;;
避難所での人間関係もうまくいっておらず、みんなストレスがピークだとのことです。
1日でも早く自宅で生活できれば良いな。と思いました。
6月14日(火)6日目
(午前)
西原村現状把握
(午後)
女性依頼者Aさん入浴介助・家事支援・相談支援②
今日は午後からの依頼だったので午前中は、西原村へ!!
西原村も益城町ほどの被害があったとの話しを聞きつけ現状把握してきました。
世帯数は2652。
全壊344、半壊1087、合計1431。
役場の統計をみて半分以上の世帯が被害にあっていて驚きました。
益城町の被害状況とはまた違い、ブロック塀などが倒れて土砂崩れがおきているのが目立ち、まだまだ片付いていない所が多く、震災直後はもっと被害が大きかったのだと思いました。通行止めの道路も多かったです。
避難所として西原中学校が使用されており、給水所とテント内にお風呂がありました!
午後からの女性依頼者(2回目)は、前から相談してくださっていた間仕切りを設置し、その後いかがかを聞きました。
間仕切りがあることによってプライバシーが守られるメリットがありますが、デメリットとしてコミュニケーションがとりにくくなり、周囲の人間関係が悪化し悪口を言われるようになったと話ししていました。
避難所のスタッフもあまり対応をしてくれないみたいです(・・;)
避難所での人間関係のトラブルはよく耳にし、徐々に避難所自体も減ってきてはいますが最低でも仮設住宅がたつ7月末までは避難所での生活を余儀なくされます。
支援活動は以上です。