東北関東大震災障害者派遣プロジェクト11

東北関東大震災障害者派遣プロジェクト11
被災地当事者派遣 報告書
夢宙センター 馬渡健二 菊池仁 椛田健吾
【スケジュール】
10月11日(火)
13時30分 花巻空港到着。
リフトタクシーで、15時ごろ被災地センター到着。
19時に支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月12日(水)
9時に被災地センターに到着し、午前中は被災地センターの事務を行いました。
13時にCILもりおか代表の川畑さんと合流し、16日に行うILPの打ち合わせと
支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月13日(木)
 8時に被災地センターを出発し、陸前高田の被災地見学
13時からバリアフリー仮設に、入居となった入居者と県庁との、話し合いに同席 19時被災地センター到着 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月14日(金)
7時30分、被災地センター出発 大船渡にある施設に訪問し、震災時の状況を職員と入所者に聞く 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月15日(土)
 7時被災地センターを出発し、10時宮古のAさんの家に到着して、宮古駅の方へ外出支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月16日(日)
 13時30分CILもりおか長期ILP講座(自立生活運動と歴史)リーダーとして参加
10月17日(月)
 10時から県の障害福祉課とのバリアフリー仮設についての話し合いに同席 
(活動報告)
障害当事者派遣プロジェクト11
障害当事者派遣プロジェクト11
                    
 今回、岩手県の被災地障害者派遣プロジェクトで被災地に行かしてもらい、実際に被災現場に行き実際に現場を見ると、自然の強さと人間の弱さを見せつけられ、改めて自然の驚異を思い知らされました。人間が何十年かかって作り上げてきたものを、一瞬にして地震と津波によって、建物や家族や夢や希望までも奪われてしまった人達の気持ちは、一言では言い表せない程の失意感だったと思うし、被災者ではない僕達が何が、できるのかまた、何をしたらいいのかを、もう一度個々に考えていかないといけないと、思いました。また、被災された障害当事者に、会って感じたことは、もともと、岩手県は福祉が大阪より、まだまだ進んでない上に、今回の震災に遭い社会資源もさらになくなり、バリアフリー仮設に入居となったが、バリアフリーとは名ばかりで、障害者のことを何も考えていない住宅になってしまっていた。住宅の入り口は手動車椅子で、ギリギリ入れるか、入れないか分からないぐらいの、幅しかないし、住宅の中の浴室の段差が30㎝あり、とても車椅子の使用者の事を考えて作られた物ではなく、しかも、岩手県の障害福祉課に尋ねると、岩手県としては、バリアフリー仮設住宅の建築基準は、まだ作られていないとゆう。建築基準がないとゆうことは、あまりにも対応が遅いし建築基準を作る時には、障害者のことは障害者にしか、分からないので是非、基準を作る会議に、障害者も参加する方向で考えて欲しい。
障害者派遣プロジェクト11
(感想)
 最後に、今回の被災地派遣プロジェクトに参加して思うことは、被災された健常者も障害者も、心に受けた傷は消えないかもしれない。だけど、その心の傷を強さに変えて、街の復興も心の復興もゆっくりと、していってほしい。
 また、こうゆう派遣プロジェクトがあったら、何ができるのか分からないけど、僕が行くことで一人でも、元気になってもらえる人が居るのなら、是非、参加したい。

ポジティブ生活文化交流祭<炊き出しなう&当日運営 ボランティア募集>

ずっ~と続けてく被災障害者支援
東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭 in扇町公園
<炊き出しなう&当日運営 ボランティア募集>
 私たち大阪の障害者ネットワークは、阪神淡路大震災の経験をもとに、3.11以降、東北被災地3県に救援本部を立ち上げ、お金と物と人を被災地に届けてきました。
被災地では、仮設住宅も建ち、新たな段階に入りましたが、ことに被災障害者にとっては、まだまだ厳しい状況が続いています。
 私たちは長期にわたる支援が必要と考えており、このたび別紙のような催しを開催することになりました。
東北と関西との文化交流をはかり、被災地で起きていることをお伝えし、関西からの支援のあり方を共に考えることを目的にしています。
 今回のおまつりでは、福祉系男子たちが東北から大阪へ移住した方の協力の下、炊き出しでいも煮をつくります。この炊き出しを一緒に手伝ってくれるボランティアさんを募集しております。
その他にも、会場の設営や当日のおまつり運営、来場者の誘導などをお手伝いいただけるボランティアさんも併せて、募集しております。
<日時>2011.11.23(水祝)9:00~18:00 の間で2時間以上お手伝いいただける方
<会場>扇町公園(地下鉄扇町駅・JR天満駅下車)
<内容>炊き出しなう:調理のお手伝い、来場者への配膳、後かたづけ
    当日運営:会場設営、来場者の誘導、当日プログラムの運営アシスタント
<定員>30名   ※当日おまつり食券(500円相当)支給
         特定非営利活動法人 日常生活支援ネットワーク
TEL・FAX:06-4396-9189
メール:po-net@e-sora.net HP:http://tohoku-kansai.seesaa.net/

ポジティブ生活文化交流祭 <記憶と記録 ボランティア募集>

ずっ~と続けてく被災障害者支援
東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭 in扇町公園
<記憶と記録 ボランティア募集>
めっきり冷え込み、秋らしい日和となりましたが、みなさま益々ご活躍のことと存じます。私たち大阪の障害者ネットワークは、阪神淡路大震災の経験をもとに、東北被災3県に救援本部を立ち上げ、お金と物と人を被災地に届けてきました。
被災地では、仮設住宅も建ち、新たな段階に入りましたが、ことに被災障害者にとっては、まだまだ厳しい状況が続いています。
私たちは長期にわたる支援が必要と考えており、このたび別紙のような催しを開催することになりました。
東北と関西との文化交流をはかり、被災地で起きていることをお伝えし、関西からの支援のあり方を共に考えることを目的にしています。
今回のおまつりのメインテーマは「対話」です。
当日来場されたお客様、出展者、出演者のみなさまの声や東北への思い、それぞれの3.11の記憶をインタビュー&アンケートして、記録に残していくことができればと考えております。
この記憶の記録を手伝っていただけるボランティアさんを募集しております。
<日時>2011.11.23(水祝)11:00~17:00 の間で2時間以上お手伝いいただける方
<会場>扇町公園(地下鉄扇町駅・JR天満駅下車)
<内容>
こちらで用意しましたフォーマットに沿ってのアンケート。
来場者や出展者に話しかけ、アンケート内容に沿って、聞き取りとその記録をお願いします。
<条件>おまつり当日、11:00~17:00 の間で2時間以上お手伝いいただける方
<食費>当日おまつり食券(500円相当)支給
特定非営利活動法人 日常生活支援ネットワーク
「パーティ・パーティ」 担当:椎名保友
TEL・FAX:06-4396-9189
メール:po-net@e-sora.net HP:http://tohoku-kansai.seesaa.net/

東北の冒険、わたしたちの冒険 救援本部大阪会議の報告

 遅くなりましたが、10月7日の救援本部大阪会議の報告です。
 震災から7ケ月がすぎ、仮設住宅への入居がほぼ完了し。それぞれの生活の再建が取り組まれています。この間、救援本部では、沿岸部支援のための拠点建設、整備が進められています。仮設住宅などの訪問調査活動やニーズの高い「移送サービス」の提供、行政制度の活用の支援や現地の福祉サービスの再建、拡充のための支援などに取り組んでいます。
 岩手では被災地障がい者センターいわての盛岡本部の他、新しい拠点として宮古支部を建設中のほか、現地の団体のハックの家、AJU自立の家という連携拠点があります。
宮城の被災地障がい者センターみやぎでは仙台の本部の他、亘理支部が現地の団体の「ささえ愛山元」の協力で早くから活動していましたし、登米支部も大阪の「そうそうの杜」、「大阪市知的障害者育成会」、「加島友愛会」の支援のもとで活動していましたが、このたび現地採用で人員を3人体制にして、より支援活動を強めようとしています。
 さらに、大船渡、石巻にあらたに障がい者センターをつくり、試演活動の拠点とする他、緊急時の駆け込み寺やカフェサロンとしても機能させようとしています。
原発事故による放射能汚染という、もっとも困難な状況にある福島では、長期的に避難することを希望する障害者が増えています。
 現在10人ほどの方が移住を希望されていて、具体的に何人かの人が移住しつつあります。そこで、移住のための県外拠点作りが計画されています。
 被災地はすでに寒く、これからは冬対策が本格化します。迫り来る冬に追いかけられるように被災地の支援活動は拠点を沿岸部にもつくってきました。
 仮設住宅での寒さ対策に加えて、移送サービス、移送支援のニーズが高まっている中、凍結地での車の運転に慣れていない関西や東京からのボランティアによる支援は難しいのが現実です。そして、中長期的にも現地雇用による継続的な支援が望ましく、介護サービスの充実など、支援からサービスの事業化を進めていくためにも地域での雇用や、地域の団体との連携を進めていこうとしています。
 各方面から注目されている障害当事者派遣プロジェクトは、救援活動で出会った被災地の障害者の自立支援に定め、9月12日から10月17日までは大阪の夢宙センターから派遣し、それ以後はJILの加盟団体に呼びかけ、すでに数人の方が申し込みされています。自立支援を目標にしている関係で、当事者派遣プロジェクトはILセンターで自立支援をしている人を対象とさせていただきます。
 そして、震災発生時から障害者救援本部大阪と障害者救援本部東京が連携しながら支援活動をしていましたが、より緊密に連携していく体制をつくりました。
 会議の最後にゆめ風基金代表理事の牧口さんが、副代表の河野さんと障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」の取材で仙台に行った時の話をされました。
その中でとても印象的だったのは、ひとりの障害者のお父さんが「生まれてからずっと、親子が離れたことは一度もありませんでした。今度の津浪で一時離れ離れになり、とても心配していたのですが、見ず知らずのひとがついていてくれて、助かっていた。ほんとうにうれしかったけれど、なぜかこどもが大人になっていてびっくりしました。一週間もたっていないのに、自分でいろいろするようになっていた。」と話されたそうです。
 こどもが自立していくために、とくに障害をもつ子どもが自立していくためには、親離れ、子離れがもっとも必要だといわれますが、この震災の混乱の中で親子が離れ離れになったことで、いのちのリスクをこえて自立への小さな一歩を垣間見たという、とてもうれしい話ではあります。
 しかしながらその一方で、家をうばい、家族をうばい、友をうばい、そして無数のいのちをうばった理不尽な震災がなければ、こんなかすかな一歩さえも踏み出せなかったのだというとてもかなしい現実に、そのお父さんに対してではなくこの国や社会に怒りをおぼえずにはいられません。
 別の人が言われたそうですが、「なにもかも根こそぎやられたのだから、今度こそ障害を持つひともそうでないひとも、ともに生きる町をつくりたい」。
 そうでなくては、いのちを絶たれた多くの人に申しわけが立たないのです。
次回の救援本部大阪の会議は11月11日(金)、パーティパーティで行います。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.39

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.39
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.39
日時:2011年10月16日(日) 天気:曇りのち晴れ
報告者: S
9:00~12:00 ケース会議
12:00~17:00 FMみなさんにて告知活動
活動した上で感じたこと
〈ケース会議〉
 過去に関わってきたケースを整理・検討する。
 ケースごとに訪問する支援の目標・頻度・つなぐ関係機関などについて検討。
 現在使えるサービスについての情報が不足しているため、社会資源のマップを作成するよう提案する。
〈告知活動〉
 地域のFM局であるFMみなさんにて告知活動をする。
 被災者の方の情報源として活用されているFM局なので、今後の活動を地域住民に知ってもらえればと思った。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.38

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.38
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.38
日時:2011年10月15日(土) 天気:雨
報告者: S
9:00~12:00 Sさんレスパイト、事務処理
12:00~17:00 打ち合わせ、事務処理
活動した上で感じたこと
Sさんレスパイト
 9:10登米拠点出発。9:55祖父母宅着。
 本人の住む祖父母宅に着くと祖母が待っており、本人を呼びに来る。本人はCDウォークマンを聞いたまま乗車する。笑顔が多く機嫌はよかった。視覚障害があると聞いていたが、車窓から見える景色を熱心に見ていた。
 車のスピードが落ちると少し機嫌が悪くなり、声が出る様子。右親指の関節で窓ガラスを叩くことがあり、見るとタコができていた。日常的にその部分を打ち付ける常同行動がある様子。
 10:40道の駅林林館に到着。祖母から今朝トイレに行けていないと引継ぎがあったので、トイレに促すが、扉を押さえ拒否。運転者に車を出すよう促す。
11:00明治村・11:25虚空蔵尊でもトイレを促すがいずれも拒否。車を出すよう強く要求したためにドライブをする。
12:00祖父母宅着。
 大阪では複数で車でレスパイトするのは考えられないが、現地の地域性を考えれば車は必須であるといえる。ガイドヘルパーの制度もないが、将来事業展開としてレスパイトを考えるなら、移動手段は大きな課題になると思われた。
打ち合わせ
 今後の動きについて打ち合わせ。
 相談を受け付けたケースを検討するため、定期的にケース会議を持つことになる。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.37

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.37
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.37
日時:2011年10月13日(木) 天気:晴れ
報告者: S(育成会)
9:00~12:00 Mさん訪問、事務処理
12:00~17:00 Eさん訪問、事務処理
活動した上で感じたこと
Mさん訪問
 先日より留守のため訪問できていなかったMさんが同じ仮設住宅内の交際相手のお宅におられることが分かった為、本日訪問。居室内は食べた後のものが散らかっているなど、煩雑な様子が伺える。
 交際相手の男性が外出していたため、ご本人からお困りごとについて聞き取りをする。主訴としては車の買い替えのことが気になって眠れないということだったが、実際には話しを聞いて欲しかったように思ったので、本人が納得するまで傾聴する。本人のお話は事実と違う点も多いが、話しを聞くうちに表情が明るくなり、身振り手振りを交えて話し出す。
 車の件は納得してから買うよう助言すると腑に落ちた様子。また何か相談事があれば連絡するとのこと。
 仮設住宅の中で精神障害を持った方のストレスも溜まってきており、息抜きの場も必要だと感じた。
Eさん訪問
 本人は小学一年生の自閉症の男子。地域の小学校に通っているが、多動傾向。自宅にて本人を見て欲しいとの依頼。
 祖母から聞き取りをする。現在は曾祖母・祖父母・本人の4人で暮らしており、父親は出稼ぎにでている。地元スタッフの情報では祖母は自宅に囲い込みがちとのことだったが、祖母の話では出来るだけ外部の人の支援を受けたいということ。現在は毎週水曜日JDFのスタッフが15:30から2時間自宅で支援しているということだが、祖母に用事があるときにみてほしいということ。
 予定が合えば派遣することになり、次週19日にJDFさんの支援に同行させてもらうことになる。
 現在の家に着てから本人が活動的になり、オムツもはずせるようになったとの事。本人の成長を見て祖母の気持ちも変わってきている様子。
 震災は不幸なことでは有るが、それをきっかけに前向きに障がいに向かい合えるように馴れる事例もあるのだと知った。

東北関東大震災障害者派遣プロジェクト10

東北関東大震災障害者派遣プロジェクト10
被災地当事者派遣 報告書
   夢宙センター 陶山雄一 登裕樹  小角元哉
【スケジュール】
10月1日(土)
岩手県に到着 CILもりおかにて長期ILP講座(調理編)打ち合せ 被災地障がい者センターいわてにて支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月2日(日)
CILもりおか長期ILP講座(調理編)リーダーとして参加
10月3日(月)
沿岸部大槌町同行 被災現場(視察)→被災者支援同行(仮設住宅)必要な物資・住環境の聞き取り支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月4日(火)
沿岸部宮古市同行 被災者支援(在宅)市役所送迎・外出支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月5日(水)
被災地障がい者センターいわて事務勤務 もりおか復興支援センター(物資調達)盛岡市民福祉バンク(物資供給支援)同行 CILもりおか訪問(意見交換・長期ILP講座反省会) 支援物資の整理仕訳 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月6日(木)
大船渡市同行 バリアフリー仮設住宅実態聞き取り調査 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流(送迎会)
10月7日(金)
被災地障がい者センターいわて事務所勤務 仮設住宅のバリアフリー化について岩手県保健福祉部障がい保健福祉課訪問
【活動報告】
①CILもりおか長期自立生活プログラム講座
障害者派遣プロジェクト10
 ILP終了後、参加者と自立生活についてなどの話を行いました。
 まだまだ社会資源が乏しく、障害者に対する差別や偏見が大いにある地域では、自立生活センターとして、障害者リーダーとなりうる人材を発掘し、一人でも多くの仲間を増やし、仲間とともに自立支援を楽しみながらおこなうことが大切だと思った。
②大槌町仮設住宅の方への支援
 物資援助の希望として、衣類、暖房器具の希望があった。
 本人から、趣味の「アニメ・ゲーム・プラモデル作り」など、色々話せて楽しかったと言葉があった。
 現状、生活することで精一杯という印象を受けたが、今後、生活に楽しみを持てるよう、趣味を行えるような環境(物資等)の整備のサポートや、本人が孤立してしまわないように、ボランティアを含め、他者とかかわる機会が必要であると感じた。
③大船渡市のバリアフリー仮設住宅実態聞き取り調査
 本人からの訴えとし、防寒対策がされていない、握力がないため入り口の扉の開閉が困難、洗面所がない、給湯器のお湯がすぐ水になる、インターホンが付いていない、室内の電灯が一般の仮設住宅はリモコン式なのにヒモ式である等、仮設住宅が建てられた公園が閉鎖されておらず、プライバシーが保たれていない為、精神的に安心できる環境が整っていない等の話をうかがいました。
 バリアフリー仮設住宅の被災者に対する物資の支援が滞っており、車椅子で物資をとりに行っても「邪魔だ」と言われるなど、心ない言葉を浴びせられるなどの話を聞いた。
●被災地に行き感じたことは、元々、社会資源が乏しく交通アクセスが整備されていない町が復旧を遂げたとしても、障害をもつ人の生きづらさは変わらない、地域で自立生活が実現できるよう復興していってほしいと思った。
 また、津波の被害に遭った大槌町沿岸部では廃墟と瓦礫が整備された空き地が広がり、その空き地の所々にオレンジの旗が立てられているのが見えた。それが何を意味するのか、何の印なのか気になり尋ねたところ、その場所から遺体が見つかったと聞かされる。津波が一瞬にして町をのみ込み、人の命、家庭や夢希望、全て奪いさったことにやるせなさを感じた。
 少しずつ町は復旧してきているものの、今もまだ震災 ( 津波 ) の爪痕が残る場所に実際に行き被災された方と会い話を聞くと、町が復旧したとしても、人の心に残る傷跡が癒えるには時間がかかり、みんなの応援と人の痛みを思いやる温かい気持ちと支え合いが必要だと実感した被災地での活動だった。
障害者派遣プロジェクト10

「社会福祉法人ゆうのゆう」の被災地支援ニュース

ゆうのゆう岩手報告
被災地障がい者センターいわての活動を継続的に支援する「社会福祉法人ゆうのゆう」の支援ニュースNO.111より
報告者 T
 7日(金)。昨日盛岡入り。何故か駅からセンターまでの道のりでいきなり迷子になる。センター到着後、今や専従スタッフとなったYさんやNさん、代表の今川さんと再会。その皆さんとは4ヶ月ぶりなので当然ですが、2週間ぶりに会うKさんまでも既に「懐かしい」存在になっていました。
 そして本日活動初日。帰阪するKさんの労をねぎらうかのように?大きな虹が盛岡の空にかかっていた。
その後、Tは事務所業務を担当。ここで専従のYさんとも再会。「再会」という響きが嬉しい。こちらでの活動に取り組むに当たっても、4ヶ月というブランクがあるとはいえ、「経験」のおかげで初回派遣時よりも比較的スムーズに現地のペースに順応できそうな気がする(あくまで「気」だけですが…)。
 
 日々の「被災地派遣ニュース」でも報じられているように、センターが関わっている個々のケース、活動の方法や組織体制、そして被災地全体の状況などは、まさに時々刻々と移り変わっている。しかし実際には、数ヶ月も過去の、しかもごく短期間の活動経験であっても、そこで得た「出会い」や活動・業務上の「習慣」が「戦力」として認識される。これは、被災地や被災者を取り巻く様々な環境がいかに「変化」しようとも、復興の原動力があくまで「人間」であるという点については、「一貫性」が存在しているためではないだろうか。
 その意味で、私たちの法人のように、個々のスタッフが短期間で「入れ代わり立ち代わり」する方式であっても、それは着実に被災地復興に向けた「戦力増強」の一翼を担っていると言えそう…な気がする(やっぱり「気」です…)。
 本日の活動内容としては、大分県竹田市の小学生が送ってくれた手作りの「味噌玉」やカボスの小分け作業、経理、備品の注文、掃除、夕食準備など…。小学生からの素敵な贈り物には、手書きのメッセージや「味噌玉」作りの作業風景の写真が添えられていた。せっかくなので、それらもカラーコピーをしてそれぞれの小分け袋に同封する。実際に被災地の方にお渡しした折には、その様子を写真に収めて「ちゃんと届いてますよ!」というメッセージを大分にフィードバックすることも検討中。そうすることで、遠くにいてもお互いの顔が見える「双方向性」を担保できれば…
 夕食は…初回派遣時の「バナナ事件」のトラウマを引きずりつつ、「チムダック」という韓国料理をこしらえてみた。今回は今川さんも「美味しい」とおっしゃってくださったので一安心。明日も事務担当だが、盛岡市内でのイベントのお手伝いあり、夕方からはAさんの夜間ケアにも入らせていただく予定あり、なかなか盛りだくさんです。

みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.36

みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.36
社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.36
日時:2011年10月10日(月) 天気:晴れ
報告者:
9:00~12:00 イオン南方跡地仮設訪問、事務処理
12:00~17:00 育成会職員送迎、山の神平福祉施設
活動した上で感じたこと
〈イオン南方跡地仮設・女性〉
前日、センター宮城本部より連絡、指示をもらい、訪問したが、留守だったため、本日再度訪問。前日干されていた布団は取り込まれていたが、朝刊はポストに入ったままになっている。しかし、不在だった為、訪問したことを伝えるためにメッセージを記した名刺をポストに入れている。
〈イオン南方跡地仮設・芳賀さん〉
訪問し、祖母に会い話をし、現在の状況を聞いている。
現在支援学校に行っており、送迎は学校で行っている。
重症心身障害で全介助のため、入浴は近くの入浴サービスを使っている。送迎もしてもらっているとのこと。日々の介助は祖母が行っているとのこと。母は病弱のため、仙台の実家に戻っており一緒には住んでいない様子。
月に1度病院受診を行っている。内科・小児科にかかっている様子。
現在、特に困っている様子はないが、身体介助(移乗)の時は大変な様子。
10月7日にスロープがつくとの事だったが、7日は大工さんがきてまだ取り付けは出来ていないが今週半ばにはスロープが設置されるとのこと。
スロープが設置されてから、再度訪問。
〈山の神平福祉仮設〉
PM、高知より物資が届く。(刺繍のひざ掛け・座布団)
山の神平福祉施設へ物資として届けている。