2011年06月12日10:56
白石個人
6時に起床。栄子はきょうから出かける。100キロマラソンに挑戦する。帰りはあさってになる。当分栄子の介助なしで生活。さすがに眠いので少し横になっている。
9時に家を出る。放射線量・家の玄関前0.5μ㏜、緑町・三部会計事務所前0.56μ㏜、朝日・立正佼成会会館前0.63μ㏜。
………………。
午後の7時前にR君がみえる。みんな(白石、S君、Sさん、R君)で車に乗って、白石の家からシャワーチェアーを運んで、H宅へ。H君、ヘルパーのKさんを乗せて、女子大の近くの島の湯という温泉に行く。疲れをとる。ちょっと熱めだったが、気持が良かった。
9時ごろに島の湯を出て、開成山のアンジェロへ。夕食を食べる。ピザ4皿と大皿のサラダ、その他にS君とR君はパスタも食べる。Sさん、S君、R君の健啖ぶりにはびっくり。
10時半ぐらいに家に帰る。息子は寝ている。
支援センター
9時過ぎにボランティアのK君が東京へ帰っていく。K君は東北関東大震災障害者救援本部(全国自立生活センター協議会やゆめ風基金等)から支援センターに詰めているS君のお友達である。K君はいったん東京に帰ったりしたが、4月のはじめからきょうまでよく働いてくれた。お疲れ様でした。
ミクシーや日記付け。
ボランティアのSさん、Iさんがみえる。Iさんは千葉からみえる。
田村のWさん、介助者さんがみえる。
11時からS君の司会でボランティアのミーティング。
6.11原発いらね!郡山パレードは雨が降ったら中止と書いてあったので(ちょっとだけ雨が降っている)、どうなるのか、問い合わせれば予定通り行うとのこと。
ボランティアのSさんが持ってきてくれたおにぎり、煮物、フルーツをみんなでご馳走になる。
12時前に車で出て駅前へ。私、Sさん、S君で行き、S君は車で帰る。雨がちらついているのでSさんに合羽を着せてもらう。Y君、H君が来ている。昔左翼系の連中が顔を見せている。私の従兄も来ていた。田村のCILのEさんが挨拶をしている。代表者の挨拶の後、駅前周辺をパレードして歩く。雨が上がって晴れてくる。参加者は300人程度か。30分ぐらいパレードして、駅前に戻って解散。S君が時間と場所が分からなかったとのこと。マイミクのPeaceさんと会う。
S君に車で来てもらって、3時前に支援センターに戻る。
女性陣で支援物資の整理を行なっている。
インターネットでチェルノブイリのかけはしのNさんの講演の動画を見ている。EM菌で作った発酵ジュースのことを知る。発酵菌が放射性物質を自分の身体に取り込んで、放射線をエネルギーとして活用しているのではないかとNさんは言っていた。発酵ジュースを薄めて庭にまけば、庭の放射線量が減るのだそうだ。EM菌で発酵ジュースを作ってみようか。
2011年06月11日10:24
白石個人
7時起床。ニュースで、本宮で名古屋の大学の准教授がイネやヒマワリなどを植えて、一番放射線を吸収する植物を調べて、放射線除去とバイオマスの研究をするとのこと。UF-787プロジェクトと連携していくことができる。早速連絡を付けなければ。
8時半過ぎに支援センターへ。
…………
夜8時過ぎに事務局会議が終り、三浦屋貝願亭へ。ボランティアのK君が帰られるので、私、O部君、S君とでお別れ会を開く。生ビール2杯飲んだら、疲れているのでふらふらになる。11時前に家に帰る。風呂場で身体を洗ってから寝る。
支援センター関係
9時ごろにボランティアのIさんが帰っていく。
9時半ぐらいに白石、S君、K君とで車で出かける。あいえるの会事務所へ。ICコーダーを取って→日和田のさくら館へ。K君がナビにさくら館の電話番号を入れたが、違う場所に行ってしまう。慌てて住所を入れて、10時 過ぎにさくら館に到着。施設長のSさん、生活相談員のGさんが対応。大震災で南東北病院に入院していた方が一時的に非難してきたとのこと。 ディサービスを利用している方の家の荷物が散乱して、帰れないので何人かが一泊していったという報告。さくら館の天井のパイプがズレて、水浸しになったと のこと。
須賀川の福島病院へ。室長のAさん、女性の医師、事務の方が対応。重度の重複障がい者が入院している。一棟に40名(三棟ある)、 一室に8名の障がい者が柵付きのベッドに寝かされて、昼食を食べていた。避難してきた障がい者は女性で重複の方一名で、田村市から来たとのこと。家族は仮設住宅に入ることが決まったが、一緒に住むか、福島病院に入所させるかは決めていないとのこと。少し動ける者は部屋の床や廊下に出てはいずり回っていた。 郡山から入院したY君に会ってくる。私の顔をあまり覚えていないらしい。いくら重い重複障がい者でも地域の中で、グループホームのようなものを造って住民と共生した生活をさせたいなあ。
それから銀河のほとりへ。Aさんがいる。お昼ご飯を食べる。タケノコカレーとまめ入りカレー。Aさんがテレビ朝日の取材を受けている。明日行われる反原 発の運動のことでの取材らしい。スイートホットで作っているという墨入りビスケットが置いてある。Aさんから支援物資(主に服類)をもらってくる。偶然(はないか)に マイミクのまるさんが銀河のほとりにみえる。義母さんを一人にして置いていけないので、お子さんと郡山にいるとのこと。でも元気そうで良かった。夏休みで もちょっと旅行にでも行こうかなと言っていた。ちょっとでも少しでも遠くに行けば、気がまぎれるから。元気が出れば免疫力がアップするので。
2時半ぐらいに宇津峰十字の里へ。園長のNさんと係の方が対応。はじめに園内を見学。知的障がい者の施設だからか、段差だらけ。部屋は4人部屋が多い。定員は50名。他に20名規模(通いか)の作業所があったが、今回の大震災によって倒壊したので十字の里の一部を使っている。そのようなことがあって、一件被災障がい者の受け入れを要望されたが断わったという。園長さんが1人でしゃべっている。施設は避難する時にはみんなで逃げなければならないので、在宅より大変だというようなニュアンスでしゃべっている。そして、最後には、JDFで原発をなんとかしてほしいと言う。なんだこの人は。施設反対のJDFを目の敵にしているのか。「原発のことは東電に言ってください」と言っておく。そんなに言うのなら反原発の運動でもすればよいのに。
4時過ぎに支援センターへ戻る。
被災地の女性に思い届け
2011年6月13日の福祉新聞(2531号)に、被災地の女性の支援を女性の視点ですすめるみやぎジョネット(みやぎ女性支援ネットワークの活動と、被災地障がい者センターの井上朝子さんが紹介されています。
被災地の女性に思い届け 宮城のVr団体が復興支援
女性の視点を生かそう 避難諸の改善や復興計画に
「災害時は、老若男女が厳しい環境下にある。一方、避難所で女性に対する配慮が欠けていることや、女性としての困難と障害者としての困難が絡み合うことがある。女性や子どもに向かう暴力が災害時はより深刻な形で現れることも、かねて指摘されてきた。「非常時だから」と後回しにされがちな課題が、改めて問われる。宮城の女性たちを女性記者が訪ねた。」
福祉新聞 2011年6月13日(2531号)
近畿ろうきんゆめ風募金プロジェクト
近畿ろうきんゆめ風募金プロジェクトの5月の募金合計は、575,566円でした。
募金をしてくださったみなさん、近畿ろうきんのみなさん、ありがとうございました。
募金活動ははじまったばかりです。今後ともよろしくお願いします。
かねてから障害者拠点への融資などで提携してきた近畿ろうきんが、ゆめ風基金を資金的に支援する「募金プロジェクト」を立ち上げられました。
近畿ろうきんは、2006年にゆめ風基金と提携して、NPO法人や社会福祉法人が障がいのある人たちのために行う事業を支援する障害者市民活動支援融資制度「ゆめのたね」を創るなど、団体の活動を幅広く支援していただいています。
ろうきんは労働組合や生活協同組合(生協)などが会員となる非営利組織(協同組織)であり、株式会社である銀行とは組織形態が異なるとはいえ、ひとつの金融機関が大きな後ろ盾もないNPO法人のゆめ風基金の障害者救援活動に支援していただくことは、前例のない画期的なことで、並々ならぬ思いで企画された担当者の方々のご熱意と、それを受け止め、決済された近畿ろうきんに深く感謝します。
プロジェクトの内容は次の3点です。
1.近畿ろうきん営業店に募金箱を設置
2.近畿ろうきんの会員(労働組合、生協)に募金の呼びかけ
3.近畿ろうきん窓口からゆめ風基金(ろうきん)口座への振込手数料の無料化
くわしくは以下のアドレスのPDFをごらんください。
(ちょっと重めのPDFデータです)
http://yumekaze.in.coocan.jp/2011sinsai/roukin/roukintirasiuraomote.pdf
現地ボランティアのナマナマ情報2 2011/6/10
明日でパーティーパーティーのIさん、わたし、ISさんのチームが解散です。たまたま大阪人ばっかりになって友達グループのようになったけど、それなりにそれぞれの個性が調和していい感じにきていたので、ひとり残る私はとっても寂しいです。明日飲み会で泣くかもしれません。ははは。
今回のボランティアはまるで勉強会です。ふだんほとんど行ったことのない市役所や保健センター、あんまり行きたくないような気がする法務省にも行きました。登録ヘルパーを5年やっていても制度については無知な私が行政窓口で分かったような振りをしてあれこれ尋ねるのは勇気がいるし、「私って本当に何も知らずに生きてきたんやなぁ」という実感の連続で恥ずかしく情けなくもなります。だけどこんなに良い勉強の機会に恵まれて本当に有難いし、これから生きていくうえで必ず役に立つ知識なので本当に大きな収穫になっています。
今は主に仮設住宅の入居状況の把握に努めています。はじめは地図を見ながら仮設住宅を訪れ、行き当たりばったりで聞き取り調査をしていましたが、だんだん要領がつかめてきて、まず始めに行政に情報を取りに行くようになり、自治会長に話を聞き、住民の個別調査をするという流れが分かってきました。それさえも、本当に手探りだったのです。「調べるって、何を?どこで?どうやって???」というところからスタートして、今はやっと「まずここに行ってこれを聞いてこの人に会う」というところまできました。活動開始から5日目になります。慣れたころに帰るというのがなるほどこういうことかと納得です。
ちなみに、私がこれを書いているのは午後八時過ぎ。前回報告を書いていたのは夜の10時半でした。事務所の明かりは煌々と点いていて及川代表を始めとするスタッフが残って仕事をしています。私は1カ月の期間限定だけど、震災のあの日以来毎日こんな生活が続いているんだなぁと思うと・・・人ごと極まりなくて申し訳ないですが、正直「すごいなぁ~、でも私には無理やな~」とか思ってしまうのです。八幡さんのあのエネルギーもどこから湧いてくるのかが不思議で仕方ありません。あの人なんであんなにエネルギッシュなんでしょう。
活動内容としては、主に仮設住宅での聞き取り調査です。
目と耳が悪くて震災前に大きな大手術を経験し、糖尿も持っておられるご老人が仮設住宅に招き入れてくださったのでお話を伺っていました。
始めは生活について困っていることなどを話していたのですが、しばらくすると地震直後や避難生活での本当に心細かった思いを話してくれて、「避難所は床が痛くて寝られなかった。インシュリンもないし寒くて体がこんなにガタガタ震えて・・・」と言いながら泣いておられました。
そのような人を目の前にしてどうすることもできない私を助けてくれたのが、当時同じメンバーだったターミナルケアをされている看護師の方でした。「あぁ、そう、うん、うん。」と親身になって話を聞くプロフェッショナルさに比べ、私はそのおじいさんと一緒に泣きそうになっているという始末です。本当にど素人がこんなことやっているのだから、不思議ですよね。
おじいさんは出さないといけない葉書を代わりに出しますよという提案に大変喜んで、「本当にいいの?いやぁ助かるよ、ありがとう」と感謝してくれました。そんなことでお礼を言ってもらって、なんかこっちが申し訳ないような気持ちになります。
「お喋りするの好きだから仮設で一人でいるのが寂しいんだよ。また来てね」と言って頂き「はい、ぜひまたお顔を見せてくださいね」と言っている私はあと2週間で帰るのだから切ないですよね。
だからこそ、「みやぎ」もしくは「みやぎ」を通してどこかの団体や人がそのおじいちゃんのような人達に繋がっていけるように、”記録を埋もれさせてはいけない!”と資料の整理についても試行錯誤しながら頑張っています。
パーティーパーティーのIさんはパソコンが得意なので本当に助かっています。今日は入居状況の把握のための表作りで、来週はIさんがいなくなるし頑張って勉強してみようかなと思って「エクセル教えて!」と頼みました。ところがせっかくのレクチャーにも関わらず2分くらいであっさり諦めて、5分後には「大丈夫、きっと誰か得意な人が新メンバーで入ってくるはず!!」と根拠のないポジティブ思考で自分を励ましていました。
こういう時に真剣に習って習得したらいいのになぁ~と人ごとのように思いながら。
とにかく、まだまだビビりまくり、失敗の連続、それに加えて仲良しチーム(?)の解散、かなり心細いですが、自分がやっている地味な事の積み重ねが誰かの生活を楽にしたり楽しくしたりすることを思い出してがんばっていきたいと思います。
明日は午後からは原発反対デモにチームのみんなで参加します。夜はスタッフの豊川さんが用意してくれている美味しい日本酒をごちそうになる気満々。あぁ楽しみ。
ゆめ風の南さんは今日帰られました。宿舎でおしゃべりするのが楽しかったので本当に寂しかったです。「いざ帰るとなると寂しいもんやねぇ」と言いながら顔はかなり嬉しそうにニヤニヤしていました。「嬉しそうですやん!」と突っ込むと笑っていましたが、きっと少しは本当に寂しいのだと思います。私も帰り際には「もっといたい!」とか言っているかもしれません。あ、いや、ちゃんと帰りますよ。(笑)
それにしても仙台はご飯がおいしいです。みんな仙台へおいで。
いよいよ明日、街頭募金を行います。
いよいよ明日、街頭募金を行います。
震災から3ヶ月、テレビなどの報道も少しずつ変化してきていますが、震災直後も現在も、障害者の情報はとても少ないことも事実としてあります。被災障害者の支援活動に参加された方々のお話を聞くと、まだまだ初期の救援活動が必要な他、これからの復興に入る過程で、たとえば仮説住宅がバリアフリーになっていないなど障害を持つがゆえにより困難になってしまう現実があります。
息の長い支援と共に、共に生きる社会をつくりだすことが求められていると思います。
わたしたちみんなの問題として小さなことを積み重ね、被災地の障害者の心に届く活動を続けて行きたいと思います。
そんなわたしたちの思いを形にかえる大切なひとつの方法として、街頭募金があります。
どうかみなさん、今週の土曜日の街頭募金活動にご参加いただきますよう、よろしくお願いします。
6月11日(土)午後1時~午後5時 大阪なんば高島屋前
現地ボランティアナマナマ情報2
障害者救援本部の活動に参加しているパーティパーティでヘルパーをしているNさんの現地ナマナマ情報です。
活動一日目は事務所での情報整理でした。第一期から第二期支援に移るにあたって活動形態が変わりました。今まではたすけっとスタッフが地域担当のボランティアに仕事を割り振ってきたけれどその仕事自体が大変すぎてもうだめ、ということでチーム編成をしてあらゆる事を基本的にチームで判断し進めて引き継いでいき担当者は監修するようなスタイルです。
初の試みなので反省点がたくさん出るのは当たり前ですが、私のチームはパーティーバーティの穴沢くん、西本願寺ボランティアから来られている看護師の女性の方、私の3人で全員が全くの新人で何をどうしたらいいのか見当もつかず、資料を整理しろと言われても何をどうしたらいいのかさっぱりで、ほとんど手つかずで3時間ほどが過ぎました。たまたまその場を通った八幡さんに「八幡さん!!!はっきり言って、何をしたらいいかまーーーーーーーったくわからへん!!何したらいいの?!」と訴えると、「明日の聞き取り調査に備えて必要な情報を抜き出したらいいんや」と言われ、そこでなんとなくやるべきことが見えてきて、ファイルの情報が暗号ではなく情報に見えてきました。
西本願寺ボランティアの女性が「わたし自信がないです」とかなり落ち込んでおられたので、「大丈夫ですよ。私たちには私たちにできることしかできない。できないことはできないんだから、困っている障害者を見つけて力になりたいんですっていう思いが伝われば何とかなりますよ!!!」と、穴沢君と一緒に必死に説得しました。西本願寺のボランティア先でたまたま知った情報だけをもとにひとりでたすけっとに飛び込んで来てくれるだけの度胸の持ち主なので、最後には「でも、あと4日はいるって決めてたので、何の役にも立てないとは思いますがその日まではいます。」と腹をくくられました。私は彼女の勇敢さにとても感動したし、心強く思いました。
そして今日、いよいよ調査一日目。たすけっとスタッフのはからいで、東京の広域協会から来られているYさんがフォローに入ってくれることになりました。まずは名取市役所の福祉課に仮設の建設、入居状況を聞きに行きましたが対応してくれた福祉課のおじさんはいわゆるお役所仕事でこれといった情報は得られず。私たちがしどろもどろしている間に吉田さんは2階にある建築課で一般車両通行禁止になっている地域の通行許可証を取ってきてきれました。Aくんは仙台に到着してすぐ音楽祭だったので津波の被害の大きかった沿岸部をまったく見ていなかったので、車で被害状況を見に行けるようにとのはからいでした。「どういうことが起こって、どういう被害を受けた人達に支援をしていくかってことは知っておいた方がいいと思うから」と自然にさらっと言える吉田さんのような人がチームに入ってくれて本当に良かった!
沿岸部を見た後は宮城県立精神障害者センター近くにある仮設を訪問しました。ファイルを見てパーティパーテイのDくんが何度か聞き取りにいってくれたところだということが分かったので是非引き継ぎたいという気持ちで訪問を希望して、仮設訪問の第一か所目になりました。個人情報になるのであまり詳しいことは書けませんが、まさにビギナーズラックで「キーパーソン」のような存在にいきなり出会いました!!前日のミーティングで八幡さんが「第二期では被災障害者をいかに社会資源につなげるか!!!!キーパーソンになりうる人をいかに発掘するか!!!」と熱く語っていましたので…。
聞き取りの時に西本願寺のボランティアさんが私には思いつかないことを自然に聞きだしたり、事務所に帰ってきてミーティングしている時も素晴らしいインスピレーションを与えてくださったりと、この人がとどまってくれて本当に良かったと思いました。実は彼女はホスピスでターミナルケアをされていて、何百人もの人の死に出会っています。尊厳死というものを考えて日々緩和ケアにあたられてきた彼女の感覚というのは他の誰も持っていない独特で素晴らしいものがあると感じます。
そんな彼女が一時は頭を混乱させて自信をなくし、もしかしたらそこでやめてしまったかもしれないと思うと、ボランティアのコーディネートってほんとうにむずかしいなと思いました。みなさんがぎりぎりのところで精一杯やっておられることはわかるので言いにくいけれど、このことは八幡さんに提案しようと思っています。
だって、被災者もそうだけど、ボランティアに第一期も第二期もないですよ。素人は素人でしかないんだから、「大丈夫だよ。あなたにしかできないこと、あなたがいるからできることが必ずあるんだよ。」と言って自信を持ってもらう方が良い仕事が出来る気がします。
実を言うとそれってまさに私自身への慰めでもあるんです。私は実は繊細なので(ははは)、内心びびりまくってるんですよ。こんな私に何ができるんやろう、やっぱり泥の掻き出し掃除のボランティアにでも行ってた方がよっぽど人の為になれたんじゃないかって。
だけど、今日ラッキーなことに素敵な人に出会いました。地域の人の為にすごく頑張っている障害者です。自分が限界に近いことを感じながらも今は必死に動くしか方法がないのかもしれません。しかもそれはパーティーパーティのDくんがいたから繋がったご縁です。
私が居る間にできることは限りがあるけれど、きっとその人をこの「みやぎ」に繋げていきたいと思っています。そういう人と出会っただけでも仙台に来た甲斐がありました。明日からもスローダウンを念頭に置いてゆったりがんばります。今日は突っ走って根掘り葉掘り聞いてデリカシーがなかったと自己反省しましたので・・・。はぁ、難しいなぁ。
現地ボランティアナマナマ情報1
障害者救援本部の活動に参加しているパーティパーティでヘルパーをしているNさんの現地ナマナマ情報です。
4日(土)とっておきのコンサート前夜祭ゆめ風コンサート、5(日)とっておきのコンサート、最高でしたよ!!!
前夜祭は仙台メディアテークという大きなホールの1階エントランスで行われました。震災の被害状況などを展示するパネルもあり、メディアテークもガラスの窓が割れたり天井が損傷したり被害はあったようですが今では1階はすっかりきれいになっています。日本人って本当に仕事が早い。
大阪の和太鼓クルーで避難所を回っているグループや、視覚障害の有名バイオリニスト、我らが加納浩美さん、そして仙台の“みのもんた”さとう宗幸(ムネさん)さんの出演でした。3時半からの開演にも関わらず2時から整理券を手にするために行列ができていました。ムネさん何時から出るの?と聞かれて「え、ムネさんて誰ですか?」と聞いたらとたんによそ者ということがバレるほどの人気者です。
音楽祭当日は目から鱗でした。まず規模の大きさ。仙台市民広場をメイン会場にして、その周辺一帯が音楽フェス。大阪でいえば御堂筋商店街のようなメイン通りが頭からお尻まで音楽祭をやっていて、障がい者団体が決して上手とは言えない大合唱をしているのを観客が何重にもなって見ているというのは見ものでした。三越デパートの真ん前でロックバンドが大爆音で演奏しているのも、大阪ではありえないなぁと。ところどころにエコブースというゴミ捨て専用テントが設置され、待機するボランティアがゴミ分別を手伝いますが、そもそも捨てる人達が自らペットボトルのラベルとふたとボトルを分けて捨てるお行儀の良さに感銘。大阪人にもこれができたらとっておきの音楽祭みたいなことできるかもしれへんけどな~・・・ちょっと無理かも。
とっておきの音楽祭実行委員の人に「すごく素敵な音楽祭ですね!感動しています!」とラブコールを送って色々教えてもらいました。仙台市民広場というのは日本一の稼働率、つまりいつも何かのイベントがその広場で行われているとこのこと。もともとお祭り好きな仙台で「仙台ストリートジャズフェスティバル」というお祭りが開催されて地域に根付いており、行政からジャズフェス実行委員会に「障害者も一緒に楽しめる音楽祭をしてくれないか」と委託されて補助金を受けて1回のつもりでとっておきの音楽祭を行ったのがきっかけだそうです。音楽祭は好評で「ぜひ続けて欲しい」という多くの要望があり、補助金なしで出演団体の参加費や募金などで運営を続けているそうです。
福祉は大阪が進んでる」なんて嘘やん!!!!!!!大阪に、こんなにたくさんの障害がある人とない人が街いっぱいにごちゃ混ぜのお祭りなんてないよ!!!と衝撃を受けました。後日たすけっとの及川代表に伺うと「イベントではああいう感じだけど、普段は通所施設に通っている人達なのであれは日常とは程遠い」との説明がありました。それでも、ああやって街中が大勢の障害者が存在するお祭りを受け入れサポートしていること自体にはとても魅力を感じました。ゆめ風基金の橘高さんに「やりましょうよ、大阪でも!!!」と言うと「やろう、やろう!!!」と大賛成してくれました。
もうひとつ感動したのは、いつでもどこでも必ず手話通訳が何人かのチームを組んで存在していたことです。かなり若い人も多くいましたが、おそらく福祉大学からのボランティアなども参加しているようです。宮城県の手話サークルや手話通訳問題研究会なども積極的にボランティアを出していると予想されますが、10代後半のような青年がぺらぺらと手話通訳するのを見て感動しました。
フィナーレでは数千人?とにかく人で埋め尽くされました。最後のあいさつでは自身も被災し家や家族を失いながらも今だからこそ参加したかったというような方もたくさんおられました。
私は一応ゆめ風メンバーとして被災地障害者センターみやぎのチラシを配り歩いていたのですが、個人の感触は厳しいものもありました。「今さらねぇ。もっと早くこういうことしてほしかったよ。震災直後病院に行っても透析患者以外は受け入れませんなんて言われて、私役所と喧嘩したんだから。まぁでもね、こうやって今は何とか生きているけど」と障害児の母は言っていました。ゆめ風やみやぎのメンバーとして動くということはこうやってお叱りを受けて「そうですが、それは申し訳ありませんでした」と頭を下げることでもあるんだと、ボランティアといえどそう甘くない現実を知りました。
とにかく音楽祭は最高に良くて興奮冷めやらぬという感じでした。在日韓国人のイ・ジョンミさんの「みんなちがって、みんないい」という歌は最高でしたよ。ぜひ検索して聴いてみてください。
現地のボランティア活動に参加して
先週一週間、被災地障がい者センターみやぎでボランティアをさせていただきました、藤本です。
ようやく慣れてきたころに帰る日になってしまい、帰りの新幹線の中で、何もできなかったという思いと、向こうにたくさんの人を残して帰ってきてしまったという罪悪感でいっぱいになりました。
現地では市役所や町役場に足を運ぶたびに、地元との対応の違いに戸惑いました。また、仮設住宅やご自宅を訪問した際に、障がいのある方のご家族の、「自分たちでこの子を見なければならない。他の人たちには迷惑を掛けられない。」という思いが垣間見え、どうすればいいのか悩んだこともありました。ボランティア最終日の前日に、八幡さんが、出すぎず離れずの距離感が大切だということ、一度引くことでサービスを広げることができるということ、社会資源・地域全体を見ることが大切だということをおっしゃっていました。
県外の人がずっと残っているということは、復興にはほど遠いということであり、地元の人たちに返して行けるようにお手伝いすることが、私たちにできる一番の支援なのかもしれません。
「被災地の人たちの強い心が復興のための大きな力になると思う。」
私が以前教えていた日本語学校の学生が、そう言いました。私も、その通りだと思います。
京都に戻って来ると、被災地に行く前と何も変わらない日常が待っていました。ここで生活していると、地震の記憶が薄れていってしまうような気がします。でも、今、被災地で一生懸命頑張っている人たちの存在は、どんなときでも絶対に忘れてはいけません。今後、またいつ起こるか分からない地震に備え、今できることに取り組んでいきたいと思います。
一週間、ありがとうございました。
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おおつ働き暮らし応援センター”はっち”
おおつ障害者生活・就業支援センター
支援ワーカー 藤本 久美子
とっておきの音楽祭
とっておきの音楽祭・仙台が6月4日、5日に開催されました。
6月4日は前夜祭「神戸~仙台ゆめ風コンサート」が市内のホールで行われ、ゆめ風呼びかけ人のさとう宗幸さん、加納浩美さんのほか、穴澤雄介さん、鼓楽衆「翔」さんが出演、会場には「絆」の旗が飾られていました。会場に元実行委員メンバーで自宅も家族も亡くしたという方が「じっとしておれなくて来てしまったの」と立ち寄られたのですが、お話を伺ううちに音楽祭は10年のうちに参加した人々の「ふるさと」になっているのかもしれないと感じました。
5日の「とっておきの音楽祭」は市内30カ所に路上ライブステージが設けられ、およそ298団体と500人のボランティアが参加してスタート。参加者の半数が障害者で、どの会場にもアクセスしやすく、随所に配慮の行き届いた手作りのストリート音楽祭で、今年が11回目の開催。朝から、公園や商店街、車道の緑地帯でプロもアマチュアもひとしく30分づつの演奏がくり広げられ、仙台のまちが巨大な音楽ホールになったようでした。
3月11日の大災害で実行委員や参加者のほとんどが被災し、家族、友、家、仕事、ふるさとを失った人も少なくない中で開催が危ぶまれましたが、参加者や市民の声に押されて実現にこぎつけました。市役所前の市民広場をはじめ、会場はたくさんの人出で、大勢の市民が本当に心待ちにしていたことがわかりました。
ゆめ風基金呼びかけ人の小室等さん、小室ゆいさん、李政美さん、加納浩美さんも参加されましたが、聴衆の表情はうっとりと本当に嬉しそうで、改めてライブの力を感じました。
フィナーレ会場の野外ステージに小室等さんとゆいさんが登場する夕刻には、会場は黒山の人だかり。「誰かが風の中で」の終盤「さ~今、銀河の向こうに飛んでいけ!宇宙に・・」の歌声が仙台の空高く広がりました。
みやぎ、いわての被災地障がい者センターから障害者、ボランティアが大勢参加し、会場に相談窓口を設けて障害者の相談に対応しました。
夜は「たすけっと」で交流会が開かれ、小室等さんゆいさんも参加、被災地障害者センターいわての今川さん、センターみやぎの及川さん、井上さん、杉山さん、ボランティアなど総勢20数人で意見交換しました。小室さん来訪に一同大感激でした。
地元仙台在住のさとう宗幸さんはゆめ風基金の呼びかけ人でもあります。「青葉城恋歌」などのヒット曲の他、仙台にゆかりの歌を熱唱しました。
神戸市在住の加納浩美さんはゆめ風基金の設立の時から応援してくれているミュージシャンで、オリジナル曲の他、ゆめ風基金応援歌「伝えてください」を歌いました。
被災地の市民の顔、顔、顔。熱気あふれるストリートでの小室等さん・小室ゆいさん。すぐそばのひとに語りかけるように歌うお二人のやさしくも熱い歌が流れます。
李政美さんもゆめ風基金の呼びかけ人のひとりです。ゆたかな声量と透き通る歌声、その包容力のある歌は聴く人を勇気づけてくれます。
音楽祭のフィナーレで小室さんは「サーカスの歌」、「誰かが風の中で」を熱唱しました。
小室等さん、小室ゆいさんは被災地障がい者センターみやぎの事務所であるCILたすけっとに来てくださいました。仙台の仲間、ゆめ風基金の事務局スタッフといっしょに記念写真を撮りました。
街頭募金にご参加、ご協力をよろしくお願いします。
今週の土曜日、街頭募金を行います。
震災から3ヶ月を過ぎ、テレビなどの報道も少しずつ変化してきていますが、震災直後も現在も、障害者の情報はとても少ないことも事実としてあります。被災障害者の支援活動に参加された方々のお話を聞くと、まだまだ初期の救援活動が必要な他、これからの復興に入る過程で、たとえば仮説住宅がバリアフリーになっていないなど障害を持つがゆえにより困難になってしまう現実があります。
息の長い支援と共に、共に生きる社会をつくりだすことが求められていると思います。
関西からは遠く離れた地域のように思われますが、わたしたちみんなの問題として小さなことを積み重ね、被災地の障害者の心に届く活動を続けて行きたいと思います。
そんなわたしたちの思いを形にかえる大切なひとつの方法として、街頭募金があります。
どうかみなさん、今週の土曜日の街頭募金活動にご参加いただきますよう、よろしくお願いします。
6月11日(土)午後1時~午後5時 大阪なんば高島屋前