ヒデの救援レポート:2013年5月7日№119

●5月8日、9日には、東京で、『東北関東大震災被災障害者救援本部世話人会』が開かれ、当面の支援対策について、話し合われます。
ゆめ風基金としては、代表の牧口、副代表のhide、事務局長の橘高が参加して、意見交換をすることにしています。ついでにというワケではありませんが、9日には、カタログハウスにお伺いして、恒例の年末イベントについて、意見交換をすることになっています。


●月刊「むすぶ №503からの転載
発行:ロシナンテ社
連絡先 TEL&FAX 075-533-7062
『(続編)福島を忘れないでください~高野桜さん。』(南相馬市小高区出身・高校生平和大使
ここから

『そして今月、ブラジルを訪問させていただきました。
現地の学生やブラジルに移住した被爆者の方々と交流してきました。
そこでは日本ではないような質問がありました。
それは
『政府はどういう援助をしてくれているのか』、『援助は十分足りているのか』という質問でした。
『あなたたちは政府をどう思っているのか『という質問を受けました。
日本の高校生より、ブラジルの高校生の方が真剣に受けとめてくれているような感じがしました。
また被爆者の方と交流して、その方々から『いつどこで原発事故があるかわからないから、今の現状を世界に向けて発信するべきだ』と言われました。
『簡単に収束したと思われないためにも現状を訴えて』とアドバイスを受けました。
また私が一番、驚いたのは、ブラジル時間の3月11日に原発事故の問題で署名活動をやっているのに接してとてもうれしく感じました。
私はこの高校生平和大使の活動を通じて、伝えていくことの大切さを知りました。
『原発事故のことは、私たち福島県民が体験』したからこそ伝えていくことができることだと思います。
また県外ではもう復興したと思われているようですが、私たちにとっては、原発事故にとって忘れられてしまって、またこのような事故が起こることが一番悲しいことです。
だから私たちは、つらい経験をしたということを伝えていく使命があると考えています。
そして普通ではないことに慣れを感じています。
いたるところにある放射線量を測るモニタリングポスト。
また仮設住宅に住んでいること。友達や家族が離れ離れにいること。
こういう普通でないことを当たり前に感じていることがおかしいことだと思います。
こういうことを沢山の方々に伝えていき、風化させないためにもいろんな人が知って欲しいと思っています。
私たちの高校生活は原発事故で本当にいろいろなことがありました。
またこれからどうなるか分からないという不安を抱えながら、生きていかなければなりません。
この二年間、全く復興していない様子を見て、原発事故がなければと何度も思います。
福島県の震災関連死は約1300人です。
そして低線量被曝への不安が続きます。
2年にわたる避難生活は心身を蝕みます。
そして賠償金に依存した生活は、人の有り様さえ壊していきます。
福島県では復興といっても、放射能汚染が立ちはだかります。
福島県民は、身をもってお金より原発のない日常こそが大切なんだと知りました。
福島から、日本から原発の無い世の中ほどすばらしいものはないことが大切なんだという発信が、今、始まったんです。
(まとめ・文責:しかたさとし)
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これまで届けた救援金
237,944,624円(2013年4月26日現在)
内・東日本大震災救援金総額
NEW!
192,435,539円(2013年4月26日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


●東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ドキュメンタリー映画『生命のことづけ~死亡率2倍・障害のある人たちの3.11』完成のお知らせ
・日本障害フォーラム(JDF:全国13の障害者団体・関係団体で構成)日本財団、NPO法人CS障害者放送統一機構(目で聴くテレビ)の制作により、このたび、東日本日本大震災から2周年の2013年3月11日を機に、ドキュメンタリー映画『生命のことづけ~死亡率2倍程度障害のある人たちの3.11』を完成しました。
この映画は、障害者の死亡率が住民全体の2倍以上である(自治体・報道機関の調査による)との事実を踏まえ、被災した当事者、関係者の語りを大切に記録し、広く世界に伝えていくことを通じて、今後の復興や防災、地域社会づくりに提言していくことを目指しています。
またこの映画は、情報保障のための字幕、音声解説、手話が、すべてオープン=常に見える・聴こえるの形で付与されていることも特徴で、世界でも例のない試みと言えます。
講演会などで上映し多くの方々に見ていただきやすいよう、37分という長さにまとめました。
この映画は近日中に上映会を予定しており、その日程などは改めて告知いたします。
また、団体・ライブラリー上映用ディスクを2013年4月中に販売予定です。
英語版も近く作成予定であり、国際的にも発信していきます。
●ドキュメンタリー映画『生命のことづけ~死亡率2倍・障害のある人たちの3.11』
監督:早瀬 憲太郎(ゆずり葉・監督)
制作:日本障害フォーラム・日本財団
製作:NPO法人CS障害者放送統一機構・目で聴くテレビ
ナビゲーター:早坂洋子(みやぎ盲ろう児・者友の会会長)
ナレーター(音声)大和田新(ラジオ福島アナウンサー)
手話:善岡 修(デフパペットシアターひとみ代表)
音声解説:岡 啓子
脚本:早瀬 憲太郎
字幕・音声解説・手話付き
●この映画のお問い合わせ
日本障害フォーラム事務局→TEL 03-5292-7628 FAX 03-5292-7630
●障害のある人の生死を分けたものは何か。
どうすれば人間としての尊厳を失わずに生きのびることができるのか
東日本大震災で被災した盲ろう者の早坂洋子さんをナビゲーターとしてこの映画は進行する。
津波で命を失った人たち…家族や仲間たちが語る証言。
そして、ようやく逃げ延びた人たちを待っていた、過酷な現実…避難所で『出ていけ』とののしられる人。
床に寝ることができず車いすに座り続けた人。
情報も支援も届かず避難指示区域で孤立する人…
そうした中、さまざまな障害者団体や支援団体が、自治体の協力を得ながら、支援の取り組みを開始する。
福島県南相馬市と岩手県陸前高田市では、個人情報の開示を受け、障害者の訪問調査が実現する。
新たな大災害の可能性が指摘される中、震災を経験した当事者、関係者の姿を通じて、今後の復興と地域づくりに向けたあり方を探る。
                                以上

ヒデの救援レポート:2013年4月30日№118

●風光る4月から、風薫る5月へ!
5月1日は、今は姿なき、世界中の労働者のメーデー。
そして、5月5日は、世界中の子どもたちのいのちの日。
カール・マルクスの生誕日。
そして、何よりも、hideの畏友のおひとり、人工呼吸器を使う子どもたちの親の会『バクバクの会』初代会長の平本さんの命日。
ついでに、いい親ではなかったけれど、亡くなったhideの母親の誕生日です。
合掌あるべしです。


●被災障害者支援「ゆめ風基金」の呼びかけ人代表のフォークソングシンガー、小室等さんが、hideたちも知らなかった、迂闊!アノ、天下の雑誌『週刊 金曜日』に「なまくらのれん」と題するコラムを連載されていた。
天下の雑誌『週刊 金曜日』に「なまくらのれん」と題するコラムその中からの一編。
週刊 金曜日の連絡先
TEL 03-3221-8521
ここから
「災害時に、障がい者は置き去りだ。
例えば避難所でのトイレ問題。
一般人にとっても大変だが、障がい者にとってはその比較じゃない。
けれど障がい者用トイレなど誰も考え付かない。
避難所は障がい者を受け入れてないのだ。
・ベッドでなければ寝起きできない、高齢の母の介護を受けて暮らすAさん。
ベッドなどありうべくもない避難所で、何日も車椅子のまま眠れぬ毎日を過ごした。
その後仮設住宅に入居するも、バリアフリーではない住宅で外に出られず、ようやくスロープが設置されても、高齢の母にそのスロープを車椅子で出入りさせる力がない。
Aさんは、仮設に軟禁状。(記録映画『逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者』より)
障がい者置き去り、枚挙暇なし。
そこで「ゆめ風基金」だ。
「認定NPO法人・ゆめ風基金」
自然災害で被災した障がい者を支援する目的で阪神淡路大震災直後に大阪で設立された団体。
「ゆめ風基金」をなまくらのれん流に説明してみる。
どこかで災害が起きたら、即スタッフが駆けつけ、現地で障がい者のSOSをキャッチ、速やかにSOS発信元に現金を届ける。
実行に際しては不平等に徹する。
あっちもこっちも助けることはできない。「ゆめ風」身の丈の支援活動。
永六輔さんは、「ゆめ風基金」最初の10年間の呼びかけ人代表。
永さんの後を7年間、今僕が引き継いでいる。
実働は、もちろん事務局の最強スタッフのみなさん。
さて、あれから2年、今はどうか。
ほとんど被災地にはいりっ放しの事務局八幡隆司さんに聞いた。
『東北被災地沿岸、人口の流出で介護スタッフが圧倒的に不足。
買い物や病院への移送状態が深刻。
ようやくヘルパーが付いて病院までたどり着けても、病院内は介護支援管轄領域外。
病院内で過ぎてゆく時間の介護支援費は本人全額負担です』と、八幡さんは心痛める。
心痛めながら「ゆめ風」は支援活動を続ける。
この17年間で地震・噴火・豪雨・台風など様々な自然災害が起こり、「ゆめ風基金」は海外も含め、約4千万円を被災地の障がい者に届けてきた。
そして起こることが予想される大災害に備え基金2億円をキープしてきたが、これほど大規模な災害は予想できていなかった。
2億という金はそっくり東日本大震災支援に投入された。
その後2年間で更に2億以上の基金が集められている。
凄い。
「ゆめ風基金」への評価の現れだと思う。
だけどね、「ゆめ風」が必要とされるのって変でしょ。
「ゆめ風」がやっていることは、行政がやる気になればできることばかりなのに。
ここまで。
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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
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東日本大震災救援活動の中のhideの風景
●月刊「むすぶ」№506からの転載。
発行:ロシナンテ社
連絡先 TEL&FAX 075-533-7062
・福島を忘れないでください(高野桜さん:南相馬市小高区出身、高校生平和大使。)
小高工業高校をこの春に卒業しました。
私の家は南相馬市小高区にあります。
原発から20キロ圏内にあります。
原発事故がおきてから警戒地区に指定されました。
最初、私の家族は山形県に避難していました。
父は仕事の関係で、私と弟は学校で南相馬市に戻りました。
母、祖母、兄は今も山形で生活をしています。
家族はばらばらです。
母の実家が海沿いでしたので、そこの状況を見てきました。
一時帰宅したときは懐かしい気持ちでした。
そしていつかまた戻ってきたいという気持ちがつよくなりました。
その2ケ月後、4月に私のふるさとである小高区は警戒区域が解除されました。
でもいまだに除染も始まっていません。
だから人は住んでいません。
しばらく人が住んでいない家というものは傷みやすいです。
壊れてしまった家も沢山あります。
今は解体作業も始まっていて、崩れてしまった家は無くなっています。
町並みも変わっています。
ガレキの撤去も今月から始まっています。
小高区には、今中間貯蔵施設が作られています。
私はその様子を先月見てきました。
これから人が戻れるようにと計画されている町に中間貯蔵施設ができていることは、遠回しに国から、しばらくは戻れないと言われているようでなりませんでした。
私の家は雨漏りがしていて、そこは放射線量が高いのです。
東電の説明会では、家の中は除染ができないと言われました。
またネズミが住み着いていてネズミのフンだらけでした。
ネコやハクビジンが出入りしていました。
いつか戻りたいと思っていた家ですが、そうやって動物が住み着いているのを見ると帰りたくないという気持ちも生まれてきます。
私の高校は、30キロ圏内にあるスポーツセンターに仮設校舎を建ててすごしています。私は1年生から3年生まで違う校舎で過ごしてきました。
震災前は小高にある本校舎。
2年生では各地区にあるサテライト校舎で過ごし、3年生になって、みんなで今の仮設校舎に戻ってきました。
私は工業高校なので実習をしなくてはいけないのですが、その実習は仮設校舎とは別のところであります。
友達も避難した先の学校に転校する友達が沢山いました。
その友達も『みんなでまた一緒に勉強したかった』、『一緒に卒業したかった』という友達が何人もいました。
そして私は福島の高校生では初めて平和大使としてスイスのジュネーブにある国連欧州本部に訪問させていただきました。
そこで今の現状を報告させていただくと、情報が十分に伝わっていなかったようで
『もう復興していたと思っていた』と言われました。
●続く
以上
週刊金曜日の記事はこちらです!

ヒデの救援レポート:2013年4月22日№117

●先日、ゆめ風事務所の近所にある大阪市立中島中学校の生徒会の人たち5人と先生1人が、事務所においでになりました。
そして、学校内で行った被災障害者支援募金、3月11日分:12,847円、
1月17日分:19,163円を届けてくださいました。
年来から防災のことで、お付き合いのある学校ですが、重ね重ね、ありがたい訪問でした。
事務局長の橘高さんが対応しました。
感謝、感謝です。


●デケだぁ!ゆめ風基金法人総会新潟に間に合って
「障害者市民防災提言集・東日本大災害版」(80ページA4判●定価500円)
申し込み:ゆめ風基金
TEL 06-6324-7702
FAX 06-6321-5662
・今回の提言の趣旨
ゆめ風基金は設立10年を機に、活動の柱である被災地の障害者支援に防災を加えました。
災害が発生した時に障害者市民が地域の避難所では過ごせないなど、災害が起こってからの支援にはさまざまな課題が噴出してくることを痛感し、起こる前から防災に心がけるとともに、緊急時における障害者市民への意識を共有しておきたいと考えたからです。
そしてゆめ風基金を発足させてから16年目を迎えた頃、近い内に宮城県沖で大地震が起こるかもしれないとの予想が出ましたが、こんなに早く、こんな大規模で東北関東地域に大地震、大津波そして原発大事故が襲いかかるとは思いもしませんでした。
この2年間はゆめ風基金も被災地の障害者市民への支援活動に追われることになり、今回の大災害の検証はまだまだできていません。
しかし、これほどの大災害をできる限り調べて回り、そこから何を学び、これからに備えて何を準備しておかなければならないか対策を講じておかないと、また同じ失敗を繰り返すだけで、これから先の障害者市民に関する救助・防災活動も危ういものになってしまいそうです。
そしてまた、これから息長く東北関東地域への支援活動を続けていくには、この1年間の活動から見えてきたものを記憶がまだ鮮明なうちに整理しておかなければならないと考えました。
2006年に発行した「障害者市民防災提言集」では、それまでの災害をもとに、大規模が起きた場合の障害者市民への支援について検討しなければならない内容を15項目にまとめ提言しました。
その提言は今回の災害に通じるものですが、なかなか改善されないまま、今回も多くの被災した障害者市民が命を失ってしまい、あるいは助かったものの必要な支援が受けられない状態になっています。
さらに救援活動の拠点になるはずの役所が津波で流されて行政機能がマヒしてしまった市町村も出現し、地震に伴って発生した津波や原発事故の問題など、これまで考えてこなかった新たな課題も数多く見られます。
そのため、今回の大震災の支援活動から見えてきた点と、2006年の提言集から改めて重要性を再認識できた点を中心に、この提言集をまとめてみました。
まず課題を7項目+1項目:原発事故:に絞って緊急提言とし、前回の提言集や防災ブックレットと合わせ、それぞれの地域における障害者市民の救助・防災に関する具体例を紹介し、そして東日本大震災の支援活動のヒントになればと考えました。
ただ、あまりにも被害が大きかった東日本大災害の検証には時間と人手がまだまだ必要で、不足している点もいっぱいありますが、この冊子をたたき台に、更なるご提言、ご指摘をいただければと願っています。ぜひ、お力添えいただきますように。
本書の構成としては、まず知っておきたい提言を冒頭にご紹介し、この間のゆめ風基金の活動などについては資料として報告することにいたしました。


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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


【日本大震災救援活動の中のボクの風景】
・吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと「われも、また、赤い」=吾亦紅と咲くのです。


2013年3月23日、ゆめ風基金法人総会が、新潟駅構内の新潟大学南キャンパス「ときめいと」で開催されました。
社員数は、個人会員11名、団体会員51ネット。
当日参加は、個人9、団体11、委任状18でした。
出席理事は、牧口、岩永、河野、永村、八幡、山田、福永、南、馬垣。
欠席は、楠、細井。
事務局スタッフの長崎、福本も参加。
議事は、2012年活動報告、決算報告、監査報告、2013年活動計画、収支予算、定款変更と続き、参加者全員の議論と賛成拍手で無事に、全議事が可決されました。
●その後、ゆめ風ネットワーク新潟も参加して、交流会が持たれ、呼びかけ人代表の小室等さんと、こむろゆいさんも合流されて、大いに盛り上がりました。
久しぶりに、事務局長が、地元のネットから差し入れられた、新潟の地酒を痛飲した結果、酔っ払い姿を披露して、会場を笑いで満たしました。(笑)
●24日は、小室等さん&こむろゆいさんのコンサート。
会場もほぼ満席で、和やかで、温かい歌声で満たされる素敵なコンサートになりました。
●それにしても、大阪から新潟までは、遠い。へろへろの新潟往復総会でしたね。
●新潟のネットワークは、東日本大震災発生直後から、被災障害者支援の一環として、後方支援拠点を立ち上げ、主に、福島県からの避難障害者の受け入れを継続してもらっています。
堅実な、その活動実践には、敬服しますし、その実践力は称えられものとしてあります。
感謝の一文字があるばかりです!
以上

ヒデの救援レポート2013年4月15日№116

●先日、田辺三菱製薬労働組合の、中央副執行委員長の福田明子さんと中央副書記長の安藤貴之さんのお二人が、ゆめ風事務所においでになり、『自分たちの組合で、被災地復興のために何かできることはないだろうか』と相談に来られました。
スタッフの長崎さんが対応しました。
事前に、ゆめ風基金に連帯している『きんき労働金庫』に相談したところ、ゆめ風基金を紹介されたとのこと。
その時に提示された組合の考え方。
【この震災への取り組みで大事にした思い】
●お互いさま・お互いさまのこころで、人のためであり、自分のためにでもあることとして取り組みます。
●より多くの人に実感してもらう
・被災地外にいる人の、何かしたい思いに、第一歩を踏み出すきっかけをつくり、やってみれば簡単なことでした。やろうと思えばいくらでも身近にある。これを、より多くの人に実感してもらうことを目指します。
●難しくない、持続可能なことを、長く、みんなでやる!
・被災地のためにも、私たちがより多く関わるためにも、無理のない、持続可能なことを、長く行います。
●それでもやる私たち
・復興支援には、支援される側の事情や、助けを必要としている状況、プライバシーの問題、被災を受けた方の心理的な観点で考えなければならない問題などがあります。
また、支援する側の抱える難しさも葛藤もあります。
しかし、組合は、それでもやる私たち、です。
【復興支援、4つの柱】
●知る『知り、知らせるための活動』
・東北、被災地への理解を深める。興味を持つ。そのことを知らせる。
・震災ボランティアに関する情報の一元化。
・他社労組との情報交換、によって行動を拡げて行く。
●買う『個人で買うを支援する。組織で買う。』
・被災地の産業復興、雇用創出につながる物品の購入の機会を作る、または買う。
●行く『個人で行くを支援する・組織だって行く・組織が行く。』
・被災地に行く、消費活動する、ということを声掛けする、何らかの補助をする。
・災害ボランティアに継続的に行く。
●募る『個人から募金を募る、組織で拠出する。』
・あらためて募金を行う。
●当面は、ゆめ風基金の募金箱を、全国の支店など、職場に置いて頂けそうです、というのが、長崎さんの結論でした。
以上


●大船渡市~障がいのある方・介助が必要な方・お電話下さい。
NPO法人・センター123(0192-27-6203)
・送迎…通院・通学・お買い物・お墓参り・観光・美容院などの送り迎え
・介護・介助…外出のお手伝い・見守り
NPO法人・センター123:代表・千葉秀一
ご挨拶
・平成23年に起こった東日本大震災を契機に発足した『被災地障がい者センターおおふなと』は
平成24年4月5日、NPO認定に伴い『NPO法人・センター123』へと名称変更致しました。
活動内容はこれまでと変わらず、NPOゆめ風基金の協力を得て、全て無料で行います。
(ゆめ風基金とは、阪神大震災を契機に生まれた障がい者支援のための基金です)
自分たちの力にあった活動を継続していきます。
みんなしてがんばっぺし!
〒022-0002
大船渡市大船渡町笹崎13-8
TEL&FAX・0192-27-6203
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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


東日本大震災救援活動の中のhideの風景
『市民活動総合情報誌「ウォロ:3月号』からの転載。
問い合わせ
社会福祉法人・大阪ボランティア協会・出版部
TEL 06-6465-8395
FAX 06-6465-8393
●被災地にいるからこそ見える現地の今を伝える
『東日本大震災-岩手から-あの震災から2年~被災地のNPOのいま』鹿野順一
2011年3月11日14時46分18秒地震発生。
同15時20分岩手県釜石市に津波第一波到達。
あの日から2年の月日が経とうとしている。
中心市街地の衰退や少子高齢化に悩むありふれた地方都市に事務所を置いていた私たちのNPOは、
震災の日から『被災地のNPO』になった。
発災当日、私たちは市民を対象にコミュニティービジネスのセミナーを開催していた。
その最中にこれまで経験したことのない強烈な揺れと地鳴りが起こり、それが収まった後にしばらくして街中に津波警報のサイレンがけたたましく鳴り響いた。
現実感ない光景が始まり、地震直後にセミナーの参加者や近隣から避難してきた人たちの誘導を手伝った後、私自身は家業の菓子店へと向かった。
NPO法人の代表とはいえ専従で生活を賄えることはなく、地方都市においては本業の傍らでNPO活動を行う人も多いのではないだろうか。
ご多分に漏れず私もその1人で、海岸から目と鼻の先にある商店街で菓子店を営んでいた。
地震の多い三陸地方に生まれ育ったとはいえ、あれだけの大きな地震は初めての経験だった。
店に到着し、従業員を避難させ、次に家族をと思った矢先、津波の第一波が到達した。
津波と言っても最初に街中に入ってきたのは膝下くらいの高さで綺麗な透き通った海水だった。
一瞬おいて2階建ての建物と同じくらいの高さの真っ白い海水の壁が目の前を通り過ぎ、あっという間に街を飲み込んでいった。
映画のワンシーンのような、まるで現実感のないその情景は多分一生忘れる事のない記憶になるだろう。
今思えばあの1カットから私たちは被災者となり、私たちの暮らすこの地域は被災地となった。
被災当初は悔しさだけが感情の全てだったが、仲間たちや地域住民との繋がりの中で徐々に今日のこと、そして明日のことを考えるようになっていった。
そんな中で他地域から来たボランティアや復興支援に来ているNGO・NPOの活動を目にし、この地域で活動している私たちがその援助を受けているばかりで良いのか?との疑問を感じ、『自分たちにできることをしょう』と活動を再開するに至った。
・転換期を迎える被災地NPO
あれから2年、無我夢中で走り続けてきた。
『自分たちができること』から『多少無理をしてでも今必要なこと』へと事業の規模は変化し、行政との協働による緊急雇用創出事業で当法人では4プロジェクト110余名を雇用するに至っている。
しかし、この年度末を迎えるにあたり、公的資金、民間資金いずれも収束に向かいつつあり、雇用の継続は難しい。
このことが、発災以降被災地で立ち上がったNPOなどの活動に影響する事は必至だ。
『本業の傍らでのNPO活動』が成り立たない被災地では『人件費を含む事業費』を確保できなければ団体の存続自体が難しい。
また、今回の震災においては阪神淡路大震災や新潟県中越沖の時のような『復興基金』がない。
自分たちの活動を継続したければ、経費の全てを自身の手で集める必要がある。
当然、そのためには、自分たちの活動とその成果をきちんと公開し、団体としてのミッションとビジョンを明確にすることが求められる。
はからずも私自身、NPOの原点に立ち返る必要性を再確認しているところだ。
広く市民の皆さんの賛同と共感を得て、いかに自主財源を確保し活動を継続させるか。
もしかしたら、東日本大震災の被災地こそが『あるべきNPOの姿』の最前線なのかも知れない。
以上

ヒデの救援レポート2013年4月1日№114

●「市民による健康を守るネットワーク」機関誌:アクセス103号からの転載
皆様からのご支援をお願いします!
・「避難・週末避難」新たに避難を考えている人、また、週末だけでも家族で安心出来る所に避難・静養をしたいと考えている人達のための情報提供と経済的援助にご協力下さい。
・「安全な食材を」
毎日口にする食べ物、米・野菜・水は皆が気になっているところです。
特に子供達には安心出来るものをと考えるのは当然の事と考えます。
そこで、安全な地域から食料・水を取り寄せるためにご協力をお願いいたします。
・「測定所の維持運営」
日本キリスト教協議会様のご支援により高価な放射能測定器を購入することが出来ました。
この測定所を維持運営するために、皆様からのご支援をお願いします。
・「放射能に対する意識を高めるために」
汚染された中に住むことを余儀なくされてしまった今、放射能防護に対する知識を身に付ける事は必然となりました。
そのために、いろいろな方々を招いての講演会・学習会を開くためのご支援をお願いします。
●お問い合わせ
「まち子ちゃんの店内」市民による健康を守るネットワーク
福島県田村市船引町東部台2-285
TEL 090-2978-8123
開所日:月曜日~金曜日(午前9時から午後5時)
郵便振替口座 記号021306 口座番号35420 加入者名 福祉のまちづくりの会


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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


東日本大震災救援活動の中のhideの風景
●hideの畏友のおひとりである、京都・花園大学の八木晃介さんのミニメディア『試行社通信:第317号、3月発行』からの転載。
連絡先 TEL&FAX 075-221-2672
●福島原発告訴団と私
私と相棒もメンバーに加わっている『福島原発告訴団』は、昨年6月の福島県民による1324人の第一次告訴につづいて、昨年11月には全国から1万3千人を超える人々が結集する大告訴・告発団になりました。
われわれは昨年11月の大告訴・告発団に参加したことになります。
立場上、われわれは告訴人ではなく、告発人になっているはずです。
この告訴・告発は受理され、検察が被告訴・告発人の関係者からの事情聴取をはじめていることは新聞などで報道されているとおりです。
一説によると、検察はこの3月中にも、刑事処分する方針だということです。
この問題はあまり報道されていませんが、地元の新聞、たとえば毎日新聞社と関連の深い『福島民報(昨年12月9日付け)』などは『業務上過失致死傷容疑などの捜査では予見可能性に加え、被曝が傷害と認められるかどうかなど課題が多く、立証には困難が予想される』などと報道しており、おそらく多くのマスコミも同様の捉え方をしているようにおもわれます。
つまり、検察が不起訴処分で事態の落着を目論んでいることを、マスコミはすでに嗅ぎつけているということかもしれません。
予見可能性についていうと、いささか微妙な問題もふくまれますが、東電自身がある意味では事故の予見が可能だったと認めています。
昨年10月13日、東電は福島原発事故について、『事前の津波評価にもとづく対策や過酷事故対策を十分にとっていれば事故に対処できた』とする見解を表明しました。
いわば不作為による過失の存在を認めたというべきです。
ただし、ここでの東電の本意は不作為過失を反省するところにあるのではなく、どこまでも地震と原発事故との無関係性を強調するところにあり、津波対策さえ十分にすれば原発は安全だといいたいだけのことなのです。
現に、比較的最近分かったように、国会事故調が全電源喪失・メルトダウンと地震との関連を調査しょうとしたところ、東電はこの調査を妨害したのでした。
東電をはじめとするすべての電力会社は、事故をなにがなんでも津波のせいにし、地震との関連をなんとしても否定したい一心なのです。
この点を十分に認識しながら、しかし、私は事故の予見可能性が確実にあったと主張したいとおもいます。
被曝を傷害と認められるかという論点は、たしかに厄介です。
刑法211条1項は
【業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁固又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする】
と定めているのですが、傷害を証明できるかどうかはむずかしい。
急性の死傷は比較的容易に証明できるけれども、放射線傷害のように晩発性というか、ともかく長期の経過をとる問題の場合に、因果関係を証明するのは確かに至難です。
しかし、人類は不幸なことながらチェルノブイリの経験をもっているのであって、このチェルノブイリのデータを援用することは道理にかなった科学的な態度であると私などはおもいます。
水俣病の場合、チッソ水俣工場の排水と水俣病の因果関係が明確になるまで行政は何もしませんでした。
1953年に最初の患者さんが見つかってから、1973年の熊本地裁での患者勝訴判決まで完全無視を決め込んでいました。
その間にも次々と患者が発生していたというのに。
この20年におよぶ不作為がどれほどの悲劇を生み出してきたか、この国はまったく学習していないというほかありません。
因果関係を証明することが科学的な態度であるという近代西洋型の合理主義の相対化が必要なことは、当初から直観でチッソの排液を疑っていた漁民患者の存在自体が雄弁に物語っていると私などは考えます。
しかし、行政も司法も多くの学者も、ちょうど現今の原子力ムラと同じスタンスでことにのぞみ、科学の名によって弱者を切り捨て続けたのでありました。(後略)

ヒデの救援レポート:3月25日№113

●被災地障がい者センター・いわて・2011年度からの活動報告書が完成しました!
A4版106ページ
お問い合わせ:被災地障がい者センターいわて
岩手県宮古市末広町6の8
TEL&FAX:0193-77-3636
はじめに
まずこれまでの被災地障がい者支援活動にご協力をいただいた方々に心よりお礼を申し上げます。
震災から3年目を迎える被災地は、本来なら復興住宅の建設ラッシュがあってよいはずですが、大津波の被害の大きい東北沿岸部では、そのような姿はほとんど見られません。
未だ瓦礫の撤去などの大型重機とダンプが数多く動いています。
外部からの支援にも限界が出てきています。
『資金的な限界、人の確保等が難しい、地元主導に方針を切り替える』など、理由は様々ですが、今年の春又は秋で撤退を決めているボランティア団体も数多くあります。
東北沿岸部には被災したことによる生活困難と元々の地域的課題が絡み合っているため、困っている実態がわかっていてもどこまで外部からの支援を続けるか、どのような支援に切り替えるかは大変難しくなってきています。
たとえば仮設住宅から病院や買い物の支援をするにしても、近隣の病院やスーパーがなくなったことが原因ですが、元々交通事情が悪く、障害者が利用できる交通機関がないことが問題を長引かせています。ヘルパー派遣事業所が少ない、町村の財政が厳しいなどの理由で、都心部では受けられているはずのサービスが沿岸部では受けられない状況もあります。ボランティア活動や市民活動に携わっている人も少なく、私たちが直接出会った障害者を地域につなげる先が少ないことも大きな悩みです。
今は、被災地支援の担い手が、外部のボランティア中心から、地元スタッフに代わり、今後の支援活動を継続していこうとしています。
阪神淡路大震災に比べ非常に復興速度が遅い中、遅まきながらのこの報告書をとおして改めて被災地に目を向けてもらえればと思っています。
また被災地支援に多大な尽力をいただいた『被災地障がい者センターいわて・みやこ』の代表である今川幸子さん、『被災地障がい者センターおおふなと』の千葉博子さんの2人のスタッフが急逝されました。
ご冥福を祈るとともにここに心より感謝を申し上げます。
この報告書が新たな被災地支援や今後の防災に向けて少しでもお役に立てればと思います。
2013年2月
●目次
・はじまり~障害者をさがして~避難所まわり~施設まわり~顔の見える支援~仮設まわり
・第2期のニーズ~被災者支援と被災地支援~障害者当事者派遣プロジェクト
・第3期~支援の引き継ぎ~ハックの家~送迎サービス~すずらんとかたつむり~被災地障がい者センターおおふなと・かまいし
・第4期~体と心のケア~仮設のバリアフリー化を求めて~冬到来~被災地障がい者センターみやこ、始動~地域とつながる~被災地障がい者センターいわてとして~報告書をまとめるにあたって
・番外~避難所と障害者~ボランティアさんからのメッセージ~被災障がい者からの聞き取り
以上


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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い」『吾亦紅』と咲くのです。


●東北復興支援『自然災害に負けない:心Tシャツ~長そで判』
白、赤、紺、黒の4色、S、M、L、XL。
各色、各サイズとも1枚1500円(男女兼用サイズ)
生地は半そでTシャツより厚手。
(半そでTシャツ1枚1000円も引き続きご注文を承っています。)
・東日本大震災、一昨年の南紀大水害、昨年の九州大水害。立て続けに日本を襲い続ける大きな自然災害。
私たちは、阪神淡路大震災の時に、被災地障害者センターとして、『がんばろうTシャツ』を作って、全国で販売してきました。
今回は、東日本大震災で被災された障害者支援の一環として、『自然災害に負けない心Tシャツ』を販売し、その収益の一部をゆめ風基金(阪神淡路大震災以降、主に障害者支援を続けている団体)を通して義援金を届けることにしました。(おかげさまで、半そでTシャツの売り上げより、48200円を昨年の12月に届けることができました。ありがとうございました。)
被災地の障害者の状況がなかなか伝わって来ない中、支援も滞りがちになっています。
今後もこの販売を通してあらゆる被災地の障害者支援を継続していきます。
心ある方、ぜひともお買い上げお願いします。
代表、福永年久
お問い合わせ:NPO法人 障害者生活支援センター遊び雲
TEL&FAX 0798-35-8091
兵庫県西宮市宮西町7の3


●箕面市障害者共働事業所『たんぽぽ・機関誌・たんぽぽ通信NO.3号』からの転載。
連絡先:大阪府箕面市箕面1-6-8
TEL 072-721-5177
FAX 072-737-8005
・たんぽぽでは、仙台市の共に働く国産小麦粉で作るパン、クッキーの店【コッペ】の製品、クッキー1袋350円・3個入り100円の7種類を被災地支援として、三陸水産の海産物と共に販売しています。
大震災や原発事故で多くの課題が山積しています。
大震災は、漁村の過疎化に拍車を掛け、『漁業での生計をあきらめ、海を売って出稼ぎで生計を立てる』漁民が、若者を中心に多く見られるようになりました。
一方、生産の原点である『海を守ること』それには、「海に流れ込む川をきれいにしなければ」=「そのためには、山から流れる土砂や鉄砲水を何とかしなければ」……と海に流れ込む山々を買い取り、大震災を乗り越え、植林を続けている今日の姿も見られます。
私どもは、そのような形で漁民が、せっかく植林をしても、生計の裏付けがなければ、やがては海を売り、海からの自然な贈り物を失う結果となる=『人類の大損失』と真剣に考えています。
そのような立場から、消費者の皆様には【直接海を守らなくとも、自然のきれいな海から贈られてくる海産物を購入すること】そのことは、生産に携わる漁民の生計を守り、生産の拠点である海を活性化させ、再生産することが出来る、という考えを訴えています。
海は、私たち人類が生まれる以前からの宝物です。
三陸水産・代表・雨澤進
あなたも取り組みませんか?
以上

ヒデの救援レポート:2013年3月18日№112

●今週の週末、23日、24日は、認定NPO法人・ゆめ風基金の法人総会と、「小室等&こむろゆい」さんのコンサートが、東日本大震災被災障害者支援後方支援拠点のある新潟市で開かれます。
これからの被災地支援のあり方が議論されます。
機会があれば、また、レポートしますね。


●映画:逃げ遅れる人々「東日本大震災と障害者」上映と南相馬からの報告会
吹田
日時:2013年3月30日(土) 午後1時30分~
場所:大阪府吹田市岸部市民センター・多目的ホール
(大阪府吹田市岸部南1丁目4の8 TEL06-6317-1293)
参加費:500円
・大阪でひとやすみプロジェクト、ぷくぷくの会共催
お問い合わせは、スマイルぷくぷくへ TEL・06-6337-8050
豊中
日時:2013年3月31日(日) 午後1時~
場所:豊中人権まちづくりセンター・4階
参加費:500円
主催:一般財団法人とよなか人権文化まちづくり協会、大阪でひとやすみプロジェクト
お問い合わせは、TEL 06-6841-5300
FAX 06-6841-6655
協賛:豊中市、豊中市社会福祉協議会
★吹田、豊中ともに、映画上映後、さぼーとセンターぴあ代表理事、青田由幸さんのお話、大和田みゆきさんのお話のあと、質疑応答があります。
『津波と原発事故がもたらした現実から目をそらさないために』
みなさんは、福島県の南相馬市をご存知ですか?
福島原発の北側にあり、津波と原発事故で想像を絶する被害を受けたところです。
私は、子どもの遊び場づくりや医療支援で、2011年の秋から南相馬市に通い続けています。
一見すると暮らしは元通りになったようですが、津波と原発事故が残した傷跡は深く、「復興」に向かうどころか徐々に問題は複雑になり、人々の苦しみは深刻になっています。
南相馬市では、放射能汚染、地震や津波で亡くなった方が525人、避難途中や避難先などで亡くなられた関連死と認定された方が388人、ご遺体は見つかっていないけれど死亡届けが出されている方や災害弔慰金の支給対象となった方が111人、合計1024人が亡くなられました。(福島民報2013年1月19日付け)
どれも、県内の他の市町村と比べ桁違いに大きな数字です。
県内の死者合計が3072人とされていますので、人口7万人ほどの南相馬市が受けた痛みがどれほど過酷なものであったかが想像されます。
さらに原発事故が津波による壊滅的被害に追い打ちをかけました。
原発が次々と爆発する中で、実に6万人以上の市民が市外に避難しました。
しかし、避難できなかった人たちがいました。
なんらかの障害のある人々、高齢者、そしてその介護者や家族です。
南相馬市で障害者の事業所を運営しておられる青田由幸さんと出会い、津波の中で、原発事故の中で、いわゆる「災害弱者」と言われる人々がどれほど過酷な状態に置かれたかを教えていただきました。
市内にとどまった人々を守り抜こうとする青田さんたちの取り組みは、朝日新聞の連載『プロメテウスの罠』で取り上げられ、映画「取り残される人々」にもなりました。
個人情報の壁を乗り越えて市を説得し、一軒ずつ障害者や高齢者の家を回って安否確認をし、話を聞き、物資を届け、生活を支えました。
放射能汚染を恐れてトラックが南相馬市に近づかないため、物資は底をつき、お金はあっても食べ物や飲み物が手に入らない状態が続きました。
もしこの活動がなければ、亡くなられた方の数はもっと多かったでしょう。
青田さんは、自分には南相馬市で起こったことを語り伝える使命があるとおっしゃいました。
だとすれば私たちの使命は、南相馬市で起きたことに耳を傾け、二度と同じ悲劇を繰り返さないようにすることではないでしょうか。
津波と原発事故が『災害弱者』に何をもたらしたのか、周りの人々はどう動いたのか 、私たちが語り継がなければならない貴重なお話が聞ける機会です。
ぜひ多くの皆さんのご参加をお願いしたいと思います。
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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
【社会福祉法人・大阪市社会福祉協議会・大阪市ボランティア情報センター機関誌【のぼ】3・4月号173号からの転載
連絡:TEL 06-6765-4041 FAX06-6765-5618
●みんなで再び立ちあがれるように~福島県双葉郡富岡町~富岡町生活復興支援センター「おだがいさまセンター」
青木淑子さん、吉田恵子さん
○草むしりに300人ーみんなつながりを求めている
・『富岡町は桜吹雪の中で踊るよさこいが名物のまちだったんです』と話し始めたのは吉田恵子さん、富岡町生活復興支援センター「おだがいさまセンター」の運営をする富岡町社会福祉協議会の職員です。
発災直後、避難所での生活が長く続き、表情の無くなりつつある町民を見て『何かしなければ』と思い、ボランティアセンターである「おだがいさまセンター」を避難所の中に立ち上げました。
最初の活動は避難所周辺の草むしり。
ボランティアを募集すると、なんと約300人もの町民が集まったそうです。
吉田さんは
『草むしりをしながら知らない人同士でコミュニケーションをとる姿を見ました。皆さんつながりを求めているんだと実感しました』と当時を振り返ります。
○ラジオを通じて情報発信【おだがいさまFM】
・『富岡町の人たちが元気で生きていくために必要なことをしています』と力強く話す吉田さん、2011年5月に臨時災害放送局【おだがいさまFM】を開局しました。
現在は日曜日以外のほぼ毎日、富岡町のローカルな情報や暮らしの情報を届ける【おだがいさまFM】ですが、その放送が聞けるのは郡山市内のみ。
震災後、避難先を求めて県外へ出ていってしまった富岡町民のためにも、どこにいても聴取が可能なタブレット端末の配布を町役場と協働して進めています。
『全国バラバラになったコミュニティーを再生していくために、ラジオを通じて情報発信していくのはとても重要なこと』と話すのは同会のアドバイザー、青木淑子さんです。
『このラジオを聞くと、とても懐かしくてホッとする。楽しみにしているんです、と泣きながら話す県外に避難した人がいたんですよ。聞いてくれている人がいるんだから頑張らなきゃ』と青木さんは富岡町民への想いを口にします。
○モノづくりから生きる力を取り戻す
・おだがいさまセンターでは富岡町民が元気に暮らせるように生涯学習として個人の趣味を活かした手芸活動などの応援をしています。『ここで作っているモノを買い取って支援がしたいとお話があったので、私たちは町民が作った作品を売ることにしました。自分の作ったものがお金になるのは励みになるんですよ』と青木さんはこの活動を、生きる力を養っていくための大事な活動として考えています。
『これからは売り出せる作品の準備をして、全国に広げていきたい。それを通じて町民が元気になることと、富岡町のことを全国の人に知ってもらえたらありがたい』と吉田さんはこれからの展望を話してくれました。
以上

hideの救援レポート・2013年3月11日№111

昨日、3月11日は、東日本大震災から、730日の悲しみの日時を経て、3年目の門口にたちました。
奇しくも、太平洋戦争敗戦直前の東京大空襲の3・10の翌日です。
被災地の復活は、まだまだ緒についたばかりの様相で、記憶の風化と格闘しつつ、未来に目線を放ち、決意主義ではない、決意を自分自身に課するhideの日でもあります。
一緒につながり、歩を進めましょう!
●NPO法人:まいど・いん・あまがさきの機関誌「まいど!通信93号(2013年1月号)」からの転載
連絡:TEL 06-6498-4183 FAX、06-4960-8711
「12月7~10日の支援活動の感想(nao)」
★架け橋プロジェクト・ボランティアバス運行!
宮城県石巻市へ被災地支援活動に向かいました。
6月に続き、NPO法人シンフォニーさんよりお声掛けいただき東北復興支援~架け橋プロジェクト~ボランティアバスツアーに今回も参加。
企画も少し考えさせていただきました。
前回の経験から被災された現地の人の声を直接聞いてこれから続けていける支援を考えたいという思いもあり「交流」をテーマにアイデアを出し合いました。
「東北の地酒・関西のたこ焼き」で文化交流をしながら、震災や復興の支援を風化させないよう、フェイスブックを活用した「10000人☆乾杯プロジェクト」を提案させてもらいました。
阪神尼崎駅前から宮城県へ出発。
雪景色の日本列島を長時間北へ北へ。
ようやく東北に入った夕方頃、大きな地震があり、津波警報も発生し、緊張感のある中での到着。
(現地の方々は、本当に怖く不安な夜だったと、話されていました。)
夜11時頃、無事に石巻郊外にある「修空館道場」に到着。
翌日朝からバスで移動し、女川町にある仮設住宅に向かいました。
そこに東北福祉大学のみなさんと仮設住宅に住む皆さんが共同で作られた「農園」があり、その横に空き地がありました。
本日はその空き地を皆さんがスポーツ等で使えるグランドにするための整地と、チューリップの球根を植え花壇作りを任せてもらいました。
「ama1女川」というデザインで植えてみました。
綺麗に咲いてくれるでしょうか……春にまた来たいです。
お昼ご飯は、女川町仮設住宅のお母さん方が用意してくれたカレー、つみれ汁、デザートのがんづき、お漬け物……美味しいお手製料理がたくさん。
愛情&栄養たっぷりで、午後からの作業も力いっぱい頑張れました。
町議会議員さんから震災当時の事、防災について、それから現在までの事、「逃げる時は命が一番大切」「笑顔でいることが亡くなった方への供養」「今年ようやく涙が出た」「女性が元気な町は復興が早い」など環境や心境の変化について貴重なお話を聞かせていただき、皆さんから前向きな明るさ、元気さ、そして大きな悲しみを乗り越えてきた力強さを感じました。
温かく迎え入れていただきありがとうございます。
翌朝目覚めると雪が降っていて外は見事な白銀。
悪天候のため「たこ焼き交流」は残念ながら中止。
その代わり石巻駅近郊を見て回ることにしました。
空手道場の奥さんが朝ご飯に豚汁を用意して下さり、温まった後、出発しました。
館長さんも奥さんも2日間お世話になりました。
ありがとうございます。
道場とお別れし、石巻漁港へ。
ここは水産業が盛んで、被害が大きかった所です。
多くの建物が取り壊しさえ終わっておらず、復興は始まったばかりという町並みで、まだまだ震災の面影は消えていません。
商店や工場など、閉鎖していたり、全壊している箇所が多い印象。
お昼ご飯は「復興マルシェ」(仮設商店街)のような所でいただきました。
イベントを行っており、色々な団体の方が手作り雑貨等を出店していたので、少しお話を聞かせていただきました。
『物資がまだまだ足りていない。寒くなってきたので暖かい服が必要。』とおっしゃっていました。
そこから私達は石巻駅周辺を歩いて散策。
開いているお店の数は少なかったです。
酒屋「相澤商店」さんで、地酒を探しに入ってみると、今年の夏15ケ月ぶりに実費でお店を再開出来たばかりのお店でした。
当時の商店街の写真を見せていただいたり現状のお話を聞かせていただいたりしました。
『全国どこへでも震災のお話をしに行きます』とおっしゃって下さいました。
もちろんお酒の事も教えていただき、お土産に数本購入。
またオープン1周年記念中の復興ふれあい商店街や市役所、石巻観光センター等へ立ち寄って、日々頑張っている現地の皆さんの様子が伝わってきました。
帰ってもこの状況を忘れずに、沢山の人達に伝えてこれからも一緒に歩んでいけたら良いなと思います。
最後の夜は皆で居酒屋さんで乾杯…朝には尼崎に到着。
参加された同志の皆さんと最後まで楽しく過ごさせていただき、嬉しかったです。
短い間でしたが仲間意識のような絆を感じています。
またお会いする日を楽しみにしています。
「乾杯プロジェクト」は継続していますので、皆さんの投稿をお待ちしています。
以上
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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
大阪市社会福祉協議会・機関誌「大阪の社会福祉:693号」からの転載
連絡 TEL 06-6765-5001 FAX 06-6765-5605
【いわきーおおさか交流バス 里帰り~ボランティアバス・2台を運行】
・市民フォーラムおおさか委員長・窪田新一と大阪市ボランティア情報センター(以下、センター)の共催による「いわき-おおさか交流バス」(以下、交流バス)と「里帰り-ボランティアバス」(以下、里帰りバス)が1月12日から15日、3泊4日の日程で開催された。
交流バス事業は、市民自らの災害に対する意識の向上や、積極的なボランティア活動を支援することを目的に、ボランティアバスの運行による被災地仮設住宅の住民との交流をおこなっている。
『同じ場所において息の長い震災支援を続けてほしい』という福島県いわき市の被災者の声を受け、昨年9月以来、2度目の訪問となった。
また、里帰りバス事業は、大阪ー福島間にバスを運行し、東日本大震災における県外被災者が、交流バス事業において活動するボランティアと交流しながら一時帰宅するというもので、県外被災者のニーズから実現したボランティアバス初の企画である。
交流バスの訪問先は、いわき市の高久第一応急仮設住宅(189世帯)。
参加した34人のボランティアは、仮設住宅を一軒ずつ訪問し、大阪名物のたこ焼きやあんかけうどん、アロマテラピーによるハンドケアの提供やお琴演奏、また、子どもたちとの遊びを通して交流を深めた。
一方、里帰りバスに乗車した県外避難者は、車内でボランティアと交流しながら、自宅に近い場所(東京、いわき、郡山)でバスを下車。
無事、それぞれの家に一時帰宅を果たした。
また、活動期間中、センター職員は、同県内のいわき市社協や富岡町社協などにおもむき、震災後の現状についてリサーチ活動をおこなった。
これらの交流やリサーチ活動の中で、孤立する住民や復興支援への急務など、大阪においても考えるべき課題も多く感じられた。
今後も継続した息の長い支援を続けながら、これらの経験を広く伝えることで、大阪での災害支援への理解が深まっていくことが期待される。
以上。

ヒデの救援レポート 2013年3月4日№110

●来週の月曜日は、東日本大震災3年目の入り口の日になります。
自分と他者の記憶の風化を戒め、遅れ続ける復活に視線を放ち、被災地の想いと、連帯する節目の日でもあります。
決して、祈りだけの日ではなく、新たな、具体的な行動のスタートの日であると、hideは確信します。
共に歩き続けましょう!


●社団法人・鳥取県人権文化センターの人権学習資料31
「災害と人権~災害に強い社会をつくるために~」
連絡先:鳥取県鳥取市扇町21
鳥取県立人権ひろば21「ふらっと」内
TEL:0857-21-1712
●本学習のねらい
・2011年3月11日、午後2時46分、宮城県の三陸沖200キロの海底を震源とするマグニチュード9.0の地震が東日本を襲いました。
千年に一度と言われる大地震の発生です。
震源地に近い地域では一瞬にして多くの家屋が倒壊し、電気や水道などのインフラも機能しなくなりました。
首都圏では交通機関がストップし、都市機能が、完全に麻痺しました。
大きな揺れから数10分後、太平洋沿岸部に大津波が押し寄せ、津波警報が鳴り響く中、逃げ惑う人々の姿がテレビに映し出されました。
大津波の後、発生した東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故による避難も含めて、今(2012年11月現在)も多くの人々が住み慣れた土地を離れざるをえず、仮設住宅等での生活を余儀なくされています。
このように住居の問題をはじめ就労の問題、教育の問題、そして心の問題等、まだまだ未解決の問題が数多く残されています。
私たちが災害に強い社会をつくっていくうえで、防災技術、防災教育、救急医療、産業の復興など、さまざまな視点からの考察が求められます。
本書では特に『人権』という視点から災害と向き合っていきます。
私たちが生きていくうえで避けることのできない自然災害をとりあげ、そのとき、私たちの『人権』をどのように守っていくのか、そして『自然災害』から『人災』へと広がらないようにするために私たちに何ができるのか等、『災害と人権』に関する問題について考えてみたいと思います。
●人権保障の観点から次のことを考える。
1.災害に強い地域のあり方について
2.ふだんの生活においても弱い立場におかれがちな災害弱者への対応について
3.情報の取り扱い、また、噂の仕組みとその防止について
●第一部・災害と人権~
第一章:私たちの暮らしと災害
第二章:地域社会のあり方
・イ:地域社会と共助
・ロ:個人情報の保護に関して
・ハ:地域に潜む見えない壁
第三章:災害弱者と人権
第四章:災害後の精神的ケア
●第二部・災害時における情報の捉え方と人権
第五章:情報発信の重要性とメディア・リテラシー
第六章:噂と偏見、不安と差別
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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●徳島県立人権教育啓発推進センター機関誌【あいぽーと徳島:第22号(1月発行・特集)】より転載。
連絡先
TEL:088-664-3719
FAX:088-664-3727
●災害時の障害者の人権について~徳島県人権問題講師団講師第2回研修会(2012年10月23日開催)
講師:八幡隆司さん(NPO法人ゆめ風基金理事)
講演の概要~
阪神淡路大震災の経験から、災害の状況がひどいから継続的に支援ができる団体を作ろうと立ち上げたのが『ゆめ風基金』です。
その後、私は、10年目の節目である2005年から全国各地で『障害者の防災』をテーマに話をしてきました。東日本大震災以降、この1年半はほとんど東北にいて、今は岩手県宮古市を拠点に活動しています。
……地震が起こる前にどうしておくかという話もさることながら、当然地震が起こってからも大事なことがいっぱいありますので、今回、東日本大震災で被災地に駆けつけてみて、災害前の備えと災害後の対策について改めて考えさせられました。
阪神・淡路大震災の教訓が今回の東日本大震災にあまり活かされていません。
一部は活かされたものもあるけれど、多くの命を失ってあまりにも大きな代償を払いました。
東北各地の避難所に支援に行って、避難所を運営している人たちに聞いても障害者を把握していないことが多かったです。
被災者からの要請で、避難所に洋式トイレを持って行くと、そこを運営している人たちが、
『そんなに一人一人の要求に応えていたら、統制がとれなくなるから持って帰ってくれ』と、こんな事例もありました。
避難所では生活ができないと親戚宅などに行く人が多くいました。
障害者支援に限って言えば、一番困っている人を中心に考えて支援することが大事なんですが、
『みんな困っているんだから、がまんすればいい』といいます。
でも『みんな』の中に高齢者や障害者が入っていないことがよくあります。
『大勢の人が困っているから、少数の意見は取り入れなくていい』と考えられてしまいます。
私たちは、高齢者や障害者のための福祉避難所を、阪神・淡路大震災の時に作りました。
東日本大震災では、初めて障害者、高齢者が通っている施設が福祉避難所となりました。
しかも事前に福祉避難所となる協定を結んでいたところもあって、2011年4月末に宮城県だけで113ヶ所(障害者対応のところは11ヶ所)ありました。
今回のことを教訓に福祉避難所の協定を結んでいこうという動きが高まっています。
東北の被災地では、避難所に行かず壊れた家や車などで生活している人が多くいました。
そういったところで暮らす多くの高齢者、障害者に物資が行き届かなかったのです。
『避難所の物資はそこにいる人の分しかない』というのであれば、避難所ではなく『地域避難支援センター』と発想を変えていかないと、命に関わる重大な問題につながります。
また、自分の家は被災していないという人たちは、避難所に物資を取りに行くだけでなくて、『ここは地域避難支援センターとなるところだから運営を手伝おう』と、様々な人たちが考えて集まるような仕組みが必要です。
……高齢者、障害者と一括りに考えるのでなくて、個々に支援の必要な割合いなど総合的に考えて、社会資源がどれくらいあって、どれだけ足らないかを把握して、弱い立場の人を取りこぼさない仕組みを作らないといけません。
普段からだれ一人見逃さないという考えで、どんな活動を日常的にやっているかなんです。
私は『防災』をキーワードに『人権』や『まちづくり』ができると思っています。


以上!

ヒデの救援レポート2013年2月25日№109

市民活動総合情報誌「ウォロ」2013年1・2月号からの転載
連絡:社会福祉法人・大阪ボランティア協会出版部
TEL 06-6465-8395
FAX 06-6465-8393
「被災地・いるからこそ見える現地の今を伝える~東日本大震災・福島から」
子を想う母の心で運営する-いわき放射能市民測定室たらちね
(福島県いわき市小名浜花畑町11-3 カネマンビル3F
開所時間:9時~5時、木曜・日曜・祝祭日、休み)
●地元の土地の汚染と健康被害から子どもと地域を守るために開所した、市井の人々による「いわき放射能市民測定室・たらちね。」
測定室の愛称「たらちね」は、母を意味する言葉だ。
2011年11月13日に産声を上げたこの市民測定室には、食品に含まれる放射性セシウムを検出できる機器4台とホールボディカウンター1台があり、専従のオペレーターが線量の測定を行っている。
ほかに土壌の測定や「ママカフェ」の開催、子どもの保養プロジェクトの募集、送り出しの窓口も開設している。
『当初は、測定機器も2台しかなくて、大変な状況でした』:と語るのは、同市民測定室の事務局長、鈴木薫さんだ。
外国製の機器のソフトは全部英語。
しかもチェルノブイリの原発事故から25年経過していたため、ウクライナやベラルーシには、セシウム137(セシウムは、筋肉や心臓、腎臓、膀胱などの臓器にたまりやすい。セシウム137の半減期は、約30年)しか存在していなかった。
そのため機器の設定は137のみ。
『事故直後の福島は、セシウム134(ベータ線を放出してバリウム134に変化する。半減期は約2年。)もありましたからね。とにかく全体のベクレル数で見て【食べられるのか】【食べられないのか】判断しました』
やがてソフトの改善が進み、今ではセシウム134、137、ヨウ素131(半減期は、約8日。甲状腺にたまりやすい。)、カリウム40(天然に放射線を出す物質で、すべての食物に、常に一定の割合で含まれている。一定量以上摂取すると自然に体外へ排出される。)の4種類が分かるようになった。(太字解説部分の参考文献『放射線になんか負けないぞ!』木村 真三監修、太郎次郎社エディタス刊)
開所から1年。
今の心境を伺うと
『達成感はないです。いつも思うのは、これがいつまで続くのか……ということです』
と鈴木さん。
原子力についでも、食べ物を測定するような生活者の視点を持つ専門家は、全くいないことも分かった。
『同時に、そこが私たちの役目だと思うようになりました。
測定結果も数字が一人歩きしないよう説明を大切にしています。』
なぜか。もうヨウ素は出ないと言われているのに出たりすることがある。
よく調べると鉛だったりする。
水も井戸水、引き水……と様々な水が持ち込まれる。
『近くに温泉があると、ラヂウムの影響が出たりします。
結果を伝えるだけでなく、自然放射線のことも含めて説明を大事にしています。』
ホールボディカウンターも然り。
家族構成や一人ひとりのライフスタイル、食べ物の好みまで問診と会話の中で把握しながら測定する。
家族で来て、一人だけ数字が違う場合もある。
そんな時は、『どうしてだろうね』とみんなで考える。
『そうすることで心が安らぎ、次にやるべきことを考えられるようになります。
それが市民測定室の役目と思っています。』
●地元の生産者と消費者を繋ぐ企画を検討中
鈴木さんたちの市民測定室には、全国から見学に訪れる人も多い。
『福島原発の心配もありがたいですが、他の原発ですよね。
自分たちの町にある原発、近隣にある原発のことを見学にこられた方も含めて、
もっと多くの人に考えてほしいですし、再稼働はしてほしくないです。』
2年目の活動に入った鈴木さんたちは、現在2つの事業を温めている。
その1つが、プルトニウムやストロンチウムを可視化するα線の測定だ。
『もう1つが地元の生産者と消費者を繋ぐ企画です。』
オペレーターが全員母親の市民測定室には、子どもに与えるなら0ベクレルの食べ物をという【たらちね基準】がある。
一方、福島は農業従事者が多くみんな農業が大好き。喜んで食べる人がいないのに作るのはあまりに切ない。
そこで、真面目に測定に来てくださる生産者の皆さんのためにも、出来る範囲で【たらちね基準】の野菜を地域の皆さんに届けられるようにしたいのだという。
なんとも頼もしい試みだ。
【掃部(かもん)郁子】
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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、『われも、また、赤い:吾亦紅』と咲くのです。
●岡本気仙沼支援プロジェクト
東日本大震災復興支援ショップ「気仙沼まただいん」
株式会社気仙沼まただいん
神戸市東灘区岡本1-11-20アルフィー岡本1F
(通販も出来ます。)
問い合わせ等 TEL 078-200-5327 FAX078-453-2841
阪急岡本駅南口より西へ徒歩1分
岡本気仙沼支援プロジェクトとは。
17年前、阪神淡路大震災で被災した神戸「岡本商店街」が、その経験を踏まえ、
気仙沼の復興を支援する取り組み。
気仙沼の商業者が震災から復興することを目的に、お互いの顔が見える長期的な支援をしようと活動を続けています。
各種のイベントに出店もいたします。
気仙沼の名産品を買って、現地を応援しょうというショップです。
店舗には気仙沼産のグルメやグッズがずらり。
気仙沼よりのスタッフが常駐し、現地の様子や説明を聞くことも出来る。
【まただいん】:とは気仙沼の方言で、『また来てね』の意。
・広東風ふかひれスープ:350円~気仙沼産の本物のふかひれを使ったスープ。こちらは中華風の味付け。
・さんま南蛮漬け:350円4本入り。~地元の新鮮なさんまが南蛮漬け。ご飯にもお酒にもぴったり。
・気仙沼ホルモン800円500g入り。~気仙沼名物のB級グルメ。焼いてキャベツの千切りと一緒に食べたり、鍋にしたり。ご飯ともお酒とも相性◎
などなど。
一度覗いてみては。
ヒデの救援レポート2013年2月25日№109 以上