ヒデの救援レポート、012年7月23日

ヒデの救援レポート、012年7月23日:80
 今回のリポートはこみこみになってしまって、予告していた「福島県民として大飯原発再稼働に関してもの申す!」(福島県民・白石清春被災地障がい者センターふくしま代表)・その2以下は、次の回からの連載になってしまいました。hideのゴメンなさいです!
 
 6月24日に開催された大阪北部の街の、豊能障害者労働センター結成30周年記念・被災地障害者支援のコンサート(ゆめ風基金共催)は、伊奈かっぺいさんの絶妙の津軽弁トークと、伊藤君子さんの津軽弁ジャズのリズムで、500席満席の会場を大いに沸かせました。
 かっぺいさんは、以前からのゆめ風基金呼びかけ人ですが、伊藤さんは、今回のコンサートを機に、呼びかけ人になっていただくことになりました!ありがとうございます。
 この集い開催に当たっては、実に多くの方々、団体のご助力をいただきました。びっくりしたのは、青森県からの参加者があったことと、近畿青森県人会の方々の参加もあったことです。大大成功の内にコンサートは終了することができました!
 かっぺいさんも伊藤さんも、サイン会をしていただいて、長蛇の列ができ、良かったですねぇ。と満足そうに、それぞれの地にお帰りになりました!
 スタッフ全員、とても疲れましたが、とても、とても、いい一日になりました!
 遅くなりましたが、ご助力いただいた皆さんに、お礼申し上げます!
伊奈かっぺいさんからのお礼ハガキ
○河野秀忠様・お世話になりました・楽しませていただきました・今回も。ありがとうございます・
伊奈かっぺい(署名)とイラスト
東日本大震災・復興支援定期預金サポートVご協力のお礼
パンフレットからの抜粋!
近畿ろうきん&近畿推進会議NPO法人被災障害者支援・ゆめ風基金
○東日本大震災復興支援定期預金サポートVによる温かいご支援に感謝申し上げます。
東日本大震災が発生したその直後に、東日本大震災復興支援定期預金サポートVという預金を通じて10年にも渡る温かいご支援のシステムを創っていただきました。
 昨年6月より10ケ月に渡りその預金結集を近畿全域で呼びかけていただき、そしてその呼びかけに思いがけないほど多くの方からご預金を通じてご支援をいただきました。
 近畿ろうきん、近畿推進会議、近畿ろうきんの会員である労働組合のみなさま、そしてそのご預金をいただきました団体、個人の預金者のみなさま、本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。
 震災から2年目に入りました。私どもはこれまでに岩手県、宮城県、福島県の8ケ所で被災地障害者センターを立ち上げました。地域の方14名を雇用し、県内外のボランティアのみなさんとともに送迎、介助、見守り、相談、ニーズの掘り起こし、避難支援など多岐に渡る救援活動を続けています。その中でも病院や作業所、買い物などへのニーズは高く、活動の大きな部分を占めています。これらは切実なニーズではありますが、公的支援は一切ありません。
 被災地障害者センターの運営は、障害者8ネットワークが参加する救援本部世話人会議で実施しています。今後の方針としましては、障害者ニーズを探りつつ救援活動をできるだけ障害者福祉活動につないでいくこと、そのための相談員や活動ボランティアの派遣をはじめ、全国の障害者ネットワークと連帯して、被災地の障害者の方の生活復活を支えていくことなどを確認しました。
 ゆめ風基金はこの中で作業所、グループホームなどの障害者の生きる場、働く場の再建、新設支援を中心的に担います。17年前の阪神大震災の折、障害者の仲間がさまざまな場面でその支援が後回しになってしまった教訓によって誕生したのが、私達ゆめ風基金です。
 私達は本当に必要としているところに手渡すように届けるをモットーに、これまでも多くの方に支えていただき活動を続けてまいりました。
 今回、そしてこれから10年間にあしなが育英会様と合わせて1億6800万円ものご支援をいただけると聞いています。みなさま方からお寄せいただきますお金は間違いなく有効に使わせていただきます。ありがとうございます。
 そしてどうぞこれからも東北、関東の人々を温かく見守っていただきますようお願いいたします。
これまで届けた救援金
178,547,749円(2012年6月7日現在)
内・東日本大震災救援金総額
130,209,050円(2012年6月7日現在)
ただいまの基金残高
290,907,921円 (2012年4月30日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
医療機器と一緒に、街で暮らすためにシンポジウム報告書○震災と停電をどう生き延びたか~福島の在宅難病患者・人工呼吸器ユーザーらを招いて~が発行されました。
188ページのA5版のキチンとした冊子です。
発行元は、○立命館大学グローバルシィOイイプログラム生存学創成拠点
○立命館大学生存学研究センター
○連絡TEL・075-465-8475
○シンポジウム震災と停電をどう生き延びたか実行委員会
TEL・075-682-7950
FAX・075-682-7951
ご挨拶~昨年の9月、多くの方々の協力により、シンポジウム震災と停電をどう生き延びたか~福島の在宅難病患者・人工呼吸器ユーザーらを招いて~をハートピア京都で開くことができました。
遅ればせながら、その報告書がやっと完成しました。立命館大学生存学センターの立岩教授や研究生達の手により、より充実した内容になりました。計画停電も予想されるこれから、少しでも役立てて頂ければと思います。ご協力頂いた方々、繋がりを持つことができた皆様に感謝いたします。
 また、シンポジウムにご来場いただけなかった皆様にご挨拶いたします。私達は今後も活動を通して皆様との絆を深めていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。実行委員長・増田英明拝 2012年6月吉日
図解おうち暮らしー医療機器を使って暮らすための停電時の備えシンポジウム震災と停電をどう生き延びたか
○使えなかった非常時の備え
○震災と福島、在宅を支える絆
○エッセイ・風に名を刻んでー福島からのパネリストその後
○此処から呼びかける瞳ーシンポジウム開催までの経過とこれから
○論文・医療機器を必要とする重度障害者の実態調査ー地域のローカルなつながりに向けて停電の影響に関する調査資料・論文
○論文・計画停電と医療的ケアを必要とする障害児・者ー東日本大震災における事例から
○人工呼吸器使用者の停電への備えに関する調査の結果について・東京都
○資料・東日本大震災による停電対応に関する福島県・宮城県の停電対応に関する患者会報告と関連通達
社会臨床雑誌
○012年6月10日発行・第20巻第1号が発行されましたので、ご紹介します。
日本社会臨床学会編集・現代書館発売
○連絡TEL・03-3221-1321
FAX・00-3262-5906
○定価2500円+税
はじめに
○日本社会臨床学会学習会原発問題と優生思想報告
○反原発の論理を確かめるー障害者排除・優生思想を問いつつー篠原睦治
○福島の地に出入りして、気づくこと・考えることー山田真
○学習会原発問題と優生思想に参加してー三輪寿ニ
○原発問題についての断想ー原田牧雄論文
○早期介入、そして日常生活の管理へー中島浩篤○統合失調症の予防的介入に関する倫理的問題ー山崎真也
○自学の系譜1石川三四郎の教育志操日本社会臨床学会第19回総会記録を読む
○山田潤記念講演・教育・ではない、まず・仕事・だを読むー岡山輝明
○名づけることは何を生みだすか、発達障害について考えることー生越達
○シンポジウムⅡの報告を読んで喚起され考えたことー榎本達彦映画や本で考える
○優生思想という難題に挑むー小林敏昭
○平等論で解けることと解けないことー斎藤寛
 ちなみに、hideが編集長を務める障害者問題総合誌そよ風のように街に出ようの小林副編集長も寄稿しています。原稿料は、タダなんですよぉとボヤいていましたけど、社会臨床学会という学会は、ビンボーで有名な学会なんだじぇ。なかなか鋭い主張をする学会ではありますが、なんせ、会員が少ないからねぇ!!以上。

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第六組

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第六組
被災地障害者派遣報告書
                            自立生活夢宙センター 馬渡健二
日程内容
   9日
     11時30分 JR盛岡到着
     12時 CIL盛岡到着 その後、食事を引き継ぎ
     13時30分 TRY会議
  10日 参加者、ボランティアの呼びかけ
     11時30分 就労支援(B型) 好望恕(コウボウジョ)訪問
     14時30分 北日本医療福祉専門学校訪問
     18時 被災地障がい者センターみやこ到着
  11日
     9時 朝礼
     朝礼後は事務作業の手伝い。
     15時30分 粟津さん送迎。
  12日 コースの安全確認とトイレ食事等の場所提供確認
     平田仮設内サポート訪問
     ふるさとセンター訪問
     あすなろホーム訪問
  13日
     交流会準備
  14日
     地域の方との交流会「およれんせの会」
     会議19時30分 報告会
  15日
     休暇
  16日
     9時30分 被災地障害者センター出発
     11時30分 CIL盛岡到着 食事引き継ぎ
     13時 TRY会議
感想
 今回一週間みちのくTRYの支援に行かせてもらいました。
 一週間経って思うことは、全体的にみちのくTRYは安全第一というか、保護された状態で14日間ただ歩くだけのような気がします。
 本来のTRYは、歩きながら交渉したり、TRY中に宿を借りたり、ホームステイとかそういうものがあって初めてTRYだと思いましす。でも、みちのくTRYはあらかじめスタッフが用意した休憩場所や、宿泊場所に泊まるというものだったので、あるスタッフが、「このTRYは、みちのく地方に元気な障害者がいるということを見せるものだから」と、言っていました。
 でも今までのTRYも同じで発展途上の国へ行って、その国のバリアフリーを訴えると同時に、これだけの障害者がいる居るということを訴えるものだと思うし、TRYに参加している障害者をみて、現地の障害者が元気になれば、と思いながらTRYは行われていると思います。
 だから今回も全部が全部あらかじめ決めていくのではなく、参加者がいろんなところで交渉をしながらTRYを進めていくのもいいと思います。
 乱暴な意見かもしれないけど、TRYというものは、異常なイベントだと思うので、多少の危険はしかたがない、と思ってスタッフ側も、参加者側も覚悟というか、そういう思いを持って、TRYを成功させてほしいと思います。
 TRYを企画して実行するまでの期間が短いのと、あとTRYに関わる専従スタッフが十分でないということで、いろいろなところで焦りや、報告の不十分さが見受けられました。でもTRYスタッフはTRYを成功させようと、早朝から深夜まで動いていました。
 最後にわたしが思うことは、TRYスタッフのなかに障害者スタッフが居なかったため、コースや食事、トイレ等のバリアフリー確認が、障害者目線ではしにくいのではないかと思いました。わたしはTRY未経験者ですが、障害者だからこそ見えるものや、言えることがあるので、少しでもお役に立てたかと思います。

CILたすけっと 菊池正明さんより

いつもお世話になっています。
7月18日付の地元の河北新報にゆめ風が支援したピアサポートの記事が掲載されていましたので、添付して送ります。
九州では、大雨の被害が出て、私たちを支援してくれていた大分の竹田小学校の児童の皆さんのお宅でも被害を受けたお宅があったり、竹田支援学校も浸水した話を伺うと、支援を受けていた私たちにとっても他人ごとではなく、何かできないものかと心痛めています。
まだまだ宮城の被災地の障がい者支援も手探り状態で進めている最中ですが、自分たちもこれまでの活動を通して得た経験を通して、恩返しができるように考え行動していきたいと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
CILたすけっと
菊池正明
2012年7月18日 河北新報

7月14日の街頭募金、ありがとうございました。

7月14日の街頭募金は34人のご参加をいただき、70,115円の募金額となりました。
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 震災後、1年4ヶ月が経ち、被災地では生活再建への展望が開けないまま、地域間格差や、障害者、高齢者が仮設住宅に取り残される現実が立ちはだかっています。
 しかしながら、あたかもひとつのドラマが終わり新しいドラマに関心が移るように、震災の問題が過ぎ去った出来事のように関心がうすれていくことの怖さを、わたしたちは感じています。
 さまざまな支援活動の中でも、街頭募金活動はマスコミなどの報道にまどわされず、わたしたち自身の肉声で「震災はまだおわっていない」と訴えることができる大切な活動です。
 寒い冬も暑い夏も、息長く続けてきたこの活動に、賛同してくださるひとびとが「わすれないよ」という思いをこめて募金してくださることに感謝しながら、つながっていることの確信とともに継続することの勇気が沸いて来ることを感じます。
 参加していただいたみなさん、ご苦労様でした。募金をしてくださったみなさん、ありがとうございました。
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次回は8月11日(土)午後1時~5時 大阪なんば高島屋前です。
もっとも暑い季節ですが、熱中症にならないように気をつけていただき、ご参加をよろしくお願いします。

ヒデの救援レポート、012年7月17日

ヒデの救援レポート、012年7月17日:79
遊び雲 心Tシャツ
 ゆめ風基金の理事で、被災地障害者センター・こうべの代表者でもある、福永年久さん(脳性マヒ者)が、先日のゆめ風基金理事会に介護者と共に颯爽と登場されて、一大演説を披露!
 福永さんと言えば、17年前の阪神淡路大震災の折に、被災障害者はもちろんのこと、障害者市民には日頃から差別的視線を投げかけていた地域住民被災者を丸ごと救援するために、獅子奮迅、破れかぶれ救援活動を展開した伝説を持つひとでもあります!
 hideたちが送り込んだ救援ボランティアには、救援する相手に対しては一切の差別をすることを禁止。言うことを聞かない奴は追放するから、とっとと帰れと宣言していた。甘い考えでいた救援ボランティアたちは、震え上がったものでしたね。
 大阪の救援本部にも、被災した我々が支援を要求するのは権利であるとも言い張っていた。その福永さんが、ややテレながら、こんなん作ったんやとhideたちに披露してくれたのがホワイトのTシャツ!
 サイズは、MとL寸あり。胸には、赤い文字で、自然災害に負けないとあり、その下に、筆太で心と、墨痕鮮やか。福永さんの渾身の直筆。一枚・千円とのこと。
 まぁ、あんまり金にはならんやろけど、売り上げを東北の仲間に届けるんやと、福永さんの心意気がピカピカ! hideと福永さんの付き合いは、50年になんなんとする。思わず、ヨッシャーと、MとLを2枚ずつ買ってしまったよぉ!(笑)
 みなさん、よろしければ是非ともお買い上げくださいませねー!
 ゆめ風事務所でも扱っておりますが、遊び雲・連絡TEL・0798-75-6340まで!モシモシを!
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以前にもお知らせした、被災地障がい者センター石巻の機関誌「にょっきり」(プロジェクト事務局発行)が2号目を発行しました。無料です。
連絡TEL&FAX0225-25-5388
○詳しいリポートは、続報で。
○編集後記の一部
今回は前回よりもアイデアが早く浮かんだ気がします。外に出やすい気候になってくるし、もっと動きまわろうと考えています。あと連休太りした気がするので泳ぎにでも行こうかな…。石森
●これまで届けた救援金178,547,749円(2012年6月7日現在)
内・東日本大震災救援金総額130,209,050円(2012年6月7日現在)
ただいまの基金残高290,907,921円 (2012年4月30日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のhideの風景
つうしんほんじゃら号外より○発行人・おーまきちまき(おーまきちまきさんは、神戸在住の音楽家で、ゆめ風基金の各種イベントの協力者で、ゆめ風基金呼びかけ人のおひとりです。)
震災・原発、雑感
○3・11から1年過ぎました。被害にあわれた人、大切なひとをなくされた人、まだお別れもいえないね…生活がたちゆかない、仕事もない、住むところも…どんなにつらい思いをしてはるか、とおもいます。
阪神淡路大震災から17年がたちますが、まだまだ解決にはいたっていないと感じています。去年は2回東北の方に行って、いかに広い地域で甚大な被害があったか、息をのむありさまでした…。いったい、どれだけの時間が復興に必要だろうか、気のとおくなるおもいがします。
○友人の逮捕
 友人のFさんが逮捕されました。免許証不実記載、同行使レンタカーを借りた免許証の住所と実際に居る住所が違ってた~ えっ!? そんなことで逮捕されちゃうの?というような内容の罪?です。
重度障がい者のヘルパーさんの仕事をしてはって、この間、福島にボランティアにいってはる人なんです。ばくだんつくるような人でもないのに…Fさんは、反原発を表明してる人。反原発運動にひびをいれたい思惑が、みえるとおもいます。
 うちは、もちろん原発なくしたいです。実際なくてもやっていけるというのもそうやろ、とおもう。じゃあ何で、ちょっと考えたらとり返しつかへんとわかる、そんな危険なものを、生んできてしまったんやろか。それって、傍観者でも被害者でもなく当事者として問われてるんやないか、というきもちがある。
○どんな社会にすれば
 以前、有機農業キャンプでみた映画で、農薬かけながらお米をつくってるお百姓さんがそんなん、うちらかってクスリなんか、かけん方がええのはわかってるねん!けどむりやんか!都会のもんは好きにいいやがって…じゃあおまえがやれよ、とも聞こえたーと語っていたのをおもいだします。原発つくってもうけた企業が、こんどは自然エネルギーでもうける算段をしてる、という指摘もそうやとおもう。ほんでもって、それを否定するとなると、右肩で上がっていかないとコケてしまう経済システムがだめやとおもう…っていうか、ほんまに破綻しかかってる。どういうシステムにすれば…??
福島県民として大飯原発再稼動に関してもの申す
○福島県民、白石清春(脳性マヒ者)被災地障がい者センターふくしま代表
その1
 忘れもしない昨年の3・11東日本大震災で、今まで安全神話のもとに稼動続けていた福島原発の1号機から4号機まで壊れてしまい、莫大な量の放射性物質が福島県内、近隣地域にまき散らされた。
その当時、私は被災地障がい者支援センターふくしまを立ち上げて、被災地障がい者支援で毎日のように福島県内を動き回っていた。放射性物質が大量に降りつのった飯館村にも何回も通った。だいぶ外部・内部被ばくを受けただろう。原発が爆発した時、政府は同心円上に避難区域を設けて避難指示を出した。
 文部科学省にある緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムスピーデイの情報が政府に入ってこないなか、政府判断によって南相馬の人たちは放射性物質が大量に降りつのった飯館村に避難した。飯館村の住民も放射線量の高い地域で生活していた。
 政治家と官僚の意思疎通ができていなかったのは非常にまずいことだろう。スピーデイの情報は日本政府に入っていなかったが、アメリカにはその情報が逐一入っていたという。チェルノブイリの放射性物質の拡散状況を見ても全然同心円にはなっていない。
 避難指示命令が出た時に、すべての住民が避難できたのであろうか。逃げ遅れた障がい者の家族や、高齢者の夫婦が面倒をみていた重度障がい者のいる家族は、我が子を置き去りにするわけにはいかないと避難区域に残っているのではないのか。人の支援も受けずに餓死した障がい者がいるのではないか。
 または、避難区域にあった大規模入所施設の利用者たちは職員と共に県内の避難所を回って県外の避難所に避難していったが、その途中や県外の避難所で死亡者が出ている。家族と共に避難した障がい者や高齢者は、避難途中の過労から、避難先で大勢が死亡したという。
 避難区域にあった病院は、病人を避難させなければならないと懸命に頑張ったが、酸素ボンベを調達できずに、多くの酸素ボンベを使用していた患者を看取っていったという。違う病院ではドクターや看護師が逃げてしまって患者だけが取り残されたという。
 福島県内の障がい者関係事業所では、自然に抱かれた農地を耕して美味しい野菜などを市民の消費者の皆さんへ提供して、その収入を利用者さんの工賃に充てていた所があった。目の前に野菜を作ってよとささやいている農地があるのに…。農地を前に呆然と立ち尽くす利用者さんたちと事業所の職員たち。このような理不尽なことがあっていいのだろうか。
 放射性物質の影響から福島県の産業は大ダメージを受けた。今まで企業の協力によって下請け作業等いただいていた障がい者関係事業所は、企業からの作業が入らなくなって、利用者に支払う工賃が少なくなっている現実がある。南相馬の事業所では力を合わせて平和の願いをメッセージに込めたカンバッジを作って、つながり∞ふくしまプロジェクトを通して、インターネットを通じて全国的に販売していく活動を行っている。自らの自主的な生産・営業活動でなんとか事業所を運営している。
その2に続く

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第五組

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第五組
(7月2日~7月9日)
内村恵美
河野彩佳
2012年度 障害当事者派遣プロジェクト&TRY
 私たちは7月2日~9日に被災地障害者センターみやこに行ってきた。今回は、大きく分けて3つのことに重点をおいて活動を行なった。
①みちのくTRYの準備
 TRYの準備ではまず、週に2回盛岡とみやこで行われる会議に参加した。会議では、Tシャツについて、参加者やボランティアの募集方法や応募状況、コースについてなどの話し合いが行なわれていた。その中で、TRY本番が近づいてくる中での忙しさなどから、中心となって動いているスタッフ同士の連携がなかなかとれないでいる状況があった。そのため、それぞれの役割の確認や、皆が目で見て進捗状況がわかるようなものを作る、やらなければいけないことやその期限がわかるように書きだすなど、皆で状況を把握して進めていけるような工夫が大事であるということを伝えた。
 盛岡での会議の後には、盛岡駅前の商店街での募金活動にも参加した。
 次に、一緒に歩く当事者やボランティアを集めるために、盛岡市内や宮古、TRYのコースになっている地域の施設、作業所、学校、大学をまわって、TRYについての話をした。どこも、TRYの活動については興味関心を持ってくれて、メンバーや生徒、学生やつながりのあるところに広報するなどできることは協力したいと言ってくれた。
 また、復興屋台村や食堂などに行ってTRYの活動を知ってもらうとともに、チラシをおいてもらう、TRY本番の時に場所を提供してもらうなど協力してもらえるように交渉も行なった。大船渡の復興屋台村で入ったお店では、たまたまその場にいたネットで配信される三陸経済新聞の記者と出会いTRYの記事を書いてもらえることになった。 そのお店には入り口に高い段差があったのでスロープを付けてもらえるように交渉もした。
 そして、それぞれの場所への行き帰りの道中にコースの下見をした。
 さらに各場所を訪問する中で、掲示できる写真付きのポスターがあるとわかりやすいというアドバイスをもらったり、短時間でTRYの説明をする中で少しでもイメージを持ってもらえるように、簡単な文章と写真の入ったボードがあったほうがいいかもしれないということで、それらを空いた時間で作成した。
 最終日には、TRYに全日程参加したいけれど様々な不安から迷っているという岩手県在住の当事者がいたので、内村が直接会って話をした。
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②Oさんとの外出
 昨年の当事者派遣プロジェクトで岩手に行った時に出会ったOさんと一緒に宮古市のショッピングモールなどで買い物をした。その日は、センターの車でスタッフと共にOさん宅まで迎えに行った。
 Oさんは、車の中で最近の自分のこと、今日の外出でしたいことや買いたいものなどたくさん話をしてくれた。普段自分で買い物に出ることはあまりなく、自分で服を買いに行くのは昨年私たちと一緒に外出して以来だと話していたし、ハンバーガーは、昨年に一緒に食べて以来食べてないと言っていた。1年経ってもなかなか変わらない現状をあらためて感じた。
 今回の外出でもOさんがやりたいこと、見たいものの順番に回っていき、初めてリュックの鞄を買い、Oさん自身もすごく嬉しそうだった。一方で、見たいものはたくさんあるけれど買い物に行く機会があまりないため、3時間くらいの外出だったけれど、見たものを買うかどうか考えたりすることにすごく疲れたようで、最後の方はこちらからの問いかけにすべてうなずいたりという様子だった。
 なので、センターのスタッフにOさんの様子をみながら予定のものが全部買えていなくても休憩がてらゆっくりするか、買い物を続けるかなどの声かけをしてみてはどうかということを伝えた。
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③宮古市内の散策とセンターに訪れる人との交流
 今回は外に出ていくことが多かったが、センターにいる時にはセンターに来る地域の人と交流をしたり、宮古市内の商店街を散策して、障害者が地域にいるということをアピールした。
 センターには、近所に住んでいる高齢者や中学生、近所の作業所に通っている人たちが訪れていた。センターの活動を知ってもらったり、そこから地域とのつながりを作っていくために、訪れる人に積極的に声をかけるようにした。
 土曜日の夜、センターに泊まりにきた岩手県在住のSさんと一緒に日曜日にセンターの近所の商店街を散策した。途中に寄ったお店で、Sさんは自分が震災にあって避難所に行った時に、誰も手伝えないから障害者は自分の家へ帰れと言われた話や、そんな自分が住んでいる地域をTRYの活動を通して変えていきたいという話を店員さんにしていた。店員さんは、「障害者の人は専用の避難所があって、そこで避難生活を送れているものだと思っていたから、そんなことがあったなんて知らなかった。TRYには参加できないけど、そういう活動があるということを知れるだけでもすごく良かった。」と涙ながらに話していた。
 このように、障害者を街で見かけることのない地域では、障害者がどんな暮らしをしているか、災害などの緊急時にどんな対応をされているかなど、考えることも興味を持つこともないだろう。そのような人たちの意識を少しでも変えていくために、様々な場所で多くの人にTRYのことを知ってもらえるように伝えていくことが必要だと思った。
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まとめ
 震災から1年経った今でも、沿岸部の復興はまだまだ進んでおらず、岩手に住む障害者の現状も変わっていなかった。また津波の被害が大きかった地域では、お店など建てなおすときには1階を駐車場にして店舗は2階にしようという話もあるそうだ。店舗を2階につくる時にエレベーターをつけるということは考えられているだろうか。
 そんな現状の中でみちのくTRYの活動を通して、街に障害者がいることのアピールや、障害者が地域で当たり前に生活できてみんなが住みやすい地域になるように、という声をあげていくことは本当に重要だ。そうすることで、今まで地域で自分らしく生活するということを考えられる環境になかった当事者や、障害者が地域にいるということさえ考えたこともなかった人たちに少しでも影響を与えられるかもしれない。
 このTRYがそんなイベントになって、岩手県の現状を変えていく一歩となるように応援していきたい。
 最後に、私たちが行ってる間、ゆめ風基金の八幡さんが毎日夕食作ってくれた。
 活動から帰ってきて、手作りのご飯を食べれるのは、みんなホントに心が癒された。
 八幡さんも忙しいのに毎晩夕食を作ってくれて、本当にありがとうございました。
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ヒデの救援レポート、012年・7月9日

ヒデの救援レポート、012年・7月9日78
訃報です!1970年代から友人組織・グループゴリラ、阪神淡路大震災では被災地障害者センターこうべを中心に大活躍され、今日に至っておられた、大賀重太郎さん享年62歳が、喉に食べ物を詰まらせて、7月8日20時22分に逝去されました!
通夜、7月9日、午後6時より
告別式、7月10日、午前11時より
会場、兵庫県姫路市野里854-1・花北大和会館
TEL079-281-5969・FAX079-288-7223
喪主、大賀順子さん
hide合掌!
サンショは小粒でも、ピリリと辛いニュース!
神戸大学学生震災救援隊神戸市灘区
被災地での足湯ボランティア活動の実施と継承・普及の記録より
○当初、足湯ボランティア活動の実施は、能登半島と佐用町で予定していたが、東日本大震災発災を受けて変更。東北やその後和歌山でも行い、地元の高校生や社会福祉協議会職員などと実施することで、各々の地域に根差した新たな担い手を増やすことができた。○メッセーG・東日本大震災を契機に足湯ボランティア活動は、比較的よく知られるようになってきた。
 今後も被災地での活動も重要なのですが、一方で神戸での日常的な地に足の着いた展開も目指していきたいと考えています。
しみん基金・神戸ニュース第27号より抜粋
○連絡・特定非営利活動法人・しみん基金こうべ
○TEL078-230-9774 FAX078-230-9786
被災者が主役になるために
○しみん基金常務理事、T・Nさん
○自然災害は、被災社会に避けがたく民主化を迫るというのは、阪神淡路大震災の復興でNGO・NPOの先頭に立ち2年目に亡くなった草地賢一氏のことばです。教会の牧師でもありましたが、以前から海外の災害支援に関わっていました。
 彼は、分野別のNGO連絡会仮設支援、多文化共生などを組織し、行政とNGOの連携をスムーズに行うためにGONGO(ゴンゴ GO+NGO)という場を創りました。そこは、異文化の出会う場でもありましたが、未曽有の事態に対応していくためには充分な話し合いしかありません。熟議の民主主義が自然に生まれていました。
 その成果は12月に開催された市民とNGOの国際防災フォーラムに結集し神戸宣言が採択されました。翌年の第2回のフォーラムには、私のいた神戸復興塾もまちづくり分科会に参加しています。これらの中心を流れていたのは、被災者主体の復興はどうあるべきか、ということでした。このときの議論がその後有志で取り組んだ市民がつくる復興計画や震災後10年~市民社会をつくるの出版にもつながりました。
 今振り返ってみると、こうした市民の動きは実態の検証からスタートせざるを得ないこともあり、残念ながら現実の復興の進行にはなかなか追いつけなかったのも事実です。今回の東日本の震災は、過疎化が進行している地域に日本全体の人口減少が追い討ちをかける中での災害です。地方の暮らしそのものの存続が危機に直面していることを考えると、神戸のようにインフラの復興だけで後は自力でというわけにはいきません。
 主体となるべき市民はというと、行政は、これまでと同じように、既存の地域組織に説明を行い意見のとりまとめを要請します。高度成長期に形作られたお任せ型の地方政治の在り方、地域の在り方、特に地域運営に関するこれまでの合意形成の在り方は、今回のように10年、20年後の地域の将来像を考えるのに適しているとは言えません。
 高齢化した男性中心のリーダー達も困惑しています。もっと未来を担う若者や女性を前面に出して議論すべきではないかと思います。地域の協議の場がそのようなものにならない限り、被災者主体の復興はできません。
 一つは神戸のまちづくり協議会のような新しい協議体をつくるやり方です。もう一つは、組織の中に未来部会・若者会や女性部会を作り、そこが企画や提案のとりまとめを行い、リーダー達が最終承認を行うというやり方です。市町の行政と議会の関係に似ています。若者や女性がキャスティングボードを握る方法として、いくつかの地域でも実行されています。
 次々とやってくる大きな自然災害は、多くの命や暮らしを破壊します。しかし、その復興を新たな再生のチャンスとすることも残されたもの達の責任ではないでしょうか。復興のプロセスでなされた多くの議論が、将来の地域に大きな足跡を刻むことが出来るよう願っています。
ただいまの基金額は、288046817円・012年2月29日現在被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、5月13日までに、230876514円です。
これまでに支援した団体、個人への金額。5月2日までに、129999050円です。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感Gた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
NHK明日へ東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」
作詞・岩井俊二・作曲、編曲・菅野よう子
○定価、税込み、CD・DVD組、1500円
 パソコンオンチのhideではありますが、検索されれば、簡単に手に入れることが出来るハズです。無責任やなぁ!売り上げの一部は、被災地支援の義援金にされます。時折、テレビで流れている歌だから、耳にされた方もおられると思いますが、NHKが花は咲くプロGェクトを立ち上げて、世に送り出した歌です。
 hideは、あまりNHKが好きくありませんが、この歌は、なかなかのものだと評価しています。地震や津波、原発事故の言葉は、一切出てきませんが、自分たちは、未来の子どもたちに、何を残せたのかを問い、その可能性を、自然に咲く花に託すような曲です。
 まぁ、音楽オンチのhideの聞き方ですから、あんまりアテにはなりませんが。hideなりに、綺麗なメロディが歌詞が胸に来ました。歌っているのは、東北出身の芸能人や歌手の人たち、個人、グループ36人、組です。ただし、野村克也さんだけは、楽天球団関係で、兵庫県香住出身みたい。
○制作・著作NHK出版
○発売元・フライングドック
○まぁ、騙されたと思って、一度、お聞きくださいませねー!
6月13日に、ゆめ風基金理事会が開かれ、いつもの調子で、牧口代表の議長の下、ああでもない、こうでもないと、議論百出の中の一部をお届けします。
○被災地報告、全体としては、体制が整いつつある。岩手・みちのくトライの取り組み。宮城・石巻市拠点で、新人ふたり採用。仙台・活動報告冊子準備中。
○東京・救援本部にて、被災地センター会計監査中。近々に、ゆめ風基金から救援本部に救援金、3年分4千5百万円×3を送金の予定。
○大阪・被災地障害者救援本部大阪の共同統一街頭カンパ活動!
○毎月の第2土曜日、午後1時より5時。大阪、難波、高島屋前にて。
○7月14日○8月11日です。ご参加を!
○近畿ろうきんサポートV第1回助成1100万円
○6月20日に授与式、牧口代表が参加。
○申請中のJR西日本の助成金50万円決定!
○以前から、懸案であった、ゆめ風事務所障害者職員の雇用について、事務所も移転して、広くなったので、具体的に動き始めることになりました。現在、名前の上がっている候補者が、お二人おられます。7月初旬には、面接の運びとなります。
○ゆめのタネ融資1件
○岩手県住田町の障害者作業所支援が1件。現在、確認作業中。などなど。
大阪府吹田市のぷくぷくの会機関紙まねき猫通信119ひきめからの抜粋
○連絡・TEL06-6317-5598○FAX06-6317-0936
トリの眼・ムシの眼・ニャンコの眼
○全文ルビふりつき
○沖縄が本土復帰して40年。総理大臣当時佐藤栄作は、米軍基地を核抜き本土並みにすると公約したのに現状の有様。日米安保があるから沖縄に米軍基地が集中しているのではなく、基地を永久使用するために日米安保が存在し続けている。
○2年前、民主党政権は違憲訴訟団と障害者自立支援法廃止と新法制定するとの基本合意を交わして、和解。
厚生労働大臣当時長妻昭は障がい者の尊厳を傷つけたと謝罪したが、国会で審議中の障害者総合支援法案は合意も謝罪も無視。諸悪の根源である応益負担原則は新法でも変わらない…尊厳は傷ついたままだ。
○橋下徹は子供が笑う大阪全校庭の芝生化など、きこえの良い教育政策を公約して大阪府知事になったのに、首長が教育に政治介入できる条例や日の丸・君が代を職務命令で強制する条例を作っただけ。大阪市長になってからも、同様の繰り返しを演じている。今後は司令官は二人いらないと大阪府と市を統合して大阪都にすると言う。
○京大原子炉実験所の小出裕章さんは騙されたあなたにも責任がある・幻冬舎・と論説する。これは政治の嘘を容認し民主主義の滅亡を賛美するのは有権者という名の大衆だと読み替えるべし。パギ
(このパギさんは、ゆめ風基金の呼びかけ人のおひとりである、ひとり芝居&音楽の趙博さんのペンネームです。)
以上!

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第四組

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第四組
(6月25日~7月2日)
平田 昌之
楠 佳和
被災地障がい者センターいわて・みやこ 活動報告
 私たち二人は6月25日~7月2日までの間、被災地障がい者センターみやこに当事者派遣プロジェクトとして行きました。今回の目的は8月19日~8月31までおこなわれるみちのくTRYの参加者・ボランティアを集める事、TRYのコースを下見する事、町を歩いて障がい者の存在を知ってもらう事です。
6月25日(月)
 盛岡到着後、CILもりおかへ。
 この日は盛岡でのTRY会議は無かったので前の週から来ていたメインストリーム協会の茂上・林ペアと引継ぎの後、アポナシで支援学校等回る予定だったが、雑談の内にTRYの話となり、会議になる。TRY準備の状況、参加者・ボランティアの参加状況などの話になる。
6月26日(火)
 参加者探しに盛岡周辺の施設・支援学校を、ボランティア探しに県立大学を訪問する。
 県立大学のボランティアサークルでは、同時期に行われるイベントとみちのくTRYのコラボを要請。ボランティアを企画しているNPO法人を紹介してもらう。
 雫石にある施設では障がい当事者の方もTRYの説明を聞いてもらい、興味を持ってもらうことが出来た。施設側も協力的で参加者がいるなら職員からボランティアをなどの話があり、理解を得る事が出来た。この施設から参加する人が望めそうである。
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6月27日(水)
 宮古にて事務作業。
 参加者探しのため沿岸地域にある施設・作業所・支援学校にTRYのチラシと企画書をFAXで一斉送信し、アポイントを取る。
6月28日(木)
 大船渡市内の相談支援事業所・社会福祉協議会を訪問し、TRYの参加者募集をする。その後被災地センター大船渡の千葉さんと会い、TRYの話をする。その後、みちのくTRYで宿泊予定の福祉の里「宿泊館」を下見する。
 大船渡に行くまでのTRYで歩く予定のコースを車で下見をする。急勾配や2キロ以上のトンネルなどがあるみちのりだった。
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6月29日(金)
 釜石市内の支援学校・相談支援事業所を訪問し、TRYの参加者募集をする。
 相談支援事業所では色々と紹介してもらう。釜石・大槌の団体は相談事業所の方からもTRYの宣伝をしていただける事になった。
 その後、釜石の身体障害者福祉センターを下見。宿泊or休憩で使うことができるか。
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6月30日(土)
 滝沢村で自立生活している脳性まひの男性宅を訪問。TRYの参加をお願いする。
 この男性は1年前訪問した時に会った人で、久々に再会し色々話すことが出来た。
 この男性には岩手県に住む障がい当事者としてぜひ参加してほしいと強くお願いした。
7月1日(日)
 1日フリーの日。障がい者が地域にいるって事をアピールする為に街を歩いた。
 宮古にあるショッピングセンターに行って買い物などをした。僕みたいな重度な障がい者が買い物をしているとすごく周りからみられるが、地域にも障がい者がいることをアピールできたのでよかったと思う。
7月2日(月)
 宮古から盛岡に移動。CIL盛岡に行く。
 昼食後TRY会議。
 永六輔さんに依頼していたみちのくTRYTシャツのデザインが出来たのでその選定をしたり、TRY中に使う備品等の確認、役割の確認をする。
 県内県外の参加者・ボランティアの参加状況の確認。
まとめ
 今回2度目の被災地ということで、1年前とどう変わっているか気になる所でもありました。沿岸部の瓦礫はほとんどありませんでしたが、震災の傷跡はまだまだ色濃く残っています。
 そんな中での活動を通して思ったことは、被災地は全くといっていいほど障がい者にとっては住みやすい環境とはいえない状況にあります。店舗はまだまだ段差があって入ることができなかったり、沿岸南部に行く鉄道が震災後復旧されておらず廃止の方向であったりと、外に出たくても出られる環境であるとはとてもいえない状況にあります。そもそも障がい者が地域で生活していることを知っている人は少ないのではないでしょうか?
 今回のみちのくTRYを通して障がい者が地域にいるということを伝えるだけでなく、誰もが住みやすい社会を目指して当事者やそれに関わっている人たちが実際に声を上げていくことが大切です。待っているだけでは何も変わりません。
 みちのくTRYは岩手県の障がい者運動の第一歩になることを期待しています。人員の問題、参加者やボランティア集めの問題などまだまだ問題はありますが、沢山の当事者が参加することで大きな波を起こすようなそんなイベントになればと願っています。そしてその後、被災地センターが更に被災されている方や地域にとって重要な拠点になればと思います。
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ヒデの救援レポート、02年7月2日

ヒデの救援レポート、02年7月2日:77
社会福祉法人・ノーマライゼーション協会
○連絡TEL06-6328-2941 FAX06-6328-2961
・機関誌N協ニュースNo.127からの抜粋。
第5回いのくら福祉講座記事から
○東日本大震災・復興支援1年を振り返る・東北の出来事は大阪の出来事、関西の出来事・ゆめ風基金被災地障害者センターに連帯し学んだこと
○講師・小西寿一さん・N協地域福祉推進企画室室長
(この人は、ゆめ風基金救援ボランティアとして、宮城県仙台市、石巻市に、長期に渡って、10回以上入っています。)
巻頭記事
・はじめに、今一度、東北の出来事を振り返るとして、東日本大震災の地震・津波の被害等関するDVD他3・11東日本大震災の激震と大津波の記録等を上映。被災障害者支援ゆめ風基金、被災地障がい者センターみやぎや石巻支部に連帯して昨年4月からの1年間の支援活動を写真スライドや資料を見ながら、振り返りました。
被災地障がい者センターみやぎにおいては、
○第1期2011年3月11日~5月末頃体当たり、調査と個別支援、
○第2期011年5月末~8月末頃戦略を練る第3期への準備としての地域調査と関係づくりを通じて、避難所、仮設住宅等における被災障害者の有無や状況・課題・ニーズの把握当事者・家族面談等、個々の具体支援対応・フォローアップ必要物資搬送、介護支援、相談支援、手続き支援、関係機関との連絡・調整、コミュニティー課題支援をはじめとした必要な支援対応などが図られてきたことや、NPO法人ささえあい山元が中心となり県南支部が発足、南三陸での活動支援団体等を中心に登米市の拠点県北支部がスタートしたこと。
○第3期011年8月末頃~012年2月末頃、障がい者の主体的活動の仕掛けづくりにおいて、県外ボランティアから地域住民へのバトルタッチ、県南、県北支部での活動強化、現地雇用、検証報告書作成に向けた個人への聞き取りが進められたこと、石巻における長期ボランティアによりつながった、障害当事者が立ち上がり活動をはじめ、障害児の親や地域、関係者とのつながりができてきたこと、そして10月より被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部がスタートし、障害当事者と地域住民、支援者等の出会いや交流、つながりの場を大切にしながら進められてきたこと。
○第4期012年2月末頃~以降まちづくり災害に強い街づくり、災害時に障害者のニーズが置き去りにされない街づくりに向けて、息の長い活動を進めていくにおいて、支部・地域を拠点として継続的な取り組みが進められていることなど、現地でのエピソードを交えながら報告されました。
そして、今後の取り組みとして、
○東日本大震災復興・復活支援、ゆめ風基金、被災地障がい者センターみやぎへの息長い支援活動を通じて、災害に強い街づくり、災害時に障害者のニーズが置き去りにされない街づくりの提言・実践を進めることが重要であること、
○現地に行っていない障害当事者や地域関係者の現地視察・交流、被災地障害当事者の大阪への招聘など、つながりを継続する取り組みを進めること、
○南海地震東海、東南海地震連動含む等を現実的に想定した防災対策への反映・具体化を図ること。各施設・事業所防災マニュアル整備、計画実施を提起し、防災マニュアルと具体実践の提言が行われました。
6月11日に起きたhideの身辺の出来事!
○その1・以前にもリポートした、豊能障害者労働センターのI君のこと。
 11日の夜行バスで、3度目の被災地宮城県に向けて出発した。今回は、仙台の被災地障がい者センターを経由しないで、直接、石巻市のセンター支部拠点に行くとのこと。前回と同じく、1週間の支援活動予定。同行は、これまた前回同様に、ダウン症のぽんちゃんこと、本沢君の同行ふたり。前回の時には、ぽんちゃんの存在感で、珍しがられたが、今回は、普通の支援ボランティアとみられたいとI君。だって、同じ職場の仲間なんだからと。
 やはり、被災地に向かう前は、緊張と興奮があるのか、普段よりも多弁になっている。傑作なのは、I君の悩み事。被災地センターでは、支援ボランティアの宿泊施設を撤収しているために、拠点事務所に宿泊することになるだろうから、洗濯機とシャワーは、あるんやろか?荷物になるから、替え衣類は、ぎょうさん持って行けないし、多分、暑いやろうしなぁと。hideは、ただ、ただ、ふたりの凸凹コンビの踏ん張りを期待するばかりです。
○その2・同じ日の夕刻、大阪、吹田市のぷくぷく福祉会のUさん(このひとは、ゆめ風基金の理事)が事務所においでになった。
 用件は、吹田市の事務所の前に、捨て猫5匹があり、4匹は、なんとか知り合いにもらってもらったが、残り1匹の雄の子猫の引き取り手がない。河野さん、ぜひとももらってやってくださいとのことで、我が輩はネコである、名前はまだない君を連れて来たのだ。
 hideの脳の中では、津波に流され、命を失った多くペットたちのことがあったから、これも何かの縁と引き取ることにした。したことはしたのだけれど、連れて帰ると、先住の18年生きている老ネコのデュエルが、フーッと警戒、威嚇をするし、名前なし君は、そんなのカンケーないと、部屋中を走り回って、相当なやんちゃぶりを発揮して、ハチャメチャ。子猫用のエサは用意しなければならないし、余計なお仕事が増えただけ。なんとか、老ネコと子猫の共生を計らねばと、頭が痛い。そんな1日になってしまった。
 周りの人たちに聞くと、作業所などの前に捨て猫があるのはよくあることらしい。障害者関連施設だから、優しい人たちがなんとかしてくれるだろうとの善意だよりなのだそうな。hideたちは、優しくないよ。それは、誤解だぁ!
ただいまの基金額288046817円・012年2月29日現在被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた東日本大震災への救援金、金額は、5月13日までに、230876514円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、5月2日までに、東北関連で、129999050円になります。○台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
市民活動総合情報誌ウォロ012年6月号、バラボラ・ニュースより抜粋
問い合わせ、社会福祉法人・大阪ボランティア協会・出版部
編集委員野本和香奈さん
TEL06-6465-8395・FAX06-6465-8393
復興支援新潟で暮らす福島県の避難女性が手づくり
人生の輝き願い絆リング販売
○東日本大震災で福島県から避難した人のうち、新潟県では現在も、全都道府県で3番目に多い約7000人が避難生活を送っている。震災から1年以上が経過し、避難者は支援を受けるだけでなく、自ら主体的に活動する場面も増えてきている。
 避難者数が県内で2番目に多い柏崎市では、避難者同士がグループをつくり、お茶を飲みながらの情報交換や中越沖地震被災地域への視察、被災地域である旧川口町との交流などを行っている。
その中でも新しい動きが、避難してきた女性たちを中心に始まった手づくりアクセサリー絆リングを制作、販売する活動だ。リングは直径約4センチ。ラインストーンと呼ばれる宝石様にカットしたガラス素材がちりばめられている。
 きっかけは中越沖地震07年7月16日から4年目にあたる昨年の同日、柏崎市で開かれた復興祈念事業だった。事業の一環として、新潟市民が復興を祈念する絆リングを販売。これを手にした福島県からの避難者の一人があの地震で心がふさがっていたけれど、このリングを見てきれいと思えた。絆リングの輝きのように、これからの人生を輝かせたいという思いを抱き、制作が始まった。
 その後、この避難者が中心となり結・遊・倶楽部を結成。メンバーは、避難者や柏崎市の住民など約10名の女性で構成され、毎週1回避難者が集まる交流拠点共に育ち合い愛サロンむげんで制作し、地域の飲食店などで販売している。定価は2000円。売り上げの一部が作り手へ還元され、避難者同士の交流費用に充てられる。
以上

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第三組

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第三組
(2012年6月18日~22日)
茂上裕太郎
林 龍司
被災地障がい者みやこ活動レポート
 私達は2012年6月18日から1週間、「被災地障がい者みやこ」で活動した。ことしの8月に「みちのくTRY」があり、今回の活動は参加者集めが主だった。
 私達2人とも、昨年も岩手で活動したが、その時はヘルパー派遣・輸送・物資の配給等が活動の主な内容だったが、今回はTRYに向けての準備及び参加者集めが、私達当事者の主な活動になっており、そのことは専従ボランティアや現地スタッフにとっても主な活動となっていた。
私達の活動は以下の通りである。
18日(月)伊丹空港から花巻空港へ。CIL盛岡で鍛冶・脇ペアと引き継ぎ後TRY会議・盛岡で募金
19日(火)盛岡周辺の大学・施設・養護学校を訪問。終了後宮子へ
20日(水)宮子の看護学校・支援学校訪問
21日(木)沿岸部の施設訪問
22日(金)沿岸部の施設訪問
23日(土)事務所でボランティアの対応
24日(日)休み
22日(月)盛岡で平田・楠ペアと引き継ぎ後花巻空港から伊丹空港へ
 岩手初日の月曜はCIL盛岡でTRY会議があった。会議では、大学や施設へのアポ取りの確認や、TRY本番のコースの確認等が中心だった。TRY経験者からすると、心配し過ぎに思ったが、施設から参加する人もいるということとコースの問題もトンネルや歩道がない場所も多いということだった。また、クマの問題や、津波が起った場合の避難方法の確保など地域独特な基準もあった。
 会議のあと盛岡市内で募金を行った。内陸ではあるが、同じ被災地なのにお金を入れると同時に「頑張ってくださいね」と言ってくれる人が多くて印象に残った。
 火曜日以降は、施設・大学・支援学校に行きTRYの趣旨説明と参加者募集を行った。
 火曜日は盛岡周辺、水曜日以降は宮子周辺の施設や学校を回った。
 中でも宮子の専門学校に行った時のことは印象に残った。昼休憩の時に、体育館で100人弱の生徒を前にTRYの説明や自立生活のことを話すことができた。体育館での話が終わってからも、20人くらいの生徒が控え室に来てくれて、話をすることができた。一人暮らしのことを話すと驚いて、積極的に質問もでてきた。以前宮子に来た時も感じたが、障害者が街に出られない状況があり、見たこともない人が多く、そのような人に会うことも当事者派遣プロジェクトの意義だと感じた。
 他の学校や施設でも、障害当事者に会うことはできなかったが、生徒・利用者・職員・親などに広く呼びかけをしてくれるとのことだった。
 今回岩手に行って、町の様子は以前来たときと変わってないと感じた。流されたがれきはまとめられていたが、家の土台はそのままで酷い場合は建物の骨組みがそのまま残っていた。1年と聞くとある程度復興は進んでいるイメージだったが、現実は違うことを知り心が締め付けられた。
 そんな状態でも、地元の人はエネルギッシュだった。宮子の事務所には近所の人がよく遊びにきていた。私達が「関西から来ました」と言うと、津波の話だけではなく、楽しかったことや普段の生活の話もしてくれた。
 今回のTRYでより多くの人に、障害者の姿を見て欲しいと思った。復興計画の中にどこまで障害者のことが考えられているのか分からない。そんな時にTRY をやって、障害者の存在をアピールするのは意義のあることだと思う。そしてそれは、復興が始まりつつある今だからこそできると感じた。だからこそ、多くの人に関わって欲しいと思った。そのことは、私達県外のボランティアではなく、県内の人が中心になり進めて欲しいと感じた。TRYの参加者も現段階では県外の人が多いのが現状である。今後の当事者派遣プロジェクトで、多くの県内の人を集めて欲しいと感じた。
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