本日、10月22日午後1時より、大阪なんば高島屋前で街頭募金を行います。
みなさんのご参加をよしくお願いします。
みやぎ登米支部・活動日誌 NO.43
みやぎ登米支部・活動日誌 NO.43
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.43
日時:2011年10月20日(木) 天気:晴れ
報告者: I(育成会)
9:00~12:00 ルート引継ぎ
12:00~17:00 備品購入・備品設置、事務処理
活動した上で感じたこと
<ルートの引継ぎ>
Sさんの送迎予定であったが、作業所のバス旅行があったため、送迎不要との事になる。予定変更のため、小野寺さんよりルートの引継ぎをしていただく。
ルート・・・事務所→Sさん宅及びのぞみ作業所→Wさん宅及びみのりの園→HUGハウス→事務所。
初日であったため、ルートの確認をしつつ被害の状況などを見聞きする。まだまだ復興への道は遠い状況を目の当りにし、この地域でおこった事に言葉を失うばかりであった。
仮設住宅の状況など外部から見ることしか今日は出来ていないが、話を聞く中では、十分な生活が出来る広さも無いような現状との事で、不便な環境での生活をされていることを痛感した。
しばらく訪問できていなかったとの事で現状を見にHUGハウスへの訪問をする。今後冬に向けてとの事で、カフェの周りに風除けを付けようとガラスのドアをもらってきて付けようとされていた。今日は環境整備との事でカフェ自体は営業していなかった。
<備品購入・設置>
昼からは、事務所に必要になっているものなどの購入及び設置等を行う。
<事務処理>
事務処理の際に、スタッフ間にてケースの確認を行ったところ、Sさんのケースで物を壊すために母が弁償ばかりしていて、お金が持たないとの事でどこにも通うことが出来ていないとの話を聞く。そのため、JIC賠償責任保険についての情報を伝えている。
みやぎ登米支部・活動日誌 NO.42
みやぎ登米支部・活動日誌 NO.42
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.42
日時:2011年10月19日(水) 天気:晴れ
報告者: O(育成会)
9:00~12:00 Yさん、Sさん所在確認、事務処理
12:00~17:00 Sさん訪問面談、事務処理
活動した上で感じたこと
Sさん訪問、面談
21歳女性、自閉的傾向、てんかん、精神的不安定がみられる。以前は夢の森という作業所に母が送っていたが作業所で他者の携帯を壊したり、窓を割ったりする行動みられ、作業所にはいけなくなったとの事。訪問時はえんどう豆の豆を取り除いたり、お菓子を食べながら落ち着いておられるように感じる。職員証をみて名前を呼ばれて笑顔見られる。
家庭では目をはなすと蛍光灯を割ったり、一人で外出したり窓を割ったりととにかく目がはなせないとのこと。母は作業所に行って欲しいと思っている様子であったが今の状況では難しいと感じておられる様子。
外出は好きであり、車の中では落ち着いて過ごされているとのこと。アニメ、漫画が好きであるが本は読んだ後にすべて破ってしまう。家族は目をはなせないことから用事が出来ない、休息できないことから本人、家族共にレスパイトが求められるが今後要検討していくことが必要であると感じた。
必要なサービス、社会資源は限られており、過去の破損行為からも難しいとのこと。当面の解決策としてドライブや訪問などが最適かと思われるが人員確保などの問題があげられる。
みやぎ登米支部・活動日誌 NO.41
みやぎ登米支部・活動日誌 NO.41
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.41
日時:2011年10月18日(火) 天気:晴れ
報告者: S(育成会)
9:00~12:00 Sさん送迎・ルート引継ぎ、迫支援学校情報収集
12:00~17:00 ポスティング、事務処理
活動した上で感じたこと
Sさん送迎
8:30自宅着。終始車外を見て過ごす。運転者が曲がるところで通り過ぎそうになった時に身を乗り出して教える。「ありがとう。すごいね。」と褒めると嬉しそうにその後道案内をする。
捻挫後ということで心配していたが、シップは貼っているものの普通に歩行する。
8:50送迎完了。
帰りの送迎は家族が病院に連れて行くためにキャンセル。
Oさん
ポスティングの途中本人の連絡先を聞くために訪問。「障がい者なんていません」と拒否される。目の焦点が定まらず、うつ状態だった模様。日を改めて訪問する予定。
ポスティング
入谷地区全域及び小森地区。小森地区の仮設に引きこもっているTさんという女性が居るとの情報を得る。後日家族が居るタイミングで訪問する予定。
みやぎ登米支部・活動日誌 NO.40
みやぎ登米支部・活動日誌 NO.40
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.40
日時:2011年10月17日(月) 天気:雨のち晴れ
報告者:
9:00~12:00 Wさん送迎、南三陸町役場情報収集
12:00~17:00 Wさん送迎、事務処理
活動した上で感じたこと
Sさん帰阪
Wさん
8時半、自宅にお迎えに伺う。前回はお休みだったため、テンションが高い様子。やっている作業についてデニムの糸切など説明してもらう。9時みのりの園到着。
14時半みのりの園到着。施設長と今後の本人の送迎について話し合う。11月末でJDLが撤退するため送迎の回数を相談される。15:30みのりの園発。16時仮設着
南三陸町役場
保健福祉課の保健師に現在南三陸町で社会資源について聞き取りをする。
現状ではのぞみ作業所と高齢者向けの訪問介護しかない模様。
活動の中であがってきたニーズを上げることで、新たなサービスは開拓可能な模様。
尚、登米市内の仮設に住む被災者は南三陸町に住民票があっても登米市のサービスが使えるとの事だった。
東北関東大震災障害者派遣プロジェクト11
東北関東大震災障害者派遣プロジェクト11
被災地当事者派遣 報告書
夢宙センター 馬渡健二 菊池仁 椛田健吾
【スケジュール】
10月11日(火)
13時30分 花巻空港到着。
リフトタクシーで、15時ごろ被災地センター到着。
19時に支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月12日(水)
9時に被災地センターに到着し、午前中は被災地センターの事務を行いました。
13時にCILもりおか代表の川畑さんと合流し、16日に行うILPの打ち合わせと
支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月13日(木)
8時に被災地センターを出発し、陸前高田の被災地見学
13時からバリアフリー仮設に、入居となった入居者と県庁との、話し合いに同席 19時被災地センター到着 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月14日(金)
7時30分、被災地センター出発 大船渡にある施設に訪問し、震災時の状況を職員と入所者に聞く 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月15日(土)
7時被災地センターを出発し、10時宮古のAさんの家に到着して、宮古駅の方へ外出支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流
10月16日(日)
13時30分CILもりおか長期ILP講座(自立生活運動と歴史)リーダーとして参加
10月17日(月)
10時から県の障害福祉課とのバリアフリー仮設についての話し合いに同席
(活動報告)
今回、岩手県の被災地障害者派遣プロジェクトで被災地に行かしてもらい、実際に被災現場に行き実際に現場を見ると、自然の強さと人間の弱さを見せつけられ、改めて自然の驚異を思い知らされました。人間が何十年かかって作り上げてきたものを、一瞬にして地震と津波によって、建物や家族や夢や希望までも奪われてしまった人達の気持ちは、一言では言い表せない程の失意感だったと思うし、被災者ではない僕達が何が、できるのかまた、何をしたらいいのかを、もう一度個々に考えていかないといけないと、思いました。また、被災された障害当事者に、会って感じたことは、もともと、岩手県は福祉が大阪より、まだまだ進んでない上に、今回の震災に遭い社会資源もさらになくなり、バリアフリー仮設に入居となったが、バリアフリーとは名ばかりで、障害者のことを何も考えていない住宅になってしまっていた。住宅の入り口は手動車椅子で、ギリギリ入れるか、入れないか分からないぐらいの、幅しかないし、住宅の中の浴室の段差が30㎝あり、とても車椅子の使用者の事を考えて作られた物ではなく、しかも、岩手県の障害福祉課に尋ねると、岩手県としては、バリアフリー仮設住宅の建築基準は、まだ作られていないとゆう。建築基準がないとゆうことは、あまりにも対応が遅いし建築基準を作る時には、障害者のことは障害者にしか、分からないので是非、基準を作る会議に、障害者も参加する方向で考えて欲しい。
(感想)
最後に、今回の被災地派遣プロジェクトに参加して思うことは、被災された健常者も障害者も、心に受けた傷は消えないかもしれない。だけど、その心の傷を強さに変えて、街の復興も心の復興もゆっくりと、していってほしい。
また、こうゆう派遣プロジェクトがあったら、何ができるのか分からないけど、僕が行くことで一人でも、元気になってもらえる人が居るのなら、是非、参加したい。
ポジティブ生活文化交流祭<炊き出しなう&当日運営 ボランティア募集>
ずっ~と続けてく被災障害者支援
東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭 in扇町公園
<炊き出しなう&当日運営 ボランティア募集>
私たち大阪の障害者ネットワークは、阪神淡路大震災の経験をもとに、3.11以降、東北被災地3県に救援本部を立ち上げ、お金と物と人を被災地に届けてきました。
被災地では、仮設住宅も建ち、新たな段階に入りましたが、ことに被災障害者にとっては、まだまだ厳しい状況が続いています。
私たちは長期にわたる支援が必要と考えており、このたび別紙のような催しを開催することになりました。
東北と関西との文化交流をはかり、被災地で起きていることをお伝えし、関西からの支援のあり方を共に考えることを目的にしています。
今回のおまつりでは、福祉系男子たちが東北から大阪へ移住した方の協力の下、炊き出しでいも煮をつくります。この炊き出しを一緒に手伝ってくれるボランティアさんを募集しております。
その他にも、会場の設営や当日のおまつり運営、来場者の誘導などをお手伝いいただけるボランティアさんも併せて、募集しております。
<日時>2011.11.23(水祝)9:00~18:00 の間で2時間以上お手伝いいただける方
<会場>扇町公園(地下鉄扇町駅・JR天満駅下車)
<内容>炊き出しなう:調理のお手伝い、来場者への配膳、後かたづけ
当日運営:会場設営、来場者の誘導、当日プログラムの運営アシスタント
<定員>30名 ※当日おまつり食券(500円相当)支給
特定非営利活動法人 日常生活支援ネットワーク
TEL・FAX:06-4396-9189
メール:po-net@e-sora.net HP:http://tohoku-kansai.seesaa.net/
ポジティブ生活文化交流祭 <記憶と記録 ボランティア募集>
ずっ~と続けてく被災障害者支援
東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭 in扇町公園
<記憶と記録 ボランティア募集>
めっきり冷え込み、秋らしい日和となりましたが、みなさま益々ご活躍のことと存じます。私たち大阪の障害者ネットワークは、阪神淡路大震災の経験をもとに、東北被災3県に救援本部を立ち上げ、お金と物と人を被災地に届けてきました。
被災地では、仮設住宅も建ち、新たな段階に入りましたが、ことに被災障害者にとっては、まだまだ厳しい状況が続いています。
私たちは長期にわたる支援が必要と考えており、このたび別紙のような催しを開催することになりました。
東北と関西との文化交流をはかり、被災地で起きていることをお伝えし、関西からの支援のあり方を共に考えることを目的にしています。
今回のおまつりのメインテーマは「対話」です。
当日来場されたお客様、出展者、出演者のみなさまの声や東北への思い、それぞれの3.11の記憶をインタビュー&アンケートして、記録に残していくことができればと考えております。
この記憶の記録を手伝っていただけるボランティアさんを募集しております。
<日時>2011.11.23(水祝)11:00~17:00 の間で2時間以上お手伝いいただける方
<会場>扇町公園(地下鉄扇町駅・JR天満駅下車)
<内容>
こちらで用意しましたフォーマットに沿ってのアンケート。
来場者や出展者に話しかけ、アンケート内容に沿って、聞き取りとその記録をお願いします。
<条件>おまつり当日、11:00~17:00 の間で2時間以上お手伝いいただける方
<食費>当日おまつり食券(500円相当)支給
特定非営利活動法人 日常生活支援ネットワーク
「パーティ・パーティ」 担当:椎名保友
TEL・FAX:06-4396-9189
メール:po-net@e-sora.net HP:http://tohoku-kansai.seesaa.net/
東北の冒険、わたしたちの冒険 救援本部大阪会議の報告
遅くなりましたが、10月7日の救援本部大阪会議の報告です。
震災から7ケ月がすぎ、仮設住宅への入居がほぼ完了し。それぞれの生活の再建が取り組まれています。この間、救援本部では、沿岸部支援のための拠点建設、整備が進められています。仮設住宅などの訪問調査活動やニーズの高い「移送サービス」の提供、行政制度の活用の支援や現地の福祉サービスの再建、拡充のための支援などに取り組んでいます。
岩手では被災地障がい者センターいわての盛岡本部の他、新しい拠点として宮古支部を建設中のほか、現地の団体のハックの家、AJU自立の家という連携拠点があります。
宮城の被災地障がい者センターみやぎでは仙台の本部の他、亘理支部が現地の団体の「ささえ愛山元」の協力で早くから活動していましたし、登米支部も大阪の「そうそうの杜」、「大阪市知的障害者育成会」、「加島友愛会」の支援のもとで活動していましたが、このたび現地採用で人員を3人体制にして、より支援活動を強めようとしています。
さらに、大船渡、石巻にあらたに障がい者センターをつくり、試演活動の拠点とする他、緊急時の駆け込み寺やカフェサロンとしても機能させようとしています。
原発事故による放射能汚染という、もっとも困難な状況にある福島では、長期的に避難することを希望する障害者が増えています。
現在10人ほどの方が移住を希望されていて、具体的に何人かの人が移住しつつあります。そこで、移住のための県外拠点作りが計画されています。
被災地はすでに寒く、これからは冬対策が本格化します。迫り来る冬に追いかけられるように被災地の支援活動は拠点を沿岸部にもつくってきました。
仮設住宅での寒さ対策に加えて、移送サービス、移送支援のニーズが高まっている中、凍結地での車の運転に慣れていない関西や東京からのボランティアによる支援は難しいのが現実です。そして、中長期的にも現地雇用による継続的な支援が望ましく、介護サービスの充実など、支援からサービスの事業化を進めていくためにも地域での雇用や、地域の団体との連携を進めていこうとしています。
各方面から注目されている障害当事者派遣プロジェクトは、救援活動で出会った被災地の障害者の自立支援に定め、9月12日から10月17日までは大阪の夢宙センターから派遣し、それ以後はJILの加盟団体に呼びかけ、すでに数人の方が申し込みされています。自立支援を目標にしている関係で、当事者派遣プロジェクトはILセンターで自立支援をしている人を対象とさせていただきます。
そして、震災発生時から障害者救援本部大阪と障害者救援本部東京が連携しながら支援活動をしていましたが、より緊密に連携していく体制をつくりました。
会議の最後にゆめ風基金代表理事の牧口さんが、副代表の河野さんと障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」の取材で仙台に行った時の話をされました。
その中でとても印象的だったのは、ひとりの障害者のお父さんが「生まれてからずっと、親子が離れたことは一度もありませんでした。今度の津浪で一時離れ離れになり、とても心配していたのですが、見ず知らずのひとがついていてくれて、助かっていた。ほんとうにうれしかったけれど、なぜかこどもが大人になっていてびっくりしました。一週間もたっていないのに、自分でいろいろするようになっていた。」と話されたそうです。
こどもが自立していくために、とくに障害をもつ子どもが自立していくためには、親離れ、子離れがもっとも必要だといわれますが、この震災の混乱の中で親子が離れ離れになったことで、いのちのリスクをこえて自立への小さな一歩を垣間見たという、とてもうれしい話ではあります。
しかしながらその一方で、家をうばい、家族をうばい、友をうばい、そして無数のいのちをうばった理不尽な震災がなければ、こんなかすかな一歩さえも踏み出せなかったのだというとてもかなしい現実に、そのお父さんに対してではなくこの国や社会に怒りをおぼえずにはいられません。
別の人が言われたそうですが、「なにもかも根こそぎやられたのだから、今度こそ障害を持つひともそうでないひとも、ともに生きる町をつくりたい」。
そうでなくては、いのちを絶たれた多くの人に申しわけが立たないのです。
次回の救援本部大阪の会議は11月11日(金)、パーティパーティで行います。
小室等さん、『ゆめの風』をありがとう ルピナス会
9月19日、小室等さんが出演されたルピナス会主催チャリティコンサートは大盛況でしたが、このたび、「ネット鹿児島」でもあるルピナス会の小蓬原千津留さんからうれしい手紙をいただきました。
「小室等さん『ゆめの風』をありがとう」
~ルピナス会チャリティコンサート
東日本大震災に心を寄せて~
実行委員長 小蓬原千津留
小室等さん、小室ゆいさん、そしてゆめ風事務局長橘高千秋さん、鹿児島でのチャリティコンサートを成功させていただきありがとうございました。八百席の会場は満席の大盛況でした。エアコンの不調で蒸し暑い中、小室等さんの思いやり深い茶目っ気たっぷりのトークで、私たちは暑さではなく、温かさを心に抱くことができました。 「ゆめ風」の活動紹介は、障害のある仲間たちを支援するコンサートにふさわしく、ルピナス会の株も上がりました。
ルピナス会は、2000年に発足した精神障害者家族会で、現在は、社会福祉法人を設立し、作業所とグループホームを運営しています。毎年チャリティコンサートを開き、地域への広がりを施設の改善に役立てています。12回目となる今回は、東日本に想いを馳せようと、「ゆめ風」を通して、小室等さんに遠路はるばるおいで願ったところです。
約20名の実行委員は、会場を満席にするべくチケットを山ほど売り、また収益を上げるべく、協賛広告を八十件ももらいました。狭い地域ですが、新たにルピナス会を知って下さる方も多く、充実した活動でした。
地元鹿児島大学からハーモニカバンドの皆さんも出演して下さり、小室等さんの最後のアンコールで、舞台をいっぱいにして「出発の歌」を共演して下さったことに、お客さんは大満足でした。
「感動しました。小室さんのゆめ風基金の活動心から敬意を表します。心に響く歌声、小室さんの人柄があたたかく風に吹かれてやさしい気持になったひとときでした。毎年コンサート楽しみにしています。実行委員の皆様、ご苦労様でした。」
アンケート用紙に記されたお客様の声に耳をすませながら、来年はどのようなコンサートが待っているのかしらと、密かに胸躍らせています。