医療機器の電源確保について バクバクの会より

バクバクの会より
こんにちは。バクバクのおんどです。
医療機器の電源確保についていくらか照会があったので、ホームページに資料を
追加しました。
◆トップページ
http://www.bakubaku.org/
【追加したファイル】「バクバクっ子のお出かけ用装備の例」
http://www.bakubaku.org/[zukai]denkikairo-bakubaku.pdf
【説明】 外出や通学に備え、普段からストレッチャー(リクライニング式車い
す)に、下のような準備をしています。もちろん停電時や避難するときにも役立
ちます。

福島県郡山市「あいえるの会」より

2011年3月11日に起きた未曾有の東北関東大震災で被災された福島県の障がいを持つ県民を支援するセンターを立ち上げました。
福島県郡山市にある障がい者の生活を支援する「あいえるの会」に事務所を開設しました。
福島県は、地震と、それに引き起こされた津波、原発の事故と、三重に災難を被りました。
被災地障がい者支援センターふくしまでは、福島県内に住む障がいを持つ県民に対してできる限りの支援をしていきたいと考えています。
このコミュニティを見た皆さんに何点かのお願いがあります。
①福島県内で災害のために困っている障がい者がいればお知らせください。
②提供できる支援物資があればお知らせください。
③銀行口座を開設しています。義援金をよろしくお願いいたします。
 口座番号 東邦銀行郡山支店 普通預金 2281907
            被災地障がい者支援センター福島 代表 白石清春
原発から出る放射線量が気になりますが、福島県の復興のために、全身全霊をかけて取り組んでいきますので、皆様方のご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。
被災地障がい者支援センターふくしま連絡先
 〒963-8013 郡山市神明町9-1
E-メール officeil@cronos.ocn.ne.jp
fax 024-925-4558
mixiにコミュニティも立ちあげられ、連日の精力的な活動が報告されています。
mixi会員の方はこちもぜひご覧下さい。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5540756

昨日、理事の八幡さんが現地に

 報告が遅れてしまいました。
 昨日朝早く、理事の八幡さんが宮城県仙台に向かいました。当面一ヶ月ということになっていますが、少なくとも2、3か月、おそらくそれ以上、仙台の救援活動の拠点で奮闘することになります。
 八幡さん、体に気をつけてください。
 今夜、障害者救援本部の会議があります。くわしくは、トピックスをごらんください。
 よろしくお願いします。

3月26日街頭募金の報告

 3月26日、大阪難波ビックカメラ前での街頭募金行動は20団体、90人が参加し、32万5291円でした。募金していただいたみなさん、ありがとうございました。参加されたみなさん、ご苦労様でした。

永六輔さんのラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」

 「ラジオで永六輔さんの放送を聞いたんですけど」と、ひっきりなしに電話がかかってきます。
 28日から30までの3日間、「永六輔の誰かとどこかで」で、永六輔さんがゆめ風基金のことを紹介してくださっているからです。この番組は午前11時35分から12時までなんですが、昨日も今日も放送が終わったとたん、事務所の電話が一斉に鳴り始めるでした。
 たしかにツイッターなどの新しいメディアのちからにはめざましいものがありますが、ラジオもまた、古くて新しいネットワークメディアであることを実感します。永さんのこの番組は1967年に「どこか遠くへ」という番組名で始まり、2年後に今の題名になって現在まで続く長寿番組で、昔からのリスナーも最近のリスナーもこの番組を通じてとても深くつながっているのだと思います。
 そういえば、ゆめ風基金のイベントに道上洋三さんが出演された時、阪神淡路大震災のお話をされていました。 淡路島で救助隊が全壊した家の前を通るとラジオの音が聞えてくるので瓦礫をのけると、おばあちゃんが見つかり、救助されたそうです。そのおばあちゃんが「私の命の恩人は道上さんや」と言ったそうです。「ラジオがなかったら自分は助からなかった。ラジオの音がしてたから自分は助かったんや」と。「子供は名古屋と東京に一人ずつおるけど、全然電話もつながらないし、どうにもならんかった。ラジオが私を助けてくれたんや」と。そして最後にひと言、「こういうときはあれやね、遠くの親戚より近くのラジオやねぇ!」って言ってくれたそうです。
 たしかにテレビが登場して以来、ラジオの役割はパブリックなものからパーソナルなものにかわり、切実な肉声を伝えるメディアなのだと思います。そう考えると、ツイッターやフェイスブックなどのコミュニケーションツールは、どこかラジオと似たところがあるのかも知れません。
 いま、被災地でラジオが大切なものであることはまちがいないと思います。そして、ラジオから聞こえてくる歌が少しは被災地の人びとをなぐさめ、永さんの語りがひとびとを勇気づけていることが、電話が鳴り響く事務所に伝わってきます。永さんの作詞による「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」が被災地のラジオから聞こえてくるようです。

すべてのひとの共に生きる希望をたがやすために

売上金全額をゆめ風基金とする被災障害者救援バザーを開く豊能障害者労働センターが、機関紙読者に向けて呼びかけた手紙を転載します。
すべての人の希望をともに耕すために
 東北・関東大震災で被災された、すべての市民の皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
 私たちは、テレビから映し出されるすさまじい現地の状況の前に、ただぼうぜんと画面を見つめ続けるだけでした。この「積木」は、今まさに被害を受けて困難な状況に追い込まれている地域に宛てて、届けられていました。そこに暮らす方々が、Tシャツをトレーナーをカレンダーを、注文してくださっていました。バザーの品物を、箱いっぱいにつめて送ってくださっていました。
 プラスWe会員(豊能障害者労働センター後援会員)の方の住所が、被災された土地にあることを知り、心がしんと止まります。
 想像さえ届かない状況の中で、そこに暮らし、私たちに声を届けてくださっていた方々は、今、どうされているのか。今、どこにいらっしゃるのか。
 十六年前の阪神・淡路大震災を思います。その時は箕面も被害があり、被災した土地が、隣の街そして隣の街と、震源地に向けてより大きく、より深く、傷跡を残していました。被害にあった街の中には、「生きています」「連絡をください」のはり紙が、風に揺れていました。私たちのところにも、被災地に暮らし働いていた障害をもつ仲間の、今、を伝えるFAXが、転送から転送を繰り返して、とぎれとぎれの文字を伝えていました。
 ここにいる。この文字を見たら連絡をください。文字と、届いてくれという振り絞る思いが、被災した街を包み支えていました。
 今回の地震で、避難されているいろんな障害をもった人々は、どう命をつないでいるのか。息をのむような現状の中で、もう一度、自分たちの暮らしを取り戻すことができるのか。生き続けることができるのか。たくさんのことをなくしてしまった今、今に続くあしたを思うのは、どれだけの力がいるのだろう。
 けれど、もう一度。
 もう一度、ともに生きることを。再びと願う土地で、生きる希望を持ち続けることは本当に大変なことだと思います。被災地から遠い私たちが、希望という言葉を語ることをどうかお許しください。
 けれど、そこに暮らしていたにんげんの確かな営みが途切れてはいけない。一人一人の足跡が、その土地のかけがえのない歴史を物語り、愛おしい日常を育んできた。長く長く続く困難の中にも、ともに生きる勇気が、もう一度そこに暮らす人々の足跡となり、希望につながると信じたい。そしてその希望をみんなで耕すことで、にんげんがにんげんとして生きていく土台が、しっかりと根付いていくのだと思う。
 大地に鍬を振り、空気をすき込む。ほぐされた土の中で、微生物が循環し、いろんな生き物が、ゆっくりと息を吸い、息を吐いていくように。
 大地があって、空があって、街が息づき、人間が生きる。
 ともに生きる土台が、再生されることを、続いていくことを、心から願います。
 大阪にいる私たちの仲間が、行動を始めています。東京と大阪が連絡して救援本部を置き、被災地にいる障害をもつ仲間に、支援を届けるべく現地に入り、支援の拠点を立ち上げ情報を集めようとしています。大至急、そして継続的な支援が必要です。
 私たちは、その動きにたえず反応をしながら、被災した障害者の暮らしをしっかりと支える生きたお金をつくり出したいと考えます。
 五月のいつもの私たちのバザー「みんなでつくる春のバザー」を、「被災障害者救援バザー」にすることを、みんなで決めました。バザーの売上はすべて、「被災障害者支援NPO法人ゆめ風基金」に届けます。
 命を救い、あしたを支えるお金を、私たちはつくりたい。これは、被災地にいる障害をもつ仲間だけではない、私たちのこれからでもあるのだと、思います。
 すべての人の希望をともに耕すために。
 どうか、私たちの行動を、応援していただけないでしょうか。

仙台の報告 

わらじの会からの被災地情報です。
草加のめだかの会(わらじとも長いおつきあい)の西陰さんから
仙台の報告が入ったので、転送します。
西陰です。
<仙台訪問について>
3月25日(金)朝、ガソリンの携行缶を持って仙台に向けて出発し、昨夜(土曜日)
遅く帰ってまいりました。
今回の訪問は身内の問題もありましたが、救援物資を避難所に行けない人たちに届け
ることでした。調べると仙台にある「CILたすけっと」がそれを行なっていました。
この団体は宮城県のゆめ風ネットを担当している団体でもあり、わらじの今井さん
からも訪問を勧められました。
○金曜日=「CILたすけっと」を訪ねると、一番ほしいのは大人用、子供用オムツ
であると知らされました。積んでいった毛布や防寒着はこれから行く石巻でほしい人
がいるかもしれないので、同乗していってはどうかといわれ、軽ワゴン車に荷物を積
み替えて乗り込みました。「CILたすけっと」では被災者個人からの要望に応じて物
品を配達しており、今回は七ヶ浜町で1件、石巻で2件いずれも大人用オムツを配達す
る予定でした。
仙台から石巻までは写真のように道路以外はがれきの山で、松島の太い松も道路
際に転がっていました。港も工場も無残な姿で、無数の車やトラックが道路わきに寄
せられていました。列車も横転していました。ナビゲーターを駆使して走るが、通行
止めだったり、道路が変わっていたり、土地勘のない人には被災地を走るのは無理と
思いました。また、住所地の建物が危なくなり急遽避難所に入ったというケースもあ
り、発注した本人に会うのに大変な時間がかかりました。ようやく会ってダンボール
に入った品物をを渡すと何度もお辞儀をされました。津波が押し寄せた後には、地
盤が陥没したところに湖のようなところができており、地震と津波のすさまじさを感
じさせました。
運転していた菊池さんはガソリン切れの赤ランプが着くと、携行缶からガソリン
を補給。橋のたもとでは段差が生じており、信号も消えた中で四苦八苦の運転でし
た。
午後2時ころ出発し、帰ったのは9時近くでした。
結局、積んでいった毛布と防寒着はそのまま持ち帰りとなりました。これらはもっ
と孤立した場所で必要かもしれないということで、「CILたすけっと」で引き取って
もらうことにしました。
○土曜日=この日は娘の単身赴任している夫の引越しの手伝いに半日を費やしまし
た。借りていたマンションの壁が地震でひび割れが生じ、玄関ドア(あとでバール
でこじ開けた)やベランダに出るガラス戸も、ゆがんで開かなくなったためで、部屋
も床の部分が曲がり、変形していました。
それが終了した後、「CILたすけっと」の豊川さんに電話を入れ、昨日空にした
ガソリン携行缶へのガソリンの買い入れ支援を申し出ましたが、現在は、全国各地か
らの支援で携行缶で現在100リットルの蓄えがあり、また、市内の給油所で確保でき
るルートも持っているとのことでした。日ごろからの活動の積み重ねがこうした支援
を可能にしているのだと強く感じました。
また、ゆめ風基金の八幡隆司さんほかのメンバーが3月30日から常駐して支援に当たる
ことになったと聞きました。被災地では米は足りているようだとの話を聞き、
持参したお米25kgをゆめ風基金や他県からの支援者の滞在時の食料にということで渡
しました。
このように大した支援にならない訪問でしたが、及川代表、井上副代表など
「CILたすけっと」の人たちからは大いに歓迎されました。豊川さんから以下を頼まれま
した。それはオムツなど必要な物資の種類は全国自立生活センター協議会(JIL)を通
して配送されてくるので、この団体のホームページに注目してほしいこと、石巻で見
たことや配達を通して感じたことを皆さんに伝えてほしいこと、でした。
撮ってきた写真は、誰もがくらしやすいまちづくり実行委員会のホームページに
近く掲載予定です。URL(アドレス)は下記を参照ください。
くすのき荘、ゆりのき荘への救援物資について>
ほかに移動される方もいらっしゃるようですが、3月26日現在、くすのき荘に30人、
ゆりのき荘に4人避難しています。会食会のほかに市民の皆さんからの支援物資も届け
られているようです。私が知っている範囲では、お米、のり、缶詰、みそ、クッキーどが届けられています。明日は、お米、にんじん、玉ねぎ、洗剤、魚の缶詰、トマト缶ジュース、歯ブラシ、
カイロなどが届けられようとしています。
皆さんの支援の輪が広がっています。
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  防災避難体験・越谷連絡会議
   FAX:048-989-1564
  mail:rv32fh5@spice.ocn.ne.jp
Homepage:
http://www.geocities.jp/hipc55/
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3/31大阪救援本部会議のお知らせ

震災から2週間たちましたが、まだまだ被害の全貌は把握できていない状況です。
被災地では、仙台(CILたすけっと)、郡山(あいえる)に現地拠点を立ち上げ、被災障害者救援活動が行われています。
救援物資も、JILおよびぽてとファームから懸命に被災地に届けられています。
大阪救援本部の街頭カンパ活動は、19日、26日と既に2回実施され、それぞれ約80人が参加し精力的に展開されました。
30日朝に、八幡さんが、パーティパーティスタッフとともに仙台に向います。
この間の動き(救援活動、東京救援本部会議、被災地)の報告と、これからの活動などについて話し合いたいと思います。
どうぞご参加ください。
とき 3月31日(木)午後6時半から
ところ 大国町 パーティパーティ
大阪市浪速区敷津東3-6-10
TEL・FAX  06-6649-0455
*名古屋のAJU自立の家も早い段階から救援活動が行われ、詳しい報告がまとめられています。
(詳細はhttp://wadachi.ecom-plat.jp/group.php?gid=10340)。

若い人の底力 ボランティアのみなさん

 新聞報道や、永六輔さんがラジオ放送で紹介してくださったこともあり、ゆめ風基金の事務所の電話は鳴りっぱなしになっています。また救援活動が具体的になるにつれて会員さんからの送金が増える一方、新しく基金を送金していただく方々も多数あり、その事務処理で追われる毎日です。
 そこで、ゆめ風基金の理事の方の娘さんにSOSを出すと、そのあくる日から数人の若い人たちがボランティアに来ていただいています。話を聞いてみると、ミクシーで「助けて」と呼びかけてそれにこたえてくれたとのことでした。電話の応対や郵便物の発送から、手狭になった事務所をかたづけてくれたり、ボランティアのスケジュールも自分たちで決めて張り出してくれたりと、ほんとうに助かっています。
 今回、ツイッターやミクシー、フェイスブックなどによる被災地や救援活動の情報伝達が力を発揮していますが、こんな身近なところでもその情報伝達の速さと有効性を実感しました。もっとも、その力は日ごろから丁寧なコミュニケーションを積み重ねているからこそで、肉声であっても最新のメディアであっても、結局は切実に伝えたいと思う心があれば、それにこたえる人がいるということなのだと思います。
 そして、切実に伝えたいと思う心が若い人たちの間で大切に育てられていることがとてもうれしく、たのもしく思っています。
 被災地はもとより、世界のいたる所で見えない心が果てから果てまで届けられていることを想像すると、わたしたちはきっと「希望」に近づくことができるのだと思います。