ゆめ風基金が支援させて頂いたところから、嬉しいお便りを頂戴しました!
私も、4月にお邪魔した、大船渡にある「かたつむり」さんです。
かたつむりのようにゆっくりでもいい・・
確実に前に進もう
少しずつでも進んだ後にはキラキラした何かを残してほしい
「かたつむり」さんは、そんな思いで、流された作業所の復旧に尽力されてきました。
何もなかったこの土地に・・・
(買った土地、建物は何もない空き地)
何もなかったところに!
そこに!
みんなの居場所ができました!
キラキラと光る笑顔の花が咲いています。
とってもかわいい看板の前で、ポーズ!!
(この写真の左手上あたりに、食事休憩したりするスペースがあります。
私が訪ねた頃は、トイレを作ったり、内装工事をしていました。)
この建物ができるまでのご苦労は、本当に並大抵のものではなかったはずです。
一人ひとり違う個性の子供たちが、この社会に生きているぞ!と
大声で叫びたい衝動。
さらに、この居場所が誇りとなり、また励みとなり、
次の一歩を踏み出すことができる場所となることは、ゆめ風の支援者様も、
ご理解いただける、それを証明している笑顔じゃないでしょうか???
文章を打ちながら、モニター画面がにじんで見えます。
次回のブログでは、「かたつむり」さんから頂いたお手紙ご紹介です♪
(。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。 ヤッターン♪。゚。Щ(´ω`Щ)。゚。ぇーんエーン! 嬉し涙だよ~!)
みちのくTRYご報告♪ part2
前回に続き、「みちのくTRY 2nd」参加者の素敵な笑顔と、文章を皆様に。
JDF被災地障がい者支援センターふくしま 設楽 俊司(しだら しゅんじ)さんです!
「みちのくTRY 2ndに参加して」
(きらっきらの笑顔の設楽さん。後ろは、被災地障がい者センター宮古の若き助っ人・しほちゃんです!)
今年5月に東京で行われた救援本部会議の際に、被災地障がい者支援センター宮古の黒柳さんから、「今年のTRYは東北人パワーを発揮したい」「一緒にやってもらえませんか」というのがきっかけでした。
また、昨年のTRYでは、全国から駆けつけてくれた仲間が中心に行政への要望活動を行ったということで、岩手現地の当事者のエンパワーメントにも力を貸して欲しいという話もありました。
私は、私たちが住みやすい街造りを目指して身体を張って活動するTRYの精神は、障がい者運動の原点を感じ、参加したと思っていた自分には願ったり叶ったりの話でした。
実際に岩手の沿岸部を歩いてみると、何台もの重機が整地をしている光景を目にしました。
そのためのダンプや重機を積んだトラックなどが多く、歩き難さを感じた反面、復興事業の遅れが言われているものの着実に一歩づつ進んでいることを痛感しました。
我が福島においては、お盆近くのニュースで、防護服を着た警察官が荒れ果てた沿岸部の遺体捜索という話題をどうしても比べてしまい、いたたまらなさも同時に感じたのも事実です。
また、沿岸分自治体に対する要望活動では、障がい者が住みやすい街造りは万人にとって住みやすいということを主眼に訴えました。
私が驚いたのは、どの自治体も首長クラスの対応で、一定程度の理解が得られているのか、それと二年目ということで継続力が功を奏しているのかどちらなのかが疑問に残りました。
いずれにしても、全国的には西高東低、沿岸部よりは内陸部が遅れていると言われている福祉レベルが、震災を期にインフラが整備され、障がいの有無を感じることなく生活しやすい環境造りの一助になれば幸いです。
東北人パワーでTRYを成功させようと準備を進めてきた、被災地障がい者支援センターみやこの皆さんの努力と参加してくれた皆さんの結束力が産まれ、「みちのく」という括りで障がい福祉向上に立ち向かう勇気をもらえました。
以上。
(来年は、宮城・福島でやりたいぞ!)
みちのくTRY 2nd ご報告♪
無事に終わったみちのくTRY 2nd。
次にお送りする、ゆめ風機関誌=「ゆめごよみ風だより」にも、参加した当事者の感想などが掲載される予定ですが、一足早く、皆様にも読んでいただきたく^^
被災地障がい者センター石巻:代表の、阿部 俊介さんの文章をご紹介します♪
(ピースサインする阿部さん)
「みちのくTRY2nd」
今回で、参加が二回目になるTRY、正直参加するのは少し不安でした。
なぜかと言いますと、宮城から参加するのは、自分だけだったからです。
知り合いもあまりいないし、本当に不安でした。
けど、実際に前夜祭で参加者が集まり顔合わせとかしたら、その不安は解消されました。
すぐに溶け込めることが出来ました。
東北だけの参加者で前回みたくあまり賑やかではありませんでしたが、東北ならではのTRYでした。
今回のTRYで歩いて感じたことは、前回も思いましたが、被災地の沿岸部は、震災から三年もたとうとしているのに、ほとんど、復興はしてないし道や歩道も整備されていなかったのが、正直残念でガッカリしました。
市街地や見える場所だけが整備されていて、これで、メディアでは復興が進んでいると報道されているのは、本当に残念です。
それに、障害者の目線で復興が考えられていないのも、いまだになくて、いかがなものかと言うのもありました。
今から、復興させて行くのならば、障害当事者を交えて相談したり意見をもっと行政は聞いてもらわないと同じ事の繰り返しだと凄く感じました。
要望書とかを各市町村に提出しましたが、本当に要望が叶うか不安です。
今回のTRYは、本当に静かで東北ならではのTRYになりました。
けど、本当に今回も凄く良い経験になったし、勉強にもなりました。
今回のTRYで出会った福島郡山の当事者の方に是非とも同じ被災地同志だから、岩手だけでは行わず、来年は福島と宮城で合同でTRYをやろうと話をされました。
これには、私個人も賛成です。
宮城や福島だって、同じ被災地なので、来年は是非実現させたいと思います。
(ゴールの瞬間!満面の笑みでテープを切る、「TRY 2nd実行委員長」:被災地障がい者センター宮古の伊東明美さん!その隣のサングラスイケメンが阿部さん)
(ゴール後の記念写真)
もうすぐゴール!みちのくTRY 2nd!!
復興していない東北の被災地。
不安定な気候や、突然の地震、歩行困難な道を歩きながら、みちのくTRY 2ndのメンバーは,事故なく病気なく、無事、宮古に到着しました!
各市町村に、バリアフリー化要望書を提出しながらのTRYですが、
下記のURLは、宮古市に要望書を出したときの映像です。
拍手で迎えられるメンバーさんを画面で見ると、出発前よりたくましく精悍な顔になっているように
思え、なんだか…うるるっとしてしまいます。
みちのくTRY 2nd動画チャンネルはこちら
いよいよ明日はゴールです!
150㎞を歩ききる「みちのくTRY 2nd」への最後の声援をお願いします!!
みちのくTRY 2nd ネット中継のお知らせ♪
みちのくTRY 2nd中継はこちら
暑いですね~
もうそれが「挨拶」になる季節となりました。
そんな中、東北の障害者たちが150㎞を歩きながら、バリアフリー化などを訴える
「みちのくTRY 2nd」が始まっています!
上記のURLで、毎日歩いている様子が見られます。
悪路が続く被災地の道路事情や、歩道がないとか、行きかう車は工事車両が多いとか、
流された沿岸部の様子がどうなのか、など、いろいろわかる貴重な映像です。
車いすが照り返しにさらされ、余計に暑くなる様子とかも。
参加者がどんどん日焼けして黒くなっていきます…。
歩道もない場所を車いすの隊列が進んでいくときは
「トラックでーす!」
「車がきまーす!」と同行の介助ボランティアが叫んだり、と一緒に歩いている気分になれますよ♪
照りつける太陽のもと、完走するまで、見守って頂けたら嬉しいです。
皆様の熱い応援=アクセス数を増やすこと、ご協力お願いします!
ゴールは8月9日予定です!!
みちのくTRY 2nd
(ノ≧∀)ノファイトォ─────!!
【再再掲】みちのくTRY 2ndボランティア募集!
先にも書きましたが、
『みちのくTRY 2nd』ボランティア募集!!の記事です!
スタートが迫ってきました!
去年開催し、大好評だったみちのくTRY!
今年は、東北の障害者が歩きます!
下記の要項を熟読頂き、ご参加くださるとうれしいです!
期間中、3日ほどの参加ならできるかも、というかた、是非、連絡してください!
《募集要項》
・みちのくTRY実行委員会では7月29日(月)から8月9日(金)まで開催する「みちのくTRY2nd」に参加する障がい者の介助をしていただける方を募集しています。
協力いただける方は以下の要項をご覧になり、別紙申込書にてみちのくTRY実行委員会までボランティア登録申し込みをお願いします。
一緒に歩く障がい者の方の人数と日程等を調整し、ボランティアをお願いする方には後日こちらから連絡を差し上げます。
必ずこちらからの連絡を待って交通チケット等の手配をお願いします。
1.イベント内容
昨年、宮古市田老のスーパー堤防から陸前高田市の奇跡の一本松までの道のりを県内外の障がい当事者と介助者(ボランティア)が東日本大震災で犠牲なられた方々への追悼の思いを胸に、これからの復興に向けて「障がい者も住める街づくり」を各市町村などに訴えながら歩いた『みちのくTRY』を今年も開催いたします。
今年は7月29日(月)~8月9日(金)までの期間、昨年提出した要望書の答えを求めながら再び公共施設や交通アクセスなどのバリアフリーなどを訴えて陸前高田市の奇跡の一本松から宮古市田老のスーパー堤防までを逆コースで歩きます。
沿岸部の各市町村役所に新たに要望書の提出や地域の人と交流をしながら、障がいがあっても地域でみんなと暮らしたいことを伝えるなど様々な活動をしながら歩きます。寝泊りは避難所となった公民館や文化ホールのロビーなどを利用する予定です。
昨年と大きく変わるのは歩く障がい当事者が岩手を中心に東北限定となることと、市町村ごとに新たに提出する要望書の内容などを一緒に考えながら障がい者自らが声を出し障がい者も住める街づくりを訴えていこうという点です。
震災後、障がい者差別問題や福祉サービスの地域格差など東北ならではの問題点も見え始めてきたこともありTRY期間中に皆で情報交換や情報の共有をして行きたいと思っております。
2.お願いする内容及び参加資格
内容:みちのくTRYで歩かれる身体障がい者の方の介助をお願いします。
資格:資格は問いません。これまでに身体障がい者の方の介助経験のある方、または勉強中の方。障がい者の活動に関心のある方。(運転ができる方にはリフトカーの運転をお願いすることもあります。)
※送迎の都合上、全日程参加か8月3日を境に前半か後半の参加をお願いいたします。ただし、自力で合流できる方に関してはこの限りではありません。
※申し込みのあった障がい者の人数により必要なボランティアの人数が変わってまいりますので締め切り後に人数調整いたしまして7月8日までにご連絡いたします。
必ずこちらからの連絡が入ってから交通チケット等の手配をしていただきますようお願いいたします。
3.参加日程
沿岸部は交通機関が限られていることから、電車およびバス等でこちらの指定の場所に来ていただくことになります。
【ボランティアの送迎について】
送迎は次の通りとし、その他の送迎希望には添えませんので、ご了承ください。
7月28日(日) 前夜祭及びミーティング場所まで 岩手県遠野市『遠野駅』
8月 3日(土) 宿泊地とスタート地点の送迎まで 岩手県釜石市『釜石駅』
8月 9日(金) ゴール地点から 岩手県宮古市『宮古駅』
8月10日(土) 打ち上げ・反省会会場から 岩手県宮古市『宮古駅』
その他の送迎は出来かねますが、自力で直接合流できる方は上記日程以外でも参加いただける場合もございますのでお問合せ下さい。
4.費用参加費は無料です。
TRY期間中の宿泊および食事については実行委員会が負担いたします。
(ただし飲食店等で支給範囲を超えた飲食を自分でされる場合、超過分は個人負担となります。)
現地までの往復交通費はボランティアが自己負担となります。
ボランティアとして参加する期間以外の宿泊費、飲食費については参加者の自己負担となります。
前泊、後泊する場合の宿泊費は自己負担にてお願いいたします。
5.参加に当たっての注意事項
沿岸部は今後も地震が発生すれば津波の危険が伴います。
①実行委員会として
●津波が予想される地域での宿泊はしない。
●参加者全員が乗車可能な車を確保し、警報発令時には車での避難に対応する準備をする。
●イベント期間中、避難訓練や避難に関するミーティングを行う。
などの配慮はしますが、自然災害に対する事故の責任を実行委員会が追うものではありません。
②沿岸部は歩道が狭いところが多く、車道等を通ることが頻繁にあります。
長いトンネル等特に危険な場所は車両で移動しますが、交通事故についても各自のご注意をお願いします。
③実行委員会としてはイベント保険等に加入はしますが、事故についての責任は負いかねますので、
各自の責任においてご参加をお願いします。
6.準備物について
①寝袋を各自で準備ください。
②移動中の荷物は車両に積み込むことができますが、貴重品の管理は各自でお願いします。
③夜は冷え込む場合がありますので、長袖等寒さ対策をお願いします。
④その他の必要物は各自でご判断ください。
また不明な点があれば実行委員会までお問い合わせください。
・申し込み方法
実行委員会あてにご一報ください!
・連絡先
みちのくTRY実行委員会
〒027-0084 岩手県宮古市末広町6-8 被災地障がい者センターみやこ気付
Tel:0193-77-3636 Fax:0193-77-3643
E-mail:try_mitinoku@yahoo.co.jp 担当 黒柳
この夏、一緒に燃えてみませんか!
会員さんから、被災地訪問レポートを頂きました!その3
ゆめ風基金の会員さん、夏美さんから頂いた「被災地訪問レポート」いよいよラストです!
多くのかたに読んでいただきたい、と、切に願います【拡散希望!】
2013/6/30~7/4 東北ツアー(3)仙台とまとめ
7/4(木)仙台
いよいよ東北ツアーも最終日。
福島、南三陸、石巻のベリーダンス公演(?!)を終え、最後は仙台「たすけっと」を訪問した。
「たすけっと」は震災後被災地センターみやぎの拠点になっていたので、スタッフとは顔馴染みだ。
Kさんが持参したアルバムをじっくり見てもらい、地域での暮らしぶりを紹介した。
今回の旅行のためにKさんが関わるスタッフが準備してくれたアルバムは本当に役立った。
言葉で説明するのが難しいKさんだが、グループホームでの様子、様々なイベントでのダンス出演、20年間働いた保育園を退職する時のセレモニーの写真など、Kさんの暮らしを写真で分かりやすく紹介できた。
ベリーダンスはお馴染み氷川清の「ずんどこ節」に乗せて踊り、大いにウケていた。
たすけっとスタッフのKさんから「日頃の疲れを忘れてとっても癒されました」とメッセージを頂き、嬉しかった。
Kさんのダンスを通じて、また私個人としても、今後も被災地に関わり続けたいと思う。
☆まとめ☆
今回、やはり一番重かったのは放射能の問題だった。
2011年6月に南相馬を訪問し、原発事故の被害を目の当たりにした私は自分なりに放射能について勉強した。
本を読み、ネットで調べ、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画を観にいったりした。
福島や東北、関東は放射線量が高く、外部被ばくは特に感受性の高い子供には心配だ。
そして食品から放射能が体に入る内部被ばくの問題は、もはや日本に住む誰もが抱えるリスクになってしまった。
「安全です」「食べて応援」を掲げる政府。
「安全の根拠は無い。チェルノブイリ事故で被曝した子供たちの痛々しい姿を見るべきだ」と食の安全を訴える人々。
しかし大半の人は、何が本当か分からず迷い続けているのではないか。
私は年間被曝量の上限を1mSvから20mSvに引き上げたり、燃やしても埋めてもいけなかった高濃度の放射性廃棄物を8000ベクレルまでは燃やして埋めても大丈夫といったり、平常時の何十倍何百倍の放射線量の地域に“自己判断・自己責任”で帰還させたりする政府をまったく信用していない。
本当に安全なら、世界中のあらゆる国が東北のみならず日本産の食品を全品輸入禁止にしているのはなぜか。
自分の子供の尿からセシウムが検出された時の母親の気持ちをどうして考えることができないのか。
セシウムが検出された冷凍みかんが学校給食に出され、それを子供に食べさせるか食べさせないかを保護者の判断に委ねることがなぜ許されるのか。
そういう思いから、私は「食べて応援」はできないと考える。
しかし実際福島に行くと、出して頂いたものはすべて美味しく食べたいと思う。
食べると美味しいけれど、このコメは福島産だろうか、この笹かまの魚はどこの港に上がったものだろうか、山菜はさすがにやめておこうかなどど考えながら食事をすることの異常さ。
南三陸の海鮮は見事だった。
すべてたいらげた。
美味しかった。
けれど、全品検査が課されていない以上、やはり不安は残った。
ワカメのふりかけのお土産を友達に買ったが、小さい子がいるので渡すのをやめた。
福島県の飯館村をバスで通った時、原発事故の風評被害でもう立ちゆきがいかないと自殺した人の商店を通った。
風評被害とは何か。
復興に向けて頑張っている人たちを応援できない私はひどい人間か。
放射能の知識もなく食べて応援する人は愚かか。
誰が悪いのか。
何が正しいのか。
鎌仲ひとみ監督が2014年秋に公開予定の映画のタイトルは「小さき声のカノン~選択する人々~」。
私たち日本人は、何をするのにも選択をしなくてはいけなくなった。
逃げるか、留まるか。
戻るか、戻らないか。
行くか、行かないか。
食べるか、食べないか。
すごい時代に生まれてしまったと思う。
でも諦めたくない。
参議院選挙が近い。
私たちはどういう未来を選ぶのか。
暗い気持ちを振り払って、とにかく元気に!と思う。
選択し続けるしかないし、やれることをやるしかないと思うからだ。
以上。
文:永村 夏美
会員さんから、被災地訪問レポートを頂きました!その2
ゆめ風基金の会員さん、夏美さんから頂いた「被災地訪問レポート」その2!
ご覧ください!
013/6/30~7/4 東北ツアー (2)南三陸、石巻、仙台
7/2(火) 南三陸
南三陸を訪問。
今回ダンサーのKさんと共に旅行に行った知的障害のRさんが、NPO法人奏海の杜(かなみのもり)のだざいさんの手助けで志津川保育園を訪問された。
Rさんは保育園で保育士として働いている。
グループホームで生活しており、Kさんとは同居仲間である。
折り紙が得意なRさんは、志津川保育園の子供にプレゼントする為に大きな紙袋いっぱいに折り紙のくすだまを持参していた。
Rさんが同行していたTスタッフと一緒に保育園で交流されている間、私とKさんは南三陸の復興仮設商店街「さんさん商店街」を散策した。
お茶でもしましょうかと入ったお茶屋さんのカフェコーナーで休憩していると、私たちの会話を聞いて「私も奈良から来たんです。」と店員さんが話しかけてきた。
とてもきれいな女性で、年齢は30歳前後くらいに見えた。
彼女が話すには、震災2週間後にボランティアに飛び込み、そこで出会った地元の男性と結婚、子供は1歳と数か月になるそうだ。
旦那さんの自宅は津波が到達したものの倒壊には至らず、そこに住み続けているとのこと。
「家を流された人たちは仮設に移り、人が流出している。商店もなく、買い物に行くのに車で30分かけてスーパーに行く。仮設にはイオンの移動販売などが来るが、一般の住宅には来ない。近所の病院も小児科は週二回しか来ず、大学病院から当番の先生が来るので毎回違う医師に診てもらわないといけない。言葉の話せない小さい子供を診てもらうのに毎回違う医師では不安なので、車で1時間2時間かけて小児科のある病院に通う母親も多い。時間もガソリン代もかかり、負担。」と話してくれた。
また、「訪れる観光客の中に、もうすっかり復興したと思っている人も多い。まだまだなのに。」と少し憤りの様子であった。
さんさん商店街でRさんと合流し、その後少しドライブした。
何度もテレビに移された南三陸の防災庁舎は津波の巨大さを物語る。
以下、ネットから引用。
< 南三陸町の津波による死者数は566名、行方不明者数が310名(12月28日現在※おそらく2011年※)にも上った。住民の大多数が「地震の後には津波」との意識が高かった地域でありながらこんなにも多くの犠牲者が出てしまった。防災対策庁舎では繰り返し「高台へ非難してください」と防災無線で呼びかけ続けていたが、まさかその3階建て庁舎屋上を2mも上回るとんでもない津波が襲ってくるとは、高台に避難していた人たちさえ目を疑ったほどだった。>
*参考:こちら
赤い鉄骨だけを残す3階建ての建物の前には数体のお地蔵様と多くの花束が供えられていた。
生花はどれも新しく、遺族や近所の人が頻繁にここへ来て手を合わせているのが分かった。
2011年の6月、私は被災地センターみやぎのボランティアとして1か月活動していた。
私は仙台市、名取市担当のグループで、まだ建ったばかりの仮設住宅を訪問し、障害者を探していた。
仮設住宅を訪問する前に、まずはここで何があったか見ておいた方がいいからと東京から来ていたボランティアに町を案内してもらった。
町ごと流された閖上地区を訪れた時、私はほとんど無感情で放心状態になった。
目の前に広がるのは住宅の基礎だけが残る見渡しのいい平地で、ここは町だったと言われても理解し難かった。
当時全国各地から仙台へボランティアへ来た人は皆閖上を見に行った。
涙を流し手を合わせている人を見て、なぜ私は涙ひとつ流せないのか、こんなに冷静でいられる私は冷酷人間なのではないかと思っていた。
しかし、2年たった今、千羽鶴いっぱいの柵、お地蔵様の優しい顔、立てかけられた仏教のお札を見た時、突然「おえっ」という風に悲しさが込み上げた。
2年前の閖上地区は、私にはキャパシティーオーバーだったのかもしれない。
ボランティア中、一番苦痛だったのが仮設住宅訪問だった。
すべてを失った人たちが薄い壁の小さな家に暮らす。
高齢者が多数おり、通院や買い物すらままならない。
そこへ行って「障害のある人を探しています。」と言うのは本当に苦痛だった。
障害とは何か。
その疑問を抱くのは自然に思える。
居住空間は外にほぼむき出しで、壁は薄くプライバシーが無い。
そこへよそ者がずけずけと入っていき、誰もが困っている中である特定の特徴を持つ人間だけを救済するというのは正しいことなのか分からなかった。
今自分が一体何をしているのか分からない。
「泥かき出しボランティアに行きたい」なんて口にしていた。
分かりにくいのだ。
「点が線となるから、今無意味に思えても、必ず繋がるから」と言われると、分かったような分からないような気持ちだった。
すべてを失った人の前にすべてを持っている自分が存在していること自体が苦痛だった。
今思えば一種のサバイバーズギルト(事務局注:「サバイバーズ・ギルト」(Survivor’s guilt)は、戦争や災害、事故、事件、虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。「サバイバー」(survivor)は「生き残り・生存者・遺族」を、「ギルト」(guilt)は「罪悪感」を意味する英語。ウィキペディアより)と言えるかもしれない。
たとえ障害者に出会い、通院を手伝ったり物資を届けても、被災地センターとしてその支援はいつまで続けることができるのか。
仮設住宅に訪問する際、センターのスタッフにレクチャーを受けた。
「私たちの支援は今だけで終わるということはありません。今後も続けていきますと住民の方に伝えることで支援を受け入れてもらえる」と。
しかしその言葉は嘘ではないか。
継続的な支援が必要な人が「もう大丈夫ですから結構です」と言うまで支援を続けることなんて実際にできていないではないか。
自分は嘘をついているのではという気がしていたけれど、実際嘘をついていたのだ。
次もし同じような支援に入ることがあれば、「続けていきます」なんて容易く言うまいと誓う。
「よそ者が一時の哀れみで。」と追い返されても、それが普通ではないか。
いつまで、どこまで支援できるか分からないけれど、とにかく今できることがあります、それをさせて下さいと申し出るべきだったと思う。
当時の被災地センター宮城では関西からのボランティアが多く、関西人は元気でいいですねと現地スタッフに言われたりしていた。
私たちボランティアは、ボランティアらしからぬ不謹慎さで毎夜酒を飲んでいた。
体もしんどいしお金もないのにあれだけ毎日飲んでいたのは、みんなそれぞれに私が抱いていたような苦しさがあったのではないかと今になって思う。
けれど被災者を前にそんな弱音を吐くことはできず、ほとんどハイになって自分を励ましていたのだ。
落ち込まないでいるには、そうするしかなかった。
NPO法人奏海の杜の放課後児童預かりをやっている「にこま~る」はまだ建物がなく、公民館を間借りして運営している。
Kさんと私が訪問した日は小学校低学年の障害児を中心に子供が5~6名いた。
みんな本当に元気で、抱きつかれたり噛みつかれたりの洗礼を受けてへとへとになったが、ベリーダンスタイムはみんな踊って楽しんだ。
「にこま~る」は女性スタッフ3名のみだそうで、男手がなく大変なことも多そうだ。
これから男の子も大きくなっていくことを思うと男性スタッフが必要とされるが、なかなか難しいと被災地センター石巻のMさんから後になって聞いた。
7/3(水)石巻
被災地センター石巻に関わる女の子2名が事務所に来てくれて、ベリーダンスを披露した。
そのうち一人は20歳の女性で地元の障害者NPOの作業所で働いている。
彼女は去年の8月に支援学校の仲間らと大阪に来ており、私は彼女のガイドボランティア担当をした。
コスプレが大好きな彼女を日本橋に連れて行って喜ばせようと意気込んでいたが、結果的に私が彼女に連れまわされた。
好奇心は留まることを知らず、歩きすぎで足が痛み変な歩き方になりながらも歩き続ける彼女についていく私がギブアップ寸前だったが、とても楽しかった。
もう一人の女の子は高校生で、この夏大阪に来る。
韓流が好きだそうで、コリアタウン訪問などを予定しているらしい。
今回も私が彼女を担当し、連れまわされるかもしれないなぁなんて想像している。
二人とも踊り好きで、汗をかいて踊っていた。Kさんも堂々とベリーダンスを披露していた。
続く~
【再掲・拡散希望!】
先にも書きましたが、
『みちのくTRY 2nd』ボランティア募集!!
去年開催し、大好評だったみちのくTRY!
今年は、東北の障害者が歩きます!
下記の要項を熟読頂き、ご参加くださるとうれしいです!
期間中、3日ほどの参加ならできるかも、というかた、是非、連絡してください!
《募集要項》
・みちのくTRY実行委員会では7月29日(月)から8月9日(金)まで開催する「みちのくTRY2nd」に参加する障がい者の介助をしていただける方を募集しています。
協力いただける方は以下の要項をご覧になり、別紙申込書にてみちのくTRY実行委員会までボランティア登録申し込みをお願いします。
一緒に歩く障がい者の方の人数と日程等を調整し、ボランティアをお願いする方には後日こちらから連絡を差し上げます。
必ずこちらからの連絡を待って交通チケット等の手配をお願いします。
1.イベント内容
昨年、宮古市田老のスーパー堤防から陸前高田市の奇跡の一本松までの道のりを県内外の障がい当事者と介助者(ボランティア)が東日本大震災で犠牲なられた方々への追悼の思いを胸に、これからの復興に向けて「障がい者も住める街づくり」を各市町村などに訴えながら歩いた『みちのくTRY』を今年も開催いたします。
今年は7月29日(月)~8月9日(金)までの期間、昨年提出した要望書の答えを求めながら再び公共施設や交通アクセスなどのバリアフリーなどを訴えて陸前高田市の奇跡の一本松から宮古市田老のスーパー堤防までを逆コースで歩きます。
沿岸部の各市町村役所に新たに要望書の提出や地域の人と交流をしながら、障がいがあっても地域でみんなと暮らしたいことを伝えるなど様々な活動をしながら歩きます。寝泊りは避難所となった公民館や文化ホールのロビーなどを利用する予定です。
昨年と大きく変わるのは歩く障がい当事者が岩手を中心に東北限定となることと、市町村ごとに新たに提出する要望書の内容などを一緒に考えながら障がい者自らが声を出し障がい者も住める街づくりを訴えていこうという点です。
震災後、障がい者差別問題や福祉サービスの地域格差など東北ならではの問題点も見え始めてきたこともありTRY期間中に皆で情報交換や情報の共有をして行きたいと思っております。
2.お願いする内容及び参加資格
内容:みちのくTRYで歩かれる身体障がい者の方の介助をお願いします。
資格:資格は問いません。これまでに身体障がい者の方の介助経験のある方、または勉強中の方。障がい者の活動に関心のある方。(運転ができる方にはリフトカーの運転をお願いすることもあります。)
※送迎の都合上、全日程参加か8月3日を境に前半か後半の参加をお願いいたします。ただし、自力で合流できる方に関してはこの限りではありません。
※申し込みのあった障がい者の人数により必要なボランティアの人数が変わってまいりますので締め切り後に人数調整いたしまして7月8日までにご連絡いたします。
必ずこちらからの連絡が入ってから交通チケット等の手配をしていただきますようお願いいたします。
3.参加日程
沿岸部は交通機関が限られていることから、電車およびバス等でこちらの指定の場所に来ていただくことになります。
【ボランティアの送迎について】
送迎は次の通りとし、その他の送迎希望には添えませんので、ご了承ください。
7月28日(日) 前夜祭及びミーティング場所まで 岩手県遠野市『遠野駅』
8月 3日(土) 宿泊地とスタート地点の送迎まで 岩手県釜石市『釜石駅』
8月 9日(金) ゴール地点から 岩手県宮古市『宮古駅』
8月10日(土) 打ち上げ・反省会会場から 岩手県宮古市『宮古駅』
その他の送迎は出来かねますが、自力で直接合流できる方は上記日程以外でも参加いただける場合もございますのでお問合せ下さい。
4.費用参加費は無料です。
TRY期間中の宿泊および食事については実行委員会が負担いたします。
(ただし飲食店等で支給範囲を超えた飲食を自分でされる場合、超過分は個人負担となります。)
現地までの往復交通費はボランティアが自己負担となります。
ボランティアとして参加する期間以外の宿泊費、飲食費については参加者の自己負担となります。
前泊、後泊する場合の宿泊費は自己負担にてお願いいたします。
5.参加に当たっての注意事項
沿岸部は今後も地震が発生すれば津波の危険が伴います。
①実行委員会として
●津波が予想される地域での宿泊はしない。
●参加者全員が乗車可能な車を確保し、警報発令時には車での避難に対応する準備をする。
●イベント期間中、避難訓練や避難に関するミーティングを行う。
などの配慮はしますが、自然災害に対する事故の責任を実行委員会が追うものではありません。
②沿岸部は歩道が狭いところが多く、車道等を通ることが頻繁にあります。
長いトンネル等特に危険な場所は車両で移動しますが、交通事故についても各自のご注意をお願いします。
③実行委員会としてはイベント保険等に加入はしますが、事故についての責任は負いかねますので、
各自の責任においてご参加をお願いします。
6.準備物について
①寝袋を各自で準備ください。
②移動中の荷物は車両に積み込むことができますが、貴重品の管理は各自でお願いします。
③夜は冷え込む場合がありますので、長袖等寒さ対策をお願いします。
④その他の必要物は各自でご判断ください。
また不明な点があれば実行委員会までお問い合わせください。
申し込み締め切り
2013年7月 15日
・申し込み方法
実行委員会あてに参加申込書をメール、Fax、郵便等でご送付ください。
・連絡先
みちのくTRY実行委員会
〒027-0084 岩手県宮古市末広町6-8 被災地障がい者センターみやこ気付
Tel:0193-77-3636 Fax:0193-77-3643
E-mail:try_mitinoku@yahoo.co.jp 担当 黒柳
この夏、一緒に燃えてみませんか!
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みやこの仲間から~お知らせです~
みちのくTRY 2nd オリジナルデザイン1枚1,500円完成しました!
『販売収益はみちのくTRYの活動資金となります。
デザインも自分たちでつくりました。
みなさまご協力よろしくお願いします。』
とのこと。
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いい色合いですよね~♪
さっそく注文しますかね!(サイズはあるのだろうか・・・(汗…ナガサキ)
ゆめ風基金でも扱います!
この夏、一番アツイ東北の障害者イベント「みちのくTRY 2nd」、
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