被災地障がい者センターいわてより

被災地障がい者センターいわてより
6月末まで「センターいわて」で活動をしていた山口真登香です。
8月11日(木)に岩手県山田町へ行ってきました。
追悼と復興の花火大会「LIGHT UP NIPPON」(ライト・アップ・ニッポン)は 19時スタート。
10日の午前中に名古屋を出発。東名→首都高→東北道で宮城、岩手入りし、「被災地障がい者センターいわて」の遠野宮守拠点に寄って6月に植えたゴーヤと朝顔の成長確認と、水やりをしてから釜石経由で山田町へ。
いろんな人に会いに行きたかったのですが、花火の打ち上げまでに時間がなかったので、寄れたのは釜石で知り合った二つの家族。
被災前まで床屋さんだったOさん一家は、床屋協会(?)から中古の床屋椅子をいただいたそうで、仮設自宅の前で小さく営業されていました。
「お客はあんまりないけどね、何もしないよりはいいでしょ(笑)。なじみの客がうちを探して来てくれるんだよ。」と、お父さんと話している間にも予約の電話が鳴り、お母さんから「お父さん!〇〇さん、来てくれるって!」の声に、とても嬉しそうでした。
津波でOさん(先天性小児麻痺)の車いすは流されてしまった為、5月に車いすの再支給申請をしていました。
しかし、車いすの判定員が足りていない状況で、新しく車いすを作るにはまだ当分かかると言われたそうで、名古屋のAJUに相談してOさんが使えそうな車いすを探してもらって届け、自分の車いすができるまでの間使ってもらっています。
届けた車いすは既製品の為、体にピッタリ合ってはいませんが、クッションを背中や体のまわりに当てたりして使ってくれていました。
Oさんもご家族も工夫しながら、仮設住宅での生活を続けています。
6月に着工を始めていた仮設住宅の外断熱の工事も終わり、この日の敷地内はひっそりとした雰囲気でした。
釜石市や陸前高田市などでは、新たに玄関に網戸を設置、部屋の窓を二重サッシにし、壁の外側から断熱材を張り付ける追加工事が完了しているそうです。
その足で被災以前に自宅で鍼灸院を開業していたNさんがいる仮設住宅へ。
花火が上がる時刻に近づいてきたので、車が込み始めていました。
浴衣姿の人もちらほら見え町は少し賑やかでした。
釜石市の青葉通りでは「釜石復興祈願祭」を行っていて人が集まっていました。
キャンドルナイトの蝋燭のあかりが、きれいに灯っていました。
Nさん兄妹(兄、全盲・妹、弱視)のいる仮設住宅に到着。
玄関扉に張られた「N鍼灸治療院」の張り紙に嬉しくなりました。
こちらも仮設住宅で営業を始めていました。
一室に簡易ベッドを置き、治療をされています。
Nさんの自宅1階にあった治療院は津波被害に遭い、何もかもなくなってしまいました。
私たちが出会った当初から、「また一から治療院を始めたい。」と言われていたので、仮設住宅での力強い第一歩だと、深く感じました。
花火の渋滞に巻き込まれながら山田町へ。
山田町にはSさん一家(父、認知症・兄、左目義眼・妹、リウマチ)が、住んでいて、この日の花火大会を見に来ると約束をしていました。
Sさんちの前には「被災地障がい者センターいわて」のメンバーと、現在関わりのある障害当事者とその家族が20人ほど集まっていました。
前日はみんなを盛岡にある「被災地障がい者センターいわて」に招いてBBQをしたそうです。
妹のRさんはちょうど誕生日で、パーティをしてとても楽しかったと教えてくれました。
花火大会が終わったあと、Sさんの家の前でも花火をし、みんなでよく笑いました。
特にメインストリームの畑さんがなんか面白かったです。
みんなが帰る時間になり片づけをしていると、Rさんが私たちに向かって声をかけました。「私、津波があって辛くて一度は死のうと思ったけど、みんなに会えてよかった。ほんとに。ほんとにありがとう・・」と、言う声が震えているのがわかりました。
寝食を共にしたセンターのメンバーとも久しぶりに会うことができ、とてもよい時間を過ごしました。
被災した沿岸各地で上がった花火。
いろんな場所で、みんなそれぞれの想いで空を見上げたことだと思います。
多くの命が犠牲となってしまった今年の3月11日。
私は宮城県と岩手県に滞在中、たくさんの人と出会いました。
あの地震がなければ、きっと出会うことのなかった人々。
お互いに、生きていなければ出会えなかった人達。
この出会いをずっと大切にしようという想いで花火を見上げていました。
最後に畑さんが突然歌いだしてくれたのは、「上を向いて歩こう」。
上手じゃなかったけど、とても心に響きました。
ほんとに涙がこぼれないように、上を向いて夜空を見ていました。
「LIGHT UP NIPPON」開催地区
宮古市田老地区 / 岩手県
山田町 / 岩手県
大槌町 / 岩手県
釡石市 / 岩手県
大船渡市三陸町 / 岩手県
気仙沼市 / 宮城県
多賀城市 / 宮城県
南相馬市 / 福島県
会津美里町 / 福島県
いわき市 / 福島県
■関連情報
・LIGHT UP NIPPONのWebサイト http://lightupnippon.jp/
AJU自立の家
やまぐちまどか

宮城県山元町のSさんから

宮城県山元町のSさんから
前略
 東日本大震災の支援に深く感謝します。ほんとうに優しさにふれ、行政の何もしないのに驚かされ、毎日のように涙しながら怒りをもちながら、5ヶ月間、ボランティアの皆様に背を押されながら、歩みはじめています。私の家も、津波にやられないけれど、地震にて半壊になり、赤紙を張られた玄関を見ながら、傾いている家で生活しています。
 頭に来るのは、福島原発による放射能汚染です。役場の方にも計測してもらい、三種類の器機で計測しても高い放射線量です。それは、雨どいの汚泥と、雨どいから流れた所が高放射線量です。孫が四才と六才のため家人四人でコンクリートを電動工具で割り、雨どいの汚泥除去後、タワシでこすり、水道水で流しも警報値をこえなくなりました。土は20~25cm位掘り、ようやく警報がならなくなる所まで掘りました。町役場からビニール袋をもらって来ましたが、除染したその土をどこに置くか決定されていず、汚染土を積み上げたなかで新たなホットスポットをつくりだし、庭の隅で1.76マイクロシーベルトを示しています。
 付近の雨どいをはかった所、数件ほど高濃度が出ています、山元町も宮城県も、放射能にはふれません。知らされていないように思われてなりません。地震、津波、放射能と三重の苦難を背負い込んでいる現実です。
 目に見えないということは、恐ろしくもあり、知らない方がいいのか。命をふみにじられているいきどおりを感じています。
 はじめての方に、胸のうちをはき出しました。すみません。
 皆様方もお身体を気づかってください。

被災地障がい者センターみやぎの活動が山形新聞に掲載されました

被災地障がい者センターみやぎから
被災地障がい者センターみやぎの活動が山形新聞に掲載されました(以下、引用)
ニーズ探り 自立助ける 
全国各地からボランティア “専門家”が集結・支援
山形新聞
2011年8月22日(月)掲載
山形新聞
記事をクリックすると、大きくごらんいただけます。

8月27日の街頭募金

8月27日の街頭募金は24人の方のご参加をいただきました。
募金額は51,916円でした。

この日は最初は真夏日の暑さで、途中から集中豪雨に見舞われました。参加された方、ほんとうにご苦労様でした。
9月の街頭募金は10日、24日の予定です。
みなさまのご参加をよろしくお願いします。(雨の場合は中止になることがあります。)

被災地障がい者センターみやぎの活動が産経新聞に掲載されました

被災地障がい者センターみやぎの活動が産経新聞に掲載されました(以下、引用)
被災障害者の今 見えぬ全容
「どこに避難しているのだろうか」 
産経新聞 8月20日(土)2時39分配信(以下、全文引用)
障害者支援センターみやぎ産経新聞
▲仮設住宅をまわり、支援が必要な障害者を探す被災地障がい者センターみやぎのスタッフ(写真:産経新聞)
【届かない支援】
 日焼けしていた顔に疲れがにじんでいた。炎天下、仮設住宅を一軒一軒訪ねて回る男性たち。支援を待っている障害者を探しているのだ。
 宮城県のほぼ中央の沿岸部にあり、東日本大震災で180人以上が犠牲になった多賀城市。大阪府からボランティアで現地入りしている宮内孝文さん(30)も連日、足を棒のようにして歩き回っているにもかかわらず、誰にも出会えない。「どこに避難しているのだろうか」。力なくつぶやき、また別の仮設住宅に車を走らせた。
 宮内さんは、仙台市で4月、NPO法人など14団体が集まり発足した「被災地障がい者センターみやぎ」の活動に参加。センターでは、障害の状態に合わせたきめ細やかな支援の必要性を自治体に訴え、どこにどのような障害者がいるのか情報提供を求めてきた。が、自治体の担当者は異口同音に「個人情報保護法があるから」と言って情報提供を拒んだ。
 だから、助けを求めながらも声に出せない障害者を探すことから始めなければならない。地元の授産施設などを訪ね、利用していた障害者が今、どこにいるのか、職員らから教えてもらうのだ。やっと自宅を探し出し、避難所や仮設住宅を1カ所ずつ回りながら安否を確認し、必要な支援を把握する。その作業は震災から5カ月以上もたった今も続いている。
 阪神大震災の被災障害者を支援する活動で実績があり、同センターとも連携を取るNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市東淀川区)。その理事の八幡隆司さん(53)は「とりわけ自宅で暮らしている障害者は支援の手からもれている可能性がある」と表情を曇らせる。
 八幡さんは震災1週間後後の3月18日から被災地に入り、避難所の見回りを続けてきた。しかし、障害者はほとんどおらず、目にしたのは自宅で耐えている障害者とその家族だった。
 「東北では関西に比べて家族や地域で障害者を支えるケースが多く、福祉サービスを提供する事業者が少ない」と八幡さんは福祉基盤に違いを感じた。このため被災しても誰にも頼れずに孤立するケースも相次いでいた。
 来る日も来る日も障害者を探し、片道2時間かけて向かった避難所で一人の障害者にも出会えないこともある。八幡さんは「私たちの目的は支援であって、調査ではない」と、いらだちを隠さない。
 障害者手帳を持つ人は、被害が甚大な宮城県の沿岸部15市町で約7万2千人、岩手県では12市町村で約1万9千人、福島県では相馬市など13市町村で約3万2千人に上る。しかし大震災で被災した障害者の人数はいまだに明らかになっていない。
 全国13の障害者団体でつくる「日本障害フォーラム」も障害者が置かれている状況の把握に努めてきたが、7月までに接触できたのは宮城県で1435人。手帳を持つ人の約2%でしかない。
 同フォーラムの原田潔さん(46)はこう訴えている。「数字によって可視化されないと支援につながっていかない。人数はすべての活動の基礎になる。行政側は公式なデータを出すべきだ」
 東日本大震災から5カ月余りが経ってもなお、支援の手が届かない障害者が大勢いる。取り残されている被災地の障害者の実情に迫る。
以上

南相馬市の障害者実態調査報告

日本障害フォーラム(JDF)「被災地障がい者支援センターふくしま」から
 日本障害フォーラム(JDF)「被災地障がい者支援センターふくしま」では、福島県南相馬市からの依頼を受け、4月30日より、市内に住所のある障害者手帳所持者1139人の実態調査を行いました。このたび、この調査報告書がまとまりましたので、お知らせします。
○調査報告書は、8月29日(月)、南相馬市役所にて、桜井勝延市長に、被災地障がい者支援センターふくしまの白石清春代表より提出しました。またJDF藤井克徳幹事会議長ら関係者数名との懇談の時間も設けられました。
○個人情報保護などの課題のある中、自治体から情報開示を受け、JDFが自治体と協力して在宅障害者の実態調査を行ったのは南相馬市が唯一です。他の自治体における今後の対応、支援活動のあり方、さらには「災害時要援護者」対策への波及が期待されます。
○調査を通じて障害者の実態が浮き彫りになり、さらなる支援が求められるとともに、今回訪問確認ができた方(調査時点で市内に在住していた492人ならびに死去が確認できた方)以外の実態(市外避難等の約600人の方)がなお不明であり、今後の大きな課題として残されています。
南相馬市の障害者実態調査報告について
日本障害フォーラム(JDF)被災地障がい者支援センターふくしま

障害者、難しい災害対応 南相馬でNGOが調査
河北新報(2011年08月31日水曜日)

 障害者団体で組織するNGO(非政府組織)日本障害フォーラム(JDF)の「被
災地障害者支援センターふくしま」は30日までに、南相馬市で行った「緊急避難時
における要援護者」の調査結果を公表した。
 福島第1原発事故によって緊急時避難準備区域になった原町区と区域外の鹿島区に
は、調査時点でなお障害者492人が居住。このうち346人は一度避難したが、生
活環境や介護の問題から平均3週間程度で自宅に戻ったといい、障害者の災害対応の
難しさが浮き彫りとなった。
 調査は65歳未満で身障者手帳や療育手帳を持つ1139人が対象。情報公開制度
で市が公開した名簿を元に4~8月、JDF職員らが聞き取り調査を行った。警戒区
域に指定されている小高区は対象外。時間の経過などから、事故後の行動が不明な障
害者もいた。
 調査結果によると、障害者492人のうち、108人は症状の重さなどを理由に一
度も避難していなかった。「体を曲げられないので、床で寝られない」「薬の手配や
透析が避難先でできるかどうか心配」など、生活や医療環境の変化を理由に挙げる人
が多かった。知的障害のため、避難が必要かどうか本人が状況認識できないケースも
あったという。
 492人のうち、現在も緊急時の搬送や介助が必要なのは192人。避難した場
合、避難先で支援が必要なのは340人だった。また、168人は緊急生活支援や継
続的な支援を要望した。
 被災地障害者支援センターふくしまによると、東日本大震災で被災した東北の太平
洋沿岸の自治体のうち、これまでに障害者名簿を公開したのは南相馬市だけだとい
う。
 センターは「障害者が避難できなかったということは、介助する家族も避難してい
ないということで影響は大きい。行政と民間で要援護者の情報を共有し、避難支援の
計画を具体化すべきだ」と話している。
2011年08月31日水曜日

そうそうの杜の機関紙「想 創 奏」28号より

 地震発生以来、組織的に、ボランティアの派遣を継続してくださっている大阪のそうそうの杜の機関紙「想 創 奏」28号が発行されましたので、ご紹介します。
東日本大震災の支援活動の振り返りと今後の活動に向けて
荒川 輝男
 前回、東日本大震災特集はお陰様で多くの皆さんからの反響を頂きました。そうそうの杜では、4月14日から6月29日まで18人、延べ人数147日間スタッフを派遣した。
スタッフの派遣は、ゆめ風基金を窓口に被災地障害者センターみやぎ(CILたすけっと)を拠点として障害のある人の支援を行い、主に宮城県北部の南三陸町や気仙沼市を中心に活動してきた。
 当初から短期間で終わるものではないと覚悟していたので長期の支援の中で地元の復興は地元の人が作っていくもの。そこに必要性があれば派遣し続けていくようにするという前提で始めた。
第1期のまとめの会議の結果、今後も継続して活動していく。ゆめ風基金(被災地障害者センターみやぎ)が借り受けた登米市(南三陸町の内陸部)の拠点から南三陸町の志津川高校(避難所)を中心に、今まで行ってきた活動を継続していく。
 内容は、
1.登米市の拠点が使えれば南三陸町や気仙沼に迅速な活動ができる。
2.仙台からの移動時間が多く活動が制約されるので出来るだけ近くで活動を行いたい。北部への移動時間はロス  が多く、片道で仙台から南三陸町へ2時間強、気仙沼になると3時間くらい要する。
3.南三陸の被災状況を目の当たりにして障害者支援に関わってきたので、継続して関わっていきたい。
4.被災地障害者センターみやぎ(CILたすけっと)の活動を尊重し活動を補完していくこと。
5.状況の変化の中で、今までに関わってきた障害の方々は、日中活動が再開されそれなりの目的は達成されてき  た。
6.ゆめ風基金の意志を尊重し、障害者支援も含めて避難所や仮設の新たな課題に対して支援の枠組みを拡げてい  きたい。
 このような前提で7月9日に被災地障害者センターみやぎ(CILたすけっと)に2カ月ぶりに訪問し調整をしてきた。
 こちらの提案を快く受け入れて頂き、7月19日から9月末までを第2期として支援活動を再開していくことを決定した。地震の爪あとはいまだに深いものがあるが、地元の復興と共に地元の被災された方々の気持ちや意識の変化もある。また避難所から仮設住宅へと生活環境が変化していく中で今までとは違った課題が生じるなど、被災者支援のあり方が変化してきている。
 また、人的支援については、業務に余裕がある中で派遣しているのではないので現場のスタッフへの負担も大きいのだが派遣したスタッフがほとんど再度行きたいと訴えるし、その負担を全体でカバーしてくれている事に感謝したい。
 次号で新たな活動を報告します。
社会福祉法人そうそうの杜
〒536-0013
大阪市城東区鴫野東3-18-5
Tel 06-6965-7171
Fax 06-6167-2622

本日午後6時半より、救援本部会議を開きます。

本日午後6時半より、救援本部会議を開きます。
震災から半年が経とうとしています。
みなさまには、被災地支援に大きなご尽力をいただき心から感謝いたします。
宮城、岩手の被災地障害者センターでは、常時8~10人のボランティアが全国からかけつけ、仮設住宅に住まわれる障害者のお話を聞いたり、病院や買い物の送迎、入浴介助などを行っています。
仮設住宅を訪問する中で、意志疎通の難しい高齢聴覚障害者や、家族のうち複数が障害者といった、ニーズの高いケースが顕在化するなど、少しづつ、障害者の姿が浮かび上がりつつあります。
点と点であった障害者情報が、線になりつつあると言えます。
障害者の交流の場面も増えてきました。
それに伴い、宮城、岩手における沿岸部の活動拠点が必要となってきましたが、被災のため物件が少ない上に、家賃高騰で場所の確保に苦労しています。
岩手で活動中の障害者派遣プロジェクトは、メインストリーム協会のみなさんによって既に7回実施され、被災地の障害者に歓迎されているところです。(ゆめ風ブログをごらんください)
福島のセンターでは、日々の被災障害者ニーズにこたえるとともに、放射線被害に対応するための検討が現在真剣になされているところです。
なかなか復興ビジョンが描けないのが非常に苦しいところです。
大阪救援本部の集まりを次のように行います。
被災地報告とともに、これからの私たちの活動について話し合いたいと思います。
ぜひご参加ください。
8月26日(金)6時半~
ところ パーティパーティ
大阪市浪速区敷津東3-6-10
大国町駅3番出口より徒歩4分!(車椅子のかたは5番出口にエレベーター)
TEL・FAX  06-6649-0455
内容:被災地報告(八幡ゆめ風理事、被災地支援活動参加者ほか)
   東京救援本部の取り組み報告、障害者派遣プロジェクト報告、
   大阪救援本部の取り組み報告
     カンパ活動
     11.23ポジティブ生活文化交流祭
   今後のうごき ほか
 どなたもご参加ください。

いよいよ明日、映画「オハイエ!」の上映会を開きます。

いよいよ明日、映画「オハイエ!」の上映会を開きます。
映画「オハイエ!」は、とっておきの音楽祭の感動のドキュメンタリーです。
ステージで生き生きと輝く障害のある出演者たち、笑顔にあふれた街、魂を揺さぶるこの感動のひとつひとつを丁寧に紡ぎ、映像化しました。障害も音楽も個性です。映画を観た観客のお一人お一人が、「ハンディとは、人間とはなにか」と自問することでしょう。
みなさんのご参加をお待ちしています。
とっておきの音楽祭 映画「オハイエ」上映会
とき 8月19日(金)6時半~
ところ パーティパーティ
大阪市浪速区敷津東3-6-10
大国町駅3番出口より徒歩4分!(車椅子のかたは5番出口にエレベーター)
TEL・FAX  06-6649-0455
映画の予告編をごらんいただけます。