真備町へボランティアへ行ったかたからのリポートです

東日本大震災以降、熊本地震、西日本豪雨災害にとボランティアに走ってくださっている「出発(たびだち)のなかまの会」ヘルパーの永村夏美さんがリポートを書いてくださいました!
多くのかたに読んでもらえたらうれしいです!

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報告【岡山県倉敷市真備町にボランティアに行ってきました。】
きっかけは私がヘルパーとして働いている、生野区「出発のなかまの会」のグループホームスタッフIさんが泥かきボランティアに行ってきたと聞いたことです。個人で簡単に参加できるならと、ネット登録して参加してきました。

 

新倉敷駅―ボランティアサイトでシャトルバスが運行しており、8:30から9:30の間に駅に行けば随時連れて行ってくれます。サイトにはたくさんの社協スタッフやボランティアをケアするボランティアのような人たちがおり、「塩アメどうぞ!」「お茶持って行ってね」「タオル、軍手ありますよ」など、おもてなし対応をしてくれます。更衣室、シャワー、トイレ完備!

 

51組のチームで活動するということで、私はなんとハタチの男子4人組と組むことになりました。高校時代の同級生だそうで、今回4人で車に乗り合わせて大阪府堺市からやってきたそうです。派遣先は真備町の全浸水のお宅で、70歳の男性の独居宅。家財搬出や泥かきはすでに終わっており、残った壁を壊して片付けたり、基礎の下に敷いてある石をどかしたりする仕事でした。男性Nさんは「この歳だし、家を建て直すかどうか迷っている。小さい家を新しくここに建てようか・・・。避難所にいてもやることがなくて気が滅入るから、毎日ここへ来て片付けている。」と話されていました。たとえ最終的に全て潰すことになったとしても、県外などから来るボランティアとお喋りしながら片づけを進めていくことで今後のことを少しずつ考えられる、その過程が大切なんだと感じました。Nさんは「わたしは車があるからボランティアサイトへ出向いてボランティア派遣要請ができるけれども、車のない人は派遣要請もできないから片づけが進められない」とも教えてくれました。復旧への進捗具合に地域差があるだけでなく、個人差もあると知りました。

 

途中、役所の職員がNさんを尋ねて来られ、「電話があったからどうしたかと思って。くれぐれも無理のないようにね」と気さくに声かけをしており、住民とフラットな関係を構築し、小まめに顔を見に行って状態把握に努めようとされている様が見えました。

 

ハタチ4人組は一生懸命働いていましたが、大学生組が「はぁ~しんど!」「腰~痛い」などと弱音を漏らす場面もあり、「現代っ子、弱いなぁ」と正直感じました。「わたしより一回りも若いんだからもっと頑張らんかい!」とお尻をはたきたい気持ちを抑えて、「シャベル貸して!わたし代わるわ!」と労働を代わると、さすがに「すいません、情けないです・・・」と言っていました。
肉体労働をしている子は、
1人余裕という感じで、タフさが輝いていました。

 

ボランティアサイトでは写真撮影はご法度と聞いていましたが、被災者Nさんの方から「記念撮影しよう!」と言って頂き、記念のショットを撮りました。「あと1ヶ月もしたら落ち着くから、倉敷を案内してあげるから必ずおいで」と言って頂き、ラインの交換までしました。

 

ちなみに豪雨当日、Nさんは酒を飲んで寝ていたそうです。「近所のアルミ工場で爆発がありすごい音がして目が覚めて、外に出た時には水が膝まで来ていた。これは車では逃げれんと思って歩いて近くの鉄道の駅まで避難した。自衛隊が助けにきてくれるまで23時間たった一人そこで待機した。体が水に濡れて寒かった」と教えてくれました。アルミ工場の爆発がなかったらNさんは助からなかったかもしれません。

 

私は東北の時も熊本の時も、避難所などに被災障害者を探しに行くという、分かりにくい仕事が多かったので、フィジカルに動けるボランティアもいいなぁと思いました。単独でいつでも行けると分かったので、来月くらいまた行きたいと思っています。個人の体力に合わせて動けるので、チャンスがある人には是非行ってみてほしいです。               永村夏美

現地に行ったからこそわかるそこの空気。
被災されたかたの痛み、苦しさ、しんどさが伝わってきます。

永村さん、貴重な体験を送ってくれてありがとうございました!!!

 

 

 

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