ヒデの救援レポート 2015年3月5日№173

・当面の日程のお知らせ!
【東北関東大震災 救援本部役員会 in東京】
3月18日
【被災障害者支援 認定NPO法人ゆめ風基金定期総会in仙台市】
3月28日は総会、29日はシンポジウム
【ゆめ風基金の日・設立20周年記念コンサート】
8月16日(日)
大阪中之島中央公会堂全館借り切って実施します!


被災地NGO協働センター・機関誌「じゃりみち・被災地支援情報」第103号より転載
神戸市兵庫区中道通り2-1-10
TEL 078-574-0701
FAX 078-574-0702
阪神・淡路大震災20年の課題・レジリエンスを引き出すボランティアの可能性
ここ数年前から、減災の領域では「レジリエンス」という言葉をよく耳にする。
作家・大江健三郎さんの訳では、「恢復力」となる。
これは「災害などで被災を受けたものが、苦楽を共にしながら、時には支援者と多様な関係を築き、少しずつ回復する」と私は理解する。
さて今年も災害が日本列島を襲った。
その中で「平成26年8月豪雨災害」での、災害救援ボランティアのあり方について、広島と丹波、そして阪神・淡路大震災を比較し検証してみたい。
阪神・淡路大震災では、兵庫県に1つ、神戸市に1つしかボランティアセンターがなく、また初めての大規模災害となったので、そもそも大量に押し寄せるボランティアをコーデネイトする機能がなかった。
そのため初心者ボランティアあるいは未組織ボランティアが全体の7割を占めるという状況になったが、各々が被災地に入り、被災地内で自然発生的に生まれた自発的なボランティアグループが避難所となった学校に駆けつけた。
そして、被災者と共に救援物資の配布や炊き出しの手伝いなど、自分で考え、行動し、大きな混乱もなく、直後の活動を終えた。
発災2日後に立ち上がった救援NGOは、「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」と、地元をつなげたのは『被災地外からのボランティアの窓口は地元が責任を持ちますよ!』という意味合いを込めていた。
こうした自発的な市民力がその後の復興に大きな影響を与えたと言える。
一方、今回の広島土砂災害においては、避難指示・勧告がなかなか解除されなかったという事情もあり、一時大量のボランティアを受けとめられなかった。
被災地の被災者や市民、企業などと自発的に駆けつけたボランティアとが上手く連携し、土砂除去や清掃、炊き出しなどの活動を展開した。
その一部を紹介すると、自らも被災した飲食店が現場での急造ボランティアセンターとして場所を提供し、また地元の企業は移動かまどで鍋料理を振る舞い、地元の大学生や地元のグループが避難所で勉強を教え、地元のNPOは絵本の読み聞かせをするなど、実にさまざまな活動を展開した。
東日本の各地から『支援のお返しボランティア』も光っていた。
阪神・淡路大震災時と違うのはフェイスブックやツイッターというSNSのツールが活躍し、『移動ボランティアセンター』さながらの役割をしたのが注目された。
説明すると、『○○で土砂撤去の作業があります。手伝ってくれませんか?』とスマートフォンで叫ぶと、それを見た広島市民が集まってくるということだ。
こうしたボランティア活動からの学びは、自発的に集まったボランティアが各々で考え、協力しながら、しかも丁寧に被災者からの要望を聞き、『身の丈にあった』活動を展開したことだと言えるだろう。
つまり、これからの災害後のボランティアは、可能な限りまず地元のボランティアを集め、地元の文化や被災者を尊重し、被災者と共に活動を展開するということだ。
この応急対応から復旧・復興へのレジリエンスをバネに市民力が復興に生かせるかがこれからの課題だ。
被災地外のボランティアは、地元のレジリエンスを高めるために後方支援に徹することだ。
さて、広島に比して兵庫県丹波市は、ボランティアを集めるのに苦労した。
お隣の京都府福知山の被害と広島の大規模災害に報道が集中したこともあって、なかなかボランティアが集まらなかった。
最終的には人口の少ない丹波に15000人を超えるボランティアが集まった。
でも、ここで注目すべき2つの動きを見逃してはならない。
広島ほどの多様性はないが、1つは地元の人たちが、自発的にボランティアの受け入れをしたこと。
もう1つは、地域内助けあいとして、阪神・淡路大震災後築いて来た兵庫県内における助けあいのしくみが充実してきたこと(ボラバス派遣、ボラセンサポートなど)。
具体的には、兵庫県社会福祉協議会は県内各地の社協からのべ400人を丹波ボランティアセンターに派遣した。
さらに県内各地からボラバスを繰り出した。
その1団体は、丹波まで片道2時間半もかかる兵庫県たつの市社会福祉協議会だ。
地元御津地区で発足した『たつの女性が担う地域防災塾』の協力を得て、ボランティア・バスを2回派遣した。
このことから、阪神・淡路大震災後に培われたレジリエントなネットワーク力を活かし、まず県内ボランティアを県内社協がNPOと連携して集め現場に派遣し、被災地外のボランティアが後方支援をしやすい体制を築くことを提言したい。
こうしたレジリエンスをバネにした水平的なつながりを重層化することが、阪神・淡路大震災20年を検証することになり、確実に次世代につなげることになるのではないかと思う。
(村井雅清)
以上
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これまで届けた救援金
332,750,649円(2014年12月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,542,139円(2014年12月31日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)>
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景
『吾亦紅』と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、『われも、また、赤い「吾亦紅」と咲く』のです。
以上

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