ヒデの救援レポート 2015年2月6日№172

●このリポートを発信した、2月6日午前に、徳島県南部で、震度5の大きな地震がありました。
被害報告はありませんが、自然災害列島に住むボクたちは、常に防災の構えが求められます。
お互いに用心深い日常を送りましょう!
●前回からの続き
AM7:30。
関西空港から北へ飛び立つ。
予定通りに仙台空港に到着。
仙台空港アクセス線にてJR仙台駅へ。
東北新幹線「やまびこ」でJR盛岡駅(岩手県)到着。
時はまだAM11時過ぎ。
岸和田から盛岡までの直線距離約777キロをたったの5時間半程で移動する。
朝ドラ風に表現するならば、まさに「じぇじぇじぇ!」とか「てっ!」とか「わしゃぁびっくりじゃけぇ!」などの驚愕の表現なのでごいす。
盛岡駅周辺を散策し、昼食時は地元ソウルフードを堪能しょうと話し合い「わんこそば」「盛岡冷麺」など思案した挙げ句、
「じゃじゃ麺」をセレクト。
美味しゅうございました。
昼食後、NPO法人:結人・被災地障がい者センターみやこの黒柳さんがハイエースで迎えに来てくれました。
本日の目的地である朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった「北三陸町」もとい「久慈市」へと向かう。
国道4号線を北上し、281号線で東へと車を疾走。
長閑な岩手県の山間の風景に魅了されながら聖地へ到着。
久慈市では「北アリス線・久慈駅」や「小袖浜」などの聖地を巡礼。
聖地巡礼を終え、一路、宮古市へ向けハイエースで45号線を南下させる。
その道中に「グリーンピア三陸みやこ」仮設住宅の見学をしました。
その後、NPO法人結人の事務所で一泊させて頂きました。
・7月26日(土)。旅の二日目は事務所の近所にある魚市場を散歩がてら寄り道してから、「結人」スタッフの佐々木さんを含む3名はハイエースで45号線を南下し、宮城県石巻市を目指す。
「国道45号線」とは、宮城県仙台市から青森県青森市までを沿岸で繋ぐ国道です。
強引な言い方をすると、45号線のその殆どが大津波の甚大なる被害を被った地域と言える。
現在では震災の爪痕は喪失し、瓦礫も建物の土台すら撤去された平坦な更地は無機質さを演出し、山林を削った大量の土砂は、その無機質な更地に渦高く盛る。
10m以上も土を盛る。
45号線を車で走ると、更地と土盛り作業をいやが上にも目にすることになる。
【東谷氏の感想】
私は実際に起きた津波の状況を被災地で直に見ていない。
映像で見た津波や瓦礫だらけの被災地と、今回初めて訪れた被災地のギャップに驚愕を隠せないでいた。
真っ新になった大地に、嵩上げのための10M以上に上る巨大な盛り土工事。
それと並行するかの如く走る高速道路の工事。
しかし、震災から3年以上経った現在においても仮設住宅で生活を余儀なくされる被災者の方々と、遅々として進まない復興住宅の建設。
これらのギャップを上手く言葉にすることが出来ないもどかしさを痛切に感じた被災者の風景だった。
宮古市を出発し、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、宮城県に入り、気仙沼市、南三陸町を駆け抜けて石巻市に到着。
二日目の宿は石巻駅の近くにあるサンプラザホテル。
明日行われる被災地障がい者センター・石巻主催のイベント『みちのくにょっきりフェスティバル』に参加するため、夜の石巻の繁華街を徘徊し、英気を養う。
・7月27日(日)
本日は被災地障がい者センター・石巻主催の『みちのくにょっきりフェスティバル』に参加しました。
風が強く会場を包む。
初夏の日差しが来場者を容赦なく照りつけ、真夏を思わせる気温が汗を誘う天候のもとフェスは開催されました。
フェスには様々な店舗が個性と匂いを振りまいていました。
B級グルメでおなじみの「石巻焼きそば」は勿論、暑さにどうしょうも無い来場者を冷ます「かき氷」や地元・東松島産の色鮮やかな冷やし野菜の数々。
石巻の福祉事業所もハンドメイドの物品やパンやクッキーなど色とりどりの品々を販売していました。
ステージに目を向ければ、南三陸町から「奏海の杜」の「にこまる48」によるとても可愛らしいダンス。
仙台の障害者プロレス団体「ODAZUNA(おだずな)」による白熱した障害者たちの戦い。
レイドロシーや 西村組、中川敬・ソウル・フラワー・ユニオンさんらプロのミュージシャンによるライブなど、観客を魅了し、感動させるみごとなステージを演出してくれました。
私は「被災地障がい者センター・いしのまき」の設立から長く関わってきた。
大阪の岸和田出身のボランティアとして、様々な活動を行ってきた。
私のみならず、全国から来たボランティアと共に。
しかしこの『みちのくにょっきりフェスティバル』は石巻を中心とした被災した地域の人々が中心となり、企画を考え、自らが活動し、実現にこぎつけた。
2011年3月11日に起きた東日本大震災から3年以上の月日が経ち、ボランティア中心ではなく、被災者自らが実現したこの企画に、ボランティアとして深く関わった一人として万感の思いが胸を突き上げる。
大阪に帰阪するためのフライト時間が迫る。
仙台空港まで三陸自動車道をハイエースで西に走らせる。
今回の旅路で岩手県と宮城県に跨り、私たち二人をずっとお世話して頂いたAPO法人「結人」のスタッフの方々に深く謝意を申し上げます。
そして私たちを運び疾走し続けたハイエース、どうもお疲れ様でした。
仙台空港から南へ飛び立ち、無事、関西空港に着地。
今回の被災地を巡る旅路では、総移動距離2000キロメートルを二泊三日という短い期間、東西南北を駆け回り、被災地の現状を注視した結果、考えさせられるものが得られた。
そして東北の方々の人情味や温かさに包まれた旅路であった。
(追伸1、2がありますが、後略とします!)
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これまで届けた救援金
332,750,649円(2014年12月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,542,139円(2014年12月31日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。

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