被災地訪問記

ゆめ風基金の八幡理事が、月に一度、行っている「被災地訪問」。
以下、皆様へのご報告です。
6月1日(日)
仙台での「とっておきの音楽祭」に被災地の仲間が出ると聞いて、夜行バスを利用して一路仙台へ。
朝に到着して朝食を済ませたのち、会場となる勾当台公園へ向かう。
まずは本部へ行って受付でプログラムをもらう。
仲間がいつ出演するのかチェックしようとしたが、うーん・・・わからない。
なんと30ほどの会場で300団体以上が出演するというプログラム。
なかなか見られない、大きなイベントだ!
しかもバンド名しか載ってないので、仲間がなんというバンド名で出演するのか知らなかった僕には、探しようもない。
リサーチ不足でした。
そういえば、「被災地障がい者センター石巻」のメンバーが、7月26日開催の「みちのくにょっきり祭りin石巻」の宣伝をするのと、「被災地障がい者センター南三陸・奏海の杜(かなみのもり)」メンバーがつくったTシャツを販売するためブースを出していると聞いていたので、まずはそちらへ向かう。
場所はいつもと変わらぬ定位置なので、すぐに見つけ出せた。
センター石巻の箕田さんが、「にょっきりフェスタ」のポスターを並べていると、南三陸のメンバーもやってきて、Tシャツ販売開始。
そうして、出演時間と場所とバンド名確認。
奏海の杜(かなみのもり)のメンバーは、なんと「にこまる48」というバンド名での出演!
楽しみだ。
まもなく「CILたすけっと」の及川さんや菊池さんも登場。
その他、福島のメンバー出演情報もゲット。
ただ郡山のメンバーと南相馬のメンバーの出演時間が同じ・・・。
とりあえず、岩手の難病連の人たちも出るということで、まずは南相馬のメンバー出演会場へ向かう。
その後はいよいよ「にこまる48」の出演会場へ。
「被災地障がい者センターみやこ」のメンバーも来ていて、観客はまずまずの入り。
グラフィックス1
「にこまる48」のメンバーは、そろいのTシャツにフリルのスカートの様なものをつけて登場。
しっかり息の合った踊りを披露してくれました。
当日はめちゃくちゃ暑い日で、3時過ぎに私はバテてしまって、会場を後にしました。
6月7日(土)
岩手県宮古市の商店街で、復興市があると聞き、お手伝い。
ただ、あいにくの雨で、最初は小雨だったものの、準備の間に雨あしが強くなり、テントの準備に入る。
当日は、東京学芸大の宿谷先生が、生徒2人を連れて応援に来てくれていて、学生さん二人がてきぱきと動いてくれました。
また、こういう時の強い応援団・佐々木トモヨさんも販売に参加。
グラフィックス2
宮古市では、商店街が年に2回ほど復興市を開催します。
秋の復興市は、福祉団体のお祭りも兼ねていて、お店だけでなく催しも増えます。
昨年からは、100円市と言うのがメインになっていて、できるだけ100円で購入できる物を販売しています。
「被災地障がい者センターみやこ」では、この市で得た収益が、みんなで月に一回集まる「およれんせの会」の運営費になります。
今日の出し物は、バザー用品で集めた衣類と、漁協から頂いた「わかめ」。
でも、あいにくの雨で、お客さんが少なく、販売は苦戦。
当日は、盛岡の商店街から、ゆるキャラの「開運かなえさん」と「開運たまえさん」も登場。
宮古スタッフは結構喜んでいました。
グラフィックス3
6月9日(月)
「被災地障がい者センターみやこ」スタッフ二人が、代休でお休み。
代わりに私が事務所番をする。
昨年のTRYでお世話になった、秋田の棚谷さんが事務所に寄ってくれる。
今度は、福島県南相馬市でボランティアをするとおっしゃってました。
更に、一昨日の復興市で残っっていたわかめを、全部買い取ってくれました。
センターみやこの事務所を開けていると、3名ほどの障害者が立ち寄ってくれ、いろいろ話せました。
6月10日(火)
朝8時半ころにみやこを出発し、石巻へ。
午後2時過ぎに「被災地障がい者センター石巻」の事務所へ到着。
イベントの打ち合わせで、業者の方と話し合いの真っ最中でした。
イベントの実施会場図面を基に、必要な機材や人員体制などの打ち合わせ。
もともと、55万円ほどの業者への手配料が、頼みごとが増えて130万円余りに膨らんでしまいましたが、この日の打ち合わせで、かなり不要なものを省き、なんとか100万円ぐらいにおさまりそう。
先週土曜日には、イベントの実行委員会があり、、石巻の様々な人と関係が作れていると感じる。
障害児の親、地元障害者団体のみならず、地元の障害者とは日頃縁のないNPOとも関係ができているとのことです。
業者との打ち合わせを見ても、何とかイベントの形が決まってきて、あとはお客さんがどれだけ来るかがカギとなりそう。
僕の方では、「ボランティア同窓会」をするための簡単な打ち合わせをさせてもらい、案内状作成の段取りを決めてきました。
今のところ、予想では、県外からおよそ40名近い人が来るのではと思っています。
この日はこの後、登米へ移動し、宿泊することに。
「奏海の杜」(かなみのもり)のメンバーは、毎日、朝の9時前から夜の7時過ぎまで勤務しているとのことで、体が少し心配になります。
ただ、新たな事業もどんどん動き出していて、7月からは登米の子どもたちの児童デイと相談事業が始まります。
来春からは、登米にあるグループホーム仮設の運営を委託するという方向で検討しているとのことで、人手不足がまだまだ続きそうです。
明日には、新たな方と面接する予定があるということでした。
6月11日(水)
朝、気仙沼市本吉町にある「ケアホームめぐみ」を訪ねました。
代表である菅原さんが3月末で辞め、後任の木村さんがかなり苦労をしたとおっしゃってました。
ゆめ風基金に助成申請のあった「移送サービスの件」でいろいろ話を伺いました。
午後からは石巻に戻り、「被災地障がい者センター石巻」の事務所で「NPO法人障碍児と共に歩む会」の小林さんら3人とお会いし、話をしました。
ゆめ風基金への助成申請は、2年間分の事務所費用をお願いしたいということで、現状を聞いてみました。
・事務所については、何度も探しているが、良い物件は見つかった途端、翌日には借り手が見つかり、なくなっているという状況だということ。
・ゆめ風基金に対しては、申請時の物件はもうなくなっているが、できれば物件を見つけるためにも助成がお願いできないか。
というお話。
今年度からは、一時止まっていた会費も改めて徴収しなおし、会としてきちんと活動をしていきたいということでした。
また、同席した会員の八木さんの家が、ようやく修理が完了したとのことで、パソコン等の備品をそちらにおかしてもらって活動中だそうです。
現状では、物件が定まっておらず、一刻を争う状況ではないが、「障碍児と共に歩む会」の状況を理解してほしいとのことでした。
6月12日(木)
岩手で作成しなおしている「ボランティア名簿」等を、アクセスというソフトに移行するための事務処理などを行いました。
6月13日(金)
田野畑村にいるOさん宅を訪問。
パソコン操作を覚えたいということで、毎月1回、僕が教えているが、メインは、Oさんの話を聞くことにある。
今回、お母さんが入院したことにより、施設にショートステイしたが、帰ってきたらヘルパーが木曜日に来なくなったとのこと。
また、家からほとんど外出できない状態で、つまらないとぼやいていた。
確かに、田野畑村には特に外出できそうな場所もなく(コンビニさえ田野畑村にはない)、彼女のしたいことが見つけられない状態でいるようだ。
パソコンは、月に1回訪問して教えているが、彼女には少し難しいように思う。
今日はipadで少しやってもらったが、パソコンよりはこちらの方が何とかなりそう。
でも機械を購入してまでやるかどうかはまだ疑問。
彼女が、パソコンやipadなどを「すごくしたいかどうか」はまだはっきりとわからない。
もう少し様子を見て、確認をしていく。
ただ、先ほどの彼女が「田野畑村でやる気を持てるかどうか」については、このままではいけないと考え、一度、大阪に来ることを提案。
彼女も「年の初めに大阪へ行きたいって書初めしたけど、本当は自立の練習がしたいのよ」と言っていて、まずは大阪のいろんなCILや自立生活を実践している障害当事者たちと、あちこち行く、なども実現できればいいと思う。
6月14日(土)
「被災地障がい者センターみやこ」毎月恒例の交流会、「およれんせの会」。
朝9時から田野畑村や、「ぶりーぴあ仮設」に住む障害者のお迎えに行く。
昼ごろ事務所に到着。
集まったのは10人ほど。
今日の昼食メニューは、サラダそうめん。
レタスや水菜、トマト、わかめなどをそうめんに乗せ、ドレッシングで食べるというもの。
みんなで調理。
そのあと、簡単な編み機を使ってミサンガづくりを。
女性陣は編み機が気に入ったのか、2つ目の制作にかかってましたが、男性陣は1個作れば満足という感じでした。
また、今年何に取り組みたいかということもみんなに出してもらいました。
午後3時には終了。
ただ、行きも帰りも片道1時間半も移動にかかってしまう。
往復3時間の道のりを迎えと送り、それぞれ車の運転が必要。
かなり疲れますが、みんながこの催しを楽しみにてることを考えると、頑張らなきゃ、と思います。
みやこには、今月末から新人が入るということで、僕が送迎のお手伝いに入るのも、もう少しで終わりかなと思います。
以上。
★震災から3年が過ぎ、被災地は、少しずつ穏やかさを取り戻してきている感じがします。
でも、東北は広いです。
交通機関が限られています。
移動手段が、都会のように整っていない分、外に出る機会が圧倒的に少なくなることも。
「移送サービス」がとても大事になってきます。
しかも、自立生活をしようにも、ヘルパーがいないとか、住める物件がなかなかみつからないとか、買い物や通院時にすぐ
動けないとか、問題は山積みです。
私たちが、まだまだ会えていない障害者もたくさんいると思います。
どこにいても、その人らしい暮らしができる日まで、さまざまな形で支援していきたいと思っています。
(K・N)

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