ヒデの救援レポート:2012年11月19日№96

【hideの70歳の「闘争宣言」その5】
○今に続く記憶
さぁ~やってくるぞとhideが身構える新大阪駅&事務所に詰めかけている、障害者世界の新人達。
その眼前に姿を現したのが、日本脳性マヒ者協会・神奈川県連合会の横塚晃一さんだった。
横塚さんは、駆け寄ったhideに、軽く挨拶をして、ひょこたん、ひょこたんと歩き出した。
階段にさしかかると、手にした風呂敷包みで、バランスを取りながら歩く。
途中で、hideがその風呂敷包みを持ちましょうと手を出すと、横塚さんは、
ぐらりとバランスを崩し、危うく、階段から転げ落ちそうになった。
その夜、横塚さんは、優しい言葉だったが、凛とした口調で、hideにお説教。「河野さん!」
(横塚さんの方が年上なのに、横塚さんは、終生、hideのことを、そう呼んだ)
「ボクは、誰かの支えが必要な時は、ボクがそのことを伝える。
ボクの意思を無視して、ボクのことに手を出さないで欲しい。
小さなことだけど、障害者の人権にとっては、大切なことなんだよ。」と。
hideは、心底から恥じた。
本当に、事の本質を理解していない自分を恥じた。
さぁ、それからは、右の眼が左に回り、左の眼が右に回るような、
多忙という単語では、表現できない日常が展開した。
毎夜、横塚さんを囲んだ、若い障害者たちの学習会。
各地から要請がある「さようならCP」の上映会に、横塚さんと、若い障害者がひとり。
hideは、送迎、介護、映画上映の映写技師、フィルム担ぎ役と、人手の無さを嘆くばかり。
その合間に、新しい上映先探しなんだから、自宅に帰る時間は、爪の垢ほどもなく、
連れ合いの保子さんから、ずいぶんとなじられたものだった。
そんな時期が3ケ月ほど続いたが、その動きの中から、若い脳性マヒ者の塊が生まれて、
横塚さんの代わりに、上映会で話をするひとも台頭してきたが、その大部分が、
兵庫県姫路市出身だった。
この塊が、「さようならCP」上映運動から生まれた、映画「カニは、横に歩く」の
制作、上映会運動につながり、
その後、自立障害者集団・グループリボン&自立障害者集団友人組織・グループゴリラにつながり、
またまた、その後、日本脳性マヒ者協会・関西青い芝の会連合会の大阪、兵庫県、京都府、滋賀県、奈良県、和歌山県の各青い芝の会につながった。
そして、さらに、全国障害者解放運動連絡会議結成に連なる。
時あたかも、優生保護法改悪阻止闘争も同時進行中の、1973年から、76年頃の、hideなりの激動期だった。とにもかくにも、上映実行委員会を、健全者不足のために、上映事務局に衣替えして、縮小し、それなりに、必死の形相で、東は、金沢、西は、長崎の全国転戦。
hideは、横塚さんと行脚して回る一方、事務局に集まった50名を超える障害者の介護役。
なんせ、健全者は、5名から、10名未満しかいないのだから。
その上に 、優生保護法改悪阻止闘争が収束にさしかかると、次には、
79養護学校義務化阻止や、障害の無い子どもを産む運動対決、
和歌山県福祉センター闘争、バスに車イスで乗る運動、車イスの教師を創る運動、
79養護学校義務化阻止を挟んだ、個別の就学運動などが渦巻いた70年代後半から、80年代。
79養護学校義務化阻止共闘会議や全障連結成、青い芝の会関西連合会・全国連合会結成などの姿が
ちらちらと見えだしていた。
そんな状況の中で、hideは、就学運動を成し遂げた、偉大なポン友・八木下浩一と知り合った。
続く。
【兵庫の遊び雲の通信機関誌「こんちくしょう」133号より転載!
連絡先:TEL、0798-75-6340
FAX:0798-75-6341
「被災地・福島、原発被害に対して行動を起こしたい!」福永年久
・7月29日、東京の日比谷公園に着くと、あちこち10ケ所位から怒号が聞こえてくる。
公園に入ったが、人だらけ。
約束していた友人を探しても、人が多過ぎて見つからない。
そうしているうちにデモ行進が始まった。
もう1人約束していたテレビカメラマンのM君とはデモの最中に出会う事ができた。
人の数が多く何が何やら分からなかったが、とにかくデモ行進には参加した。
帰って来てから参加者の人数が分かりビックリ。
何と20万人もの人々が参加していたのです。
福島で何が起きているのか?
津波と原発被害により避難所を転々とさせられ多くの障害者や高齢者が亡くなり、
現在も福島県は人口が減少している。
友達も家族も町もバラバラにさせられ、避難した人も留まっている人も、
みんな先が見えない。
東京電力への損害賠償を求める裁判だけでなく、福島の子どもたちの集団疎開を求める裁判も
9月に始まった。
しかし、マスコミはこのような現状を一切報じようとしない。
「NPO法人 ゆめ風基金」からも福島の子どもたちや障害者を、
沖縄で避難場所を確保できるようにできないかと要請があり、
10月9日から沖縄に行き、HKさんにお願いに行きます。
無念の中で亡くなった障害者や高齢者、この人たちの怨みをはらさんでおれるか。
何とか原発を止める行動を起こしていきたい。
障害者の仲間や子どもたちを放射能から守る取り組みをしているお母さんたちとも相談して
取り組みを考えていきたい。
M君と相談して取り組みを映像化して社会に訴えていける映画を作って行きたい。
また、遊び雲でも案内ビラにあるように、
11月24日(土):西宮市勤労会館で集会を行います。
皆さんのご協力をお願いします!


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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、
バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のhideの風景】
被災障害者救援本部・おおさかの統一街頭カンパ活動報告!
毎月の第2土曜日・午後1時~5時に、大阪、難波、高島屋前で行われているカンパ活動。
2011年=18回
2012年=11回。
直近の10月13日には、参加者、37人。
カンパ額は 、104,803円。
累計で、  2,678,035円となりました。
皆さんの、ご参加をお願いします!
以上。
【ヒデの救援レポート:2012年11月19日№96】

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