ちなつ、ちょっと行ってきました!
「10月26日城東区・わかまつ園の避難訓練に参加の巻」
大阪天神橋六丁目から地下鉄で二つ目、はじめて降りる駅野江。
入った喫茶店は、分厚いブラウン管のテレビが置かれ、「シバの女王」がレコードで流れている。
路地を少し入ると、中学生だろう制服を着た女の子が目の前を通り過ぎ、
白髪のおばあさんに「こんにちはー。今日学校でね…」と一日のトピックスを報告する。
「なんだか、この町にはなつかしい風が流れているね」という、この日の同行者の細谷氏と、
いりくんだ道を行く。
「さっきから、すれ違う小学生がじろじろ見ないのも不思議です」と、私。
「障害を持った人が、日頃から地域とつながっているのかもしれないねー。
だから、今回のような大掛かりな避難訓練もできる」
わかまつ園は、城東区の福祉避難所になっている。
私たちは、この日、東南海トラフ大地震が起きたという仮定での、避難訓練に参加させていただいた。
夕方4時、地震が発生し、電気、ガス、水道が止まった想定のもと、
区の作業所などの施設利用者が集まってくる。
120名の障害は様々だ。
「はい、今から、真っ暗になります」の声に、私は少しびくつく。
考えてみると、集団行動も30年ぶりだ。
空気が薄く感じる。
手足を動かすことを忘れる。
陽が落ちると共に不安な気持ちが増していく。
「何かあればお声かけてくださいねー」と、隣にいたこの施設の職員と思われる若い女の人が、
日頃見かけない私の背中に軽く触れる。
「はい、一声かけていただいただけで落ち着きました」と、私は微笑もうとする。
が、口元が動かない!
夕方6時前「電気つきます」の声で、災害が起こった時の対応や、三角巾の使い方など、
消防署のかたによる講習会が始まる。
「停電のお知らせは?」「非常階段の明かりは?」など視覚、聴覚障害者は、質問をする。
大切なのは、情報を得ようとする姿勢なのだと、なにかにつけて、受け身になりがちな私は反省する。
水で戻した五目御飯風のアルファー米とお茶を頂いたあと、尿意でおトイレに駆け込む。
立ち上がりがしやすいように、付けている矯正下着は、一人では着脱できない。
トイレの入り口で目があった人に介護をお願いする。
人前でおケツを出すことになれている脳性まひの私の下着の上げ下げをしてくれたのは、看護師だった。
「うわー。記念に持って帰ろうかな」と、
薬品で消臭され固まったビニール袋の尿をなかなか手放そうとしない私に
「だれも喜ばんよー。ここに捨てていき―。泊まっていくんでしょ。明日もでるよー」と促す。
千夏「泊まる覚悟、できたんですが。なんだか、さっきからぞくぞくしていて。
さっき、練習にと寝転んでみたんですが、床は思っていた以上に冷えますね」
「リタイアしますか。すこし風邪もはやっていますしね」
千夏「情けないですが・・・避難訓練で病気になるのも…」
「みんなそう。わが身は大事にしてください」
千夏「意気込んでの参加依頼だったんですが。」
「帰るのは、正しい判断かと。今それができるあなたは非常時でも大丈夫です」
帰宅して、冷え切った体を湯船につけて、風邪薬を飲み、頭から毛布をかぶる。
災害が起こったとき、どのくらい、この家で、命がつながるのだろうか…。
わかまつ園の光景が、まぶたの裏にある。