2012年9月26日,「大阪救援本部会議」が、ゆめ風基金の事務所で行われました!!
★夕方6時30分から開始された今回の会議では、まず、参加者の自己紹介のあと、
「みちのくTRY」についての報告が。
以下、出席者の発言を、読みやすくまとめましたので、ご覧ください!
・TRYはそもそも、20年前にメインストリーム協会の廉田さんが始めた「鉄道など交通機関のバリアフリー化」を 訴えていくイベント。今はアジアにも広がっている
・今回は、100キロ以上の行程を、ずっと通しで歩いている人、または参加できる所々を歩く人といろいろ で、毎日ほぼ40人くらいが参加していた。
・岩手、宮古の人とかも参加し、その様子は、テレビでも中継された。
・参加した人の感想は、とにかくみんな楽しそうに話している。
知的障害がある女性は「行けるか不安だったが、実際は行けたので楽しかった」と、輝いていたが、
途中、入院した人もいた。
・歩きながら、各地の市長さんにバリアフリー化へ向けた要望書を手渡ししたが、宮古のセンターの人も「いい経験になった」と話している。
・今までの経験上、「TRY」をやっているときは、一回、仲が悪くなったりするが、
話し合いで仲が良くなる。それが今回も起こった。
・最初の2、3日は、歩かされてるという感じやったけど、途中で変わっていった。
・今回のTRYは、ハードルを低くした、それに批判もあったけど、参加者を多く募るには…
・TRYに関しては、地元の障害者で元気な障害者がでてくることが大事だと思ってて、
ある人が出てきたので、その人をサポートできる体制を作っていこうということで、
その人に自立への思いを伝えていく、そういうのをやれたらいいなと。
・10月第2土曜日、自立の話をしに行く予定です。「ピアサポート」を通して、地元の人たちと
つながって、地元の人が地元で自立できるようになったらいいなあって。
ぜひ続けてやりたいと思ってる。
と、参加者の熱い熱い思いが語られました。
★次に、被災地を訪問した報告が行われました。
それぞれの地域での課題などもいろいろ見えてきています。
・障害障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議(障大連)のHさんから、
●9月2日~9月5日に、ゆめ風基金の永村理事、八幡理事とともに岩手県、宮城県の「被災地障がい者センター」を訪問しました。今回は、震災から1年半を経て、各被災地センターの活動を見せていただくと同時に、とりわけ各センターが、今後どのような展開をしていく予定か、していきたいのか、ということを聞かせてもらいました。
(1)センター石巻
●センター石巻では、今後の取り組みとして、交通問題・まちづくりに取り組みたい,
とのことです。
障害当事者であるIさんは、JR蛇田駅を利用しているのですが、無人駅で且つ階段があるため、30分単 位のガイドヘルパーを使わなければならないのですが、ヘルパーが確保できないとのことです。交通問題 については12月に仙台でシンポジウムを開催するそうです。(京都JCILも協力)
●センターの取り組みとしては、通信「にょっきり」をセンター宮城やセンター南三陸などと
協力して発行。その他、教育関係を中心に「共に生きる石巻を作り出す連続公開講座」
(7,9,12、3月)を開催しています。
また、重度の医療的ケアを必要とする障害児の親御さんたちの集まりもぼちぼち開いて
いると聞いています。大阪(たびだち、みんなの家)にグループホームなどの
見学に来たりして、報告会(9/1)を持ったそうです。
●小型の送迎車が欲しい。
※事業化の課題については、福祉サービスはまだ難しいかもしれない。
今、やっていることを1つ1つ積み重ねながら考えていきたい。
※各種助成金を申請するにしても法人格を取得した方が可能性が広がるので、
法人格取得をめざす。
※雇用助成金等の申請手続き等、協力しながら進めていく。
(2)センター宮古
●石巻から宮古に向かう際、みちのくTRYのコースを逆から移動。
「よくぞ、こんな大変な道を歩いたものだ」と驚きました。
トンネルあり、長い坂道あり、道幅は狭く、段差だらけで、
かなり危険も伴ったと思われますが、事故がなくて何よりでした。
(石巻のAさんは3日ほど入院されたそう。)
トライに参加した当事者は大変「元気になった」とのことでした。
また、トライの期間中、岩手県下の様々な団体が、宿舎提供、バーベキューの提供等々、
ご協力いただいたそうで、横のつながりも強くなったのではという印象を持ちました。
●さて、TRYを終えてこれから何をしていくのかということが課題となります。
月1回の企画や、日常的な交流や移送サービスなどを積み重ねてきていますが、
いざ事業として何をしていくのかということになるとまだ白紙に近い状態。
●TRYを終えて、県外のスタッフは1人を除いて皆さん9月中に戻られるようです。
(3人が退職)
●現地採用の車椅子の女性・Iさんは、はつらつとした明るい感じの方。
トライで元気になられたそうです。
(3)センター大船渡
●視覚障害者の人たちとの関わりが積み重ねられてきているので、できれば
「同行援護」を中心とした居宅介護派遣事業を開始したいという意向もあるが、
サービス提供責任者等の有資格者の確保が課題です。
事業化に向けた様々な条件の情報、必要書類等についてアドバイスしました。
事業を始めて行くには、もう少しスタッフを確保することが必要だと思います。
●中期的な展望としては、日中活動の場を別の場所で行いたいという意向があります。
福祉サービスの事業化も今後は考えている。
(4)センター南三陸
●今年の夏に、実際に障害児の「デイサービス」に取り組みました。
この取り組みを拡大し「放課後等デイサービス」事業を興していくことは可能だと思われます。(老人介護などの問題も段階的にやりたいと考えておられるようです~富山式?)
●スタッフは3人おられます。
(但し、変更の可能性もあり)
事業の開始に向けて、大阪にも研修に来られています。
(大阪の「そうそうの杜」さんが継続して支援)
●活動拠点を南三陸に移す予定です。入谷桜沢地区に300坪。来年1月着工を目指す。
(冬季のため来年度の可能性もあり)造成にかかる費用は200万円ほどだそうです。
(5)三陸こすもす
【三陸こすもす (精神 B型 30人利用 内20名がグループホーム)】
●9人のグループホームが立ち退きを迫られているので、2棟を建てたい。
★という、それぞれの拠点において具体的な課題が出てきた今、支援策の方向性も定まってきているように思えます。
側面支援を続けながら、どこで、各自に「自立」してもらうか…
まさに息の長い支援が必要ですね。
そして、11月23日に長居公園で行われる「第3回 東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」について…
④交流際~
・11月23日の交流際、現状、チラシは3万枚作ってるので、いっぱい配ってほしい。
メインスペースで、今年はTRYの報告をしたり、被災地の当事者の報告をそれぞれする。
・出店ブースは、今のところ30団体ほど。去年は50なのでもう少し欲しいな。
マッサージ等、新しくやりたいという申し出もあるんです。
そこで一つの交流ができたらと思ってます。
みんながアピールしたいことやってくれたらいいなあと思うんです。
・去年の芋煮の手伝いしてもらった社協に行ったら、今、どれだけ被災地から避難してるかって聞くと関西では、200世帯近いんですね。
お父さんは東北に残って、お母さん親は復興やら職探しやら家事やら孤独なんかも
しれんし、いろいろ大変です。
子供がほったらかしになるんで、やっぱり、子供と大人が一書に楽しめる場がほしいっていう…。
・近所の人や、同じ県外避難をしてる人との仲間、会える場がほしいっていう声があるんです。
子供連れて、シンポジウムとか行けないし、子供と一緒に行けるイベントがあったら行きたい。
・去年もそうだったんですが自分と同じ境遇の人を探すコーナー、あっていいかな、
ってことで「真っ向勝負プロジェクト」で、もう一回、芋煮食べたいって、
みんなが言うんです。
彼らは、県外避難してる人らと、民謡したら楽しいって。
東北系と福祉系の交流ができたら。
ひとつは、関西に避難してる人との交流、東北の人の話を聞きたいっていうね。
と、ここでマキさんから一言!
牧口:今話し聞いててね、関西に来てる東北の人が話しあいしててね、
そこに僕ら大阪の人間が混じれるようなね、
そんな感じがメインなんちゃうんかなと思うねんね。
なんかしゃべりたくなるという場を作るっていうことが、
そこで生きたいっていう気持ちになってもらうっていうのがね。
★という声のあと、東北から関西圏に避難されているみなさんが楽しめる何か、
たとえば音楽。
どなたか交通費程度で、ギター片手に弾き語りしてくれへんかなあという話しになり…
現在、呼びかけ中です!
これを呼んでいる皆様も、いまからスケジュールを空けておいてください!
11月23日は、長居公園でお会いしましょう!
★最後は街頭カンパについての報告です。
次回実施は10月13日。
・前回(9月8日)は35人くらい、入れ替わり立ち代わり手伝ってくれて、合計62,304円
募金して頂きました。
・車いすの人は、朝から晩まで、延べ10人くらい参加。
・ボランティアさんや学生さんも5~6人来てくれた。
・ずっと高島屋の前でやっているので、通行人も抵抗なくなってきてて、またやってるなって募金してくれて、うれしいですよね。
★以上、長くなりましたが、皆様のご協力が、また新たな活動へつながっていくのを
目の当たりにした「大阪救援本部会議」でした。
あっという間の2時間。
初めて参加してみて、熱気に圧倒された部分もあるし
「女性障害者」の視点がもっと生かせないかななど、議事録をとりながら、考えていたNでした。