ヒデの救援レポート、2012年5月7日

ヒデの救援レポート、2012年5月7日:69
 バス事故、山岳遭難、竜巻の記憶を残して、hideが1日しか休めなかった連休が去りました。またまた非日常の日常が始まります。
東日本大震災被災障害者救援本部
仮称いわてトライについて
目的
 復興へ向けた要望活動・障害者を含めたまちづくりへのアピール活動。トライを通して当事者や支援者を集め、今後のいわての当事者活動の活性化につなげていく。
テーマ
 復興にむけて、障害者が住めるまちづくり。ここに障害者がいますよ、復興は障害者も住める町を創っていこう、ということをテーマとし、取り組みを行う。
活動
 行政への要望活動・沿道の市町村を訪問し要望を行う。・復興計画は、障害者も含めたまちづくりにすること。・介助制度を整えることなど。・避難所、仮設住宅、復興住宅など障害者が使えるものに。アクセスの要望活動・県北バス、低床バスの導入。・三陸鉄道、バリアフリー化を。・JR東日本、バリアフリー化を。バリアフリーチェック・沿岸部のお店などを訪問し、バリアフリーチェック。市民を巻き込んだイベント・沿道のポイント、ポイントで市民を巻き込んだイベントを企画する。・宮古、釜石、大船渡、陸前高田など。
期間
7/29(日)~8/11金曜日・7/29に宮古市田老地区スーパー堤防をスタート。
8/9に陸前高田市一本松付近でゴール
8/10盛岡にいき、岩手県庁、県北バス、三陸鉄道、JR東日本を訪問し、要望書提出。コースと宿泊・宮古市ー陸前高田市、約100キロ・被災した沿岸部を歩く。
宿泊は、野宿、避難所、各地の拠点釜石などに泊まる。・流れに応じて自由で楽しくできるように、野宿も1/3くらいは取り入れてみる。
マスコミ
 できるだけ多くの人にアピールできるように、積極的にマスコミに取材してもらう。また、活動資金としての寄付も呼びかける。新聞、テレビ全社へ取材依頼。ドキュメンタリーなどを撮ってもらえるように依頼してみる。
実行委員会メンバー
被災地センターいわて、みやこのメンバー、CILもりおか。
当事者として核になる人が必要。CILもりおかが事務局を担当する。今川さんも実行委員をやりたいとのこと。岩手の当事者や健常者など実行委員を新たに新聞で募集する。会議・本部は盛岡とする。沿岸部の宮古などでも関わってくれる人を集め連携していく。週1回程度、盛岡で実行委員会を開き、企画話し合い、準備を進めていく。沿岸部の被災地センター釜石などとも連携をとり、一緒に運営していく。
地元実行委員会で運営する意義
救援本部や関西との関係
 いわてトライは、基本的に地元実行委員会で企画と運営を行う。救援本部や関西は側面的サポートのみとする。地元が主体となって運営することにより、
1、新しいメンバーを集め、
2、実践を通じて運営力を身につけ、
3、トライ後の岩手の当事者運動につなげていく。
 救援本部や関西のメンバーは、あくまでも上記についてアドバイスするというスタンス。地域を変えていくことはそこに住む人にしかできない。他地域のメンバーがやってしまうと、実践する機会が奪われ、トライ後は何も残らなくなってしまう。
いわては岩手のメンバーで変えるという主体性がこのイベントの成功の鍵。
運営費
 マスコミを通じて寄付を呼びかける。
 宿泊は野宿や、無料で泊まれる場所にして、経費はできるだけ押さえる。
今後の進め方
 企画書作成・タイムスケジュール案作る。→佐藤作成。・4/30日に再度会議を開く。障害当事者で核になる人が必要。誰ができるか考えてきてもらい、話し合う。そこで最終的に実施するかどうか決める。→4/10に川畑さんから連絡があり、CILもりおかが実行委員会を担う方向で検討しているとのこと。以上
これまでのトライについて日本でのアクセス運動
1986年~95年まで日本で開催。
大阪から東京まで野宿しながら歩き、沿道の駅によりバリアフリー化を要望。
マスコミ取材を積極的に受けて、アクセスの問題を社会にアピールする。
これ以降も、東北や福岡~東京などでも開催。
日韓トライ・2001年7月~8月。
釜山から北京まで20日くらいかけて歩き、沿道の駅や、2002日韓ワールドカップのスタジアムを訪問しバリアフリーチェックをした。
アクセスのアピール・日本メンバーと韓国メンバーで運営
Asiaトライ
メインストリーム、夢宙センター、ばあとなぁの3団体で支援しているアジア6カ国・パキスタン、ネパール、カンボジア、台湾、韓国、モンゴルのメンバーが集まり、2年に一度、アジアの国でトライを開催。
テーマは自立やまちづくりなどその国の状況に合わせて決める。
2007年Asiaトライin韓国
2009年Asiaトライin台湾
2011年Asiaトライinモンゴル
うちなートライ
沖縄での条例づくりの運動で、トライを開催。離島等を巡り条例づくりのためのイベントなどを開催。
トライの活動・当事者と健常者が一緒に運動する。
沿道を歩き、野宿をするというスタイル。若者の旅。・主催は実行委員会。費用は自分たちで集める。Tシャツ販売、企業からの協賛金など。社会にアピールすることも活動の柱として、できるだけマスコミも活用。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、4月14日までに、227969836円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、5月2日までに、東北関連で、129999050円になります。
台風12号関連、2942828円。
フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
ゆめ風基金の理事のおひとりの馬垣さんが関わっている、大阪府吹田市のぷくぷくの会の機関紙・まねき猫通信117号の記事。
新聞の作り方88、石塚直人さんからの引用。
連絡先・吹田市南高浜町1番17-2号
TEL・06-6317-5598-FAX・06-6317-0936
各社総力戦の3・11朝刊・大きく二つ分かれた社説・全文ルビ付き
 あの日から1年が過ぎた3月11日の朝刊紙面。各紙はそれぞれ、この1年を振り返り次代を見据える大量の記事を載せた。戦後ならぬ災後の言葉も生んだ歴史的な大災害を再点検する特集記事は、各社の総力戦の趣を呈し、被災地の苦難に寄り添おうとの姿勢がうかがえた。
 ただ、社説は大きく2つに分かれた。脱原発を明確にしたものとそうでないものと。京都新聞は、経済優先の・あの日・以前に、なし崩し的に原発を戻すようなことは許されないと書き、原発再稼働に前のめり気味の野田政権を批判した。原発によって、エネルギー浪費型の社会になっていなかったかとも問いかけた。
 東京新聞の「私たちは変わったか」は、雪の福島で印象深い二人に会ったと説き起こし、彼らの口を借りて地域の願いに冷淡な国の現状を照らし出した後、被災地の人々は変わったけれど、そうでない人々は変わらないという事態を恐れます。原発に頼らない国を創る。核なき世界を目指す…とした。深い内省に裏付けられた、格調高い文章だ。
 被災者の肉声に耳を傾け、原発に依存してきた自分たちを問い直す謙虚さが、この日の社説には欠かせまい。政府や住民に高みから注文をつける、例えば読売社説の感覚に違和感を持つ所以である。ドイツの脱原発を決定的にしたのは、福島の事故のような危険を後世に引き継ぐことは倫理的に許されないとの判断だったとされるが、同社などが原発再稼働を説く記事には、経済の視点こそあれ、倫理のそれは見当たらない。
福島県田村市にあるNPO法人ケアステーションゆうとぴあから、素敵な機関誌あくせすが発行されています。原発事故、放射能情報、被災障害者情報が満載された、内容のある冊子です。その98号の編集後記から
 東日本大震災から1年が過ぎました。福島県では地震、津波、放射能汚染に加え政治、行政不信が生じた。この間の時間感覚にもマヒを感じます。この時間の経過と共に、地域に留まった人にも、地域から避難した人にも疲弊と想定外のことが生じています。復興コミュニティー絆など、これまで人、家族と地域に必要なキーワードが今では、分断を意味する隠語に。
先日沖縄を訪ねました。地元野菜等を当所に送っていただいた方々へのあいさつとお礼を込めて。基地を押し付け られた沖縄と原発を押し付けられた福島に共通するのは被害者と連帯感。
NPO法人ケアステーションゆうとぴあ
福島県田村市船引町字山ノ内129-8
TEL&FAX・0247-82-5508 以上

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