被災地障がい者支援センターに行って

政治参加ネットのメールから転載です。
[seijisankanetML][00783]
被災地障がい者支援センターいわて
2011年11月14日 月曜日 午後1:07
皆様 八幡様
 9月のはじめ、被災地障がい者支援センターに行って来て、その様子を報告しますと勇ましく言っていたのに、今頃の報告になり、ほんとうに申し訳ありません。
 八幡さん、その節は大変お世話になりました。
 もう盛岡も大船渡も寒いでしょうね。
 以下、長いですが、私のブログにも書いた2ヶ月前の報告です。
 9月5日いわてのセンターの事務所に行く直前に、電車を下りる時に足をくじいてしまい、痛みをこらえてやっと被災地障がい者センターいわての事務所にたどり着きました。
 笑顔で迎えてくれた八幡さんや事務所の人に「大丈夫です。」と、私も笑顔であいさつしましたが、実は足の痛みで頭がいっぱいだったのです。「運転できますよね。」と聞かれ、「いえ運転できません。」これが一番事務所の皆さんをがっかりさせたようです。
 津波で被災した沿岸部へ支援に行くためには、車で2時間半山を越えて行かなければなりません。往復で5時間。支援に行くためには車の運転が必要なのです。支援センターの事務所には、スケジュール表が貼りだしてあり、ポストイットがたくさん貼ってあり、どのようなニーズがあり、だれが支援に行くのかが一目で分かるようになっています。私は、翌日、大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人に聞き取りに行くことになりました。
 事務所の上がボランティアが宿泊できるアパートになっていて、沖縄から長期に支援に入っている女性といっしょに泊めていただきました。八幡さんは1階の事務所の裏で寝泊りしているそうです。
 食事は交代でつくり、夕食が終わったらミーティングをして、情報の共有と明日の予定を確認しあいます。
 痛い足は大きく腫れなかったので、経験上、骨折ではなく捻挫だと自己診断し少しは安心しました。(私は今まで何度も足首を骨折したり捻挫したりしています。)翌朝は、少しは痛みもおさまり、関西から来たボランティアの青年と長期で支援に入っている青年の運転で、大船渡市に向かいました。美しい景色の遠野を通り、運転できない私はただ乗っているだけで申し訳なかったです。
 大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人にお話を聞きました。住宅は木造で外側にはスロープや視覚障害者用の誘導ブロックがありました。しかし、住宅の中は障害のある人にとって使いやすいものになっていません。台所は流しの下は収納がなく、車いすが入るように空いていますが、なべなどの収納が上の手の届かない吊り戸棚になっていて、結局台所用品を床に積み上げることになり、台所は車いすでは回転ができない狭さになっています。 風呂場に入るには段差があります。部屋の引き戸は重くて開けられません。危ないからベランダをつけて欲しいと要望していた掃きだし窓は、転落事故があってから、やっとベランダがつけられたそうです。障害者用仮設住宅だというのに、障害者が住んで不便な状態になっているのには驚きました。なんでこんなことになるのかが、一番の問題です。
 住民の方からお話を聞いて帰ろうとした時に、この仮設住宅の一部屋に配置されている生活支援員の人から、勝手に来ては困る、支援員に断って欲しいと声をかけられました。大船渡市は障害者用仮設住宅だけでなく、すべての仮設住宅の団地の中の一部屋に生活支援員を9月から置いたそうです。他の仮設住宅に住んでいる人達からも支援員というより、管理員のようだと言われています。民間の業者に委託されていて、支援員の人もどうしていいかわからず手探り状態のようでした。
 あれから2ヶ月がたちました。冬は雪で山越えもむずかしいので、沿岸部に支援の拠点を設けたいと八幡さんは言っていました。長期に支援していくためには地元で支援センターの職員を雇用していきたいと言っていました。 9月も地元の若者が支援センターの非常勤職員として仕事をしていました。被災地障がい者支援センターを支えているのは、全国の人々から寄せられる「ゆめ風基金」へのカンパです。私達は「ゆめ風基金」へカンパすること、継続的に被災地を支えていけたらと思います。 
                                              佐藤浩子

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