東北の冒険、わたしたちの冒険 救援本部大阪会議の報告

 遅くなりましたが、10月7日の救援本部大阪会議の報告です。
 震災から7ケ月がすぎ、仮設住宅への入居がほぼ完了し。それぞれの生活の再建が取り組まれています。この間、救援本部では、沿岸部支援のための拠点建設、整備が進められています。仮設住宅などの訪問調査活動やニーズの高い「移送サービス」の提供、行政制度の活用の支援や現地の福祉サービスの再建、拡充のための支援などに取り組んでいます。
 岩手では被災地障がい者センターいわての盛岡本部の他、新しい拠点として宮古支部を建設中のほか、現地の団体のハックの家、AJU自立の家という連携拠点があります。
宮城の被災地障がい者センターみやぎでは仙台の本部の他、亘理支部が現地の団体の「ささえ愛山元」の協力で早くから活動していましたし、登米支部も大阪の「そうそうの杜」、「大阪市知的障害者育成会」、「加島友愛会」の支援のもとで活動していましたが、このたび現地採用で人員を3人体制にして、より支援活動を強めようとしています。
 さらに、大船渡、石巻にあらたに障がい者センターをつくり、試演活動の拠点とする他、緊急時の駆け込み寺やカフェサロンとしても機能させようとしています。
原発事故による放射能汚染という、もっとも困難な状況にある福島では、長期的に避難することを希望する障害者が増えています。
 現在10人ほどの方が移住を希望されていて、具体的に何人かの人が移住しつつあります。そこで、移住のための県外拠点作りが計画されています。
 被災地はすでに寒く、これからは冬対策が本格化します。迫り来る冬に追いかけられるように被災地の支援活動は拠点を沿岸部にもつくってきました。
 仮設住宅での寒さ対策に加えて、移送サービス、移送支援のニーズが高まっている中、凍結地での車の運転に慣れていない関西や東京からのボランティアによる支援は難しいのが現実です。そして、中長期的にも現地雇用による継続的な支援が望ましく、介護サービスの充実など、支援からサービスの事業化を進めていくためにも地域での雇用や、地域の団体との連携を進めていこうとしています。
 各方面から注目されている障害当事者派遣プロジェクトは、救援活動で出会った被災地の障害者の自立支援に定め、9月12日から10月17日までは大阪の夢宙センターから派遣し、それ以後はJILの加盟団体に呼びかけ、すでに数人の方が申し込みされています。自立支援を目標にしている関係で、当事者派遣プロジェクトはILセンターで自立支援をしている人を対象とさせていただきます。
 そして、震災発生時から障害者救援本部大阪と障害者救援本部東京が連携しながら支援活動をしていましたが、より緊密に連携していく体制をつくりました。
 会議の最後にゆめ風基金代表理事の牧口さんが、副代表の河野さんと障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」の取材で仙台に行った時の話をされました。
その中でとても印象的だったのは、ひとりの障害者のお父さんが「生まれてからずっと、親子が離れたことは一度もありませんでした。今度の津浪で一時離れ離れになり、とても心配していたのですが、見ず知らずのひとがついていてくれて、助かっていた。ほんとうにうれしかったけれど、なぜかこどもが大人になっていてびっくりしました。一週間もたっていないのに、自分でいろいろするようになっていた。」と話されたそうです。
 こどもが自立していくために、とくに障害をもつ子どもが自立していくためには、親離れ、子離れがもっとも必要だといわれますが、この震災の混乱の中で親子が離れ離れになったことで、いのちのリスクをこえて自立への小さな一歩を垣間見たという、とてもうれしい話ではあります。
 しかしながらその一方で、家をうばい、家族をうばい、友をうばい、そして無数のいのちをうばった理不尽な震災がなければ、こんなかすかな一歩さえも踏み出せなかったのだというとてもかなしい現実に、そのお父さんに対してではなくこの国や社会に怒りをおぼえずにはいられません。
 別の人が言われたそうですが、「なにもかも根こそぎやられたのだから、今度こそ障害を持つひともそうでないひとも、ともに生きる町をつくりたい」。
 そうでなくては、いのちを絶たれた多くの人に申しわけが立たないのです。
次回の救援本部大阪の会議は11月11日(金)、パーティパーティで行います。

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