被災地障がい者センターみやぎの活動が産経新聞に掲載されました(以下、引用)
被災障害者の今 見えぬ全容
「どこに避難しているのだろうか」
産経新聞 8月20日(土)2時39分配信(以下、全文引用)
▲仮設住宅をまわり、支援が必要な障害者を探す被災地障がい者センターみやぎのスタッフ(写真:産経新聞)
【届かない支援】
日焼けしていた顔に疲れがにじんでいた。炎天下、仮設住宅を一軒一軒訪ねて回る男性たち。支援を待っている障害者を探しているのだ。
宮城県のほぼ中央の沿岸部にあり、東日本大震災で180人以上が犠牲になった多賀城市。大阪府からボランティアで現地入りしている宮内孝文さん(30)も連日、足を棒のようにして歩き回っているにもかかわらず、誰にも出会えない。「どこに避難しているのだろうか」。力なくつぶやき、また別の仮設住宅に車を走らせた。
宮内さんは、仙台市で4月、NPO法人など14団体が集まり発足した「被災地障がい者センターみやぎ」の活動に参加。センターでは、障害の状態に合わせたきめ細やかな支援の必要性を自治体に訴え、どこにどのような障害者がいるのか情報提供を求めてきた。が、自治体の担当者は異口同音に「個人情報保護法があるから」と言って情報提供を拒んだ。
だから、助けを求めながらも声に出せない障害者を探すことから始めなければならない。地元の授産施設などを訪ね、利用していた障害者が今、どこにいるのか、職員らから教えてもらうのだ。やっと自宅を探し出し、避難所や仮設住宅を1カ所ずつ回りながら安否を確認し、必要な支援を把握する。その作業は震災から5カ月以上もたった今も続いている。
阪神大震災の被災障害者を支援する活動で実績があり、同センターとも連携を取るNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市東淀川区)。その理事の八幡隆司さん(53)は「とりわけ自宅で暮らしている障害者は支援の手からもれている可能性がある」と表情を曇らせる。
八幡さんは震災1週間後後の3月18日から被災地に入り、避難所の見回りを続けてきた。しかし、障害者はほとんどおらず、目にしたのは自宅で耐えている障害者とその家族だった。
「東北では関西に比べて家族や地域で障害者を支えるケースが多く、福祉サービスを提供する事業者が少ない」と八幡さんは福祉基盤に違いを感じた。このため被災しても誰にも頼れずに孤立するケースも相次いでいた。
来る日も来る日も障害者を探し、片道2時間かけて向かった避難所で一人の障害者にも出会えないこともある。八幡さんは「私たちの目的は支援であって、調査ではない」と、いらだちを隠さない。
障害者手帳を持つ人は、被害が甚大な宮城県の沿岸部15市町で約7万2千人、岩手県では12市町村で約1万9千人、福島県では相馬市など13市町村で約3万2千人に上る。しかし大震災で被災した障害者の人数はいまだに明らかになっていない。
全国13の障害者団体でつくる「日本障害フォーラム」も障害者が置かれている状況の把握に努めてきたが、7月までに接触できたのは宮城県で1435人。手帳を持つ人の約2%でしかない。
同フォーラムの原田潔さん(46)はこう訴えている。「数字によって可視化されないと支援につながっていかない。人数はすべての活動の基礎になる。行政側は公式なデータを出すべきだ」
東日本大震災から5カ月余りが経ってもなお、支援の手が届かない障害者が大勢いる。取り残されている被災地の障害者の実情に迫る。
以上