ヒデの救援レポート、8月1日

ヒデの救援レポート、8月1日・31
 7月15日~16日の、精神障害者地域生活支援協議会全国大会での、ヒデの記念講演に対しての、反応ハガキが届きましたので、テレ印付きですが転載します。
 あみ全国大会in徳島で沢山お話しを聞かせてもらって、とても嬉しかったです。それで、やっぱり河野さんは素敵やと思いました。もちろん真実を見抜く眼やブルドーザーのような馬力もすごい素敵なのですが、なにより惹かれるのは、話しの端々から現場でがっつり本人たちと向き合ってるっていうのが伝わってきちゃうところです。大震災救援活動も一緒です。本人たちと本気でぶつかって、楽しんでやりとりしている臭いみたいなものがぷんぷん臭ってきて、ぼくもそう在りたいと想ったのです。またお酒を飲みながら、沢山お話しさせてもらえたらと思います。茨木の実家に帰る時に、一度お寄りしたいとも思っています。
徳島県板野郡、障害者就業・生活支援センター・わーくわく・S
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、7月25日までに、167586438円。7月30日までに、168752004円です。これまでに支援した団体、個人への金額。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
京都からの情報発信の風景文化を変えるには
京都花園大学の八木晃介さん発行の個人情報紙・試行社通信よりの抜粋。
連絡電話075-221-2672
 たとえ電力が不足しても、しなくても、原子力発電はいらないのだ。否、あってはならないのだと私はようやく判然と宣言する決断がつきました。いまごろ何を寝惚けたことをいっておるのかと、きびしい批判が集中しそうですが、原発由来の電気の約三割方を依存してきた従来の生き方を総括しないままに脱原発や反原発を主張することに、どこか多少の後ろめたさがあったことは否定できません。
 だが、問題は過去ではなく現在であり、今後なのです。今、そして、これから自分はどのようにどんな生き方を選びとるのか、そこから考えなおす以外にありません。戦争中のことはしりませんが、戦後、私にものごころがついて小学校に入学した1950年中頃まで、しょっちゅう停電していたことは記憶に鮮明です。戦後の混乱期における電力不足ですね。あわてて蝋燭をさがして灯をともした途端、突然、何事もなかったように、再び電灯がつくことの繰り返しでした。電化製品といってもラジオ以外なにもなく節電などしようにもできなかった時代です。
 いまはライフラインを電力とITに依存しているので、突然の停電がおおいなる混乱をもたらすことはいうまでもありません。3.11以後、無意識に節電している自分に気づくことがあります。これまで使っていない部屋の電気を点けっぱなしにするということはあまりなかったのですが、今はそれが飛躍的に徹底できています。各部屋のエアコンその他の電化製品もパソコンと冷蔵庫以外はコンセントから引っこ抜いています。
 マンションの部屋は八階で、おまけに軽症ながら椎間板ヘルニアの持ち主なのでさすがにエレベーターをもちいますが、大学の研究室は四階なので昇降とも大部分歩きです。その他いろいろ。原発が全部停止しても電力が不足しないことは理解していますが、それとは別に、大袈裟にいえば自分の文化を少しかえたくなっているのかも。とはいえ、まだまだ不十分ですが。ウンヌン。
被災地3県障害者センター統合本部のある、仙台市の自立生活センター・シィILたすけっと機関誌ステップ震災特別号より転載
○震災、そして復興へ・・・たすけっと代表・及川智○
 2011年3月11日14時46分、M90、最大震度7という凶暴な地震は、津波というより凶悪な怪物をつれ、東日本太平洋岸を襲った。発災時、たすけっとでは重苦しい会議中で、弱く始まった揺れに乗じて軽口を言いながらいた。揺れは大きく強くなっていき、私は電動車いすの上におり、頭を抱えたり、アーレストを抑えたりと、無意味な行動を取っていた。5分以上にも及ぼうかという揺れが治まったとき電動車いすはよっぽど重いのだななどと倒れなかったことに感心した。
 雪が降る中、車いすを小学校へと走らせる。途中で貸して頂いた毛布は雪にまみれていた。16時過ぎ、暗くなりかけていた体育館でじいっと待つ。余震が起きる度にどよめく館内は次第に人数が増え、トイレへ動くことさえままならない。時間を追って配られる、毛布やバナナをもらいに行くことさえ、ためらわれた。22時を回り、通路が確保できなくなった頃に、水が出て、石油ストーブがあったたすけっとの事務所へトンボ返りしたのである。
 事務所には同じように避難所にいられずに戻ったメンバーがおり、相談室として使っていた部屋に15名程度固まり、毛布にくるまりながら、ラジオから流れる情報に聞き入った。横になれず、一睡もしなかったが、いつも一緒にいるメンバーがそばにいるということで安心だった。夜が明けると、安否確認とともに、事務所を緊急避難場所にすべく、寝具や食料、日用雑貨などを持ち寄った。
 3月12日夜には、事務所に電気が通った。拍手が起こり、明かりのありがたみが身に染みる。携帯が動く、PCが使える!一斉に安否確認のメールを送信した。事務所前で携帯電話の充電サービスをはじめた。できる限りのことをしよう、そういう思いだった。
 震災から一週間後、全国からあったかい気持ちがたっぷり詰まったたくさんの救援物資が届き、それを障害を持つ方へお届けする活動を始めた。普段受けている支援が受けられない、普通支援を受けていなくても震災で支援が必要になる場合もある。たとえば震災でけがをしたとか。
 私も普段の介助体制ではなく、なるべく少ない人数で介助を受けた。災害が起こると、一番置き去りにされやすいのは障害者だ。サポートをする人も被災していれば、どうしても支援・救援は遅れる。裏を返せば、普段からの支援者からしか支援が受けられない。もっと広い関係性を持つことが重要だと反省も込めて思う。
 自宅アパートは奇跡的にもさほど被害はなかった。書類や本が落ち、風呂のタイルが一部はがれただけだった。電気が通った3月14日、事務所からアパートに戻った。マンションのエレベーターが動かず、部屋に戻れないメンバーとの共同生活だ。灯油使用も最小限にするために設定温度を最低にした。相当節約できたので、現在も設定は最低のまんまだ。
 津波の被害があった地域と被害がない地域、この震災はそこで生活が二分されるように思う。津波の被害がない地域は電気、ガス、水道、物流が戻りほぼ元の生活が可能である。私も生活自体はもとに戻った。しかしながら、3月31日に立ち上げた被災地障害者センターの活動を通して見えるニーズは、震災があったから生まれたニーズよりも震災前にもあったが表に出てこなかったニーズが多いと思う。これらのニーズに応えられる街をつくっていかねばならないと思っている。以上
サポートグループ風からのお便りゆめ風基金事務局の方へ!
 先日は、お電話で失礼致しました。早速、リーフレットとたよりを送って頂き、ありがとうございます。私たち「風」の新しいパンフレット「売り上げを被災地の障害をもつ方々へ」を作りました。そこにゆめ風基金さんを通して行うこと等書かせて頂きました。フエルト作品を買って下さった方には、このパンフレットとゆめ風さんのリーフレットをお渡しして頂こうと思っています。
 このフエルト作品を常時置いて下さっているのは、鎌倉にあるお店で、
 アジアンCafe「ソンベ カフェ」さん
 フェアートレードの店「かまくら富士商会」さん
 岩盤浴の店「ハマム」さん(おしゃれな女性専用)
です。
 この他にも、フリーマーケット等にも、余裕があれば出していきたいと思います。夏はフエルトのシーズンオフですが、同封致しました虹とお日さまは、少しずつ売れています。
 秋はハロウィンシリーズ。冬はクリスマスシリーズ。春はおひなさま。そして、バラのコサージュを作っております。私たちの活動をそちらのブログで紹介してくださるようなお話しをして頂き、ありがたいです。このパンフレットの文章は、どこでも使って下さい。
 彼らの写真はなしでお願いします。作品はOKです。
 売上は、ほんの少しずつですが、貯まりましたら、振り込みますね。4、5月分の売上プラス今までの分が少しありますので、7月中に振り込みます。どうぞこれからもよろしくお願い致します。
                        6月30日・サポートグループ風代表・関原和佳子
                        
被災地障害者支援センターいわて活動報告の2
 CiLもりおかの事務局長である今川さんを代表として、責任者八幡さん、専従スタッフ5名と全国からのボランティアが集まり、被災沿岸部を中心に被災障害者を支援しています。
 主に、避難所や仮設住宅、自宅で生活をしている障害者への物資提供や人的支援などを行っています。物資提供のみの支援は、7月末で終了し、人的支援や移送サービス、社会資源への引き継ぎに移行していく。その他では仮設住宅の調査スロープの設置状況、集会所の有無、障害者の入居状況、住宅改修の相談等を行っています。
開設当初は、被災されている障害者がどこにいるのか町の人に聞いたり、ポスティングを行ったりしていました。 6月半ばくらいから何人かの支援がはじまり、そこから口コミで支援センターのことが伝わり、支援が本格化していきました。現在は見守り支援、移送、自宅への介助者を派遣、引き続き聞き込み、ポスティングを行っています。以上。つづく
福島の子どもたちを招く夏休みキャンプボランティア募集と募金のお願い
 3月11日に起きた東北関東大震災と原発事故により、今、福島県では多くの子どもたちが被災の苦しみに加え、屋外での活動を制限され、不自由な毎日を送っています。
子どもたちに、夏休みの一時期だけでも、放射能汚染の不安を感じることなくのびのびと遊べる環境で過ごしてもらいたい。その思いから、明石を中心に、主に子育てに関する市民活動をしてきたメンバーが福島の子どもを招きたい!明石プロジェクトを立ち上げ、二週間の夏休みキャンプを企画しました。
 どうか多くの方にこのキャンプをご支援をいただきたく、お願い申し上げます。
 明石であそぼう!たこ焼きキャンプ
 期間011年7月30日(土)~8月11日(木)
 場所・明石公園内・兵庫県高等学校野外活動センターあさぎり寮
 対象・福島県内の小中学校生、乳児およびその保護者30名
 はんごう炊さん、海でのカヌー体験、ミニ縁日、近郊施設の見学など、様々なメニューを考えています。子どもたちが楽しくゆったりと過ごせ、リフレッシュした気持ちで帰れるようなキャンプを目指します。
 ボランティアを募集します。子どもたちと遊ぶ、子どもたちを見守る遊びボランティア・子どもたちの食事や洗濯など、生活面を支えてくれるホストペアレント、明石近郊の方・食材の提供、炊き出しをしてくれる炊き出しボランティア・そのほか、楽しい企画の持ち込みなど。
 どうぞ、募金をお寄せください。子どもたちの家庭への負担は最小限に抑え、費用の大部分は募金でまかないます。ぜひ多くのみなさんのご協力をお願いします。
賛同団体・市民まちづくり研究所・被災地NGO協働センター・NPO法人フリースクールふぉーらいふ協力団体・NPO法人寺子屋万丈舎、会津若松市・NPO法人ビーンズふくしま、福島市・コープともしびボランティア振興財団・神戸大学ボランティア支援室
以上!

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