障害者派遣プロジェクト4
「被災地障がい者支援センターいわて」での活動報告 2011年7月25日
≪活動内容≫
私達は7月16日~7月23日まで活動しました。私達が一週間の活動としましては主に現地の障害当事者の方の支援と岩手県宮古市にセンターを立ち上げると言う事でその物件探しなど当事者目線で行ってきました。
最初に私達がした事は、当事者をさがす目的で岩手県田野畑村にある「ハックの家」という作業所の夏祭りに出かけました。田野畑村までは盛岡のセンターから片道2時間半ほどかかる所にあり山の上にポツンとあるような作業所でした。その祭りには作業所関係者や地元の住民や青森のボランティアなど150名ほど来ていました。お祭りでは青森からのボランティアの方々がお肉やスイカなどを無料で振舞っており活気があり復興ムードが伝わってきました。中でも岩手名物「さんさ踊り」は祭りの盛り上げをいっそう引き立てていました。その祭りで作業所の当事者のOさん(27歳女性、脳性まひ)に出会いました。手動車椅子に乗っているが自分ではこぐ事はできないかたでいろいろ話をすることができました。その中で彼女の悩みとしては主に3つありました。
●同年代の当事者と話をしてみたい。
●買い物などを通して外出してみたい。
●もう少し自由に使えるお金が欲しい。
と言うことでした。同年代の当事者と話しをしてみたいということについては、やはり私達の住んでいる西宮とは違い障害当事者と出会うことがめったに無いようでした。その作業所にも会話ができる人はいるようですが2人しかいないし1人は入院していているようでした。
買い物などを通して外出してみたいと言う事については買い物に行くための支援がないということでした。
もう少し自由に使えるお金が欲しいという事については、作業所から貰える工賃(3000円程度)しか使えないらしく買い物もままならないようでした。
それをふまえて今後の支援体制としては一週間交代でくるメインストリーム協会からの当事者スタッフが支援を継続していくことになりました。
具体的な支援内容としては本人の胸の内を話をしてもらい(ピアカウンセリング方式で)
つつ外出などにつなげていければと考えています。
次に活動した事としましては被災地障害者支援センター岩手が岩手県宮古市に被災地障害者支援センターを立ち上げたいということで宮古市で物件探しを行いました。
なぜ宮古市でセンターを立ち上げるかと言うと盛岡市と宮古市などの沿岸部は車で片道2時間以上かかり効率が悪いということと、冬になると盛岡市と沿岸部をつなぐ道路が寸断される可能性があると言う事でした。被災地センターがどういうセンターを宮古市につくりたいかと言うと現地の当事者があつまれるような場所にしたいと言う事でした。
その物件探しでは宮古市で2件ぐらいみることができました。そのうち1件は津波で80センチつかってるものの、当事者目線でみても、とても広々としていて当事者が集まれる環境としてはとても良い印象を受けました。
この他の支援としましては仮設住宅に住んでいる方々の人工透析治療のための通院の送迎を何件か行いました。仮設住宅と病院とはかなり距離があり、毎回タクシーを使っているとお金が凄くかかってしまい生活ができなくなるいう状況でした。
送迎のサービスなどは被災地はまだ機能していないようで困っているふいともまだまだいそうな印象を受けました。
≪全体を通して≫
被災地の街の現状は震災から4ヶ月経っていてガレキなどは片付いているとはいえ街がまるまる無くなっている様子は悲惨な状況であった。所々に、まだ震災当時の被害をうけた建物が残っており津波の凄さを物語っていました。支援を通して被災した方々にいろいろな話をうかがう事ができました。沿岸部は漁業の町なだけに港が壊れていたり船が流されていて仕事に復帰できない人が多数いられると言うことでした。
障害当事者に関しては街で見かけることは極端に少なく、もう少しいろいろな人と出会いたかったが出会えなかったことが少し残念ですが、ハックの家で出会ったOさんとの出会いを大切にし、これからもいろいろな形でつながっていきたいと考えています。
今回のこのような経験や活動を今後の私達の活動に生かしいろいろな方に伝えていきたいと考えていると同時に岩手県の障害者福祉の発展に微力ながら貢献していこうと考えています。
鍛治 克哉
脇 英二郎