東北の冒険、わたしたちの冒険 障害者救援本部大阪の会議報告 

東北の冒険、わたしたちの冒険
 2011年7月22日夜、パーティパ―ティで障害者救援本部大阪の会議があり、40人の参加をいただきました。
 地震発生から4ヶ月が過ぎ、被災地では仮設住宅の建設が進み、仮説住宅に入居する障害者への支援が本格化する一方で、福祉避難所、自宅、親戚の家での避難生活を余儀なくされている人への個別継続支援、さらに被災障害者の存在と実態を掘り起こす調査活動も続き、より支援の幅が広がっています。
 その中でも、中長期的な視点に立ち、現地のひとたち自身が中心となった復興、再生をめざし、現地の支援拠点の拡大と整理、現地での雇用、現地の障害者グループへの事業委託などを進めていくことなどを模索しています。
 毎回のことですが障大連の細井さんの丁寧な資料を基に、被災地の現状をゆめ風基金の八幡さん、現地でのボランティア活動を体験されたひとたち、障害当事者として福島の支援活動に参加された古井さんの報告がありました。
 
 仙台では現地のボランティアの人たちの活動を組織して、調査活動の継続や個別支援のとりくみをしていますが、現地のCILたすけっとのスタッフは、通常の業務と被災地支援が重なり、疲労が蓄積していると思われます。長期的な安定した支援が必要となっています。
沿岸地域の南部にある亘理町に「駆け込み寺」を設置し、津波で職を失った介護保険施設「たすけあい山元」の職員の方たちの協力で運営しています。
 沿岸地域の北部にある登米市にも「駆け込み寺」を設置し、現地での雇用とあわせて大阪市従業員労働組合、大阪市交通労働組合、そうそう杜から派遣しているボランティアのひとびとによる支援活動が続けられています。
現地の報告として、仮設住宅は建て終わったところがある一方で、まだ建っていないところもあります。仮設住宅の問題として、砂利が敷き詰められていて、車いすでは移動ができません。要望から舗装することになっていますが、少なくとも8月中はむりということです。仮設住宅は改修できないことになっていましたが話し合いの結果、県では改修してもいいという回答をもらいましたが、市町村の担当者にはまだ伝わっていないケースが多いようです。また避難所では救援物資が届いたものが仮設住宅では自力で調達しなければならず、ケースバイケースで支援しています。生活保護や年金の手続きなどもする場合があります。
 福島の報告では、介護を必要とする障害者が集められ、県外の施設に定員を無視して移動させられたそうです。迎え入れた施設では「迷惑だ、帰ってくれ」と言われたりしたとも聞きます。長い年月をかけて障害者運動が作りあげてきた地域での自立生活がこわれ、施設に逆戻りしてしまっているということでした。
また、福島もふくめてスロープつきの仮設住宅が一割程度あるそうですが、障害者が優先入居できるわけではなく、また内部がバリアフリーでもなく、意味がないのでスロープをはずしてほしいという要望さえあるそうです。
 岩手では、障害当事者による支援活動として各方面から注目され、わたしたちの熱い期待を背に、試験的に西宮のメインストリーム協会の障害当事者の派遣が始まっていて、すでに4組目が現地に派遣されています。
 この活動は障害者救援本部東京の会議でも決済されていて、8月末にメインストリーム協会の佐藤さんが岩手の今川さんと協議し、秋からの本格的な派遣にむけて全国の障害者に募集をはかることになる予定です。
制度が進んでいるといわれる地域では、制度を要求し、たたかってきた多くのひとたちの血と涙でつかみとった歴史を持っています。だからこそ、今からその制度を勝ち取っていく運動は、被災地の障害者にとっても派遣された障害者にとっても苦難の歴史の重みを受け止めることでもあります。そして、どの地域にも自分らしく生きたいと願う障害者の心の炎は消えずにあることを、わたしたちはそのレポートから知ることになるでしょう。
それらの報告の後、今後の活動としてはあらためて現地雇用をふくめ現地のひとたち自身による復興、再生をサポートすることを大原則とすることを確認しました。
具体的には、
1.今後移送サービスの要望が増えることが予想されるため、各拠点の拡大、機能充実をすすめる。現在、登米市の拠点では大阪市従業員労働組合が移送サービスをしています。
2.継続できる事業の設立と運営のサポート。現在、陸前高田では障害者家族会「かたつむり」と高齢者居宅介護事業所「すずらん」が一体となり、就労継続支援事業B型を設立しようしていて、ゆめ風基金から支援金を送ろうとしている。
3.バリアフリーの町づくり。復興計画ができましたが、社会福祉施設の充実が盛り込まれ、障害者が地域で自立生活するということはまったく考えられていません。仮設住宅のバリアフリーを要望することとともに、復興していく町がバリアフリーであることを強く要望すること。
 などを話し合い、現地の要望にそった息の長い支援をつづけることを確認しました。
 そして、最後に11月23日、大阪市の扇町公園と山西福祉記念会館で、この4ヶ月間の支援活動を通したネットワークを生かし、若い人たちが中心になった実行委員会によるイベント「東北-関西 ポジティブ生活文化交流祭」を開くことを話し合いました。
 その後このイベントの実行委員会(準備会)を開き、具体的な準備を話し合いました。
 イベントのことについては、またあらためて掲載します。

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