現地ボランティアのナマナマ情報4

6月15日から22日まで東北に行ってきました。報告が大変遅くなりました。

滞在中は、「被災地障がい者センターみやぎ」のボランティアとして「CILたすけっと」で大変お世話になりました。

多くは、被災地センターのある仙台市に隣接する名取市・岩沼市の仮設、役所や事業所を回りました。避難所から仮設に生活が変わり、不満や先行き不安の中で、とにかく話したいという人たちと出会ったことが印象的でした。砂利道の歩きづらい仮設をウロウロしていたら、向こうから声をかけてこられます。僕の歩き方が目立つのかもしれませんが。

仮設の生活は、通院や買い物の不便さが多く聞こえてきました。早くに奥さんを亡くし一人暮らしのお父さん、3.11後より障害が重く生活がしんどくなったにもかかわらず、こちらのサポートに「こんなことされたら、いつまで続くのか気になるから止めて」と照れ臭そうに言いました。また、精神面で障害になり、物理面、経済面でも負担が大きくなってきている人もいました。慣れない生活環境の上、コミュニティが保たれているのか、神戸の震災後の状況と重なってしまいました。

逆にコミュニティがあり、活気づいている仮設もありました。そこは、障害をもちながら仮設の世話役をやっている人がいて、何回か行きました。その人を支援するというよりも、そこの仮設の他の人のニーズを聞きながら、その人のことを気にし続けていこうというセンターの目論見でした。自分のことを顧みず、仮設の他の人のために走り回っているという感じの人ですが、いつ気持ちが折れるか心配です。こちらが訪問して僕の体を見ると実は他にも障害があると言い、来訪を喜んでくださり、涙を流しながら手を握ってくれたことが強く心に残りました。後でセンターとして、そこの仮設の集会所の集まりに参加するなど、いい関係を作りつつあるということを聞いて嬉しく思いました。

家を失い、ご家族が障害や高齢で他の施設で離ればなれになり、その施設利用で経済的負担が大きいという話もいくつか聞きました。一緒に暮らすか施設に預けるか、新しい生活をどうやり繰りしていくか、続けていけるかということで考え、悩んでいます。地元での相談を含め解決していける事業所など社会資源としっかり結びつくことが大きな課題になってきています。

名取の事業所では、関係者が被災しヘルパーなども少ない状況が続いています。仙台などと違い、自立している障害者が限られ、高齢者の事業所がほとんどです。障害者のヘルパー時間数も少なく、役所は原則論ばかりで個別事例までもっていけない状況だそうです。ある意味、仙台市と名取市が阪神間と淡路が重なるように感じました。ですが、震災を機に、どこでも厳しい状況ですが、繋がり連携が、少しずつでも必要です。知的障害の外出支援などをしている事業所からは、3.11後施設入所者が多くなったこと、自閉の人が生活パターンに変化があり落ち着かないことなどが挙げられました。精神障害者のグループホームでは、3.11は無事だったのに4日後にパニックを起こし、今でも行方不明な人がいます。

倒壊した事業所も見に行きました。社会福祉法人で多くの事業をやっており、その一つの通所の施設を失いました。日中活動として利用する障害者も多く緊急の活動の場が必要となり、別の場所で建物を無償で借り受けたものの、その建物の改造と、おまけにその後の余震で修復を余儀なくされ大きな債務を抱えています。なお、後日、ゆめ風からそこへ支援金を送ったということを聞きました。

今回は名取が中心でしたが、1日ずつ、石巻と岩手県の沿岸部の方にも行ってきました。町中が強烈な臭いとハエ、この世のものとは思われない街の姿に体の震えが止まりませんでした。しばらく言葉も失ってました。

岩手の方は仙台と違い、大きな施設が多く、街で障害者の姿が見えてこないということです。これから、障害当事者がどんどん岩手に行って、障害者が表に出るような活動(注:障害者派遣プロジェクト)が展開されると聞き、期待しています。また、今回は通過しただけでしたが、福島には原発というとてつもなく大きなもう一つの問題を抱えています。

今回は本当に短かったです。色んなことを僕なりに感じることができましたが、何もかもが中途半端な気がして、けど実はもっともっと隠れていることがあるんやって考えてしまうだけの日々が続いています。

が、たすけっとの当事者やスタッフのみなさんは若い人が多く、とてもパワーがあり、頼もしく思います。どうか、長い活動になりますが、ご無理だけはせぬよう願いつつ、僕も何らかの形でつながっていたいと思っています。

淡路島  凪 裕之

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