6月24日木曜日
今日は仮設住宅の集会所で行われているお茶飲み会に参加した。
「傾聴の会」という普段は高齢者デイサービスなどに赴きお話ボランティアをしている団体が、宮城県名取市内の仮設住宅で週一回住民の方に呼びかけて集会所に集まってもらい、お茶やお菓子を出してお話をするという取り組みにお邪魔した。
その住宅(仮設住宅に名称が付けられたが「○○住宅」「○○団地」というように「仮設」という言葉は使われていない)に住む障害当事者と関わりを持つようになり、障害を持ちながらもその住宅の要となり様々な活動をされているその人(Aさん)を「被災地センターみやぎ」がさりげなく支えていける関係を持ちたい、という野望のもとお茶会にお邪魔する作戦を実行。
当初は自治会長に受け入れてもらえず交渉に苦戦した。被災前からの町内ごとに仮設に入居している為、おそらくこの住宅の自治会長は震災以前もその地区で自治会長もしくはその町内で影響力のあった人物と考えられる。Aさんに直接交渉しても「自治会長を通してください」と返される。何とか自治会長にお許しを頂き、お茶飲み会作戦を思い描いて2週間後にようやく実現した。
集会所には60代くらいのボランティア6名ほどと、主に高齢者の住民がテーブルを囲ってお茶を飲みながら話していた。すでに話し込んでおり、突然やって来た若者が話に入れる雰囲気ではなく、床に座ってお茶汲みをしているボランティアさんの横で色々話を聞きながら観察することにする。住民2人とボランティア1人で話しているグループは、住民の1人がハンカチで涙をぬぐっている。そうかと思うとみんなで笑ったりして、お茶飲み会の役割の大きさを目の当たりにする。ぜひ他の仮設でも開催してほしいと思ったが、傾聴の会仙台の名取支部はボランティアが10名ほどしかおらず、震災以前から行っている高齢者デイでの取り組みも続いており、なかなか他の仮設住宅にまでは手が回らないとのこと。傾聴の会代表の60歳くらいの女性はバリバリのキャリアウーマンのような雰囲気で、この人なら手広く広げていくかもしれないと思った。
自治会長は話してみると気さくなおじさんだった。いわゆる「地域ボス」の風格漂うものの、帰り際には「また来なさい」と声をかけていただく。聞くと以前は小学校の校長をしていたそうで、なるほど自治会の運営にもその経験が生かされ集会所の活用やボランティアの受け入れ態勢ができていると感じた。その住宅は入居が第一次であったことに加え、そのような自治会長の存在や住宅の要として動いてくれるAさんのような住民の存在があるお陰で他の仮設住宅にはない活気がある。まだまだこれから自治会を組織しようとしている段階の他の仮設に比べ、この住宅の集会所の活用度は飛びぬけている。
Aさんは相変わらず忙しく走り回っている。業者との相談、訪問者への対応、ボランティアの調整、自治会長との打ち合わせなどなど、やること山盛りで大忙しのご様子。とてもこちらから世間話ができる雰囲気ではなく、今日は話せないなと諦める。本人が「被災地センターみやぎ」に対して支援を必要としているのは主に住宅に住む住人への物資提供(オムツ、杖、踏み台など)であり、Aさん本人への支援ではないので、こちらから見れば限界間際で頑張っているその人を何とか支えたいという思いを持たずにはいられないが、ゆっくり時間をかけて関係性を作っていく必要がある。センターの人間も、Aさんをキーパーソンのような位置づけでつかず離れず繋がっていきたいと考えている。
昨夜はボランティア10数名で飲んだ。埼玉にある知的障害者の入所施設から二人の職員が5日間のボランティアで来ている。センターの活動を知って自ら志願した32歳男性の主任と24歳女性の職員が一生懸命活動している。ボランティアに志願した理由を主任に問うと、「自分は入所施設という小さい枠の中で働いていているが、もっと広く障害者のことを知りたい」というようなことを言っていた(私の理解では)。「施設」というフレーズには敏感に反応するような支援者が多い中で、施設職員という彼らの存在はある意味異質だ。施設職員の主任の方が、飲み屋で脱・施設派の年上のボランティアに何やら懇々と説教されたり思想性について詰問されている様に大いに同情しつつも、もしかしたらこのボランティア活動が彼の価値観を大きく変えるかもしれないと思うと、「まぁそれもありか」と酔っ払いに説教されている彼に心のエールを送った。「利用者」「メンバー」というフレーズにすら反応するくらいはっきりとした思想性を持つ支援者と、「障害者に関わる仕事がしたい」という純粋な思いで入所施設職員になった人間が一緒に飲むなんて、そんな面白い場面はなかなかないのではないか。ここに来る前私は母に「毎日飲みなや」と警告されていたが、ボランティア仲間と飲むのはこれだから止められない。と言ったら言い訳がましいが・・・。
今週は社会資源調査と称して名取市内の福祉サービス提供事業所をしらみつぶしに回った。障害者を専門にしているところはほとんどなく、多くは介護保険を中心に事業を行っていた。建物がえらく立派な事業所で「こんなに金があるところはまぁ大丈夫だろう」と思ってしまうが、話を聞くと津波で利用者が大勢亡くなりヘルパーが多数被災したのも加え仕事が3分の1になった、という事で大変そうだ。対応してくださった職員の「また一からですね・・・」という言葉には、今まで積み上げたものを失くしまた一からスタートすることの大変さを感じた。
ちょっと聴き取り調査に行ったつもりの社会福祉法人では、施設長からゆめ風基金から資金の支援の要請を受けた。津波で全壊した知的障害者通所施設を案内され、急遽建設した仮の施設の見学へ行き、津波で町ごと流されたゆりあげ地区を解説つきでドライブして頂く。自分たちで許可証を取って入っていった地区に施設長は顔パスで入るのはさすが。やはり自分たちだけで車で走るのと被災した張本人に案内されて見るのとでは実感がまるで違う。日中活動の場を失った利用者に一日でも早く活動に戻ってもらおうと緊急的に作った建物は、行政に様々な申請や報告をする前に作ってしまったので補助を受ける条件を満たしておらず、あらゆるところに資金提供をお願いするもことごとく断られたという。施設長は総費用2000万円のうちの、早急に支払わないといけない工事費用900万円のせめて半分をお願いできないかと言う。とにかくどこかから金を引っ張ってこないといけないという必死さ、「被害の状況を目で見てもらって伝える!」という施設長の熱意には感銘を受けつつも、もとあった施設も新しく建てた仮の施設もそれはそれは立派で、「ゆめ風がこういう法人をバックアップする可能性は低いかも」と思っていたが、今朝八幡さんに聞くと資金提供を決定したとのこと。わたしたちの3時間は無駄じゃなかった、というよりは施設長の熱意の勝利であり、たまたま私たちが訪れたラッキーとも言えるかもしれない。数十名の知的障害者まとめて引き受ける巨大な通所施設は「地域で生きる」という運動とは違う方向を向いているように見えるが、この地域にはあの法人のような大きな施設の他に障害者が行く場所がほとんどない。ゆめ風基金がこの法人への支援を迅速に検討し決定したことは良かったと思うが、それで終わるのはもったいない気もする。将来何かの形でこの法人とゆめ風やCILたすけっとが繋がれば、支援した甲斐がなおさらあるんじゃないかと思う。
精神障害者のグループホームを訪ねて世話人に「何か情報はありませんか」と聞いたら、逆に情報を流してくれませんかとお願いされたこともあった。グループホームで生活していた60代の男性が、震災から4日目の3月15日、おそらくパニックを起して失踪した。警察に捜索願を出しているが震災から3ヶ月経った今もまだ見つかっていない。詳しい情報をFAXしてもらってローリングで回る各チームに気にかけるようお願いした。当時は雪が降っていて長靴を履いていたという。今の仙台は先週は夏日で汗をかき、今週は梅雨入りして毎日雨が降っている。その人はどこかで雨をしのいでいるだろうか。