障害者救援本部の活動に参加しているパーティパーティでヘルパーをしているNさんの現地ナマナマ情報です。
4日(土)とっておきのコンサート前夜祭ゆめ風コンサート、5(日)とっておきのコンサート、最高でしたよ!!!
前夜祭は仙台メディアテークという大きなホールの1階エントランスで行われました。震災の被害状況などを展示するパネルもあり、メディアテークもガラスの窓が割れたり天井が損傷したり被害はあったようですが今では1階はすっかりきれいになっています。日本人って本当に仕事が早い。
大阪の和太鼓クルーで避難所を回っているグループや、視覚障害の有名バイオリニスト、我らが加納浩美さん、そして仙台の“みのもんた”さとう宗幸(ムネさん)さんの出演でした。3時半からの開演にも関わらず2時から整理券を手にするために行列ができていました。ムネさん何時から出るの?と聞かれて「え、ムネさんて誰ですか?」と聞いたらとたんによそ者ということがバレるほどの人気者です。
音楽祭当日は目から鱗でした。まず規模の大きさ。仙台市民広場をメイン会場にして、その周辺一帯が音楽フェス。大阪でいえば御堂筋商店街のようなメイン通りが頭からお尻まで音楽祭をやっていて、障がい者団体が決して上手とは言えない大合唱をしているのを観客が何重にもなって見ているというのは見ものでした。三越デパートの真ん前でロックバンドが大爆音で演奏しているのも、大阪ではありえないなぁと。ところどころにエコブースというゴミ捨て専用テントが設置され、待機するボランティアがゴミ分別を手伝いますが、そもそも捨てる人達が自らペットボトルのラベルとふたとボトルを分けて捨てるお行儀の良さに感銘。大阪人にもこれができたらとっておきの音楽祭みたいなことできるかもしれへんけどな~・・・ちょっと無理かも。
とっておきの音楽祭実行委員の人に「すごく素敵な音楽祭ですね!感動しています!」とラブコールを送って色々教えてもらいました。仙台市民広場というのは日本一の稼働率、つまりいつも何かのイベントがその広場で行われているとこのこと。もともとお祭り好きな仙台で「仙台ストリートジャズフェスティバル」というお祭りが開催されて地域に根付いており、行政からジャズフェス実行委員会に「障害者も一緒に楽しめる音楽祭をしてくれないか」と委託されて補助金を受けて1回のつもりでとっておきの音楽祭を行ったのがきっかけだそうです。音楽祭は好評で「ぜひ続けて欲しい」という多くの要望があり、補助金なしで出演団体の参加費や募金などで運営を続けているそうです。
福祉は大阪が進んでる」なんて嘘やん!!!!!!!大阪に、こんなにたくさんの障害がある人とない人が街いっぱいにごちゃ混ぜのお祭りなんてないよ!!!と衝撃を受けました。後日たすけっとの及川代表に伺うと「イベントではああいう感じだけど、普段は通所施設に通っている人達なのであれは日常とは程遠い」との説明がありました。それでも、ああやって街中が大勢の障害者が存在するお祭りを受け入れサポートしていること自体にはとても魅力を感じました。ゆめ風基金の橘高さんに「やりましょうよ、大阪でも!!!」と言うと「やろう、やろう!!!」と大賛成してくれました。
もうひとつ感動したのは、いつでもどこでも必ず手話通訳が何人かのチームを組んで存在していたことです。かなり若い人も多くいましたが、おそらく福祉大学からのボランティアなども参加しているようです。宮城県の手話サークルや手話通訳問題研究会なども積極的にボランティアを出していると予想されますが、10代後半のような青年がぺらぺらと手話通訳するのを見て感動しました。
フィナーレでは数千人?とにかく人で埋め尽くされました。最後のあいさつでは自身も被災し家や家族を失いながらも今だからこそ参加したかったというような方もたくさんおられました。
私は一応ゆめ風メンバーとして被災地障害者センターみやぎのチラシを配り歩いていたのですが、個人の感触は厳しいものもありました。「今さらねぇ。もっと早くこういうことしてほしかったよ。震災直後病院に行っても透析患者以外は受け入れませんなんて言われて、私役所と喧嘩したんだから。まぁでもね、こうやって今は何とか生きているけど」と障害児の母は言っていました。ゆめ風やみやぎのメンバーとして動くということはこうやってお叱りを受けて「そうですが、それは申し訳ありませんでした」と頭を下げることでもあるんだと、ボランティアといえどそう甘くない現実を知りました。
とにかく音楽祭は最高に良くて興奮冷めやらぬという感じでした。在日韓国人のイ・ジョンミさんの「みんなちがって、みんないい」という歌は最高でしたよ。ぜひ検索して聴いてみてください。