益城町を訪れたOさんの報告~「忘れないでというか、実際に見て学んでもらいたい」~

ゆめ風基金を応援くださっている東京都在住のOさんが、21年ぶりに熊本県益城町を訪れたとのことで、電話で話を伺いました。熊本地震後の現状をOさんの視点でお伝えできればと思います。ご本人の了承のもと掲載させて頂きます。

Oさんより

私は、東京都在住の50代で障害当事者です。父と母が熊本県益城町出身で、去年亡くなった父の納骨のため、母とともに今年11月末、21年ぶりに熊本県益城町を訪れました。益城町や、熊本城、阿蘇にも行きました。「本当に大変だな」と思いました。

益城町では道を歩いていると、道路が盛り上がっていたり、ひび割れていたり、そういうものがいきなりどーんと現れてきます。

滞在中、私と母は益城町のおじさんの家に宿泊しました。おじさんの家は母屋と倉庫が二つありましたが、地震ですべて崩れました。今は、やっと以前の家の半分くらいの大きさの家を新築し、そこに私たちは泊めてもらいました。

家が狭くなったので、私と母が滞在中、おじさんはソファで寝ていました。おじさん、おばさんは80代です。胸が痛かったです。

私のいとこは、地震以前は益城町で一人暮らしをしていましたが、地震で住めなくなったため、避難所を転々とし、今は仮設住宅に住んでいます。おじさんは、いとこのために倉庫だったところに部屋を一つ建設中です。

益城町を歩いても、熊本城、阿蘇の様子を見ても思うのは、「本当に昔と変わってしまった」ということです。
道で知らない方に地震当時のことを聞いたりもしましたが、当時の様子を聞くと本当に涙が出て立ちすくんでしまいます。

 

私と母は、熊本駅に到着後、バスで益城町に向いました。熊本市内は今ではきれいになったように見えますが、益城に近づくにつれて景色はどんどん変わっていくのです。

車内で母は「変わってしまったね」と時折笑っていましたが、30年近く益城に住んでいた母は、私よりも昔の面影と比べてしまうことで、実は心の中でさぞ悲しんでいるのだろうと思いました。

畑にも段差がたくさんできていました。農家の方たちはどうするんだろうと思いました。近所の神社も潰れてしまいました。お父さんの納骨堂も実は地震で全壊し最近建て直されたものです。

なんでこうなっちゃったんだろうと思いました。
物は壊れても直せますが、人の気持ちはどうなるのだろうと思いました。
被災された方の気持ちは今でも辛いだろうと本当に思いました。

 

最後にこの報告を読んでいただいた方に伝えたいのは、私も地震から1年半以上経ってから熊本を訪れた身ではありますが、熊本を忘れないでほしいというか、被害を実際に見てほしい、見て学んでもらいたい、ということです。テレビとは全然違います。

バスに乗ってでもよいので、益城や被災地の様子を見てもらいたいと思います。

私は熊本から東京の自宅に戻ってきて、東京の「豊かさ」というものが、逆に胸にささる日々が続いています。

報告をお読みいただきありがとうございました。
熊本地震被災地の今の様子が少しでも伝わることを願っています。

(聞き手 東)

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