被災地からのお便り 仙台在住の方より

被災地からのお便り
<5月4日着>
仙台の障害者の状況、私にわかる限りですが。
通所施設の「まどか荒浜」は津波で壊滅的な被害(人は大丈夫だったらしいです)。
気仙沼の「ネットワークオレンジ」さんは障害児の受け入れ再開。
知的障害者がはたらく、パンとクッキーの店「くるみの木」(仙台市青葉区)は営業再開。
「発達障害サポートネッ-ト」さんは震災以降も変わりなく継続、ブログは頻繁に更新されています。
高次脳機能障害者の就労支援サポートをしている「ほっぷの森」さんも、運営しているレストランや農場は再開しています。
ビーアイにも、知的・自閉症・ADHD・ダウン症などを抱える子達がいます。
高校生のMちゃんは地震とショッピングや学校になぜ行けないか?がつながらず
夜中にパニックを起こし、傘を壊してしまったとのこと。
ダウン症のRくんは水槽の金魚に向かって
「ちーずちゃん、ちーずちゃん、ちーずちゃん・・・」
とスタッフの名を繰り返し呼びかけ、10回に1回くらい「ひまわりちゃん(好きな女の子)」と混ぜたりして15分くらいやっていたかなあ・・・、ちょっと気持ちが不安定な感じでした。
Nちゃんは地震以降、家から出られなくなり、ようやく先週、お母さんと一緒に来ました。
逆に「いつか地震がくる!」といつも言っていたHちゃんは、地震が来たことでようやく安心し、落ち着いたり・・・・。
私が書いたものは転載していただいてもOKです。
東京や西日本には、沿岸部の悲惨な映像ばかりが誇大に流れているような気もするので、
等身大の市民の声ということでご参考になれば・・・。
アメリカなど「地震と津波で壊滅的な被害を受けた港町・仙台」というイメージが一人歩きしているらしいけど、仙台市中心部は海から離れており全然港町じゃないですから。
また、今は山形県堺まで仙台市で山も川もあり、東北自動車道より西側はそんなに大きな被害はなかったのです。(震度4の地震程度の被害)
うちはいまだ2階は使えず、昨日ようやく罹災証明申請のための写真撮りました。
古い土壁なのであっちもこっちも崩れていて、たぶん部分的ではなく壁すべてを修繕してもらわないとダメだと思う。天井板もあちこちすきまだらけ。
この連休は沿岸部に親戚や友人がいる人たちはみな泥かきや片付けに行ってます。
粉じんやアスベストなども舞っているようで、母が勤める病院には最近肺炎の患者さんが多いとのこと。
息子の通う学校はようやく9日から始まりますが、ふたつある体育館・グランド・駐車場は危険なため使用不能です。
<4月23日着>
家族は無事ですが、毎日のようにやってくる余震で
「もう、いい加減にして~!!」って感じです。
うちは古い家なので2階は土壁がぼろぼろ落ちて使えず、
両親が子ども達の部屋に寝て、子どもらは6畳間に無理やり布団4枚敷いて私と寝ています。
3月にはなんとか持ちこたえたビルや商店も、4月の余震で倒壊・立ち入り禁止になったところもけっこうあります。
学校は始まりましたが、給食はパンと牛乳のみ(給食センターが被災しているため)。
また、小学校の修学旅行は例年会津若松(福島県)なのですが、岩手に変更となりました。
被害甚大だった沿岸部と、さほどでなかった山間部の感覚の差は大きく、戸惑いも大きいです。
各地から「支援したい・ボランティアしたい」というモノやヒトが来るのだけど
その対応で疲弊している今日このごろ・・・。
職場「ビーアイ」ではこんな動きをしています。
http://1987bei.blog.shinobi.jp/
また絵本やさんや子ども関連の仕事をしている人たちと、被災した子ども達のため
「こどもとあゆむネットワーク」をたちあげました。
http://ayumunet.jp/↑見てね。
明日は多賀城市というところに絵本を届ける予定です。

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