【熊本地震】ボランティア活動報告~永村夏美さん№3

★前記事からの続きです
被災地センターくまもとでのボランティア活動報告 (永村夏美 大阪「たびだちの仲間の会」登録ヘルパー)
6/4(土)
この日は「名古屋わっぱの会」Mさん(女性)、久留米市議会議員の藤林さん(女性)、大阪「ぱぁとなぁ」のTさん(男性)、私の4人1組で動く。
わっぱのMさんとは東北の震災後被災地センターみやぎでのボランティア活動以来久しぶりの再会であった。
午前中は益城町のお宅の片づけ。
身体4級の女性Yさんからの支援要請。
お宅は損壊がひどく住むことができないのでたまたま震災前に建てた離れに家族で避難している。
震災以前暮らしていた母屋は半壊認定を受けているが外観の写真を撮っただけで家の中の損壊を見ずに判断され不服とのことで再認定をお願いしているとのこと(※住宅診断に対して熊本学園大学・花田先生も役所に再審査を申し立てた。丁寧な審査が行われていない現状があるよう。花田先生のフェイスブックに詳細あり)。
花田さんのページ
部屋は仏壇が倒れたままで割れ物や衣類が散乱している。
もともとは台所の片づけ支援要請であったが台所に辿り着くまでの部屋も物が散乱していた。
ボランティア4名で伺いマンパワーもあった為片づけを進めさせていただく。
要るもの要らないものの選別をご本人にしてもらいながらゴミ袋6つほどのゴミを出し、衣類、孫のおもちゃ、調理用具など必要なもの持ち出しやすいよう玄関の近くに部屋にまとめる。
片づけの最後に「そういえば長年使っていたマグカップが行方不明で」とおっしゃるのでボラが台所へ見に行くとすぐに見つかり喜ばれた。
Yさんはとても明るく振る舞われ笑顔を見せてくれていたが「一人で片づけていたんじゃ途方に暮れてしまって」と時折胸の内を語られた。
益城町社協のボランティア要請に関する情報を伝えさせて頂き一旦はセンターからの支援は終了となる。
現在仮設住宅を申し込まれている。
Yさんとご家族の一日も早い生活再建を祈った。
「被災地障害者センターくまもと」にいったん戻ると事務局長の東先生が「気になる人がいるから午後様子を見に行ってあげて」とのことで精神障害をお持ちの男性Mさんのもとに4人で伺う。
Mさんは東先生のお知り合いの弟さんとのことだった。
震災後東先生がお兄さんから相談を受け、先日もセンターからボランティアが伺った。
屋根の損壊で部屋に雨漏りがしている件に関しては東先生がレスキューアシストという災害支援NPOに屋根にブルーシートを張るようお願いしている。
レスキューアシストから特殊なビニールシートをセンター(東先生?)が購入した。
昨日も別のボラが様子を伺いに行ったが留守だったそう。
Mさん宅に到着、4人で伺うと威圧してしまうかもしれないのでまずは精神保健福祉士でもある藤林さんと私の2名でお話を伺うことにする。
表の玄関は開かなくなっているので裏の部屋の窓越しに「Mさん、こんにちは」と声をかける。
お留守かなと諦めて帰ろうとしているところ出てこられた。
お宅にあげて頂きお話を聞かせて頂く。
家の扉や窓が開かない、水道の蛇口が折れて使いにくい、2階の本棚が倒れたままになっているなど困ったことを聞いてその様子を見せて頂く。
外にあと2名いるので良かったら2階の本棚を起こしましょうかと伺うと「僕もやります」とのことでMさんとボラ4名でタンスを起こし飛び出した本などを片づける。
本棚の件が解決した後は藤林さんがMさんにもう少しお話を伺う。
兄嫁が家に来て世話をしている、金銭管理をしている、兄嫁が仮設住宅を申し込んでくれている、通院、服薬をしている、病院のデイケアに通っており病院のソーシャルワーカーと信頼関係があることなどが分かった。
外から屋根を見るとブルーシートがすでに貼られていた。
たまたま出てきたお向かいさんに聞くと昨日3人ほど来て作業してましたよとのことで、Mさんに恐らくもう雨漏りの心配はない旨を伝える。
精神保健福祉士の藤林さんは「自炊しており通院服薬もできている。家の片づけも自分でされており大変自立している。蛇口が壊れているのを気にしていたのでそこはセンターが修理してあげてはどうか。そのようなご本人が困っていることをひとつずつ解決していくことによって精神状態も安定するということがある。」と話した。
後日センターから再訪問し蛇口修理することになった。
「ミーティングで聞いた話」
●福祉避難所の場所がそもそも公開されていない。自ら手を挙げた人だけが福祉避難所につながる。主に高齢者施設が福祉避難所になっている。
●センターに今まであった問い合わせで「自分は知的障害(もしくは発達障害)の親である。次大きな地震が来たら自分と子供は一体どこに避難したらよいか。一般の避難所にはとてもいられなかった」と相談が2、3件あったそう。
●センターくまもとに来る相談のほとんどが精神か身体障害者に関する内容で知的や発達障害者にほとんどつながれないままでいる。一体彼らはどこで過ごしているのか、きっと困っているに違いないと言っていた。
→私が思ったこと。
知的・発達障害の人に繋がれないというのは今のアプローチの形(避難所にビラを配る、テレビで呼び掛けるなど)のままではきっとこれからも繋がれないのではないか。
車中泊の避難者に積極的に炊き出し支援をしている団体とセンターから積極的につながるなど、今までと違うアプローチの仕方を模索しないことには現状は変わらないのではないか。
夕方の報告ミーティングの際に熊本学園大学・花田先生が協働センターから来られている女性と高野山の人権部から来ている男性2名のボランティアンを連れてこられお話を伺う。
高野山のお坊さんが災害ボランティアをしていることを初めて知った。
協働センターは本震発生後すぐ熊本入りした。
益城は報道の影響もあり支援が届いていたが歩いて被災の様子を確認していると阿蘇郡西原村に全く支援が届いていないのが分かり、そこに活動拠点を置く。
現在協働センターは、地元のNPOたんぽぽハウスという西原村の障害者福祉拠点、また高野山と連携して支援活動を行っている。
現在西原村には4か所の避難所があり、構造改造センターという所が福祉避難所になっており一般の避難者も含め約70名の避難者がいる。
ほかの3つの避難所には120~130名の避難者がいる。
福祉避難所には看護師や保健師が常駐しているが障害避難者のニーズを掘り起こせていない現状がある。
6月中旬に350戸の仮設住宅、250戸のプレハブ仮設住宅ができるがバリアフリーではない。
スロープなどは後付けか?
東北の時もそうであったが玄関にスロープがあっても居宅内にバリアが沢山ある場合がある。
集会所や談話室が規定通り(50戸に1つなど)設置されるかも不明。
構造改善センターは支援者が人手不足であるが、社協は社会福祉士か看護師に限定してボランティアを受け入れてる。
センターにボランティアに来ている広島の男性もボランティアを申し出たが資格がだめということで断られた。
西原村のその他の避難所では一般ボランティアが平日は120~130名/日、土日は200名ほどいるそう。
お話を聞かせてもらったところで東先生からお二人にセンターのSOSチラシ入りのタオルを段ボールひと箱渡して一般ボランティアなどに配ってもらうよう言づける。

(夏美さんのお知り合いのかたが写した益城町の様子。↓も同じ)

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