20年イベントプログラムより~②

東日本大震災被災地からのメッセージ
「あの時からここまで、そしてこれから」NPO法人 多夢多夢(たむたむ)中山工房(宮城県仙台市)
「とにかく、のんびりしよう」。あの地震があって、幸い施設自体の被害は少なかったものの、いつも通りに仕事なんかできない。「のんびりすること」が、震災直後の仕事になりました。
ゆっくりのんびり、絵を描いたり、踊ったり、お昼寝をしたりして、ひと安心。ゆめ風基金からの援助があって、建物が直せて、もうひと安心。アートの力を借りて、少しずつ安心をためていった日々。
そのうちに、震災バブルが、福祉施設にも押し寄せました。
「被災地を応援したい!」と、たくさんの注文を頂いて、作って、作って…。
ふと気づいて、これでいいのかな?と。
こんなに素敵で面白いメンバーと、製品ばかり作っていてはもったいない!
だから、今の仕事は「笑顔を作ること」。
ご依頼を頂いて、イラストを描いたり、絵を展示したり、パフォーマンスも!震災を経て充実したアート活動が、仕事として花ひらいて。
一人ひとりの魅力が、輝き始めています。


助成金が、希望を与えてくれました!!
NPO法人みやぎ身体障害者サポートクラブ サポートセンターころんぶす(宮城県くりはらし) 
理事長 のざわ たきこ 
3月11日PM2:46 ゴーという地鳴り音と共に、施設の建物が突然左右に大きく揺れだし、木造の施設はギーギー、バリバリという柱の歪む音と割れるような音が鳴り響き、施設内は騒然となりました。
が、この時、2年前(平成20年6月)に発生した「岩手宮城内陸地震」(震度6強)がよみがえり、あわてるな! 大丈夫!! と、利用者さんもスタッフも意外と冷静に行動した事を今でも鮮明に覚えております。
しかし、度重なる余震で、浴槽は毎日数㎝づつ沈み、フロアの隙間もだんだん大きくなり、雨漏りも始まる等、倒壊こそ免れましたが施設は日々危険性が増し、人命を預かれる建物ではありませんでした。
その年の1年間は、必死で支援してくださる団体を探し続け「ゆめ風基金」様に出会いました。
250万円という多額の助成金が、諦めかけていた施設の再建に希望を与えてくれたのです。
お陰様で翌年には新しい施設での支援活動が再開でき、隣接する障害福祉サービス事業所と共に、若年の中途障害者、要介護者の生活支援活動を展開しております。


「震災による家族の会 再結束」         
本吉絆つながりたい 障がい児・者を抱える家族の会(宮城県気仙沼市)
当会員の中には3・11の震災で家族や親戚を亡くした方々、家や仕事を失った方々が大勢います。
ライフラインが完全に止まり、障がい児者を抱える私達の暮らしはとても辛く不自由なものでした。
障がいへの理解が得られず、避難所での居場所もなく、車中で過ごしたり、親戚宅で肩身の狭い思いをしながら暮らす日々・・・ その思いを相談する場所が欲しいと切実な気持ちで精神的にも身体的にもギリギリの生活を送る1年間でした。
その間全国からのボランティアの方々には大変お世話になりましたが、未曾有の大震災という言葉でくくられ、私達にとって本当に必要な支援は届きませんでした。
仮設住宅から被災した街並みを通り、学校や施設に通っている中で、4年が過ぎた今尚、精神面・身体面で不調を訴えている会員家族の現状があります。
これからこの問題にどう対処していくべきかが大きな課題です。
私達のこの経験が今後の有事の際に活かされる対策を講じて欲しいものです。


放課後になると元気な子供たちの声が聞こえてきます         NPO法人泉里会 ケアホームめぐみ(宮城県気仙沼市)
余震や日々の生活ストレスで疲弊していく利用者、それに対応しきれない職員。今迄営んできた生活が一変したあの日‥。そんな失意の中、数え切れないボランテア希望の連絡。経験豊かで頼りになるボランテア支援はとても心強いものでした。ケアホームの再建やキッズハウスの開設、復興にあたっては団体、企業、個人の皆様から多大な支援を頂きました。皆さまからの支援に感謝の念でいっぱいです。
ホームの余暇活動のめぐみクラブでは、カラオケ、時には全員で周辺の草取り作業に汗を流しております。以前よりも利用者さん同士の交流も深まり笑顔が多くみられるようになりました。キッズハウスでは、放課後になると元気な子供たちの声が聞こえてきます。
当たり前の日常が戻りつつあります。震災で失うものも多かったのですが、それ以上にいろいろな方々に支えてもらいました。頂いた支援を活かし、今度は地域の利用者の方々を支え共に歩んでいきたいと思います。


あらためての御礼と今後の決意  
NPO法人 ひびき (放課後等デイサービス)  岩手県一関市
東日本大震災では、地震による内外装の破損や備品の損壊、また、停電による給湯設備の破損などの被害がありました。
ただ幸いなことに、当施設を利用している子どもたちやスタッフに怪我はありませんでした。
しかしながら、ガソリン・灯油の品薄に加え給湯設備の破損によりお湯が使えない状態が長く続いたため、16日間活動休止を余儀なくされました。
活動再開後も余震が続き、早く改修工事をしたいと考えておりましたところ、ゆめ風基金さまのご支援をいただき、建物の修繕等をさせていただくことが出来ました。
本当にありがとうございました。
その後も余震が頻繁に起きておりますが、避難訓練などを定期的に行い冷静に行動しております。
平穏な日常がいかにありがたいかということを忘れずに、毎日の活動を一所懸命に継続して行くことが、ご支援いただいた皆様の恩義に報いることだと思っております。
今後とも変わらぬご支援を、どうぞよろしくお願い致します。


落成式
特定非営利活動法人 さんりく・こすもす(岩手県大船渡市)
平成27年5月、地元の木材をふんだんに使った「共生型事業所とまり」の落成式が行われました。
私の父が残してくれた農地に、ゆめ風基金さんからの支援もいただき、震災後三つのグループホームを含め、四つめの建物が完成しました。
多くの来賓を迎え職員だけが緊張する中、開会の言葉は利用者のMさん。その後皆さんお一人お一人が完成の感謝とこれからの抱負を述べ、S子ちゃんが閉会の言葉を言って式は無事終わりました。
震災で私たちは多くのものを失いました。
復興といっても元いた場所に戻ることはできません。
けれど、何があっても人はこんなにも強く優しくなれること、人の生きる力は何物にも侵されないことも知りました。
それは、障害を持つ人も誰も変わりがありません。
それぞれの持場で力を発揮して乗越えてきたことの、この日は集大成でした。
障害を持つ人が中心になり、大きく被災したこの地の復興のシンボルとして「とまり」はスタートしました。


全国の皆様のお力とすまいる全員の力で復興に頑張ろう!」
特定非営利活動法人 コスモスクラブ すまいる作業所(宮城県仙台市) 
      
2011年3月11日14時46分に東日本大震災が発生しました。
その時間、作業中だった利用者は、2分を超える長く強い揺れにパニックになりながらも、咄嗟に安全な場所へ移動、周りでバタバタと倒れていく機械に怯えながら、揺れが収まるのを待ちました。
今回の震災では、400㎏を超えるボイラーが横倒しになった他、冷蔵庫、製氷機、パッケージ機など、ほとんどの機械が転倒、使用不能となりました。
利用者の多くは動揺して、ぼう然としておりましたが、帰るときは元気になり、無事に送る事が出来ました。
人的被害が無かった事が幸いでした。
そういった絶望的な状況の中、夢風基金様をはじめ、多くのご支援を頂き、震災から1カ月で営業を再開することが出来ました。
4年が経つ現在でも、全国からのたくさんの支援は続いております。
皆様の温かいご厚意のおかげで、すまいる作業所は震災前と変わらぬ運営ができる状況まで回復いたしました。
授産製品の売り上げも震災前より1.5倍に増えて事業は順調に回復しております。
今後は地域の皆様に愛される施設を目指し、より一層の発展を目指して頑張っていきたいと思います。


「超現実の災害を乗り越えて」
特定非営利活動法人 みどり会 みどり工房若林 (宮城県仙台市)
海から700m。あの日から私達の生活は一変しました。
事業所、畑、居場所等すべて失い、明日が見えないあの日からスタート。
その状況でも利用者は、懸命に力強く歩みました。
避難所の厳しい環境の中、症状と闘いながらも、高齢者のために食事を運び、また薪わり等も行いました。
障害を抱えるとどうしても支援を受ける立場になりがちですが、震災では支える立場になりました。
この経験はとても大きい事でした。
また新たな物件を探すのが困難でした。
不動産業者の事業所への偏見が強く、その中で利用者・職員一丸で物件探しを行い、ようやく見つけた物件で活動を行っています。
震災前は農業がメイン。
津波で畑を失い作業の主を手芸に切り替えました。
利用者は以前と勝手が違い戸惑う声もありましたが、自分達の居場所があることに感謝しながら過ごしています。
課題として、現ビルの老朽化がひどく雨漏りや水の滲みがありいつまでこのビルで過ごせるのか心配です。


被災前行っていた農作物や竹炭作りなど、風評被害で出来ない
NPO法人ひまわりの家(福島県相馬市) 
平成23年3月11日、私たちは東日本大震災を経験し、それから今日まで、県内外の方々から様々なご支援をいただきながら、復興への道を歩んできた。
日一日と状況が改善されていく中で、震災の記憶もまた少しずつ薄れていくのを感じている。
被災時の状況は、放射能汚染により、2軒ある精神病院が休業となった為、実質医療崩壊となり、隣接する相馬市の患者も行き場を失い、精神疾患を患う人には環境の変化と服薬できないことが一番悪影響を与えると思った。
そういった精神疾患患者を支えるため、ひまわりの家は、閉鎖された病院のスタッフと協力し、当時ガソリンもなく自転車や徒歩などで通所している利用者全員の家に確認し安定確認や薬の在庫確認等を行った。
現在、利用者が明るく前向きに通所している。
少しずつ就労の場や内職等が増えてきているが、被災前行っていた農作物や竹炭作りなど、風評被害で出来ないのが現実である。


「震災があって今がある」
障がい児放課後支援ゆうゆうクラブ(相馬市)
震災後、障がい児の児童デイサービス等の事業所も閉鎖状態となり、行き場をなくした子供たちも大勢出ていました。
津波で家を失った事により、発達障害を抱えるお子さんが、心の安定に欠かせなかったモノを失った事によって、情緒的に落ち着かなくなって問題行動を起こしてしまったり、原発事故による避難によって不安定な状況になってしまったり。
という事も多くありました。
避難所では過ごすことができずに、被災したままの家や、車の中で過ごさなければならなかったお子さんもいました。
そんな中、私はボランティアで放課後支援を始めたのですが、ニーズは増すばかりで、ボランティア活動の限界を感じるようになった時に福島県の「被災した障がい児の相談・援助事業」で活動できるようになったことで、より多くの障がい児への支援を行う事ができるようになりました。
次年度から、津波で被災した自宅を改装し、場所を移して事業を行うとなった時に、ゆめ風基金さまから、送迎用のワゴン車と、敷地の周りにフェンスを作るための資金を提供いただき、より安全に放課後支援を行えるようになりました。
ありがとうございました。
被災地復興のための予算は、被災から年月が経つにつれ減らされていく中、まだまだ地元の力が足りていないというのが現状で、慢性的な人材不足、支援者も疲労がたまり、精神的な問題を抱える方々も増えています。
特に、福島県は原発事故によって、目に見えない放射能問題と終わりの見えない不安が心の奥深くに漫然とあり、日々ジレンマとストレスを抱えた状態となっています。
そんな中でも、私の方は今NPO法人を立ち上げて、放課後デイサービスとして自立していく方向で動いています。
今後も自分たちができることを精いっぱいやっていきたい、少しでも障がい児・者の未来が明るくなるように頑張っていきたいと思っています。
(代表  かんの ゆみこ)
③に続きます

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