みちのくTRY2nd報告
みちのくTRY報告書
7月28日(日) 前夜祭
今日はみちのくTRY前夜祭。遠野にある麦酒苑というレストランと団体の合宿所に使うような宿泊施設があるところでの開催。
私は朝9時過ぎに田野畑村の小野ひかりさんを迎えにスタッフの佐々木さんと出発。
10時過ぎに田野畑村到着。
ここから遠野までは約120キロ。だいたい3時間コース。
途中でトイレ休憩と昼食の買いだしを兼ねてローソンへ寄る。到着間際に遠野の風の丘という道の駅で寄り道してから、目的地にたどり着く。
先発隊はすでに到着していて、ここで何人かの送迎を行う予定。会場となる宿舎は遠野のボランティアセンターの人たちが、子どもたちとイベントを行ってい
て、レスランでひたすら待つ。
夕方に会場が空くのを待って、部屋の確認、スロープ設置などを行う。雲行きがあまり良くない。そうこうするうちに宮城の仙台の仲間や石巻のメンバーも到
着。福島からは設楽さんが到着。
今日の夕飯は地元で車いすの修理、販売などをしている障害当事者である店場(たなば)さんの提供でジンギスカンが食べられるという。車にお米や食材、そ
れとジンギスカンをするための一式の道具を積んで店場さんが登場。
屋外にバーベキューができる場所があって設営開始。6時ごろ食べ始めると、突然の豪雨。屋根があるから直撃は避けられるものの横からの降りこみもひど
く、急遽カーテンのような幕をあわてて降ろす。食べ終わる頃には雨もすっかり止み、風呂に入ってからオリエンテーション。ここでようやく秋田の永代さんが
到着。
オリエンテーションが終わってからはみんなで花火大会。
この日は布団でゆっくり就寝。
7月29日(月)
朝7時に起床。おにぎりを食べてあわただしく出発。陸前高田の奇跡の一本松までは車で1時間。
本来なら陸前高田の奇跡の一般末までは車で近づけず、大きな通りに面した駐車場に車を置くのだが、陸前高田市のはからいで私たちは直近まで車で行けた。
一本松のところに行くと、すでにご当地キャラの「たかたのゆめちゃん」が待っていてくれました。
開会宣言、黙とうなどをした後はゆめちゃんとの記念写真も撮って、みんな出発。
まずは陸前高田市役所を目指して歩き始めます。
1時間余り歩いて市役所に到着。みちのくTRY2ndとして初めての要望書を市長に手渡しました。
また市役所には隣の町の住田町の作業所のメンバーが待っていてくれていました。
色々市長とも懇談したあとは、またもやゆめちゃんとの記念撮影。
この後陸前高田市内を抜けて、大船渡市方面を目指しますが、途中で南三陸の奏海の杜の人たち・こどもたちが一緒に歩いてくれました。
ここから僕は翌日の高知講演のため、移動となりました。
7月30日(火)
大船渡市役所要望書提出など
(八幡はいないため、内容は分からず)
7月31日(水)
朝8時過ぎにみんなが泊っている福祉の里に合流。
今日はかなりの上り坂コース。
途中何度も休憩を繰り返して、昼食も上り坂の途中の広場で食べることに。
昨日三陸コスモスさんからいただいたとうふチーズケーキの差し入れを食べて、少し元気回復しました。
午後からは上り坂を終えて今度は長い下り坂。
大船渡市三陸町越喜来で避難訓練を実施しました。
その後越喜来の宿泊施設につきましたが、ここは何ともバリアフルな施設。長いスロープも急勾配になって、何とか部屋の中へ入れるというもの。風呂がなく、
近くにある夏虫の湯という温泉施設へみんなで行って風呂に入りました。
夕飯は越喜来にある仮設店舗群のひとつの中華料理屋へ。
ただ若いお兄さんが一人でやっているお店でなんとも注文した料理がなかなか出てこない。
最初と最後では3時間近く待たされる始末で、待たされたメンバーはちょっと困惑気味でしたが、一生懸命僕たちのために調理してくれた若いシェフには感謝!
8月1日(木)
朝からすごい雨でした。気合を入れて雨の中を出発する決意をしました。
出発をすると雨はパタッとやみ、合羽を着てない人の服は書いているけど、合羽を着ている人の服は汗でびっしょりという状態。
この日は昼食、宿泊とも吉浜拠点センターというところで、駅舎の横にある施設を利用しました。
ここは三陸鉄道南リアス線で唯一動いている区間、吉浜―盛の始発駅になります。
かわいい駅舎の横に宿泊施設もありました。
午後はたまたまAJU自立の家代表の山田さんが通りかかり、一緒に歩いて下さいました。
午後のゴール地点まで一緒に歩き、私たちは昼間一度通った吉浜拠点センターまで逆戻り。
この日も風呂は夏虫の湯へ行きました。
今日の夕飯は自炊。京都JCILの松井さんと地元の知的障害の若い青年・菅野大希くんが主に調理を担当してくれました。
大貴さんは秋田の永代さんの介護もとても上手で、何をやらせても一生懸命な好青年。
8月2日(金)
今日は朝から1日被災地障がい者センター釜石にボランティアに来ているという中京大学の学生二人が来てくれました。
お二人は野球部ということで、体力抜群。坂の多い今日の行程にはうってつけの助っ人です。
夕方には釜石市役所に到着し、要望書を手渡しました。
釜石は乗り合いタクシーを利用したドアツードアの移送サービスをやっていて、新しい復興住宅はどれもバリアフリーにすると宣言していました。
街の中核再生にイオンを呼び込むなど積極的に町の再生に取り組んでいる姿勢がうかがえました。
今日の宿泊地は釜石にある消防センターの一角。全体は2階が宿舎。秋田の永代さんは2階に上がれないため、1階の6畳ほどの和室を利用しました。
8月3日(土)
今日は山やトンネルが多いところを移動でした。歩くペースが非常に早く、人の入れ替わりが多くて釜石での送迎もあり、歩くのは午前で終了。
ただ小野ひかりさんの車いすが途中でパンク。伊藤公陽さんが一生懸命直しました。
昼からは海辺にみんなで行って、釣りを楽しむ人もいました。そうはいっても地元の人曰く、ここは海には近いけど昼は魚はつれないらしいとのこと。確かに誰
も釣りをしていないし、やはり何も釣れませんでした。
ただ気持ちよく海を眺めることは出来ました。
夜はかなり山奥の公民館のような所で宿泊。こちらの持ってきたスロープと、公民館に遭った板を利用して、かなり長いスロープを作りとりあえず電動車いすの
人も寝床まで出入りできるようになりました。
夜はバーベキューと花火をしてちょっと休息の一日でした。
ただここの夜の冷え込みはかなりのもので、ボランティア1名がここで風邪を引いてしまいました。
そういえばアジサイも咲いていたし、季節がなんか2カ月ほど違う感じでした。
8月4日(日)
今日は大槌を歩きました。
今日もセンター釜石から中京大の若いボランティアが2名参加してくれました。
途中マストというスーパーと専門店が集まっている商店街の一角で昼食をとることにしました。
何を食べようかと食堂の入口で迷っていた時、ゆらーり、ゆらーとした地震がちょっと長くありました。すぐにみんなの携帯の緊急地震速報も鳴り出し、震度4
ということ。
みんな逃げてという黒柳さんの一言もありましたが、僕はまあたしたことはない、大丈夫といいました。
一緒にいた永代さんは車を3回に止めたから、3階に行くのがよいのかなと少し移動をはじめましたが、ほとんど人が避難行動を取っていなかったため、「僕だ
け逃げるのも悪いような」とまた食堂前に戻りました。そうこうしてるうちにすぐに、「この地震で津波の心配はありません」という情報が、テレビと有線放送
から流れてきました。
その後今日の目的地まで歩き、老人デイサービスの施設を借りて宿泊することになりました。
そのとき伊東明美さんから「今日の夜8時半からミーティングをします。」という声がかけられました。
ミーティングでは大半の県外の人が、「あれくらいで逃げないといけないとの思いはなかった」と反省の言葉が多くありました。
また今後は緊急地震速報があった時点で避難行動を取るとの確認がされました。
8月5日(月)
今日は宿舎がデイサービスで使われるというので8時前には出発しました。
ローゾンで朝食を済ませ、大槌町役場に要望書提出に行きました。この日は元大槌在住の車いすの青年、大久さんが参加をし、途中まで一緒に歩きました。
お昼までは長い上り坂、午後からは長い下り坂でした。
夜は青年の家に宿泊。シーツの使い方、たたみ方などを含むオリエンテーションを受け、それぞれの部屋に。
風呂も8時〜9時と時間が決められており、消灯も10時半で健康的な生活ができました。
久々に寝袋から解放された日です。
8月6日(火)
この日は朝は晴れていたものの、お昼前にかなり厳しい上り坂を越え、やっと昼食と思ったら、突然の強い雨。
それからもなかなか雨は止まず、3時くらいになってようやく上がりました。
昼前に地元山田町の障害者絆の里「希望」というグループホームの人たちが、応援に駆け付けてくれました。昼のご飯も夜の宿泊も、こちらのグループホームの
経営母体である社会福祉法人親和会のお世話になりました。
こちらは震災でかなりの打撃を受け、グループホーム使えず、法人が買い取った元ホテルに人があふれかえった状態が続いたとのことです。;
その後グループホームの人たちのために、仮設住宅としてグループホームができましたが、今は新たなグループホームのできあがり、仮設住宅が空き状態となっ
ています。
8月7日(水)
今日は朝一番に山田町へ要望書を提出しました。要望書を提出したのは地元の豊間根ひかるくん。
要望書提出後、ひかるくんも一緒に歩いたのですが、体温調節ができないため、午後からは行進から離れました。
この日の道のりは平たんだが、日差しをよける所がない、ひたすら暑いコース。
お昼もローソン横の空き地があって、かろうじて休憩が取れるものの、他には休憩場所がほとんどないのです。とにかくテントを広げて、ローソンでそれぞれに
買ったものを食べました。
ソーメンや冷やし中華など冷やし系の麺類を買った人が多かったです。
最終地である宮古市に入り込んだことでみんなちょっと感激していました。
今日の目的地は宿舎となる宮古市社会福祉協議会。
星を見る会の親子連れが夜に集まっていて、石巻の阿部さんも飛び入り参加し、天体望遠鏡をのぞいて土星の輪を確認していました。
福島の設楽さんも先週金曜日にいったん戦列を離れたものの、再度の合流。
8月8日(木)
朝に日本NPOセンターの人や地元の高校生と役所で合流し、要望書の提出。
その後出発しますが、今日の朝の坂道はこれまでにない急な上り坂。途中お茶やアイスの差し入れもいただきましたが、昼にはみんなへとへとでした。
地元の社会福祉法人若竹会が運営する老人施設で昼の休憩。弁当も同じ法人が運営する障害者団体で調理したものを頂きました。
昼からは山の中の細い道が多く、途中休憩を海に面した中の浜キャンプ場でとりました。
そうはいっても施設は全部津波で流され今は何の建物もなく、浜だけがわずかに残っている所で、昨年はここで避難訓練を行いました。
熊でも出てきそうな山道をどんどん歩き、今日のゴールへたどり着き、宿舎となる国民休暇村へ車で移動。
8月9日(金)
最終日なのに朝から雨。
でももうここまで来たら、雨ぐらいでひるむメンバーではない。
最後の力を振り絞って雨の中をひたすら進みます。
途中休憩ももちろん雨の中。
途中のトンネルがあまりに歩道が狭く危険なため、少し手間取りましたが、トンネルを抜けるころには雨も少しましになっていて、最後は合羽を外して行進する
メンバーも。
ゴール近くになって3列に歩く体制を取り直し、ようやくみんなで12時40分ごろにゴールしました。