ヒデの救済レポート

~被災地NGO協働センター~  連絡TEL078-574-0701:FAX078-574-0702
機関誌・じゃりみち、被災地支援情報NO101号からの転載
・巻頭言・あの日から3年…
東日本大震災の発生から間もなく丸3年以上を迎えます。
道路や防潮堤などの工事はみるみる進んでいますが、
被災者の暮らしは、仮設やみなし仮設、避難生活など不自由な生活が続いています。
仮設から自力再建をした人、復興住宅に入居した人もわずかですがいらっしゃいます
。しかし、残された人との心の隙間が広がっています。
阪神・淡路大震災での3年目あたりは以下のように神戸新聞で伝えています。
:兵庫県警の調べでは、仮設住宅での孤独死は計163人。その周辺に多くの死がある。
避難所などでの関連を追跡してきた神戸協同病院の上田耕藏院長は、
「生きがいがあれば、ストレスも乗り越えられる。か、仮設では、あしたもがんばって生きよう!という
気持ちをなくしてしまっていることが大きい」と指摘する。
「恒久住宅への転居が進めば、仮設に残る人の不安は増し、健康問題が深刻になる」と県担当者。
保健婦らの巡回も限られ、効果的な対策は見いだせない。
                         ー:1997年7月16日神戸新聞:ー
:市街地からあまり離れていないところに帰りたい。
もし住宅が当たっても、高齢で健康ではないので孤独な生活に対する不安がとても大きい。
慣れない土地で、人との語らいのないさびしい生活は、こちらで嫌というほど味わっている。
孤独死する人の気持ちが痛いほどよく分かる。
私たちを忘れないで、県外でさびしい思いをしている者に温かい支援を寄せてほしい。
                -大阪府、70以上女性:1997年12月20日神戸新聞ー
:
先の見えない不安を抱えていたのは、阪神・淡路でも同じ状況でした。
私も実際に仮設を回っているとき、被災者の男性が:「もう生きていてもしかたない。殺してくれ:」と叫んでいました。
私は声も掛けられず、ただただ呆然と立ちすくんでいました。
近所の被災者の方が、その男性に:「死んだってしょうがない。がんばって生きていこう:」など慰めのような言葉で、
必死で止めていました。その日はそのままやり過ごしたのですが、数日後ビルの屋上から飛び降り自殺をしたそうです。
震災から2年、3年くらいは孤独死も増え、自殺も多く発生していました。
このような事態にボランティアの人たちは、仮設を一軒一軒回り安否確認をしていました。
東日本大震災の被災地でも、昨年暮れに仮設から復興住宅に引っ越した方が、
間もなく川で亡くなったという知らせを聞きました。自殺でした。
せっかく終の棲家に移ってこれからだという時に、なぜ??
阪神・淡路でおきたようなことが、東日本でも繰り返されていて、憤りを感じずにはいられません。
3年半を迎える被災地では、表面的には見えにくい課題が多くなり、
関連死を引き起こすようなきっかけがあちらこちらにあるのです。
仮設から復興住宅など新しい引起こし先でも、またあらたにコミュニティーを作り直さなければならないのです。
ある被災者が:これから何回コミュニティーを作り直すのだろう:とつぶやいていました。
また19年前の神戸と同じ言葉を耳にし、ほんとうにやりきれない思いです。
一方で今回の東日本大震災では、原発という過酷事故を引き起こし、大きな課題が与えられいます。
:原発事故で地域と暮らしを引き裂かれた福島と、核のごみのリサイクルを受け入れる青森県六ケ所村。
2枚の地図を重ね合わせて映し出す記録映画:福島・六ケ所・未来への伝言:島田恵監督:が公開された。
:中略:郡山市で自然農法の米作りを営む中村和夫さんは、14代続いた農家。
精密検査でごく微量の放射性セシウムが検出され、大量の在庫を抱えている。
:東京のために福島の人は、電気をつくってきたんだから、今度は福島の人の言うことを聞いて!
原発事故、あれは絶対あってはなんねぇ:・と、声を振り絞る。
島田監督は、「:未来を生きる世代に、私たちはこんな事故を引き起こしてしまったけれど、
新しいあなたたちのことを思って、新しい未来をつくろうと、
悩み、苦しみながら、一生懸命がんばったんだよ、と伝言したい」:と、決意を込める。:
                              ー2014年2月17日東京新聞ー
被災地の復興はまだまだはじまったばかりです。                         増島智子 以上
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
~今年も行ってきました!忘れないように!~
●10月28日~30日に、hideは、
箕面市人権啓発推進協議会主催の東日本大震災義援活動で、気仙沼、大島に行ってきました。

28日、14名の市民に同行して、、
南三陸町防災対策庁舎から、最後まで、避難を呼びかけ、津波の犠牲になった、
町職員遠藤美希さんの母親が、震災の記憶を語り継ぐ場として開かれた:美希の家:で聞き取りと交流。
特別養護老人ホーム:春圃苑:で聞き取りと交流。
29日、
カキ養殖場の復興と、仮設住宅の現状の聞き取りと見学。
NPO法人ネットワークオレンジの障害者福祉の聞き取りと交流。
障害者自立生活支援・交流と聞き取り。
八瀬民泊に宿泊。
30日、
陸前高田の:奇跡の1本松:と:スーパー堤防:の聞き取りと見学。
陸前高田の道の駅、気仙沼お魚市場、魚の駅などで買い物。
石巻市の大川小学校:70名以上の子どもと先生が津波に流され、亡くなった。現在、裁判で係争中
などなどを訪れ行帰阪いたしました。
また、これとは別に、ゆめ風基金の細井理事、八幡理事、豊能障害者労働センターの
石原さん、本沢さんたちが、4日からの日程で、石巻、南三陸の被災障害者支援拠点を訪ね、意見交流をします。
大震災の記憶をつなげるために、規模が少なくなっても、
こんな行動を続けて行きたいと考えています!
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●これまで届けた救援金
309,701,224円(2014年8月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,292,139円(2014年8月12日現在)
ただいまの基金残高
254,988,305円(2014年6月末日現在)

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●これは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、
各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。
■救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。

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