4月11日、12日、13日

4月11日(水)
 昨晩は釜石のAJUの被災地センターに泊まり、電車で盛岡に帰る。
最寄り駅は松倉駅。待合室があるだけの無人駅でパッと見には駅に見えない。
昼過ぎに盛岡事務所に戻り、武田君と打合せ。
 夕方からはふれあいらんど(岩手県総合福祉センター)で「東日本大震災障がい者支援活動推進プラットフォーム会議」に参加。この会議はもともと被災6日後(3月16日)に、県社協障がい者福祉協議会(障がい協)と県知的障害者福祉協会(知福協)が、障がい者施設支援のため「合同支援プロジェクトチーム」を結成したのが発展したもの。この合同プロジェクトで昨年3月19日から被災地の障がい関係者の状況把握、救援物資の搬送、被災施設への人的派遣支援、支援ニーズの把握していたということですが、やはり施設中心で在宅の人や避難所の人への支援はあまりしていない感じがしていました。
 ただ参加団体は広がり今は私たちを含め、岩手県、岩手県身体障害者福祉協会、岩手県重症心身障害児を守る会、日本知的障害者福祉協会、きょうされん、岩手県障がい者110番、全国脊椎損傷者連合会岩手県支部、盛岡市ボランティア連絡協議会、岩手県療育センター、NPO法人難民を助ける会、NPO法人日本セルプセンター、被災地障がい者
センターいわて、全社協全国社会就労センター協議会、JDF東日本大震災障害者総合支援本部、県社協障がい者福祉協議会、岩手県知的障害者福祉協会など17団体が参加している会議であり、昨年はここで色々と情報収集をした部分も大きくありました。
 今年になって国の「障がい者福祉サービス復興支援事業(以下復興支援事業と略す)」がはじまり、今回の会議には復興支援センターの職員7名が会議に加わりました。
他にボランティア団体の連携を図るいわて連携復興センターの方も今回初参加。56回目の会議となり、県内の障がい者団体の参加が少なくなる中、久しぶりに人数の多い会議でした。
 今回は復興支援センターの活動紹介、JDFいわての陸前高田事務所が4月17日に開所することが大きな報告としてありました。復興支援事業は県が県社協に委託をしています。県内9拠点のうち沿岸部は4拠点があり、宮古では被災地障がい者センターみやこ事務所の隣に復興支援センターができました。宮古は県社協の直営ですが、釜石や大船渡は既存の社会福祉法人が運営する形で職員増員をしています。
 相談事業と既存の福祉サービス事業所へのアドバイス、被災障がい者の実態把握、今後の災害に備えた新たな支援マニュアルなどの作成が業務であり、直接支援をするわけではないので、私たちの仕事が減るわけではなさそうです。
 またみなし仮設住宅に入っている障がい者情報も未だ掴めていないこともあり、どういう動きになるかはまだ現段階では良くわからないという感じでした。
 ただ全体状況については今後もこの会議を通じて知ることができるのかなと思いました。
 会議が終わった後も陸前高田の今後の支援のあり方などについてJDFいわての小山(おやま)さんと話をし、19時半に事務所に戻る。
 事務所ではCILもりおかの川畑さんと田野畑村ハックの家の小野ひかりさんと会いに行っていたという西沢さんがすでに戻っていました。小野ひかりさんは将来自立生活がしたいという希望もあり、昨年は盛岡まで自立生活プログラムに参加していました。今回は田野畑村やハックの家がどういうところなのかを川畑さんが直接見に行くことを目的にしていました。
4月12日(木)
東京救援本部世話人会議
 朝9時過ぎに事務所を出発。1時前には着くと思っていたのが、電車の時間がうまくなくて少し遅刻。何とか会議の始まりには間に合いましたが。
 今回の会議は東北6拠点のメンバーも参加し、1年間の振り返りと今後の方針の確認をすることが主な議題。お互いが顔の見える関係で支援を継続していくうえで、重要な会議となりました。
 会議の後に交流会があったのですが、私は世界銀行・JCIA共済パブリックセミナーがあり、世界銀行の東京事務所へすぐに移動。今回の会議は「大規模災害における市民社会の連携を考える」というテーマで、東京、仙台、神戸をインターネットのテレビ電話でつなぐ形式で行いました。
 午後6時から8時までの予定が少し延び、8時20分ぐらいに終了。私は会議の後に交流会に参加できるような時間でなかったので、直接夜行バスで宮古に帰ることにしていました。ただ会議が長引いてバスの発車まで余裕なく、おにぎりとお茶を買い込んで品川バスターミナルに着いたのは発車10分前でした。
 とにかくぎりぎりセーフで一安心。車内でおにぎりを食べたあとは、愛用の空気まくらと空気腰あてを膨らませ、体制を整えた後はただただ寝るだけ。翌朝7時過ぎには宮古に到着。
救援本部東京会議
4月13日(金)
 午前中はあすのみやこの交流会に向け参加者、メニュー、プログラムなど簡単な確認を行い、買出しなどに向かう。午後からはそのほかのことも含めてミーティング。
 交流会のメニュー、メインはじゃじゃ麺。それと地元のふきのとうをとってきて天ぷらにすることに。
 交流会以外のことでは、1年経って活動報告を出そうということになり、被災者の人たちの聞き取りを5月末には終えるよう計画的に進めること。またここに来てもらったボランティアの人にも原稿依頼をし、原稿はできるだけ5月中に集め、6月に編集をし、8月には発行したいということを確認しました。
 また東京の会議でメインストリームの佐藤さんから川畑さんとメールのやり取りをし、TRYの事務局についてCILもりおかで引き受けることが話されたので、その点も明日確認することにしました。
 3時過ぎに会議を終え、みんなは明日の準備、私は大船渡の千葉さんと久しぶりに打合せをすることにしました。夕方5時40分ごろに大船渡の事務所に到着。事務所の向かいにあった建物が取り壊されていて、通り過ぎそうになりました。
 トイレは事務所に併設する形で新たに作られ、ようやく水洗の洋式トイレに。
 今後の予定について伺うと、今の事務所は来年11月で契約更新をしないといわれているので、となりの千葉さんの妻の実家の土地を利用し、事務所のみ引越しをする。障害者の活動場所についてはもう少し高台を予定。知人が山を整地しているので、そこの土地を借りて建てたいとのことでした。
 難民を助ける会も補助については良い感触であり、赤い羽根共同募金からもすでに228万円の補助金が決定しているとのこと。さらに丸紅基金も申請中。事務所は平屋作りにしてあまり費用はかけたくないとのことでした。
 その他リフトカーについて5月末車検の車は大阪に返さなければいけないこと、会計のルールについて、宮古と大船渡の合同会議を開き、東京で新たに担当となった森さんに来てもらうことなどを話しました。
 そのままみやこにとんぼ返りするつもりでしたが、「事務所は今日は誰もいないので泊まって行ったら?」と声をかけられました。千葉さんは少し疲れていて、相手はできないとのことでしたが、夜に沿岸沿いを100キロ近く一人で走行するには少し体力的にも自信がないので泊まることにしました。それと復興屋台村がすぐ近くあると教えられたのが決め手にはなりましたが。
 千葉さんお勧めのすし屋さんに案内してもらい、おいしくて、また地元の人と話をしながら楽しく過ごせました。

「4月11日、12日、13日」への1件のフィードバック

  1. まとめteみた.【4月11日、12日、13日】

    4月11日(水)昨晩は釜石のAJUの被災地センターに泊まり、電車で盛岡に帰る。最寄り駅は松倉駅。待合室がでパッと見には駅に見えない。昼過ぎに盛岡事務所に戻り、武田君と打合せ。CILも

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