ヒデの救援レポート2013年10月15日№140

●10月13日(日)、神戸で開催された「日本障害者歯科学会・公開シンポジウム~大災害時の障害者支援を考える」には、200人強の参加がありました。
DVD「逃げ遅れる人々」や、「障害者市民防災提言集・東日本大震災編」などが、たくさん売れました。
・コーデネイト・牧口一二(ゆめ風基金代表理事)
・パネリスト
青田さん(南相馬市・サポートセンターぴあ)
菊池さん(仙台市たすけっとスタッフ)
野橋さん(神戸市地域生活支援研究会)
松村さん(神戸市えんぴつの家)
なかなか面白く、考えさせられるシンポジウムでした。


●社会福祉法人:鉄道身障者福祉協会発行機関誌「リハビリテーション・556号~特集・復興-東日本大震災から2年」からの転載(その1)
・大災害を体験して(斎藤惣一:社会福祉法人・ロザリオの聖母会・就労継続支援B型事業所・ワークセンター長)
連絡TEL 03-5276-0360
FAX 03-3264-4824
1.震災当日
ロザリオの聖母会は、23の事業所を抱える複合施設の総称で、当ワークセンターは、平成8年8月1日に精神障害者小規模共同作業所として開所。千葉県の北東部旭市に位置する。
震災当日も、いつもと変わらず出勤していた。
午前9時、作業開始となり、作業内容の異なる5班(印刷、外勤、請負、園芸、リサイク)に別れ、それぞれ決められた作業に着いた。
その日もいつものように、午後3時までに納品する野菜(袋詰めの委託品)を持ち、近所にある農場に届け、帰所しかけた「その時」、今までに経験のない激震を感じた。
農場で働く研修生や、パートさんたちが悲鳴を上げパニックになりかけていたため、安全と思われるところまで誘導し、揺れが収まるまで待った。
帰り道を急いだ。
数キロしかない道のりが、いつもの数倍の距離に感じられた。
やっとのことで施設に戻り、全員の無事を確認し胸をなでおろした。
施設の責任者である私は、自分に「冷静に、冷静に」といい聞かせ、パニック状態の利用者に向かい、
「大丈夫だ 、俺に任せろ」と声かけしてはみたものの、内心は動揺していた。
職員・利用者全員が私の言動に注目した。
「大丈夫だ、俺についてこい」と言いつつ、自分を鼓舞しながら移動したことを今でも思い出す。
避難場所である海上寮は普段は広く感じられたところだが、避難者で埋め尽くされた。
その後何度も余震が襲い、あちこちから悲鳴が聞こえてくる。
誰が用意したのか、携帯ラジオの地震情報が聞こえ、東日本全体に震災があったことを知った。
地震後すぐに法人本部に対策本部が設置された。
津波については本部職員が海上寮屋上に登り、監視を続け無線で伝えてきた。
当時の理事長(平成23年5月29日帰天)は、病身をおし陣頭指揮をとっていた。
いち早く休所の案内を出した事業所に対し「一刻も早く平常に戻せ」と叱咤激励が飛び、その姿は鬼神のごとくみえた。
私自身には怖くもあり、また頼れる存在でもあった。
今考えてみると、未曽有の困難時、福祉に身を置く者としてのあり方を問うものだと思われる。
その日は肌寒く、利用者の多くは寒いと訴えたため、ひとまず施設に戻り対策を練ることになった。
当時のワークセンターに備蓄食糧はなく(現在は3日分を備蓄)、近くのコンビニに職員を走らせ、水・食糧を確保し帰宅困難者のために備えた。
時間がたつにつれ、家族と連絡が取れるようになり、無事を知らせることができた。
また安全に帰宅できる方については家族の迎えまたは、職員付き添いにて送り届けた。
電気は、数時間程度で復旧し、電気が使用可能であったことが幸運に思われる。
利用者に温かい食べ物を提供でき、不安解消に繋がった。
最終的に9名の利用者が帰宅困難となった。
午後10時、私を除く職員は家族と連絡が付き、無事が確認できたので、私の判断で職員も帰宅させた。
その後、施設の隣にある研修棟を本部から借り受け帰宅困難となってしまった利用者と雑魚寝をして過ごした。
別室にあるテレビでは、九十九里浜一体大津波警報が解除されず、東北地方の湾岸に数百の人が浮いており、また湾の中での火災が報道されていた。
情報が錯綜し当地区の詳しい情報は取れずじまいであった。
私にとって嬉しい情報は妻よりの電話(母専用の黒電話を使用)。東京に住む娘たちは無事、自宅は停電とのこと、兎に角無事が確認された。妻には現状と暫く帰れない旨伝えた。
その晩は一睡もできず、明くる日を迎え、数名の利用者が通所してきた。
昨日、安全を図った上で帰宅させたが「津波の心配のない所」、「余震が続き怖くて居られない」(全て独居の方)とのこと。
帰宅困難者を職員が送ることにするなどし、昨日研修棟に宿泊した利用者は翌日無事家族のもとに帰すことができた。
その2に続く


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これまで届けた救援金
253,305,994円(2013年9月27日現在)
内、 東日本大震災救援金総額
207,296,909円(2013年9月27日現在)
ただいまの基金残高
267,352,632円(2013年8月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・東日本大震災救援本部おおさか~9月11日の会合からの部分報告から!
(場所:ゆめ風事務所にて)
・東北=関西障害者支援ポジティブ生活文化交流祭
11月22日 被災地報告会&交流会
23日 本交流祭
長居公園にて


●救援統一合同カンパ活動(毎月第2土曜日、午後1時~5時。大阪難波高島屋前にて)
みなさんの参加を要請します!
2013年10月までに、計38回実施。
2013年度は、
1月12日  72,760円
2月 9日  47,351円
3月 9日 126,102円
4月13日  56,622円
6月 8日  50,453円
7月13日  82,388円
8月10日  56,829円
9月14日  53,340円
10月12日  69,605円
合計  3,451,026円  


●「世界の終わりの為の備忘録」を、おすすめします!
・2011年3月11日の、東北の大地震、大津波、東京電力福島第1原子力発電所の事故の後、3月17日から書き始めた文章「じしんなんかにまけないぞ こうほう」を、「世界の終わりの為の備忘録」としてまとめることになりました。
東電福島の事故の、世界の終わり、滅亡の予感の中で書き続けた雑文は、原子力の大事故という、それ自体の抱き込む迷宮、誰かによって画策され続ける迷宮に、ひるまず挑み続けた比類なき備忘録であると言えます。
・著者 新免貢(東北・関東大地震大津波ボランティアセンター、宮城学院女子大学教授)
    菅澤邦明(兵庫県南部大地震ボランティアセンター、西宮公同教会牧師)
・発行 兵庫県南部大地震ボランティアセンター
体裁・「じしんなんかにまけないぞこうほう」の50号分を1分冊として発行、200号まで4分冊(2013年7月13日現在、№246号まで発行。)
・価格 1分冊250円
・発行 第1、第2分冊=2012年4月28日、第3分冊=2012年7月17日、 第4分冊2013年1月7日。
・お問い合わせ=兵庫県西宮市南昭和町10-19 アートガレージ内 兵庫県南部大地震ボランティアセンター
・TEL 0798-67-4691
以上。

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