長崎圭子の岩手訪問記~1

4月8日から14日まで、「被災地障がい者センターみやこ」を拠点にさせて頂きながら、
ゆめ風基金が支援させてもらっているところなどにお邪魔してきました。
デジカメが壊れていて、携帯電話のカメラを使っています。
写りが悪くて、申し訳ないです。
数回に分けて、記事をアップしていきます。
よろしくお付き合いくださいませ。
ちょうど、出発した8日は、暴風のために東北新幹線も影響を受け、盛岡へは75分遅れで到着。
仙台の手前あたりで停電し、停車したり、盛岡から乗り換えするはずだった山田線が運休というアクシデント。
急遽、JRが手配してくれたリフト車で宮古まで2時間かけて移動しました。
新大阪からここまでで移動距離  1190.0km
(公共交通機関を使ったとして)
朝8時前に新大阪を出て、宮古に着いたのは夕方5時。
日本は広いです・・・

被災地障がい者センターみやこは、宮古駅から歩いて3~5分のところにあります。
商店街の一角にあり、シャッターがあがっているときは、市民のかたがふらっと入ってきて
お茶を飲みながら話しをして、またふらっと出て行く。
アットホームな、しかも地元に根付いた活動をしていることがとてもよく伝わってきました。
被災地障がい者センターみやこのブログ
夜には布団に即バタンキュー・・・
ちょっと冷え込んだかなあ・・・
翌日、9日は、センターみやこから車で30分ほどのところにある、やまだ共生会やまだ共生作業所さんへ。

知的障害がある人、15人ほどが、リサイクル事業などの作業をしています。
去年8月以降、ゆめ風基金は「お茶っこの会」という、仮設住宅への訪問活動や、この作業所での茶話会などに支援を。
ブログトップページの右側に、
2012年【8月22日】岩手県山田町の障害者作業所「仮設住宅に住む障害者高齢者の交流の場づくり」に50万円
とあるのは、こちらのことです。
震災後、2年を経ての様子などを伺いつつ・・・
まず、仮設住宅から外に出ることができない=バスはないし列車もないし、じゃあ移送サービスを利用する、としても、利用者の家が離れており、参加希望者を乗せていくにも、距離が離れすぎていて。ガソリン代が赤字になるとか、移動手段がないことから、仮設住宅から出てこない人もいるなど、
移動困難という地方の課題が、被災によって、より大きく生活に影響していることに胸が痛みました。
震災直後は、恐怖のためか、いつもと違う行動=多動や叫んだりとかしていた人も、「居場所」があることによってだんだん落ち着いていったそうです。
さらに自立した生活を送るためにグループホームを作りたい、という、将来の夢が、震災によってより現実的に大きくなった、ということで、建物を建設する土地を探し始めたとか。
次のステップに進むため、いろんな助成金の申請もしつつ、これまでどおり仮設住宅訪問などは継続し、埋もれている障害者の発掘も続けるとのこと。
特に、未だ仮設住宅から出られず、復興住宅へ移れる望みも持てず、ともすれば。孤立感を深め、心と体がぼろぼろになっていく人とつながっていきたいというお気持ちに賛同した訪問です。
新たな居場所として発展していってくれたらいいなあと心から思いました、
センターみやこから、片道、およそ28kmの移動でした。
山田町からの帰り道…
被害が甚大だった織笠地域を通ったのですが、建物の土台だけが残る景色が延々続いているのです。
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見渡す限り、一面、土台だけ残った「家のあと」が・・・
みやこのスタッフKさんのお知り合いも津波でお亡くなりになった方が多く、ここを通るのは結構精神的につらいとおっしゃっていました。
でも、2年経っても手付かずの状態を知ってほしいので、と案内してくれたのです。
改めて、お亡くなりになったかたのご冥福をお祈りしつつ、生き残った者は、いろいろ背負っていかなきゃね、というkさんの言葉に頷くことしかできなかった1日でした。
次回は、往復500キロの旅について、です。

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