ヒデの救援レポート 2013年3月4日№110

●来週の月曜日は、東日本大震災3年目の入り口の日になります。
自分と他者の記憶の風化を戒め、遅れ続ける復活に視線を放ち、被災地の想いと、連帯する節目の日でもあります。
決して、祈りだけの日ではなく、新たな、具体的な行動のスタートの日であると、hideは確信します。
共に歩き続けましょう!


●社団法人・鳥取県人権文化センターの人権学習資料31
「災害と人権~災害に強い社会をつくるために~」
連絡先:鳥取県鳥取市扇町21
鳥取県立人権ひろば21「ふらっと」内
TEL:0857-21-1712
●本学習のねらい
・2011年3月11日、午後2時46分、宮城県の三陸沖200キロの海底を震源とするマグニチュード9.0の地震が東日本を襲いました。
千年に一度と言われる大地震の発生です。
震源地に近い地域では一瞬にして多くの家屋が倒壊し、電気や水道などのインフラも機能しなくなりました。
首都圏では交通機関がストップし、都市機能が、完全に麻痺しました。
大きな揺れから数10分後、太平洋沿岸部に大津波が押し寄せ、津波警報が鳴り響く中、逃げ惑う人々の姿がテレビに映し出されました。
大津波の後、発生した東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故による避難も含めて、今(2012年11月現在)も多くの人々が住み慣れた土地を離れざるをえず、仮設住宅等での生活を余儀なくされています。
このように住居の問題をはじめ就労の問題、教育の問題、そして心の問題等、まだまだ未解決の問題が数多く残されています。
私たちが災害に強い社会をつくっていくうえで、防災技術、防災教育、救急医療、産業の復興など、さまざまな視点からの考察が求められます。
本書では特に『人権』という視点から災害と向き合っていきます。
私たちが生きていくうえで避けることのできない自然災害をとりあげ、そのとき、私たちの『人権』をどのように守っていくのか、そして『自然災害』から『人災』へと広がらないようにするために私たちに何ができるのか等、『災害と人権』に関する問題について考えてみたいと思います。
●人権保障の観点から次のことを考える。
1.災害に強い地域のあり方について
2.ふだんの生活においても弱い立場におかれがちな災害弱者への対応について
3.情報の取り扱い、また、噂の仕組みとその防止について
●第一部・災害と人権~
第一章:私たちの暮らしと災害
第二章:地域社会のあり方
・イ:地域社会と共助
・ロ:個人情報の保護に関して
・ハ:地域に潜む見えない壁
第三章:災害弱者と人権
第四章:災害後の精神的ケア
●第二部・災害時における情報の捉え方と人権
第五章:情報発信の重要性とメディア・リテラシー
第六章:噂と偏見、不安と差別
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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●徳島県立人権教育啓発推進センター機関誌【あいぽーと徳島:第22号(1月発行・特集)】より転載。
連絡先
TEL:088-664-3719
FAX:088-664-3727
●災害時の障害者の人権について~徳島県人権問題講師団講師第2回研修会(2012年10月23日開催)
講師:八幡隆司さん(NPO法人ゆめ風基金理事)
講演の概要~
阪神淡路大震災の経験から、災害の状況がひどいから継続的に支援ができる団体を作ろうと立ち上げたのが『ゆめ風基金』です。
その後、私は、10年目の節目である2005年から全国各地で『障害者の防災』をテーマに話をしてきました。東日本大震災以降、この1年半はほとんど東北にいて、今は岩手県宮古市を拠点に活動しています。
……地震が起こる前にどうしておくかという話もさることながら、当然地震が起こってからも大事なことがいっぱいありますので、今回、東日本大震災で被災地に駆けつけてみて、災害前の備えと災害後の対策について改めて考えさせられました。
阪神・淡路大震災の教訓が今回の東日本大震災にあまり活かされていません。
一部は活かされたものもあるけれど、多くの命を失ってあまりにも大きな代償を払いました。
東北各地の避難所に支援に行って、避難所を運営している人たちに聞いても障害者を把握していないことが多かったです。
被災者からの要請で、避難所に洋式トイレを持って行くと、そこを運営している人たちが、
『そんなに一人一人の要求に応えていたら、統制がとれなくなるから持って帰ってくれ』と、こんな事例もありました。
避難所では生活ができないと親戚宅などに行く人が多くいました。
障害者支援に限って言えば、一番困っている人を中心に考えて支援することが大事なんですが、
『みんな困っているんだから、がまんすればいい』といいます。
でも『みんな』の中に高齢者や障害者が入っていないことがよくあります。
『大勢の人が困っているから、少数の意見は取り入れなくていい』と考えられてしまいます。
私たちは、高齢者や障害者のための福祉避難所を、阪神・淡路大震災の時に作りました。
東日本大震災では、初めて障害者、高齢者が通っている施設が福祉避難所となりました。
しかも事前に福祉避難所となる協定を結んでいたところもあって、2011年4月末に宮城県だけで113ヶ所(障害者対応のところは11ヶ所)ありました。
今回のことを教訓に福祉避難所の協定を結んでいこうという動きが高まっています。
東北の被災地では、避難所に行かず壊れた家や車などで生活している人が多くいました。
そういったところで暮らす多くの高齢者、障害者に物資が行き届かなかったのです。
『避難所の物資はそこにいる人の分しかない』というのであれば、避難所ではなく『地域避難支援センター』と発想を変えていかないと、命に関わる重大な問題につながります。
また、自分の家は被災していないという人たちは、避難所に物資を取りに行くだけでなくて、『ここは地域避難支援センターとなるところだから運営を手伝おう』と、様々な人たちが考えて集まるような仕組みが必要です。
……高齢者、障害者と一括りに考えるのでなくて、個々に支援の必要な割合いなど総合的に考えて、社会資源がどれくらいあって、どれだけ足らないかを把握して、弱い立場の人を取りこぼさない仕組みを作らないといけません。
普段からだれ一人見逃さないという考えで、どんな活動を日常的にやっているかなんです。
私は『防災』をキーワードに『人権』や『まちづくり』ができると思っています。


以上!

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