福島の鈴木絹江さんより2 (メール転載)

絹江です。
ベトナムへの件は、2名からの返事がありました。一人は今年4月まで、JICAの研修で数年間支援に行っていた人なので、人脈を使って広めてくれると思います。
これとは別な人にも近いうちに合うので、ベトナムへの研修生に伝えてもらいます。
昨年のアジア太平洋障害者リーダー研修時に私の話に耳を傾けてくれた研修生たちは、とても意識が高く脱原発の件もよく理解し、絶対自分たちの国に立地することにはしないと話してくれていました。
今年の研修生たちにも、話をしたいと思います。
私は、偏向しているかも知れませんが、障害を持つ人への講演に呼ばれて話をすることが多いのですが、その時には福島原発告訴団の話や福島の現実を話しています。そして、いろんな形で協力や支援をいただいています。
毎週金曜日のデモにも参加している障害を持つ人たちがいます。
今度10月頃には、座り込みをしたいと話している仲間もいます。
その時は私も行きたいと思います。座り込みはできませんが、同行参加はできるかと思います。
しかし、私たちはみなさんとの間に、解決しなければならない問題があります。
それは、この原発事故によりあからさまになった障害者差別の問題です。
障害児が生まれるから、福島から離れた、離れたいとの言葉をいくつか聞きます。
「障害児が生まれたら嫌だから・・・」は母親たちの本音ではあるかと思います。
また、放射能がどの様な結果を私たちに見せつけるのか、分からないというのもほんとだと思います。
現在の社会のありようは、障害を持つ人にとって不便極りありません。
なぜならこの社会は20才の成人男性をモデル(ミスターアベレージと言いますが)にして高度成長時代に作られた社会であるからです。
障害を持つ人以外にも、住みにくいこと極りないと被害を受けているのが、子供にも、妊婦にも、高齢者にも。
ほんの一部の人間に合わせて作られた社会の中で、誰が苦労をするかといえば、立場が弱い障害を持つ人や高齢者、子供、妊婦。
こうして、羅列してみると、原発の被害を最も受ける人たちと同義語になっていませんか?
この人たちが貧しかったら直のこと被害者です。
また、障害を持つことが全て不幸であるということは、ステレオタイプに侵されていないか?と立ち止まって考えていただきたいと思っています。
たとえば山田真ドクター(福島の子供たちの支援をしてくれている先生)のお子さんは障害を持っていて、その家庭の中でどの様にその娘さんを愛し、自分たち家族が考えを改めることが出来たかなどを著書で、または講演で聞いたことはありませんか?
ロシナンテ社が昨年から原発事故特集の中に、山田先生の発言が書かれています。とてもわかりやすい言葉で書かれています。ぜひ皆さんには読んでいただきたいですね。
放射能により被曝し、作為的に遺伝子を傷つけられることには強く反対であると同時に、しかしどの様な時代にも必ず障害を持つ人が社会には存在することもまた事実です。
その存在を否定することは、今、障害を持ち生きている人の生命を脅かし、それを生んだ母親を強く傷つけること、考え方・価値観・優生思想であることを受け止める必要があります。
そして、その事をどう自分の中で受け止めていくのか、どのように消化していくのか、考えてほしいと願っています。
そのために、私は仲間と共にどの様にこの偏見の壁をのり越えて、脱原発の人たちと連帯するか模索しています。
「福島県人とは結婚しない」「福島県人は汚染されている」「福島県人は来るな!」との発言は、無知と無理解と偏見が差別的であることは、私たち福島県人はよく知っています。
しかし、それを発言する人は、その無知や無理解・偏見が差別につながっているとは、思って発言していないのですよね。
マスコミの思惑に染められて、それが事実だと思ってしまっているのですよね。
自分の頭で、自分の目で、自分の耳で、自分の体験で判断することを置き去りにしてきた人たちは、いとも簡単に固定化されたステレオタイプの言葉を信じ、自分の力で真実に近づこうとはしない。
しかし、まずは障害を持つ人の差別も、福島県人への差別も付き合ってみなければ、話してみなければ、理解しようと歩み寄らなければ、わからないことがたくさんありますよね。正しい情報は、自分の時間とお金をかけないと手に入らないということですね。
この原発事故が起きたから差別が出てきたのではなく、以前から人々のなかにあった優生思想に裏打ちされた差別意識が顕著になっただけの話です。ここは違わないでほしい出発点であると思っています。
メールでは、なかなか上手く伝えられませんが、子の幸せを願う両親の思いと障害を持つ人がこの世に誕生することは、決して相反する形で存在するのではなく、どのような環境や肉体を持とうが、自分らしく、大切に尊厳をもって生きることのできる社会を作っていくことが今を生きている大人の責務だと思っています。
原発事故がある前からこの考えには変わりはありません。
社会を変えることに責任をもつことが、この世に存在する役割だと私は考えています。
原発事故により、深く傷つき、巨大な相手に無力感にのさいなまれましたが、ゆっくりでもいいから、後戻りしない一歩を歩きたいと思っています。
とても長くなりました。すみません。皆さん時間のあるときに読んでください。絹江

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