少し間が空いてしまいました。
この間の活動報告をします。
4月3日(火) 新人3人目、杉田さんの初出勤。3月のイベントにも出席してくれたので、実質は2日目か?
その時にはリンゴの唄(赤いりんごに..)を地元訛りで披露してくれた。ヘルパー1級の免許を持っている彼女の前職は老人デイサービス。なるほどと納得。
また彼女は今年中学1年になる息子と暮らしているが、昨年の震災で家は流され、現在は仮設住宅に住んでいる。仕事をやめたのも、そんなことでバタバタとしていたから。出勤して朝のミーティングが始まるまで、ボランティアのIさんに聞かれ当時の様子を話していました。
この日は夜のミーティングを朝に切り替えてみようという最初の日。午前の活動が控えていて、テキパキと話は進み30分で足りるかな~と思っていたのが、それより5分早く終わる。
午前中は定期的に入っているAさんのところに山下さんとボランティアの男性がまず出発。京都JCILの矢吹さんとボランティア3人が、田野畑村ハックの家に見学に。実は先日ハックの家が京都で展示即売会を開いたとのことで、その時に知り合って、今回是非訪問したいと思ったとのこと。こちらとのつながりもあり、話はトントン拍子に進んだらしい。
新人3人は今後の活動についての話し合い。面接日も含め、新人3人が揃うのは今日が初めて。 杉田さんは親の通院もあり、週3日の希望。これまでは1週間単位に仕事の確認をしてきていて、ボランティアさんにはその都度、仕事を指示していた。
新たなスタッフについて、毎日仕事のことを細かく指示することはできないので、今年やるべきことを大方知ってもらい、担当できそうなことを暇ができた時にやってもらうことにした。
午後からは初めての方の移送が入っているが、地元の人でもあまり行かない重茂(おもえ)半島。今日は強風で途中の道が通行止めになってもおかしくないといいながら、とりあえず出発。ほかに夕方田老町の方の透析のための送迎も入っている。
午後からは仙台に移動。3月で被災地障がい者センターみやぎのスタッフを務めてもらった田中万里子さん、仁礼さん親子が退職したので、今日は二人の御苦労さん会。登米のメンバー2人、石巻のメンバー3人も仙台に集まり、スタッフ内部としては割りと大きな集まりになりました。
ただ三重の実家に帰っているという太齋さんは暴風のため、飛行機が飛ばず残念ながらの欠席。代わりというわけではありませんが、登米の阿部さんの娘さんが参加していました。みんなと久しぶりにゆっくりと話ができました。宿泊施設の空きがなくなり、私は事務所どまり。なんか1年前とあまり状況が変わりません。
4月4日(水)
今日も暴風はすごい。9時から朝のミーティング。あまりの風のすごさに、活動はほとんどお休み。10時からはたすけっととしての会議。団体運営のあり方について、色々見直しが必要ということで、私が講師として呼ばれました。
震災後テレビなどを見たとかで、たすけっとへの相談が増えています。自立生活をしたい人。人工呼吸器をつけた人のヘルパー派遣ができないか、など。事業規模が徐々に拡大をする中で、整理すべき点、課題など今のうちに改善するところは改善しておこうというのが狙いです。
昼からはとっておきの音楽祭からの相談。今年も6月2日、3日と去年同様とっておきの音楽祭が開かれます。今年の実行委員長は車イスの伊藤清一さん。
暴風はすごくて、ニュースで○○が飛ばされたの、怪我をしたの、列車が止まっただのちょっと恐ろしい状態。出かけることもあまりできず、今日はこれで終了。(今日も事務所泊です)
4月5日(木)
今日は風もまだましで、活動再開。センターみやぎの代表及川さんと鴻野事務局長は石巻へ。阿部さんの先輩で車イスの人でパソコンの得意な人がいて、今後機関紙編集などをお願いできないかということで面談。
私は久しぶりに登米の事務所へ。着いたときは3人のスタッフとワーカーズコープからの研修生の女性一人の4人がいました。この女性は昨年ワーカーズコープの受講生として応募した方で、登米でバックアップもあって、登米市内での起業を目指す。いくつかのグループがあり、彼女のグループは障害者班。全体で8人グループ。8人はさらに喫茶などを業種とするグループと農業を業種とするグループの2つの班にわかれているという。
少し話をしたところでK君の今後の支援の打合せということで、小野寺さん、阿部さんは出発。太齋さんと今後のことで意見交換をする。
4月になり高速道路の無料利用がほとんどの部分で終わり、南三陸道もかなり空いていました。それでも夕方5時半に出発し、たすけっとに着いたのは夜の7時過ぎ。及川さんたちはまだ帰っておらず、8時前に帰ってきました。及川さんはそのまま次の地元の会議へ。ご苦労様です。