KSKP No.56 2012年2月6日発行 【ゆめごよみ風だより】より
【いま、人々の暮らし、その本来のあり方を見つめ直す時かもしれません。】
代表理事 牧口 一二
新しい年の始まりです。どのような思いで新たな年を迎えられたでしょうか。とくに被災地のみなさんの思いは、被害を受けられた状況によっても異なるでしょうし、それまで体験されなかった壮絶な情景を目の当たりにされた人々の思いは、いかばかりかと想ってはみるものの、とても想い至るものではないと知るのみです。
昨年は3月に東北関東大地震大津波そして福島原発大事故、その被害状況があまりにも大きく広範囲だったため、9月はじめに起きた和歌山・奈良あたりを襲った12号など複数の台風での被害はあまり報道されませんでしたが、橋が流されて開通までに3か月を要する陸の孤島が出現するなど、けっこう大規模な傷跡を残しました。
そしてまた、福島の原発大事故はだんだん東京電力や政府の失態が明らかになり、空気のように住み慣れた故郷と隣人たちから離れ離れにされたまま2度と帰れない人々が、そして家族ができてしまうところに来ています。そのうえ仕事まで奪われて、こんな破壊が、人災が許されていいはずがありません。私たちはいままでの暮らしぶりを変える時ではないでしょうか。「節電、節電」と騒いでいますが、もともと夜はロウソクのほのかな明かりで1日の営みを静かに思い返す時ではなかったでしょうか。ネオン煌めき、高層ビルの窓からの灯が明々と道を照らす現代では考えにくいことでしょうが、せめて本来の意味を思い起こしたいと考えます。
いま、昨年の出来事を少し離れた大阪の地から感じているボクは、正確な表現は忘れましたが宮澤賢治の「みんなが幸せにならなければ1人の幸せはありえない」という言葉がしみじみと胸に迫ってきます。
また、両手両足がほとんど動かないのでベッド式車いすに寝た状態で(通りかかった人々に声をかけ手足を借りながら)1人でどこへでも旅した畏友Uクンがつねに言っていた「地球上の全ての人々が両手両足を繋いで作った大きな網が地球をおおっている……それが人間の姿だ」という言葉がよみがえります。その彼は40歳を待たずに星になりました。 現代を生きるボクたちは、もっとゆっくり生きてもいいのではないか、もっと自分自身が歩んでいる道程をじっくり見つめ吟味しながら生きなければならないのではないか、と考えます。偉そうに言うのではありません。むずかしく考えているわけでもありません。昨年に大変な体験をしてしまった、させてもらった今という時、この世に生を受けてから今の自分までをじっくり見つめてみる時ではないか、と思うのです。
いまの世は、解らないことが多すぎないでしょうか。たとえば、ボクが60の頃からおずおずと始めたパソコン、まるで生き物のようにボクに逆らいます。なぜ逆らうのか、何が気に入らないのか、それでもボクの日常にどんどん入り込んできて、ボクを困らせます。だけど機嫌のいい時もあって、その時はとても便利で、とても賢く、もっぱらワープロ代わりに使っているのですが、たまに地図を検索したり、百科事典として活用します。といってもインターネットのことはほとんど知らないボクのこと、日常生活の中には入ってなくて、思えば昨年、いくつかの独裁政権を倒したのはインターネットで繋がった民衆の結束とのことでした。パソコンってすごいなぁ、時代はどんどん変わっていくんだなぁ、と驚きましたが、どこかピンときませんでした。何事も速くなって、そのスピードに戸惑っているボクです。
これからも、多くの人々から寄せていただいた「ゆめ風基金」を活用してもらえる被災地の障害者と障害者支援団体を探し続けます(2億円をそっくり活用してもらおう、と宣言してから10か月が経った現在、12号台風への支援も含めて1億2千万円強の段階です)。
なお現在、被災3県に設けた救援センター9箇所と避難センター2箇所、計11拠点の日常の支援活動費が毎月1千万円を超えています。これは被災障害者の切実なニーズに応えての結果なのですが、これからも長く支援を続けていくために、被災地の人たち(障害者たちを軸に)と相談しつつ、復旧ではない復興の、それにとどまらない復活の、そして古きよきものを大切にしての新生まちづくりが実現するまでの支援の在り方を考えていこうと語り合っているところです。
どうか、長い支援を続けていきたいと願っている「ゆめ風基金」に、これからも力づよいお力添えをいただきますように。そして、これからの支援金の届け先についても見守り、見届けていただきますよう、心からよろしくお願いいたします。 (2012年1月)