ヒデの救援レポート、10月31日
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、10月28日までに、187507629円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、10月28日までに、109753122円になります。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
ヒデ、中沢新一著日本の大転換新書版を読む!《その1》
集英社新書を、以前に紹介した、ヒデの住まいする、箕面市職員で、行政の被災地救援方法を巡って、職場で大ゲンカを巻き起こし、挙げ句の果てに、自主退職。
ゆめ風基金の紹介で、単独、被災地障害者センター・みやぎに入り、救援活動に従事したのち、現在は、いい年こいて、プータローをしている、ヘンな、ヒデの呑み友達、Hさんに勧められて、読んでいる。後少しで読了する予定。
本の帯には、大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの大転換をとげていかなければいけないことが明らかになった。元通りの世界に復旧させることなどはもはや出来ない。未知の領域に踏み出してしまった 我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、復興に向けて歩んでいくべきなのか。
原子力という生態圈外的テクノロジーからの離脱と、エネルゴロジイという新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界の目指すべき道を指し示すとあります。
テーマーは、福島第一原子力発電施設の事故にあることは、明瞭です。事故の今を分析して、これからの世界観の構築を考察している。
さて、ヒデにとって核問題は、広島、長崎への原爆投下被災を語るべくもなく、核の時代の戦後を同時代的に生きてきた世代として、核問題は、脳とからだを貫通している。なんとなくではあっても、原子力発電の反対論者として、呼吸してきている。障害者解放、さらには、人間解放運動の末席に位置している今も、永久的に続くであろう、核汚染は、障害の有る無しに関係なく、類としての人にとっては、共通の課題であることは、人の歴史的認識であることを、確信している。
だからこそ、ヒデの私的放浪史をパラリとめくり、このメール通信に貼り付けることにも、多少の意味があるのではないかと、愚考して、本書の意味に接近してみたい。
ヒデは、貧乏ゆえに、授業料を払えず、高校を除籍退学し、家出。酒屋の住み込み店員をしていた、16歳のおりに、当時の日本社会党の浅沼稲次郎刺殺事件を契機に、ひょんな縁で、これまた、左右社会党合併の余波を受けて、放逐された左派社会党青年部によって組織された、日本社会主義青年同盟に転がり込み、左世界に住み込んだ。
当時は、原水爆禁止世界大会が毎年、盛大に、広島、長崎で開かれ、ヒデは、脳は成熟していないのに、青臭い匂いを発散させていたものだから、毎年の夏は、広島、長崎に動員されていた。
大会の盛大さの裏では、侵略の原爆と、平和のための原爆があると、主張するグループと、そんなものはない原爆は、全て破棄、禁止されるべきと主張するグループが暗闘しており、ヒデは、後者に立ち位置を得ていた。その暗闘が最終場面に至り、原水爆禁止日本協議会原水協が分裂する場面にもヒデはいた。大会の舞台上を占拠するべく、その時には、今や敵と認識されていた、某民主青年同盟のメンバーたちと、盛大に殴り合っていた。若かったなぁ!ニガ(笑)
壇上へは、そう言えば、スロープは設置されていなかったなぁと、今になって気づく。迂闊。そして、さらにヘンなのは、原爆の威力にばかり、脳が傾き、戦争への影響ばかりに気をとられていたことだった。核の学習会でも、戦争に対する影響を学び、世界各国の原爆の保有個数ばかりが調べられていた。それほどまでに、ヒデたちは、世界冷戦構造に、どっぷりと浸り切っていたのだ。核の歴史や、その生態圈外的エネルギーの本質についての知見などは、爪のアカ程もなかった記憶がある。
マルクス的手法での、労働と資本関係や、階級論は学んだが、能力主義の問題点や差別論は、かやの外。資本と核の相似形にも、想像力は、及ばなかった。単純な反戦主義だったなぁと悄然としてしまう。下部構造がどうの、上部構造がこうのと、かしましく議論はしていたけれども、ヒデたちは、本当に、下部、上部に触ったことがあったのだろうか。今、振り返っても、謎だらけだ。
その核の本質に、長く宿題を突きつけられていたのに、ヒデたちは、目先の便利さにとらわれて、目をふさいでい続けていたのかも知れない。そこに、福島原発事故というよりも、爆発、放射能汚染である。もう、後先は無い。かなわぬまでもの答えを求める、未来からの要求が、このような時代を作ってきた、ヒデたちに突きつけられている。続く!
今回は、友人尽くしかな。(笑)ヒデの畏友のおひとりである、奈良県在住の吉田智弥さんが発行している、私的メディア誌蛇行社通信から。電話FAX0742-49-0170
地獄の釜が開いた
8月12日、京都市は、五山送り火で、陸前高田市岩手県の松でできた薪を燃やす計画を中止すると発表した。放射性セシウムが検出されたからだという。・・計画は、京都市内外の人たちからの批判を受けて二転三転した。最終的結論に至るまでの経過は、さまざまな難題を私たちの前に突きつけた。・・
第一。早々に中止を決めた大文字保存会への反応は、僧侶で作家の瀬戸内寂聴さんの怒りに集約される。大震災の死者を冒涜するような行為は京都の恥だというのだ。8月12日、朝日新聞大方のマスコミもそうした声に同調した。・・確かに、当初に持ち込まれた薪からは放射能は検出されなかったのだから、燃やさない合理的な理由はなかった。が、ちょっとツッコミを入れておくと、そもそも送り火という伝統行事は合理的理由で存続してきたわけではあるまい。
先祖への鎮魂・慰霊の風習は、死者との共同体を甦らせ、それを受けついできた自分の命の儚さも意識させられる契機になっただろう。共同体の平安を危うくするような放射能など、言葉を聞くだけでも縁起でもないわ。あっちへ行っとォくれやす。・・
難問である理由の二つ目は、放射能それ自体の属性にも由来する。・・放射能俗流の解釈で放射性物質の威力、その毒性を総称する呼び方というものには、厄介な性質がある。
その1それがあるのかないのか、人間の五感では、捉えられないこと。
その2煮ても焼いても、滅却したり減衰したりしないこと。
その3被曝量に原理的なしきいちがなく、客観的な許容量が存在しないこと・・・
等である。・・であれば、京都市民が、被災した松のすべてに疑心暗鬼になったことも、すでに政府や東電の言うことが信じられなくなった後に、どこの馬の骨が行ったかもしれない検査の結果を信じる気になれなかったことも、当然やおまへんか。・・
第二。だが、すでに東北では、大震災に加えて放射能による甚大な被害も受けているのだから、多少のことは同胞としての京都市民も受忍したげたらどないやの、という主張もありうる。人情としては、反対しにくいけれど、それこそ合理的ではない。・・
高木任三郎さんは、放射性廃棄物の最終処分場をめぐる議論のなかで、六ヶ所村青森県がダメなら、とうすれば良いのかという質問に対して、今ある原発施設内に留置すべきだと答えている(『科学の原理と人間の原理』)。何であれ放射性物質を移動拡散させれば、危険性は更に増大するので、避けるべきであると。・・
五山送り火の手前にある此岸では、すでに42都道府県572自治体一部事務組合を含むが被災地の瓦礫処分事業に協力を申し出ており、そのうち291自治体は焼却処分同を引きうけるとしている。(8月8日・アエラ)。京都の場合と同様の反対の声が各地住民からあがることが予想されるが、どこかに正しい対案はあるのか?
以上