社会福祉法人「そうそうの杜」は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元グループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅での移動カフェをしながら個別支援活動をしています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.12
日時:2011年9月12日(月) 天気:晴れ
報告者:H
9:30~12:00 横山仮設調査・Sさん宅訪問
12:00~17:00 上保呂下仮設ミニカフェ 平貝仮設Wさん宅訪問
終日:Wさん送迎(大阪市従)、書類整理(大阪市従)
活動した上で感じたこと
以前出会った横山仮設のE.Sさん宅に訪問するがおばあさんが一人出てこられる。息子と2人で住んでいるとの事。仮設番号も苗字も一致したがEさんはいない。Eさんの名前を出すと知っているよう。話を聞くとEさんは石巻に行ったらしい。またEさんには息子がいるそうだが息子は施設に入っていると話す。関係ないのかと思うと詳しい事情も知っているのでどうなのかとも思え非常にあいまい。関係性等について尋ねてみるも少しズレた答えが返ってきてしまうので結局不明確なまま訪問終了。質問の際は明確な言葉で質問しなければならないと感じた。
午後からは上保呂毛仮設でミニカフェ。仮設に住む方は日中は働きに出て残っているのは3~4人程度。最初は向こうも「やるならどうぞ」という感じであったが開いてみると、仮設に住むEさんが周りの集落から人を呼び込み結果12人も集まったとのこと。そこの方はカフェ等のことをしにきた人も日中は人が少ないと聞くと帰っていき保呂下でカフェをしたのは初めてだと喜んでくれていた。今後は仮設と周りの集落とのコミュニティ作りが出来ればいいかなと感じられた仮設であった。
平貝仮設Wさん宅訪問。知り合いの方で障害を持たれている方はいないかをWさんの母親に尋ねる。以下はWさんの母親からの情報。同じ平貝仮設にいるとの事。Sさん30代が父と母との3人で暮らしている。兄が二人いるが両方とも自衛隊で別の所にいいる。母はワカメ工場で働いている。父は無職。
Sさんは軽度の知的障害?のようで普段はツヤの小宮山印刷で働いている(障害者雇用?)震災前は電車で通勤していたが現在は父の送迎。しかし、父親も送迎をしなくてもいいのであれば今すぐにでも働きたいと思っているはず。以上。父親は送迎以外仮設にいるので訪問して直接話を伺いたかったが時間の都合上後日訪問することに。