みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.4

 震災直後から被災地障がい者センターみやぎの支援活動に参加されてきた社会福祉法人「そうそうの杜」は、現在は被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元のグループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅をまわり、移動カフェを運営しながら個別ニーズを掘り起こす活動をされています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.4
日時:2011年9月4日(日) 天気:曇り時々雨
報告者:・N
10:00~12:00 ハグハウスにてお茶会
12:00~13:00 ハグハウスにてバザー
16:00 ハグハウスにて打ち合わせ
活動した上で感じたこと
 ハグハウスにて午前中お茶会、お茶会の席に電話線の工事に来られた方を大家さんが休憩にと呼ばれ一緒に談笑する。神奈川の相模から来られて今ホテル観洋で宿泊されているとか、ほとんど休みなく仕事をされているそうです。話の中で海岸の壊滅状態のところは家が建つと工事のやり直しをする必要があるそうです。なぜか訪ねるとNTTの建物がだめになっているので建て直しそれから、電話ケーブルを引いていくそうですと、仕事をされている方が話されてました。だから年数は掛かるでしょうと言われる。改めて被災のすごさを感じました。
 午後からはバザーを開催し近隣から(徒歩5分程度)田尻畑地区の方々と保呂毛地区の方々が来られる。20人程度が来られお皿・バスタオル・フェイスタオル・毛布・などが必要とされていました。一人暮らしの高齢者の方には一緒に荷物を運ぶ声を掛けると断られるが一緒に行く。
 バザー終了後大家さんの奥さんより被災されたときの話を聞く。町長・議員はだれも被災後メディアばっかりで町民のところに来ない。防災センターのアナウンスが聞こえたがなぜ女の子なのと聞いていて思った。「もういいからはよ逃げろ」。自分所は水が出るから一部短期だが避難所として近隣の人に使ってもらった。炊き出しもした。「役所の方に白米は切れたから・玄米でもいいかと尋ねると黙って帰った」と笑って話される。原発事故で福島から避難してきた人がソーラーパネルを付けてくれて3部屋でその電気使っている。県外の人たちが直接来てくれるのに町長たちは来ないと話される。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
 自分は話を聞きすぐに返事をしようとするが、聞き続けることも大事と分かっていながら出来ていないこと感じたし、身をもって体験できたように思う
他へ依頼したこと
 関西地区生コン支部Mさん(志津川高校でボランティアされていた方)ハグハウスの荷物を運んでもらう。

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