障害者派遣プロジェクト2

障害者派遣プロジェクト2
障害者ボランティア派遣プロジェクトは、6月末に西宮市のメインストリーム協会の障害者がはじめて現地に入りました。障害当事者による被災障害者への働きかけによるニーズ発掘をすすめることで被災地の障害者とつながり、自立生活をすすめていくための課題を共に担うこのプロジェクトは、当面来年の3月まで、障害者が介護者とともにボランテアとして一週間交代で現地に入り込み、支援活動をする計画です。
 すでに2回目のレポートを掲載させていただきましたが、今回2回目の報告を掲載させていただきます。
2011年7月15日
被災地障がい者支援センターいわての活動報告書
メインストリーム協会
太田雅之
林 龍司
期間:2011年7月2日~7月9日
被災地の訪問先:釜石市、山田町、大槌町、宮古市
○主な内容
 被災にあった障害者の人または家族に会い、物資の調達や見守り・通院の介助、買い物などをおこないました。
 盛岡市から被災地の沿岸部地域へ行くには片道3時間くらい係るため、正味の現地活動は長くて5時間程度でした。そして太田が行った所には、視覚障害者や知的障害者の支援が大半で介助者を使っての自立生活を話す機会がなく、瞬く間に一週間が過ぎてしまいました。
○引き継ぎ
 6月26日から被災地センターに来て活動していた二人(畑と松島)と、大まかな引き継ぎをしました。事前に松島より活動記録を毎日のメールが送られてきていましたので、特に詳細に引き継ぐことはありませんでしたが、宮古市に住む重複の男の子と、山田町に住むリウマチを持った女性については、より賢明なサポートを引き続きしてほしいと言われました。またセンターの代表を交えての引き継ぎでは、太田から施設も回ってみたい案を出しましたが、「施設は被災していないから、センターとしては回れない」という回答で、少し出鼻をくじかれた感じでした。
○おおむね一日の流れ
 5:30~起床、トイレや洗面などを済ませて6:40ぐらいにアパートを出る
 7:00~センターに到着、朝食
 7:30~センターを出発
10:00~被災地に到着
救援活動の開始(家の片付け、依頼物資の調達、病院の通院、買い物の付き添い、見守りなど)
16:00前後~被災地を出発
19:00前後~センターに到着、夕食
20:00~報告会議
23:00~終了
23:30~アパート到着、入浴
25:30~就寝
○各地域の被災状況
・釜石市:建物の形はまだ残っていましたが、人が住めるところはなくてがれきが多く積まれた状態のままでした。津波でぶち抜かれた玄関には、勇ましい祭り姿の男性の写真がおいてあったり、またはサッカーボールが二つ、もう誰にも駆られることもなく転がっている光景などを目の当たりにした時、衝撃のあまり言葉を発することさえも出来なかったです。
・宮古市:宮古市は海岸沿いにある市役所付近が1階辺りまで浸かったようでしたが、その他の被害は少なくて、生活するには大丈夫でした。
・山田町:海岸沿いは、ほぼ全滅状態で家の基礎部分がかすかに残っていました。少し高台のところは、床下浸水があったものの大きな被害は見受けられませんでした。
・大槌町:同じ町内であっても地域によって被害状況が全く違っていました。酷いところは本当にここに家があったのかと疑うくらい跡形もなく、少しのがれきが落ち居ているだけでした。そして高台へ行けば、のどかな家並みが立ち並んでおり、何も津波が来た形跡すらなかったです。
○障害者の状況
 津波で住めなくなった障害者の方々は、随時避難所から仮設住宅へ移りつつある状況の中で、仮設住宅での改造費用が自己負担でしてくれという自治体もあり、いくら国レベルでは復興支援費用に含まれているといっても、まだまだ地方自治体まで下りてくれば話が通らないケースが住宅改造に限らず、多くの制度が滞っていました。
 実際に宮古市の市役所へ行って障害者の生活状況を聞いてみたところ、一人暮らしをしている重度障害者の人は居なく、家族や施設に入所されている人ばかりでした。太田が福祉課の担当者へ生活手段を尋ねたら、入所や通所の施設が載っている冊子を見せられて紹介して下さりましたので、「重度訪問を使って生活がしたいんですが」と切り返したら、重度訪問を扱っている事業所がないという答えで、会話が途切れてしまいました。
 この現状は僕たちが回った市町村では、みな同じような状況でした。
○救援依頼の内容
 衣服・電化製品から始まって、視覚障害者やリウマチの人からの救援依頼は、外出介助(主に買い物・通院が多い)と津波で泥まみれにたった家財道具の片付けでした。あとはお母さんが買い物などで家を空けるために障害児を観てほしいと言った見守り介助も多くありました。
 これらの依頼について、震災前は海岸沿いにあったヘルパーステーションがおこなっていた業務でしたが、聞くところによれば事務所自体が津波で流されて、機能が停止していたために当初の被災センターがポスティングしたチラシを見て依頼してきたケースが大半だったようです。
○障害当事者の役割と今後の展望について
 現時点で障害当事者の役割は「ない」に等しく、センターのスタッフと一緒に行き、支援している横での声かけをするぐらいなものですから、方向性としては支援のチームとピアサポートのチームに分かれた上で行動しつつも情報提供は取りながら、1人ないし2人の障害者が長期にわたりセンターのスタッフと活動していけるような体制が取れたら望ましいと思いました。
 これから続けていく障害当事者スタッフには、上記の方向性を現地で提案し続けるように引き継ぎをしました。
○終わりに
 一週間と言う短い期間の中で、自分たちに何が出来るのか模索し続けて大きな事は何も出来ないままに終わってしまいました。しかしながら、終盤にかけて林君からセンターの代表と話す中でメインストリーム協会のスタッフには遠慮せず、どんどんと何でも言ってほしいことが伝えられ、有効にコミュニケーションを取ることが出来たので、今後の支援には、大きな流れが作れたと思います。
障害者派遣プロジェクト

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