ボランティアのつぶやき
私のボランティア活動はいよいよ残り数日となりました。先月6月5日に仙台に入り、全国各地からあつい想いを持って集まった老若男女のボランティアの皆さんと、日中はチームとして夜は共同生活者として過ごしてきた1か月半でした。
九州地方から参加されたベテラン介護士さんに元短距離選手のヘルパーさん、四国からの来られた1級建築士さん、中国地方から参加の元宮大工のヘルパーさん、東海地方からの福祉住環境コーディネーターさん、関東から来られた訪問看護師さん、北海道から参加のラガーマン兼ヘルパーさん、そして大阪を中心に全国各地の福祉関連団体に従事されている皆さんとともに、それぞれの方言で多種多様な意見を交換しあった1か月半でした。ここ被災地障がい者センターみやぎに来なければ一生お会いすることが無かったであろうボランティアの皆さんに出会えたことは、私にとって大きな宝だと思っています。
そして、主に私の被災地障がい者センターみやぎでのボランティア活動は、市役所等の公共機関から情報収集したり、仮設住宅のスロープ付き住宅や避難所・自宅等で生活されている障がいをお持ちの被災者の方々を1軒1軒訪問し生活状況などをお聞きすることでした。
「こういう身体になったからこそ見えて感じる視点があるはず」と、福祉住環境コーディネーターに挑戦し続けている、親戚宅に3世帯十数人で避難生活中の若い男性。
震災後に自宅に入ることができなくなった障がいを持つ子どものために、日中は自家用車を中心に子どもと生活するお母さん。
自らの障がいと家庭の問題を抱え、その解決のために越してきた転居先で震災に会い、ほとんどの家電製品が壊れたアパートでこの先の生活に戸惑う女性。
障がいを持つ次男と震災で仕事が減少した長男を抱え、自らは関節の痛みをこらえて家事を営み、車いすにのりタクシーとJRを乗り継いで次男の通院に付き添うお母さん。
家族4人2間で生活する仮設住宅から就労支援先に通いながら、両松葉づえの移動では困難な仮設住宅内の諸々のバリアの改善を単独で町役場に訴え続けている男性。
ショートステイを利用中の100歳の旦那さんの夏服の不足を気遣いながら、自らは4つの病院に通院し、ボタン操作が複雑な家電製品が並ぶ仮設住宅に暮らすご高齢の奥様。
奥様を震災で亡くされ、寝たきりのお母さんを近所に住む兄弟と共に介護しながら、車を流されたため片道1時間かけて自転車で通勤する状況を「健康のため」と気高く答えられた男性。
津波の爪痕残る地域で、身重の娘を気遣いながら末期がんの夫を自宅で介護する奥様。
「避難所から何とか仮設住宅に入れたけれど、これで生活が終りじゃない。生活はこれからが始まり。寝たきりの母には出来る限り心地よい生活環境を整えたい。」と、市役所に仮設住宅の改修を相談したが思うような返答はもらえず、自ら業者に依頼し自費で住宅改修し、そして炎天下の日中にお母さんの車いすを押して通院介助する娘さん。
こうした皆さんの生活のしづらさに、ボランティアとして即答できる立場はなくただただ聞いてくるだけの自分に自問自答した1カ月半でもあったように思います。それでも、この国難の中、目の前の課題や生活に前を向いて立ち向かおうとされている被災地の皆さんの声と姿は、私のこれからの人生に筆舌しがたい貴重な学びの機会となりました。
5月末に日本に帰国し仙台で1カ月半を過ごした私自身は、この後日本を離れ再びアセアンの途上国を生活の拠点とすることになります。日本を経済成長の模範と尊ぶアセアン諸国にとって、東北含めた日本のゆるぎない復興は“祈り”であり“必然”でもあります。祖国日本の力強い復興をアセアンの皆さんと共に信じております。
平成23年7月18日
被災地障がい者センターみやぎ ボランティアH